第十三章 少女の役目
第82話 記憶の鍵
どこか分からない町の石畳の歩道の上で、その少女は身を震わせた。
周囲を白いローブを着た5つの影が囲み、少女の右腕はその内の1人に捕まれる。
「いや、離してください! 助けて……」
その直後、大きな叫び声に呼応するように、誰かが少女の前に飛び出した。
白い靄で覆われた謎の人物の姿を見た瞬間、少女の中で安心感が生まれる。
顔の見えない謎の人物は、瞬時に少女を捕まえようとする影との距離を詰めて……
十畳ほどの広さの白い壁に覆われた部屋の中で、アソッド・パルキルスは目を覚ました。
右端の窓に沿うような形で置かれたベッドの上から起き上がったのは、黒いショートボブヘアの少女。
二十代前半のような見た目の彼女が、目をパチクリとさせながら、周囲を見渡す。
すると、木製の正方形の机と椅子、本棚が彼女の目に飛び込んできた。そのままベッドの上から立ち上がったアソッドは、朧気な記憶を手繰り寄せながら、目の前に見える本棚に向かい、歩みを進めた。
試練の塔でメル・フィガーロによって支配されていた人形を自身の能力で解放して、気が付いたらここにいた。
「こんなところで死んだらダメです。なぜなら、あなたには大切な役目があるのですから……」
アソッドの脳裏に、気絶する直前に聞いた最後の言葉が蘇り、彼女は首を捻った。
大切な役目とは何なのだろうか?
ステラ・ミカエルと呼ばれるあの水色のメイド服姿の彼女は、確実に自分のことを知っている。
疑問を抱く少女が目を向けた本棚には、格闘技や聖人に関する本が並んでいた。
「なんだったんだろう。さっきの夢……」
額を右手で触れたアソッドの脳裏に浮かび上がったのは、謎の人物。顔は分からないが、何者かに連れ去られようとしていた自分を、その人は助けてくれた。
安心できる懐かしさを胸に感じていると、左側にある白のドアからノック音が響く。間もなくしてドアが開き、桃色のショートカットの貧乳少女が顔を出す。
ピンク色の瞳を丸くした少女が部屋の中に足を踏み入れ、周囲を見渡す。
「ふわぁ。ステラの部屋、久しぶりです」
尖った耳の貧乳少女と目が合ったアソッドは目を点にする。
「えっと、あなたは……」
「あなたがアソッド・パルキルスさんですね? 昔、怪我を負ったスシンフリを病院まで連れて行ってくれた……」
「そうなんですね。ごめんなさい。私は何も覚えていないので……」
申し訳なさそうに頭を下げたアソッドに対して、その少女、リオが優しく微笑む。
「カリンから事情を聞いています。記憶喪失なんですよね?」
「カリンって誰ですか?」
「あなたをここに匿っているステラの仲間ですよ。あっ、そういえば、自己紹介がまだでした。リオです」
リオと名乗るヘルメス族の少女と対面したアソッドが首を捻る。
「リオさん。もしかして、昔、私と会ったことがあるんですか? さっき、スシンフリっていう人を病院に連れて行ったって聞きました」
「はい。そうですよ。十三か月くらい前に、森の中で怪我を負っていたスシンフリをあなたは助けてくれたんです」
その一言で全てを察したアソッドはドアの前にいるリオとの距離を詰め、彼女の両肩を優しく掴んだ。
「お願いします。スシンフリっていう人に会わせてください。私が記憶を失う前に会った人なら、何か知っているんだと思うんです!」
「ふわぁ。本当に記憶を取り戻したいって考えているんですね。だったら、リオに考えが……」
「はい。そこまでです」
リオの言葉を遮るように、扉の向こう側から別の少女の声が届いた。それから、ドアが開き、四つの人影がゾロゾロと部屋の中へ足を踏み入れた。
水色のメイド服姿の少女と大柄な男。銀髪の幼女と黒いローブを着た長身の男。この四人がアソッドとリオを囲むように並ぶ。
「アルケミナさん。ティンクさん。ブラフマさん。どうしてステラさんと一緒に……」
突然現れた知り合いたちと再会したアソッドが首を傾げると、ステラ・ミカエルが首を縦に動かす。
「私が連れてきました。この世界に起きようとしていることを伝えるために。そんなことより、リオ。あなたは何を提案しようとしたのですか?」
チラリと桃色ショートカットの仲間の顔を見つめた。
「ディーブの高位錬金術で失われた記憶を引き出そうと思いました。あの術式なら、封じられた記憶だとしても、強制的に思い出させることもできるので」
「ああ、まな板の姉ちゃんの助手が使ってたあの術式か?」
鍛え上げられた上半身の上から白衣を羽織る大柄が男、ティンク・トゥラの疑問に対して、リオは首を縦に動かした。
「はい。紫の匂いを嗅がせた状態で体内に電気を流します。ディーブならリオの頼みであの術式を使ってくれると思います」
「それはダメです。そんな荒療治、危険すぎますし、私は強制的に記憶を取り戻す方法に反対です。あの真実を全て受け止める覚悟が、今のアソッドには足りないです」
リオの声に反対意見をぶつけたステラが右手の人差し指を立てる。すると、アソッドは水色のメイド服を着た彼女に頭を下げた。
「お願いします。記憶を取り戻す方法があるのなら、試したいです」
「ダメです」
一言で申し出を却下したステラは冷たい視線をアソッドに向けた。
「ステラ。お主、頑固になったのぉ。それとも、何か隠したいことでもあるかのぉ?」
旧友の孫娘に対して、ブラフマが疑問を口にする。
「……別に頑固になったわけではないです。ただ、私は怖いです。あの真実が明らかになれば、アソッド・パルキルスは壊れてしまうと思うのです。だから、私はこれから起ころうとしていることを五大錬金術師とアソッドに伝えることしかできないです。確かに、あの時、クルス・ホームが私に一矢報いることができれば、全てを話すと約束しましたが、真実を伝えるつもりはないです」
そう言いながら、ステラはブラフマから視線を逸らした。
「あっ、そういえばクルスさんは?」
思い出したように首を傾げたアソッドにステラは視線を向ける。
「アイリスたちと一緒に錬金術の素材採取の旅へ出したです。とりあえず、遅れてやってくる残りの五大錬金術師、アルカナ・クレナーがこの場を訪れたら、私が五大錬金術師をこの場に集めた理由をお話するです」
「ステラ。待って。なぜテルアカ・ノートンをこの場に呼ばないのか? 教えてもらおうか?」
「テルアカ・ノートンは呼ぶべきではないと判断されたからです。それと、クルス・ホームにもあの事実を知ってもらうです。そっちはアイリスに話してもらうので、待たなくても大丈夫です」
銀髪の幼女、アルケミナ・エリクシナと視線を合わせるように腰を落として、ステラ・ミカエルが答える。
丁度その時、ステラたちがいる部屋の中に、白いローブで身を隠す影が飛び込んできた。
リオの眼前に姿を現したその人物が、深く息を吐き出す。
「報告。リオ様。ヘルメス村商店街に侵入者が現れました」
淡々とした口調で語り掛けるヘルメス族の少年の声を聴いたリオは首を捻った。
「ふわぁ。ポリ。珍しいですね。アリストテラス迷宮以外に侵入されるなんて……」
「同意。偶然現場を訪れていたカリン様と五大錬金術師のアルカナ様が二名の侵入者と相対しています。それと、カリン様から伝言です。ラス・グースが絶望の狂戦士を連れて里帰りしたようですわ。リオとティンクを現場に飛ばしてくださいませ」
「ラス」とブラフマとステラが同時に呟き、互いの顔を見合わせる。
そのあとでリオは両手を合わせた。
「ふわぁ。絶望の狂戦士の襲撃。面白くなってきました! じゃあ、リオは現場に行って後方支援してきます」
カリンの傍付きの報告を近くで聞いていたリオが一歩を踏み出す。
「えっと、まな板の姉ちゃん。教えてくれないか? 何が起きている? 」
湧き上がった疑問をティンクが口にすると、リオは深刻な表情になる。
「私たちが話そうと思っていたことに関する事件が起きたようです。ポリ。あれをティンクに……」
「了解」と短く答えたポリが右手の薬指を立てた。召喚された黒い槌が床に叩かれ、黒い長方形の板が出現すると、その少年はティンクにそれを差し出す。
その板に映し出された映像を目にしたティンクの表情が凍り付く。
その中で暴れていたのは、黒い中折れ帽子を被った黒髪パーマの青年。
「ファブル・クローズ」と映像に向かい語り掛けたティンクは目を真っ赤に充血させた。
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