第81話 予兆

 ドームの地面に生い茂る枯れた草の上で腰を落としたスシンフリに、無表情のアルケミナが剣先を向ける。

「これ以上は、時間の無駄。あなたの計画を終わらせる」

「まだ諦めるわけにはいかない。ボクは……」

 フェジアール機関の五大錬金術師に反論したスシンフリが立ち上がり、目の前で剣を構えている幼女を見下ろす。


「そろそろ諦めた方がいいですわよ」

 すると、どこかからカリン・テインの声が静かなドームの中で響いた。

 ティンクが周囲を見渡すと、いつの間にか、スシンフリの近くに白髪のヘルメス族の巨乳女性が佇んでいた。


「スシンフリ。エルメラ守護団に属しながら、極悪非道な行為で人々を苦しめた罪は重いですわよ。負けを認めて、街で暮らす人々に施した洗脳術式の解除しなさい。私も街を分断するために使用した永久氷壁術式を解除しますわ。それから、アルケミナ・エリクシナとティンク・トゥラをヘルメス村まで飛ばしてもらいますわよ。私は、その間に氷壁の中に閉じ込めたアルカナ・クレナーを助けにいきますわ」


「待て。なぜ、フェジアール機関の五大錬金術師をボクが暮らしている村へ飛ばさなければならない?」


 要領を得ない指示に、スシンフリは首を傾げた。

 すると、カリンは真面目な表情でアルケミナとティンクと顔を合わせた。


「アルケミナ・エリクシナ。ティンク・トゥラ。最初に私があなた方に会った時、この街にいるフェジアール機関の五大錬金術師の捜索も依頼されたと話しましたわね。その時は、なぜあなた方を探していたのかという理由は明かしませんでした。それは関係者以外の人間に、理由は明かせなかったからなのですが、今なら言えますわ。あなた方にアソッド・パルキルスと世界を救っていただきたいから、私はあなた方を探していたのですわ。この街にあなた方がいるという情報を耳にして」


「アソッド・パルキルスと世界を救う?」

 アルケミナは無表情で首を傾げた。その頭には、旅に同行していた仲間の姿が浮かぶ。

「待て。なぜ、フェジアール機関の五大錬金術師に頼む? そもそも、エルメラ守護団は、あの問題に対しては中立的な立場で動向を見守らなければならないんだ。それなのに、なぜ肩入れする?」

 戸惑いを顔に宿したスシンフリの追求に対し、カリンは首を縦に動かした。


「確かに、私たちは中立的な立場にならなければなりませんわ。だからこそ、平等に問題を解決する時間を与えなければならないのですわよ。それに、これは神主様の指示ですわ。おそらく、神主様は、フェジアール機関の五大錬金術師が諸悪の根源だと思っているのでしょう。EMETHシステムっていう錬金術を凌駕した技術がこの世界を滅ぼすのならば、アソッドと同様に裁くべきなのだと判断したのでしょう」


「それは聞き捨てられないな。俺たちフェジアール機関はアルケア政府と協力して、あのシステムを開発したんだ。今の生活をより良くするためにな。あのシステムが世界を滅ぼすわけがないんだ!」


 カリンの発言に対して、ティンクが怒りを露わにする。


「ティンク・トゥラ。あなたが怒っている理由は理解できますわ。自分たちの仲間を悪く言われたら、いい気分がしないでしょう。少なくとも、EMETHシステムが開発されなかったら、世界滅亡のカウントダウンは始まらなかったと、彼らは結論付けたのですわ」


「世界滅亡のカウントダウン?」

 そう呟いたアルケミナと視線を合わせるように、カリンが腰を曲げる。


「アルケミナ・エリクシナ。あのシステムの実証実験を開始した日のあなたの会見を拝見しましたわ。あの時、あなたは、こう言いましたわね? 伸び代がなくなっている錬金術に代わる、新たな技術や理論を発掘すること。このプロジェクトによって人類は、新たなる領域に進化することができると。あの方々は、それを恐れているのでしょう。人類が踏み入れてはならない領域へ到達するのが怖いというのが、彼らの本音ですわ。その過程で、本来なら、エルメラを使わなければ生成できない未知の物質が生成できるようになる可能性を危惧した一部のヘルメス族は、五大錬金術師を諸悪の根源と思っているのでしょう。だから、ヘルメス村に滞在しているアソッド・パルキルスとフェジアール機関の五大錬金術師を引き合わせて……」


「アソッドが、ヘルメス村に!」

 スシンフリが声を荒げ、カリンの語尾を遮った。その頬は赤く染まっている。

 そんな彼の反応から何かを察したアルケミナは、ジッと彼の顔を見つめた。


「スシンフリ。アソッドは私が助けるから、もうこんなことをする必要はない」

 彼女の真っすぐな瞳を見つめたスシンフリが溜息を吐きながら、その場から立ち上がった。

 そして、ピンク色になった暖かい瞳を、後ろで倒れているディーブに向け、アルケミナの前から一瞬消える。

 気が付くと、ピンク髪のヘルメス族少女はディーブが倒れている地面の近くで佇んでいた。

 伸ばされた右手の人差し指に魔法陣を浮かべた彼女は、ディーブの頬にそれを押し当てる。

 すると、ディーブの体が青白い光で包まれていった。

 続けて、地面に突き刺さった黒の剣を同じ光で包み込ませる。


「ふわぁ。これで洗脳術式解除できました。仲間たちに撤退命令を下してから、五大錬金術師を飛ばします。次はカリンの番です」

 一瞬でカリンの眼前へ飛んだリオが笑顔を向ける。それに対し、カリンが頷く。

「分かりましたわ。では、場所を移動しますわね。ここでは、洗脳が解けたのか観測できませんから。とりあえず、私たちは、シルフの商店街に飛びますので、そこへ迎いにきてくださいませ」


 優しく微笑んだカリンが、アルケミナの右肩に左手で触れた。

 それと同時に、右腕を伸ばし、近くにいるティンクの割れた腹筋を優しく触る。



 瞬き周囲を見渡したティンクは、多くの人々が立ち止まり、空を見上げている光景を見た。

 瞳に光を取り戻した彼らは、目の前を塞ぐ巨大な氷壁と暗い空を見て、唖然としている。


「どうやら、みんな洗脳が解けたみたいだな」

 雑踏の中で、安堵の声を出すティンクの右隣で、アルケミナは眉を潜めた。

「おかしい。術式が解除されたはずなのに、空は暗いまま。まだ、無風状態が続いている」

 違和感を胸に抱えたアルケミナの声を近くで聞いたカリンは、人々と同じように暗い空を見上げた。

「これは術式の効果ではなく、異常気象ですわ。数か月前、ヴィルサラーゼ火山が突然噴火したと聞きましたが、それよりも深刻な現象が、シルフで発生していたのは、想定外ですわね」


「どういうことか、ちゃんと説明してほしい」

 アルケミナの疑問の声を耳にしたカリンが顔を下に向ける。

「詳しい話は、ヘルメス村でお話しますわ。今、言えるのは、この現象は世界崩壊の予兆ということだけですわ。さて、そろそろ、あの氷壁を全て消去しますわ」

 

 カリンの姿がアルケミナたちの前から消える。

 その直後、ティンクは、前方から聞き慣れた声を聴いた。


「あっ、お兄ちゃんたちだ!」

 その声の先で、フゥが右手を大きく振っていた。

 その隣にいるスキンヘッドの男性と共に、フゥがティンクたちの元へ歩み寄る。


「お父さん、紹介するよ。この兄ちゃんたちがスシンフリからみんなを取り戻してくれたんだ。特に、そっちの銀髪の女の子がスゴイんだ。俺と同い年くらいなのに、スシンフリの側近や街を支配していた黒騎士を倒したからなぁ。俺が黒騎士に襲われた時に、この子が助けてくれた」


 息子の説明を聞いた父親は一歩を踏み出し、ティンクたちに頭を下げた。


「フゥを助けてくれて、ありがとうございました」

「いや、当たり前のことをしただけだ」

 照れて頭を掻くティンクの近くで、フゥは周囲を見渡す。

「ところで、尖った耳の姉ちゃんはどこだ? あの姉ちゃんと一緒に街を取り戻すお手伝いをしたんだ。姉ちゃんが、あの大きな壁をいっぱい出したんだ」

 目の前にみえる大きな氷の壁を指差すフゥを見て、ティンクが頷く。

「ああ、氷の姉ちゃんなら、さっきまで……」

 

 そう言いかけた瞬間、目の前に見える氷の壁は、一瞬で粉々になった。

 氷の結晶が周囲を舞う幻想的な現象に親子たちが見惚れる。


「キレイだ」

 そう呟くフゥが顔を横に向けた。

 だが、そこには自分を助けてくれた人たちの姿はない。

 何かの間違いではないかと、瞼を擦っても、現実は変わらなかった。


 

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