間違え
枯小乃木
以上
さて、諸君は自分の見ているものと他人が見ているものが同じだと思うだろうか。具体的にいえば、例えばあなたの前に林檎があるとしよう。その林檎は何色か、と聞かれて大体の人は赤と答える。そしてそれは実際に赤なのだ。だが赤、という認識が一致したからと言って実際に同じ赤を見ているとは限らないのではないか。ということだ。それを私は数日前身を持って感じたのだ。
私は高校からの下校中、---小中高が別の学校なのにまとまって建てられているせいで---十年近く歩いた通学路で最も仲の良い友人と他愛のない話をしていた。
「ああ、非日常的なことが起こらないだろうか」
だなんてくたびれたOLのようなことを言うのである。しかしそうは言っても誰しも一度くらいは思うだろう。いつまでも同じ日々が延々と続くのである。しかしその言葉を放った数分後、友人と別れた直後に事は起きた。
一度も見たことのないものを見た。無論十年も経てば一度くらい見たことのないものを見ることはあるだろう、と突っ込まないでいただきたい。つまりは常識的にありえないものを見たのだ。それは実に奇怪で違和感があるものなのだが、道路標識なのだ。ありふれているはずの道路標識が、どう見ても異常なのだ。だって、『赤い』『斜線の入った丸』で、『白い』『支柱』についている。言葉にすれば普通なのだがだが、どう見ても異常なのだ。よく見てみればおかしなところはなにも道路標識だけではない。眼前にある全てがおかしい。おかしいけれど普通なのだ。
私は急いで家に帰った。いつも通りながら全てが異常な通学路を私は迷わず帰ることが出来た。家について自室に駆け込んでパソコンをつけて検索する。「世界が全く違うものに見える」と。さてどうしたことか。なんだかとても幸福そうな惚気話しか出てこないではないか。ディスプレイを叩き割りたいという衝動を抑えながらも、しかし私は絶望した。私はこれからこの異常な、言い換えるなら非日常的な世界で生きていかなくてはならないのか。認識こそできるが、違和感しかない自室の天井を見上げながら涙を流した。
翌朝起きてみたら何か変わるかもしれないと思って通常通りに異常な通学路を歩く。そして自然なように不自然な友人と話す。そんな状況なのに私はうまいこと普段通りに生活が出来た。そしてやはり何事もなく問題のある授業を受けて、再び家にかえるのだ。そして今日一日を振り返る。まず人間がおかしかった。しかし普通だった。強烈に違和感を感じるのに、言葉にすると何故か普通なのである。私の認識が、常識と乖離している。さて、ここで私は一つ気づいたのだ。困った時、どうすれば状況を打破できるのか。私が実際にそういう場面に出会ったことがないのでそれが本当であるかはわからないのだが、私の知る物語では往々にして他人への相談というものが有効だった。今最も近い人間が誰かといえば母親である。ではちょうどリビングで寛いでいる母に向かって話しかける。
「少し相談があるんだけど」
そう改まって切り出し、これまでのことを説明する。しかし説明と言ってもこの事態を説明するのは不可能と言っていいほど難易度が高かった。要するに頭を心配されてしまったのだった。そしてそのまま数日の間様々な人に同じことを聞いて回った。しかし結果はすべて同じだった。皆口を揃えて言うのだ。「それって当たり前のことなんじゃないの」
それから、大凡十三人目に同様の心配をされて途方にくれていたその日の放課後、家に帰って考えた。もしかして違和感を感じることが間違っていて、実は昔から皆にはこんなふうに見えていたのかもしれない。林檎が赤であったのは私だけで、昔から皆には『赤』に見えていたのかもしれない。そう考えるとなんだかとてもしっくりきて、心の何処かで安心した。
翌日、最も仲の良い友人が下校の誘いをしてきた。そういえばここ数日、というか異常以来真っ先に家に帰っていたため一緒に帰っていなかった。やはりどこかおかしいながらも何時も通りである友人と下校をした。そして同様に、しかし少し質問を変えて尋ねてみた。
「例えばなんだけど、赤い林檎が目の前にあったとしてさ。」
と。すると友人は訝しむような、またはがっかりしたような顔で言った。
「君はそう答えるんだね」
私にはその返答の意味がよくわからなかった。
間違え 枯小乃木 @dokkano_ny
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