人を信じすぎるゼリー

2017年10月2日月曜日


私は人を信じすぎるゼリーだ。

人を疑うことの必要性や、世の中には良い人の皮を被った悪い人がいることを深く理解できていない。

人が隠し持つ悪意を察することも下手くそだ。

出会ってすぐの人のことも、簡単に信用してしまう。

それでいて裏切られてはすぐ傷ついて、ぐずぐずになって、何日か再起不能になってしまう。

ぐちゃぐちゃになって動けなくなって、誰かが形を整えて、ゼラチンを足してくれるのを待っている。

常に不安定な塊が、私だ。


「少し人を疑うことを覚えなければ」、とは思う。

思い続けてもう何年か。

しようと思ってもできないこともあるのだろう。

私は何年経っても、「人を信じすぎないこと」を学べない。

「人を信じて傷ついて、その何が悪いのか」と思ってしまう自分がいるから学べないのだということは、わかってはいるのだが。


私は思えば、悪意を持って意図的に人を傷つけるということができない。

できないから想像がつかないが、できる人はしようと思うのだろう。

したところでどんな心持になるのか、気持ちいいからするのか、気が晴れるからするのか。

想像もつかないが、その心持は知りたいとも思わない。

人を傷つけて生まれる感情は、後悔位しか知らない。

だから私は、きっと一度も悪意を持って人を傷つけることを試さずに死んでいくだろう。

一度してしまったら、きっと何度だってできてしまう。

何度でも人を傷つける自分を、私は見たくない。

私は、嫌いな誰かを傷つける人よりも、好きな誰かを大切に愛せる人でありたい。

その方が、美しいと思うから。


もしかしたら、人を傷つけられる人は、私みたいな弱い心は持っていないのかもしれない。

私はゼリーだけど、そういう人たちは、人を傷つける代わりに、鉄とかダイヤとか、硬くて丈夫な心を持っているかもしれない。

でも、人を傷つける人の鉄やダイヤは、美しいのだろうか。

私は傷つくのも苦しいのも嫌だけど、醜いことを平気でするようになる位なら、ゼリーのままでいい。

傷ついて、ぐずぐずに崩れて動けなくなっても、秘密基地に隠れて煙塗れになっても、手を引いて、形を整えてくれる、きらきらした大切な人たちが側にいるから。

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