第79話 スシンフリの過去

 その錬金術師は、穏やかなピンクの瞳から、冷酷な赤の瞳へと変化させ、枯れた草を踏み下ろした。

 円状に囲まれた誰もいない観客席を見渡してから、草の上で横たわるディーブに視線を向けた彼の頬が一瞬赤く染まる。


「大丈夫ですか?」

 そんな女性の声が頭を過った瞬間、スシンフリは暗闇に包まれた空を見上げた。

「大丈夫。今度はボクがキミを助けるから。そのためにボクは……」

 誓いの声は虚空に消えていく。そうして、少しだけ顔に焦りを宿した彼は、頭に1年前の記憶が浮かばせ、瞳を閉じた。



「大丈夫ですか?」

 近くで女性の声を聴いたスシンフリの瞳がゆっくりと開いていく。

 その瞳に飛び込んできたのは、漆黒に染まったショートボブヘアの少女が心配する顔。二重瞼で黒子一つない綺麗な肌に一瞬見惚れてしまったスシンフリは、体を起き上がらせた。

 緑豊かな木々が生い茂る森の中で、周囲を見渡すと、近くにある大木の幹に体を預けた少女が、膝を折り畳んで座っていた。

 木漏れ日が漏れる神秘的な大木の下で、その自分と同じくらいの身長の少女はスシンフリに優しい眼差しを向けている。

 その瞬間、スシンフリを頭痛が襲う。痛む頭を押さえるために、右腕を上げると、白い包帯が撒かれていた。

 その少女は慌てて大木から立ち上がり、彼に駆け寄った。


「まだ痛みますか?」

「いや、大丈夫だが、キミは……」

「アソッド・パルキルスです。この森に迷い込んだら、あなたが傷だらけで倒れていたので、ビックリしました」

 笑顔でそう答える彼女と目が会った瞬間、スシンフリの心が大きく震えた。

「そうか。ボクはあのキメラを駆除しようとして……」

 同時に直前の記憶が思い出されると、アソッドが両手を合わせる。

「確か、この森に生息しているキメラは強くて、多くの人々が素材採取や駆除に失敗して命を落としていると聞きます。そんな危険生物に独りで挑もうとするなんて、スゴイです」


 急に褒められたスシンフリの頬が赤く染まった。

「独りではない。仲間と一緒に来たからな。アイツは今頃、逃げたキメラを追いかけている頃だろう」

「もしかして、あなたは、ヘルメス族ですか? 錬金術の礎を築き上げた希少種族だって聞いたことがあります。まさか、こんなところで出会えるなんて……」

 興味津々な表情になったアソッドと顔を合わせたスシンフリが、照れた顔を隠しながら、首を縦に動かした。


「ああ、とりあえず、ここは危険だからな。ボクがキミを安全なところまで逃がす。そのあとで仲間と合流して、この森に住み着いたキメラ駆除を……」

 照れた顔を隠しながら、一歩を踏み出そうとするスシンフリを前にして、アソッドは首を横に振った。

「ダメです。応急手当は済ませましたが、あなたは、まともに戦えない体なんです。キメラ駆除はその仲間に任せてください。そのあとで、あなたは病院で治療を受けてください。私があなたを病院に連れていきますから!」


 その真剣な表情の彼女を対峙したスシンフリが溜息を吐く。

「分かった。仲間に離脱することを報告してから、戻るとしよう」

 納得の表情になった彼を見たアソッドが微笑みながら、右手を差し出す。

「良かったです」


 そう言いながら、彼女はスシンフリと手を繋ぐ。

 その瞬間、彼女の温かさを感じ取ったスシンフリの心臓が強く脈打った。

 この言葉にできない初めてな気持ちを胸に抱いたまま、彼はアソッドと共に姿を消す。



 彼女との出会いから数日後、二百人程度の人々が暮らす小さな村の中にある木々で覆われた小屋の中で、スシンフリは右腕を前に伸ばした。

 白いローブの裾を捲り、そこに撒かれた包帯を見た彼の顔が赤くなる。

 丁度その時、小屋の扉が開き、白いローブで身を纏う白髪の巨乳女性が中へと足を踏み入れた。


「珍しいですわね。あなたがボーっとするなんて……」

 来客の声が聞こえていないようなスシンフリは、右腕の包帯に見惚れている。

 そんな彼から何かを察した来客は、咳払いした。

 その音で、ようやく気が付いたスシンフリは、音が聞こえた方向へ顔を向ける。

 その先でカリン・テインは心配そうな表情を浮かべている。


「カリンか?」


「そうですわ。スシンフリ、今のあなたは隙だらけですわ。気配も消していない私が堂々と玄関から入ってきたのに気づかなかった様子でしたので。もしかして、数日前のキメラ駆除に関して、悩んでおられるのかしら? リオの体を傷つけてしまったから。まさか、あなたより序列が低い私の所為かしら? あなたに怪我を負わせて戦線を離脱させたキメラを私が駆除したから」


「……確かにボクの所為でリオの体に傷を付けてしまったことに責任を感じているが、それはボクがカリンに気付かない理由ではない。そんなことより、なぜボクの家に押し掛けたのかを聞かせてもらおうか?」

「エルメラ守護団序列十六位までの守護者に緊急招集ですわ。あなたかリオのどちらかが出席すればよろしいですので、今すぐ神主様がおられる神殿へ集まるようにとのことですわ」

「緊急招集?」と首を傾げるスシンフリに対し、カリンは首を縦に振った。

「そうですわ。内容までは聞かされていませんが、神殿までご足労お願いしますわよ」



 神々の石像が纏われた神秘的に青白く輝く石で構成された神殿へ、カリンと共に訪れたスシンフリが周囲を見渡す。そこには、自分たちと同じく白いローブを纏った九人が集まっていた。

 その神殿の中心で一人の小柄な男性が佇んでいる。大小さまざまな大きさの八つの影は、その男を中心に輪になるように囲んでいて、そこにカリンとスシンフリが加わる。

 

 そして、周囲を見渡した小柄な男は首を縦に動かした。

「星霜の聖職者は極秘任務中、虚空の勇者、断崖の召喚師、白熊の騎士は外界で活動中、霊異の音楽家と陰影の騎士団長は体を共有しているから置いといて、問題は遅刻の常習犯、夢幻の僧侶は休みかい? 序列五位の聖水の武道家よ」


 男の目の前に立っているメイド服を着た青髪の少女が頷く。

「神主様、今回の集会の内容は、責任をもって伝えるつもりです」


「分かった。では、手短に始めよう。今日、みんなに集まってもらった理由は、他でもない。約十三か月後に迫った審判の日に関する話だ。ご存知の通り、この場にいない星霜の聖職者は、審判の日を滞りなく遂行するために暗躍しているのだが、先程、彼女から連絡が来た。世界の命運を背負わされた哀れな罪人を捕えたと。これで、第一段階は終了したので、そろそろキミたちに、世界各地で発生する可能性が高い異常気象に関する観測調査を依頼しようと思う。ただし、序列十六位以下の守護者との調査は禁ずる」


「それはそうと、先程から気になっているのですが、世界の命運を背負わされた哀れな罪人というのは、誰かしら? まさか、私のお友達かしら?」


 カリン・テインが首を傾げながら、右手を大きく上に伸ばした。そんな疑問の声を聴き、神主と呼ばれた男は、カリンの隣に立つスシンフリを指差しながら、ハッキリと答える。


「霧氷の狙撃手よ。キミの交友関係は把握していないので、何とも言えないが、哀れな罪人の名前を教えてあげよう。アソッド・パルキルスだ。数日前、キミたちにキメラ駆除を依頼しただろう。その森の近くにある小さな町で捕えた……」


 この瞬間、スシンフリから神主の声が消えた。

 

 あの森で出会ったアソッド・パルキルスと呼ばれる少女の笑顔が頭の中で埋め尽くされていく。

 自分を助けてくれた優しい少女の手の感覚も蘇ってくる。


 しばらくすると、頭に浮かぶ彼女の笑顔が、地獄のような苦しみで悶える彼女の顔に変わっていく。

 

 暗闇の中に囚われた少女を救いたい。

 そんな純粋な想いを胸に抱いたスシンフリの表情は、いつしか残虐なものへと変わっていった。


「大丈夫。今度はボクがキミを助けるから。そのためにボクは……」

 誓いの声は虚空に消えていく。


 そして、彼が瞳を開けると、同じドームの中へと侵入した、アルケミナ・エリクシナとティンク・トゥラの姿が飛び込んできた。

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