死ぬ前に少しだけ待って下さい
相桐 朱夏
第1話 二週間待って下さい
『 父と母へ
これを読んでいるということは僕は死んでいるのでしょう。
あの日の後悔から翌日、僕の学校生活は地獄へと変わりました。
これは僕に与えられた罰なのだと思い、この三ヶ月耐え続けました。
けれど、僕はもう学校には行きたくはないし、生きるのも辛くなりました。
人と接してこなかった僕は敵意を向けられることに耐性はなかったようです。
親不孝な息子でごめんなさい。どうか二人は長生きしてください。
今までありがとうございました。
』
その日の僕の朝はいつも通りだった。年季が入っているような制服を着て、今日の準備をする。授業で使う分の読めなくなった教科書と落書きだらけのノートを塗装が剥がれている鞄の中に入れる。どれも一年前は新品だった。
一枚の食パンを口に詰め込み、牛乳で流し込む。危うく吐きそうになったが、なんとか胃に収めた。昼食がとれないから、こうして無理に食べるしかなかった。
ここ数ヶ月は変わらなかった朝に一つだけ違う所がある。それは食卓の上にある昨夜書いた遺書。両親ともに共働きで夜遅くまで働いている。疲れて帰ってきてもこれなら気づくだろう。
いつもならトイレに駆け込んで登校時間ぎりぎりまで閉じこもるけど、今日は早めに家を出た。
「いってきます……」
これで最後なんだ。いつも重かった足取りも今日は軽くなった気がした。
向かった先は学校ではなく、通学路とは逆方向のとある四階建ての屋上に来ていた。建物の中には聞いたこともない会社が半年のペースで入れ替わっている。ここの屋上は建物の中には入らずとも外にある階段で上ることができる。
手に持っていた鞄を捨て、落下防止の柵を越える。思わず下を見て、足がすくむ。
「やっぱり怖いな」
一応、自殺の方法を一通り調べたけど、結局はここで飛び降りることにした。ここなら会えるかもしれないと僅かな可能性に賭けてみたかった。
後は飛び降りるだけだった。頭から落ちるように。
覚悟を決めて、地面を覗き込む感じにして落ちようとして――。
「待って」
背後から声をかけられたけど、この体を止めることはできなかった。
けれど、一番恐れていたことが起こってしまった。僕は落ちなかった。突如後ろに引っ張られ、思い切り尻もちをついた。
「今死なれると困る」
後ろを振り向くと、そこには黒いローブを身に着けた紫色の眼を持つ少女がいた。
まるでおとぎ話から出てきたような姿で違和感を覚える。
「僕が死んで誰が困る?」
少女の言葉に噛み付く。大人気ないけど、理由が知りたかった。それが善意なら僕にとっては最悪の答えだ。
「私。私が困る」
「…………え? どうして」
思わず呆気にとられた。まだ家族や友達が悲しむとか君はまだ未来があるなどありきたりな答えが来るものだと思った。けど、考えてみれば僕より幼く見える彼女にその答えは難しいだろう。
「どうして…………私が困るから?」
少女は不思議そうに首を傾げた。うまく言葉が見つからないのだろうか。それともなんとなくだろうか。どちらにしても僕にとっては迷惑だ。
「一応、ありがとう。けど、次は止めないで欲しい」
一度止められて確信した。僕は未だ死にたいらしい。まだ痛みが残る臀部を持ち上げ、さっきと同じ場所に立つ。少女に背を向け、応えを聞く前に飛び降りようとする。
「せめて――」
けれど、思いとは裏腹に少女の声に耳を傾けてしまった。
「二週間待って下さい」
それは一体どういう意味なのか。少女に聞こうともう一度振り返るが、そこには投げ捨てた鞄しか残ってなかった。
本来なら朝のホームルームが始まる時間には死んでいたはずなのに、もうすぐ正午を広場のベンチで迎えようとしていた。
屋上で少女が姿を消してから、自殺よりあの言葉の意図を知りたくて周辺を走り回ったけど、見つからなかった。
「二週間待って下さい、か」
そう言って消えた。その言葉が頭から離れず、自殺する気が失せてしまった。といっても、自殺を止めるわけではない。
「そういえば、初めて学校さぼったのか……」
よく今まであの辛い場所へわざわざ行っていたものだ。今から行けば午後の授業は間に合うだろうけど行く気も起きない。きっとサボった分いじめが酷くなるだろうけど、ここは学校から離れているから放課後では大丈夫だろう。
「ふぁぁ」
夜遅くまで遺書を書いていたので、あんまり寝ていない。程よい運動に心地よい風と温かい日光を浴びたことで、眠気が強くなり瞼が重たくなってきた。そして結局、睡魔に抗うことができずに意識は沈んでいった。
「少しいいか。東谷」
目の前に現れたのは、クラスの中心となって皆を引っ張っていた頃の彼ではなく、今はクラスの中でいじめの標的になっている彼だ。今は亡き僕の元友人。
「返事しなくていいからさ。聞いてくれるだけでもいい。俺は間違っていたのかな。あの時、いじめを見て見ぬ振りしてたら良かったのかな。あの後、あいつらの中に混じっててすごく裏切られた気分になった。俺のしたことはなんだったんだろうなって。もうわかんねえんだよ。耐えれば終わると思ってた。けど、もう生きるのが辛い。まるで水の中にいるみたいに息苦しいんだ。明日が来るのが怖くて怖くてたまらないんだ」
目に光が宿っておらず、背中を丸めて怯える姿は中学の頃より小さく見えた。既に別人のようになっていた。そんな彼は昔のみたいに話すけど、明るさはなく暗い雰囲気を漂わせている。
「だからさ、最後にお別れを言いに来たんだ。中学校からの付き合いだったけど、俺はお前と親友でよかった。おかげでいい思い出だ」
僕は君を裏切ったのにどうしてそんなに良い奴なんだよ。罪悪感と後悔を最大に引き出すぐらい罵倒してほしかった。止めて下さいと泣くまで殴ってほしかった。
「じゃあな」
僕はただ――。
何か懐かしい夢を見た気がするが、胸が締め付けられる痛みがあった。起きるタイミングが悪かったのだろうか。
広場にある大きな時計は三時を指そうとしていた。随分眠っていたようだ。
「お腹減った」
疲れに睡魔に次いで空腹が襲ってきた。昼食の時間よりおやつの時間が近い。財布には千円札はあるから、そこら辺のコンビニで済まそう。
「……カスタードの匂い?」
鼻腔をくすぐる甘い匂いを辿って、程なくして茶色の移動販売車を見つけた。近くに立っているのぼりには『クレープ』と書かれていた。そういえば、クレープなんてここ数年食べていない。
甘ったるい匂いを漂わせているが、今は人が少ない。わざわざ儲けも出なさそうなのに働いて大変だと思う。気分的にクレープは食べる気になれなかったので通り過ぎようとしたとき、クレープ屋の近くに自殺を止めた原因、探していた人物がいた。黒いローブを着た少女は看板に書かれたメニューを凝視していた。
「えっと、ここで何してるの?」
「…………」
手を伸ばせば届きそうな距離で声をかけたにも関わらず返事がない。余程、クレープ(のメニュー)に夢中しているのだろうか。
「何してるの?」
「………………」
「もしかして、決まらないとか?」
「食べたくても食べれない……」
やっと応えてくれたが、視線の先はメニューに注がれている。
「お金持ってないのか?」
「持ってない…………ん?」
少女は振り返り、僕を見て首を傾げた。
「見えるの?」
「普通に見えるけど」
更に首を傾げていた。メニューは黒いローブで隠れて見えないところはあるけど、ある程度は確認できた。
「私にクレープを奢って下さい」
「え?」
「クレープを奢って下さい」
少女は無表情で抑揚のない単調な声だったが、紫の眼が大きく開いていた。こちらに向けてくる視線は見つめられすぎて穴が開きそう。
「奢る代わりに聞きたいことがあるんだけど」
「わかった」
二つ返事で取引は成立した。少女は再び看板のメニューを見て、真剣に選んでいる。クレープと交換で会話の機会を得たわけだけど。
「全部」
「……一個でお願いします」
わざわざクレープで釣らなくても聞き出すことはできたのではないだろうか。あと、さすがに全部を買えるほどのお金は持っていない。それにメニューを見る限り二十種類以上ある。余程お腹が空いているのだろうか。
「『苺とバナナチョコ』」
少女から注文を受け、さっそく買いに行こうとしたが、今更ながら学生服で昼間うろついてたら怪しまれないだろうか。
「はい。これで足りるはずだから、自分で買ってきて」
代わりに行ってもらおうと千円札を渡すけど、一向に受け取ろうとしない。
「私は買えない」
どうしてと聞きたいが、ここで機嫌を悪くされて話をしなくなるかもしれないから、結局僕が買いに行くことになった。
「えーと、この『苺とバナナチョコ』を一つ。後『ホイップカスタード』を一つ」
「以上ですか?」
「はい」
「合計で七百円になります。出来上がるまで少々お待ち下さい」
クレープを受け取り、少し離れたベンチで待っていた少女に渡す。
「はい。これでいいよね」
頼まれた『苺とバナナチョコ』クレープを手渡し、少し距離を空けて同じベンチに腰を下ろす。
「これがクレープ……」
心なしか目がきらきらとしているように見えた。そういえば、これぐらいの年齢のときはいろんなものが輝いて見えたけど、いつの間にか色あせていた。それがいつ頃からだったか覚えていない。
少女はしばしば鑑賞を楽しみ、小さな口を大きく開けてクレープを頬張る。食べるにしたがって苺やバナナを落としたり、鼻や頬にクリームやチョコがついたりしていたけど、無事完食した。
「……食べないの?」
少女の視線は僕が頼んだ『ホイップカスタード』のクレープに注がれていた。一口食べただけで、ほとんど残っていた。
「ああ、うん。あまり食欲なくて。食べる?」
「うん」
遠慮なく受け取ったクレープを一個目と変わらないペースで黙々と食べていた。こんな小さな体でよく入るものだ。これが甘いものは別腹というやつなのだろう。しかし、表情は無表情のままなので何を思って食べているのかよくわからない。
「クレープどう?」
「甘い」
なんとも簡素な感想だった。確かにそうだけど、他に何か無いのだろうか?
「さっきのは?」
「甘いと酸っぱい」
これも安直な意見だった。酸っぱいは多分苺だと思うけど、他にもチョコやバナナが入っていたのだからもう少し何か思ってもいいような。
「もしかして、あまり好みじゃなかった?」
「わからない……けど、食べたかったから」
「そ、そう」
曖昧な応えにどう反応していいかわからなかった。その後は会話も無く、クレープを食べ終わるまで待った。
「あれってどういう意味?」
「……あれって?」
首を傾げていた。急ぎすぎていろいろと省略しすぎた。
「二週間待って下さい、って今日の午前に屋上で」
「…………なるほど」
思い出したという反応ではなく、一人で何かを納得していた。
「あれはあなたの余命」
「余命……僕の?」
こくりと頷いた。聞いている自分が馬鹿らしくなってくる。
「今は契約者がいるので、三日待ってて下さい」
「それってどういう――」
「クレープ分は話した」
なんだかクレープ分がとても安い気がしてならない。少女はすくと立ち上がった。
「事の説明は契約する時に話します。私は用があるので、これで」
そう言い残した少女の姿は見えなくなった。遠くに行ったわけではなく、一瞬の間に消えた。まるで夢を見ているような出来事だった。
あの後自殺のタイミングを失い、二度と帰らないと思っていた家にあっさり帰ってきた。食卓の上に置いていた遺書は朝のときと何も変わっていなかった。玄関の鍵が施錠されたままだったから、当たり前といえばそうかもしれない。とりあえず、遺書は自分の机の引き出しにしまった。
あの少女から余命宣告され、どうやら僕の寿命は二週間らしい。今更知ったところで元々今日死のうとした僕にはあまり関係のない話だった。後悔だらけの人生だけど、できることは全部やった。もう心残りは無いはずだ。
それから三日待ってて下さいと言われた。それに従わなければ、今からでも自分の人生を終わらせることはできる。しかし、今はどうにも少女のことが引っかかっている。もう少し様子見してもいいかもしれない。あの少女は何者なのか。それを知るべきだと語りかけてくる。
とりあえず今日を終わらせるために、早めの夕食としてインスタントラーメンをすすり、すぐベットで横になった。なかなか寝付けなかったが、いつの間にか眠ってしまった。こうして自殺を決めた今日は過ぎていった。
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