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六輝ガラン
第1話日程1 往路 危険度★
異世界への扉が認知されてから、十年。昨今、異世界旅行は宇宙旅行より身近な、けれど、海外旅行より高額な旅行として、上流階級の間で密かなブームとなっている。
それこそ、黎明期は、安全性も保障されていなかったから、非認可の激安旅行が横行していた。裏では、政府が暗躍していたなんて都市伝説が噂されるくらいだ。ただ、大きな事故がおこった記録もないから、当時十代だった同年代の中には、冒険しておけばよかったなんて愚痴をこぼす連中もいる。
上がらない給料、よっぽどの高給取りでもなければ、手が届かない。それなら俺は車を買いたい。できれば、これより静かな車を――。
「オキャクサン、ヨソミハイケナイデース」
タイトな青い制服が窮屈そうに胸元を締め付けている。大き過ぎる赤色のカウボーイハットから覗く金髪が揺れている。原色コーディネイトをまじまじみていると、胸やけしそうだ。
ガタンと左の後輪が跳ね上がり、車体が揺れた。
「うぷっ、吐きそう」
「なんじゃ、情けない、妾が背中をさすってやろう」
「言葉使い」
「そうじゃった。……私が、背中をさすってあげますわ。よろしいかしらん?」
柔らかい手のひらが背中に触れる。こんな状況でなければ、思わず抱きしめていたかもしれない。
「おじさん、ヤバいの? マジ、うけるんですけど」
前の座席から、身を乗り出した女子高生とおぼしき茶髪の少女――名前はたしか相武ミコト――が、スマホ片手にこちらの様子を窺ってくる。もしかして、SNSにでも晒されるだろうか。また、車体が揺れた。道も道だが、運転もど下手だ。後で文句でも言ってやろうか。大人をからかうのにあきたのだろう、相武が姿勢を戻した。
「あのう」
「ナンデス?」
「後の席の人が、気分が悪いみたいなんで、もう少しスピードを落として――」
思いがけない助け船だ。
「キャッカデース」
「え? でも」
「ハヤクシナイトテオクレニナリマース」
手遅れ? 聞き間違いだろうか。まあ、小型のマイクロバスに乗車している客は二組だけだし、俺の様子に気づいていないはずはないだろう。客の安全よりも、日程のほうの重要度が高いのだろう。値段に見合うクオリティー。顧客満足度は値段に比例する。
「おじさん、これ」
相武がおずおずと背もたれから身を乗り出し、小さな紙袋を手渡してきた。どうやら、中にビニール袋が収納されているらしい。お手製のエチケット袋。相武に対する好感度が急上昇だ。
「おじさんじゃない。お兄さんと呼べ」
「キモっ」
今時の高校生は遠慮がないというか……いかん、いかん。これでは、俺が本当にオッサンみたいではないか。
「ミコトしゃん、はひっ!?」
相武の隣から、メガネがせり出してきた。野暮ったい三つ編みおさげ髪に、地味な黒縁メガネ。たしか、名前は暴舞ミツキ。暴舞は、俺と目が合った瞬間、拒絶反応のようなありようで身を引っ込めた。
「お主たち、妾の旦那様に色目をつかうでないわ」
つばのひろい麦わら帽子のおかげで、表情は読み取れないが、声色からして少し怒っているようだ。
「姫、言葉使い」
「うむ、そうじゃったな。コホン、このクソJK様ども私の夫に欲情しないでくださいまし」
誤変換? 心情は良く把握できるけれど。
「――なにこの子、めっちゃ可愛い!!」
いまどきの若物の感性は良くわからない。おっと、いけない。俺だってまだギリギリ二十代だ。まだ、若人にカテゴライズされるはずだ。たぶん。
「黙るのじゃ、このわっぱ、妾はロリなどではないわ! 旦那様は、幼女より熟女のほうが好きなのじゃからな!」
とばっちりだ。そりゃ姫は年上だけど、そこまで離れているわけじゃないだろう。姫が麦わら帽子を脱ぎ捨てる。黒色のツインテールと白いワンピースのコントラスト。とても、可憐でありながら、品格すら備えている。俺は出会った十年前から、姫でしか抜けない。
「えええっ、どう見ても……でも、良く見るとファンデが濃いかも。ううん、美魔女? なーんかしっくりこないんですけど。ううん――」
相武が唸り声をあげながら真剣に悩んでいる。その様子を見かねたのか、黒縁メガネがせり上がってきた。そして、コソコソと相武に耳打ちする。
「なに? え――。ああっ、思い出した。あんがとう、ミツキ」
相武がすーっと息を吸い込んで、言葉を紡いだ。『ロリババア』、その言葉が残冬に力を与えたかのように木枯らしを吹かせ、俺の身体を冷やす。
「なんじゃと、もういっぺん言ってみるのじゃ。いや、ここはいっぺん死んでみる? が妥当かのう――」
姫は相当ショックを受けたようで、譫言のように言葉を垂れ流している。
「ロリババア……ロリBBA。……妾は、かの有名な吸血幼女並びにどこぞの聖下と同類にカテゴライズされると、お主は言いたいのじゃな?」
姫は、アニオタだからな。というか、サブカルチャーを元に日本語を覚えた経緯がある。今では、俺よりそちらの造詣は深い。
「――て、言われても。ミツキどう思う?」
「ただのババア」
ぼそりと暴舞がつぶやいた。たしかに、女子高生にしてみれば姫は、ババアにカテゴライズされるかもしれないけど。本当に、今時の若者は恐れを知らない。
「ミツキ、だめだよ。そこのツインテール美女は、めっちゃ可愛いじゃん。私達JKにとって可愛いは、正義。悪いのは、ロリ属性のオジサンでしょ!」
それは悪手ですよ、相武さん。姫を庇おうとして俺をディスルなんて。その言草だと、俺が若作りを強要しているみたいじゃないか。
「ほう、妾は可愛いのか。フム、フム、悪い気はせんのう」
「チョロすぎだろう」
「誰がチョろ松推しじゃ! 妾は、五人を平等に愛でておる。個人を応援するなど、ナンセンス。エイケイビーもしかりじゃ」
「暴論だな。真正のファンは、群を好いた上で、個を愛でるんだ。まだ日の目をみない蕾を俺達が開かせる。そのために、水を与えねばならない。それこそが正義」
「何!? それが旦那様の正義じゃったとは……ならば、妾も妻として覇道を歩こうではないか。さっそく帰ったら、オーディションに応募するのじゃ。妻が、アイドルになるとか萌え萌えの展開じゃろう」
「うん、すごく興奮する」と言いかけた言葉を飲み込む。ここは、自宅ではないのだ。JKに嫌われたくない。
「プッ、ハハハッ、オジサン達おもしろいね」
「オジサンじゃない。いくら、俺が温厚なアラサーだからって言っていいことと、悪いことがある」
「じゃがな、旦那様。少年漫画ではアラサーは、結構エグク書かれてしまうものじゃよ」
姫が俺を宥めるように背中をさする。
「ふんだ。まだ、エバァとか乗れるはずだし。シンクロ率30%くらい叩き出せるはずだし」
ここで、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。でもな、心は十四歳で、身体はアラサーってかなり痛々しいか。名探偵小学生のような市民権を得られそうにない。
「旦那様は、葛城司令官とタメじゃろうが」
「ううっ……ああ、そうだよ。もう俺はエバァには乗れない」
時の流れは本当に不思議ダネ。ちなみに俺は銭亀派だったけど……。いつの間にやら、フグタ家の主婦を追い越し、野原家の主婦と同級生。人生は本当に、残酷なテーゼだ。
「そもそも乗れんかったじゃろう。母君も健在だしのう」
「ああっ、そうだよ、白状してやるよ! 俺が乗れるのなんて車と姫くらいだ」
「ええええっ!? ここで下ネタとか、完璧にオッサンじゃん!」
相武が素っ頓狂な声を上げる。
「いや、事実を述べただけで――」
「嘘をつくでないわ! 正しくは、妾が持ち前の騎乗スキルを駆使して旦那様に乗っているじゃ」
相武が顔を赤くしている。
「半々くらいだろう。そもそも姫は最後の方激し過ぎ――」
「ごめんなさい。わたすが悪うございました。お兄さん、イケメンなお兄様! お願いだから私の幻想をブチ壊さないで下さい。お願いします」
涙声で相武が懇願してくる。
「ウブな娘じゃな」
「そうよ。そうだよ。そうなのさ! 私、ビッチじゃないもん。子供のつくりかたとか知らないもん。保健体育とか意味わかんないし」
わぁわぁと喚く相武。真実だとしたら、絶滅危惧種だろう。尊い存在には違いない。
両手で顔を覆う相武。耳が真っ赤だ。その様子を見かねた暴舞が、目を細めた。
抗議のつもりだろうか。
『グッジョブ』
見間違いだろうか。暴舞の小声を正確には聞き取れなかった。
「何か言った、ミツキ?」
「はひっ!? ミコトちゃん、私は何も言ってないよ。でも、ごめん」
暴舞がペコペコと謝り始める。
「それやめなって言ってるでしょ。よそ様がみたら誤解するし」
相武が冷たく突き放す。「ゴメン」と暴舞は伏し目がちに続ける。ああっ、そっかそいうことなんだ。JKの闇、スクールカースト。一軍に所属する相武と、三軍に所属する暴舞。コミュ力が高く自分の行いを善行だと信じて疑わない相武は、友情の押し売りを決行。断ったら、「トイレごはん」に始まり、全行事におけるソロプレイが確定される。半ば、強引にこの旅行に参加させられた暴舞に同情する。
「暴舞、先生はお前の味方だからな」
「何?」
「どうやら、旦那様のやる気スイッチが誤作動をおこしておるようじゃ。こうなれば、止まらん。悪いが、しばしば付き合ってもらえるかのう」
やれやれと姫が首を横にふる。姫には、わからないんだ。学生にとっては、学校こそが銀河系なんだ。俺が、歪んだ人間関係をほどいてくれる。
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