第78話 霧氷の狙撃手と虚無の騎士

 屋内と屋上を繋ぐドア以外何もない正方形のビルの屋上で、白髪で耳を尖らせた女性が大きな胸を床に押し当てて、うつ伏せになっていた。

 そのヘルメス族、カリン・テインはライフルのスコープを正面に見えるシルフドームの入り口に向け、引き金に指をかけていた。


 しばらくすると、スコープの中心に空を見上げるリオの姿が映り込んだ。

 居場所を見透かしたかのような視線がスコープ越しに伝わってくる。


 シルフドームから少し離れたビルの屋上でライフルのスコープ越しに一部始終を見ていたカリンは、唇を噛み締めた。

 その直後、リオがディーブと共にアルケミナたちの前から姿を消す。


「残念。もうちょっとだったのですが、逃げられたようですわ」

 カリンはうつ伏せの状態からスコープから顔を上げた。

 両ひざを曲げ、上半身を起こし、視線を近くにいる幼い相棒に向ける。


「フゥ。逃げますわよ。もうすぐここに敵が来ますわ」

「敵って……」

「階段を駆け上がる音が聞こえますわ。気配の消し方、音の反響具合から、敵は三十人程度の素人と推測されますわ。おそらく、数秒後、ここに乗り込んでくるのは、この街に住んでいた人たち」


 瞳を閉じ、体を回転させて、ライフルの銃口をドアに向けたカリンを見て、フゥは表情を曇らせた。

 すると、カリンは近くにいるフゥの頭を左手で優しく撫でる。


「安心してほしいですわ。誰も傷つけずに制圧します」


 ドアが勢いよく開いていく瞬間を見定め、銃口から水の弾丸を飛ばす。

 だが、放たれた弾がドアノブに命中するよりも先に、一つの影が文字通り転がり込んだ。


 真っ黒な鎧に身を包む影は背中をカリンたちに向ける。

 そして、その騎士は凍り付いていくドアを目にして、唇を噛んだ。


「……この騎士」

 背中に大きくⅩという記号が白い文字で刻まれている鎧を瞳に映したカリンが呟く。

 その間に、新たな黒騎士は体をカリン・テインに向け、腰の鞘から黒く染まった細い剣を抜き取った。


 一方で、カリンの右隣にいたフゥは騎士の顔を見て、大きく目を見開いた。


「お父さん」と呟くフゥが一歩を踏み出す。これまで離れ離れになっていた父親を前にしたフゥが大粒の涙を流す。


「あぅ……あああぁ」

 その一方で虚ろな瞳をしたフゥの父親は手にしていた剣を左右に振った。

 そんな動きを察知したカリンは瞬時に左手の人差し指を立て、宙に記した魔法陣を前方に飛ばす。


 小さな男の子に向けられた斬撃を魔法陣で弾く。

 それから、軌道を逸らされた斬撃が、少し離れたビルの窓ガラスを粉々にした瞬間を視認したカリンが、視線を目の前の黒騎士に向ける。


「外道ですわね。まさか、人間にアレを使うなんて……」

 それからすぐにカリンは、小さな男の子を庇うために、フゥの目の前に体を飛ばした。

「教えてくれ。なんでお父さんは……」

 カリンの背中に隠れ、腕を伸ばし彼女の右の太ももに触れたフゥが呟く。

 男の子の恐怖が伝わってきたカリンは、真剣な表情で目の前にいる黒騎士を見つめた。


「神聖なるヘルメス族として選ばれた者のみ着用を許された黒騎士の鎧。フゥのお父さんはそれを着ているのですわ。人間に使えば、殆どの者が命を落とし、運よく鎧に選ばれたら言葉と意思を失う虚無の騎士になり、最終的に身を亡ぼす。そんな危険な鎧を使うなんて、酷いですわ」

「何とかならないのか? お父さんを助けたいんだ!」

 男の子の力強い声を背後で聞いたカリンが頬を緩める。


「分かりましたわ。はぁ」

 カリンが息を吐きながら銃口を黒騎士に向けた。

 同時に左腕を伸ばし、立てた人差し指で一瞬で宙に記した魔法陣を銃口に触れさせる。

 引き金を引いた間に黒騎士は剣を構え、前に向かい駆け出す。


 だが、その振り上げれた剣はカリンに届くことはなく、粉々になった鎧の破片が宙に舞った。

 銃弾を貫かれた鎧が壊れていき、フゥの父親は膝を屋上の地面に落とした。

 そうして、瞳を閉じた彼はそのままうつ伏せに倒れていく。


「フゥ。これで大丈夫ですわ。フゥのお父さんはすぐに目を覚ますでしょう。次は……」

 優しく語り掛けたカリンが瞳を閉じ背後を振り向く。


「フゥくん。探したよ」

 そんな声を上空から聞いたフゥは空を見上げ、表情を青くした。

 それと同時に、瞳を開けたカリンは、視認した新手を見て、不敵な笑みを浮かべた。


「予想通りですわ。ティンク・トゥラからあなたがスシンフリに洗脳されたと知った時から、あなたとの戦闘を想定していましたのよ。フェジアール機関の五大錬金術師。アルカナ・クレナー」


 アルカナは、虹色の蝶の羽を動かし、彼女がいる屋上に降り立つ。


「ふーん。もしかして、あなたがスシンフリ様が警戒してたエルメラ守護団の仲間? 街中に巨大な氷壁を出現させたのは、あなたじゃないかって聞いたよ」

 アルカナが屋上から巨大な氷壁で阻まれた街並みを見下ろす。

「街を封鎖したのは、私ですわ」

「ふーん。そうなんだ。あなたを見つけたら、足止めするようにって指示されたからさ。あなたを倒して、フゥくんをスシンフリ様の元に連れていく。これでシルフ在住の全ての人々が、スシンフリ様のモノになるよ」

「そう簡単にうまくいくかしら?」


 カリンが呟きながら、右手の人差し指を立て、魔法陣を宙に記す。

 それからすぐに、彼女は、魔法陣に息を吹きかけた。

 

「ふーん。その術式、空気中に水蒸気を散布しただけに見えたけど? まあ、関係ないわ」

 無関心な表情のアルカナが緑色の槌を振り下ろす。それと同時に、周囲の空気が大きく渦巻き始めた。

 その現象を目の当たりにしたカリンは、手にしていたライフル銃の銃口をアルカナに向け、引き金を引く。


 だが、放出された水の銃弾は、瞬時に生成された白い菱形の物質で弾かれて、アルカナの足元に散らばった。

 その一瞬で、アルカナの周囲で渦巻いていた空気からかまいたちが、いくつも発射されていく。


「さて、次はフゥくん。アタシと一緒にスシンフリ様の元へ……」

 勝利を確信したアルカナが瞳を閉じる。

「正解でしたわ」

 その相対していた巨乳女性の声がアルカナの耳に届き、彼女は瞳を開けた。

 彼女の目の前には、無傷のカリン・テインがいる。


「ウソ。なんで? あれが当たったはずなのに……」

 驚きを隠せないアルカナが口元を両手で覆った。


「理屈はあなたの能力と同じですわ。かまいたちが私の元へ飛んでくるよりも先に、一瞬で氷を生成しただけ。屋上を見下ろせば見えるでしょう? あの巨大な氷壁が。あれと同じモノを生成しましたわ。因みに、私が生成した氷は、永久に溶けないのですわ。その耐久力は、大砲を撃ち込んでも壊れない程だそうですのよ」


 軽く解説したカリンが一瞬で怯えるフゥの右隣へ移動する。

 その手からライフルを消した彼女は、銀色に輝くハンドガンを握っている。

 すると、次の瞬間、ハンドガンの銃口から銀色の銃弾が放たれた。


 目の前へと飛んでくる銃弾が瞳に映った瞬間、アルカナは頬を緩める。

「ただの鋼の銃弾で、アタシの元素強盾が壊せるわけないでしょ?」

 

「標的は、あなたではありませんわ」

 余裕の表情で、銃弾が弾かれた瞬間を見ていたカリンが呟く。

 水が飛び散った屋上の床と銃弾が衝突した時、アルカナは無意識に体を震わせた。


 足元を見ると、なぜか床が凍り付いていることに気が付いた彼女は、首を傾げた。

「何、これ?」

 そう尋ねられたカリンは、怯える男の子の肩を左手で優しく叩きながら、自身の右手人差し指を立て、指先に息を吹きかける。


「過冷却水。結果的に、あなたの足元に撒かれてしまった物質ですわ。ご存知の通り、過冷却状態の水を凍らせるためには、衝撃が必要になります。だから、あなたの能力を利用して、過冷却水で濡れた床に衝撃を与えるために、わざと鋼の銃弾を放ったのですわ。その能力で弾かれた弾が、どこに落ちるのかは、一度観測すれば、予測できますので」


「なるほど。でも、この程度の小細工で、アタシを足止めできるわけないでしょ? ただ、床を凍らせて、滑りやすくしただけで……」


 そう言いながら、アルカナが一歩を踏み出す。

 すると、急に空気が冷たくなった。

 周囲を見渡すと、自分を覆うように円状になった巨大氷壁が生成されていて、アルカナは思わず目を見開いた。


「何をしたの?」


「私が水蒸気を空気中に散布したという、あなたの考察は半分正解ですわ。私が生成した水蒸気も過冷却状態にしたモノ。それを、あなたの周囲に散布しましたわ。一歩を踏み出した時に生じた弱い衝撃で、瞬時に凍り付くよう調整するのに苦労しましたわ。先ほども申しましたが、私が生成した氷は、永久に溶けないのですわ。その耐久力は、大砲を撃ち込んでも壊れない程だそうですのよ」


 

 瞬時に氷壁で構成された檻が出来上がっていく間、アルカナの顔が青ざめていく。


 凍えるような寒気の中で、アルカナ・クレナーは巨大氷壁で覆われた空間に閉じ込められた。


 それから、カリンは近くにいるフゥと気絶したその父親に視線を向けた。

 そうして、彼女はフゥと顔を合わせるために、腰を落とす。


「フゥ。もうすぐあなたのお父さんが目を覚ましますわ。そうしたら、あなたはお父さんと一緒にいてほしいのですわ。あなたのお父さんを助けられるのは、フゥしかいません」


「待ってくれ。まだスシンフリも倒してないし、街だって元に戻ってないんだ。だから、俺も一緒に……」


 勇気を振り絞り訴える男の子に対し、カリンは彼の頭を優しく撫でた。


「頑張りましたわね。でも、もう大丈夫ですわ。あと五分もすれば、街は元に戻ります」


 優しく微笑んだカリンが、フゥの父親の背中に振れた。


 


 フゥは目をパチクリとさせた。

 目の前に広がるのは、見覚えのある商店街。

 地面には気を失った父親が倒れている。

 

 「お姉ちゃん」と呼ぶフゥの声は届かない。

  この瞬間、フゥの前からカリン・テインは姿を消した。

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