さよならノスタルジー

ふわり

第1話


 物心ついた頃から、この田舎町が大嫌いだった。


 東京から新幹線で5時間。在来線に乗り換えて30分かけてやっと最寄りの駅に到着した頃には、座席に接していたお尻の部分が痛くなっている。改札を抜けると肌荒れの原因にもなっていた馴染みの工場の煙が鼻腔をつき、連続してくしゃみが出た。田園に囲まれた真っ暗な道に人気はない。この狭くて小さい町の中では一等地と言われているらしい場所に建てられた一軒家を目指して、赤いトランクを引きながら砂利道を歩く。

 故郷と呼ばれる場所は、どうしてこうも心の奥底に閉まっていた感傷を掻き立てるのだろう。何処もかしこもあの子と過ごした記憶に満ちている。

 夜通しくだらない話をした公園のブランコ。隠れるようにして衝動を抑えきれずに交わしたつつじ畠のキスの味。粉雪の散らつく冬の日に繋いだ手のぬくもり。部活帰りに待ち合わせて毎日のように通ったコンビニ。私のものよりもサイズの大きい学校指定のジャージ。6年前、高校生だった私に生まれて初めての恋人ができた。

 樹里は学年で一番背が高くて運動が得意で、それから勉強のできない女の子だった。夕焼け色に染まった道路を並んで歩くと、長さの違う影が足元にふたつ伸びた。


「おかえり、悠」


 立て付けの悪くなった引き戸を開けると、私が帰ってくるのを待ちわびていた母が玄関から顔を出した。途端に胃が重くなるのを感じながら、「お土産」と言って新宿の伊勢丹で買った有名なパティスリーのレモンケーキを差し出す。甘いものの取り寄せが代わり映えのしない毎日を紛らわす術のひとつになっている母は、たちまち顔をほころばせた。


「部屋の布団、干しといたけえ。ご飯できるまで休んじょきい。」


 聞きなれた関西弁混じりの方言に頷きながら、二階にある自室に向かう。2年ぶりに顔を合わせた母の口からはアンモニアのような口臭がした。年老いた母に気づく度、そこに記された長い年月の軌跡から目を背けたくなる。

 小学1年生の図工の授業でつくったドアプレートには「はるのへや」とピンク色の下手くそな平仮名で書かれている。扉を開くと懐かしい檜の匂いが一面に香った。

 あの子と一緒にピースサインで映っているプリクラ。あの子から誕生日プレゼントにもらったキティちゃんの健康サンダル。それから、勉強机の引き出しの奥に隠した完全自殺マニュアル。6畳半の小さな部屋の中には高校生の私の痕跡が至るところに残されていた。不機嫌で、寂しがり屋で、死にたがりで、世界の全てがあの子で満たされていた私の17歳のすべてが。


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