異界の門 -Another World-

天下原なばら

第1話


「今日は水色かー」


私はスマホのカメラ越しに見えるドアを見つめて呟いた。画面に映る景色は住宅街の狭い路地。しかし、その景色は少々奇妙だった。通りの真ん中にポツンと一枚のドアだけが存在し、隔てるべき空間がそこにはない。ただ、ドアだけが道を塞ぐように立っているのだった。


その時、ネコが私の前を横切って、ドアへと向かっていった。そして、ネコは奇妙なドアを気にする素振りもなく、悠々とドアをすり抜けて、歩いて去っていく。


私は一度、スマホを下げる。と、同時に、ドアは見えなくなった。


ドアはスマホのAR機能で追加された情報なのだった。だから、スマホを持たないネコはドアのことを知る由はないのだ。


私はドアがあるはずの場所の周囲を確認し、問題がないことを確かめる。そして、私はドアに手を伸ばし――それを開けた。


***


――AR


それはAugmented Realityの略で、日本語では拡張現実と訳される、現実の情報にコンピュータを用いて加工を行うことで、私たちの認識する現実を拡張する技術のことだ。


最近では、GPS位置情報サービスを利用したゲームがあり、スマホのカメラをあちらこちらに向ける光景が良く見られたが、これもARの技術が用いられていて、スマホのカメラから得られた視覚情報にゲームのキャラクターの情報を付加することで、あたかもそこにキャラクターがいるかのようにみせるということが行われていた。そのため、スマホのカメラ越しに周囲を見る必要性から、そんな奇妙なことが起こっていた。


そのゲームは、一応の流行は過ぎたと言われていたが、それでもまだスマホ片手に街をうろうろする人の姿はよく見られた。もちろん、ゲームのキャラクターを探している可能性もあるだろう。けれど、彼らが探しているものは、おそらくきっと違うものだと、私は知っていた。


――Another World


単に「もうひとつの世界」とだけ呼ばれる世界だ。


正確にはそこに通ずる<異界の門>と呼ばれるドアを探しているわけだけれど、これはスマホのカメラ越し、とりわけ「Another World」というアプリを使わなければ見つけることはできない。また、いつでも同じ場所に出現する訳でもないので、とにかく歩いて探すしかなかった。


「……見つからない」


私はかれこれ三十分ほど歩き回っていた。私がこれだけ必死になって歩き回るのにも理由がある。一言で言って、その世界がそれだけ魅力的なのだ。


けれど、特にそこに何があるというわけではなかった。ゲームのように勇者や魔王がいるわけでもなく、塔や地下迷宮のようなダンジョンがあるわけでもない。というよりも、人もいなければ、人工物もない。あるのは私たちの知る常識ではありえないような生態系をした大自然のみ。


それでも、もうひとつの世界に通う人はたくさんいた。それだけ人々を虜にする魅力は何なのか。それは――魔法だ。そう。もうひとつの世界では本やゲームの中にしか存在しえなかった魔法を誰でも使うことができたのだ。


もちろん、使えるといっても人によって向き不向きがあって、例えば火を起こそうとしたら、火炎放射器をも上回る大きな火を出す人もいれば、ライター程度の小さな火を出すのがやっとの人もいる。けれど、それでも、もとの世界ではできないことができるというのは十分に動機には成り得た。そのため、静かに、でも速やかに、人々の間に広がっていった。


私は立ち止まる。目の前には水色のドア。大分歩き回ったお蔭で閑静な住宅街にまで来てしまったが、それでも異世界に繋がるドアを見つけることができた。


「水色は……湿原、だったかな」


私は記憶を辿る。


<異界の門>はいくつかの色が存在した。そして、そのすべての色がそれぞれ違う場所に繋がっている。赤系なら火山などの火に関する場所、青系なら海など水のあるところ、といったようにおおよその見当がつくようになっていた。


今回は水色なので、経験的に湿原エリアだと当たりを付けた。


この作業は実は重要で、行く場所の準備が整っていない状態で行くと、大けがすることもある。潜ったらすぐ戻ればいいように思うかもしれないが、それはできない。行きと帰りでドアが違うのだ。


それゆえ、絶対に潜ってはいけないドアも存在し、それは黒系にあるひとつのドアだ。そこは光がなく、上下左右の区別もない。スマホの明かりでも、手元を照らすのがやっとで、周囲を照らすことはできなかったらしい。その人はたまたまなんとか帰りのドアを見つけることができたらしいが、それでも死を覚悟したという。


それゆえ、ドアを潜る前に向こうのエリアを予想することは、生き残る上で最重要なこととされていた。


私は自らの装備を記憶から呼び起こし、問題がないことを確認する。そして、ドアを開けた。


<異界の門>を潜ると、正面に小さなガラス窓が付いた木の色そのままのドアが表れ、潜ってきた方のドアは消滅する。この場所は<世界の狭間>。さしずめ、準備空間だ。ここで私はスマホを操作し、ゲームのような武器や鎧を身につけていく。


私の武器はオーソドックスな片手剣。盾は持たず、空いた片手で魔法を放つスタイルだ。この戦闘スタイルはネットでは割と流行っていて、戦いやすいという評価だったので、私も真似ることにした。しばらくやっているが、今のところ不満はない。


フィールドに出る前に一度、透明な窓から外を確認する。と、予想通りの景色が見えた。ところどころに見える大きな沼。岸辺に背の高い葦などの草が生え、シギなどの鳥が飛んでいる。陸では色とりどりの「水饅頭」が跳ねたり転がったりしている姿が見られた。


「ふう。じゃあ、行きますか」


私はフィールドへ踏み出した。


***


「そぉれ! せいっ!」


私は剣を振り回し、魔法で風を起こし、カラフルなスライムたちを次々と狩っていく。スライムというのは、先程、窓から見えた水饅頭たちの名前だ。


ここで出遭えるモンスターたちは、倒すとドットかモザイクのようになって、最終的に砕けて破片になって消える。なので、フィールドには何も残らないのだけど、アプリの中の<モンスター図鑑>という機能にある討伐数にカウントされ、スマホのデータとして記録が残る。また、稀にだが、何らかのアイテムがこっそりと持ち物に加わることもあった。


他には、個々のモンスターに固有の<討伐ポイント>があり、モンスターを倒すことで手に入れることができる。大量のポイントを持っているモンスターはそれに見合うだけの強さがあるので、それで敵の力量を知ることもできた。


手に入れた<討伐ポイント>はアプリから消費して新たな装備やアイテムに換えることができ、強い武器が欲しければ、それだけ強いモンスターを倒す必要が出てくる。けれど、倒すためには強い武器が必要で、という、ジレンマが存在するシステムだった。


こうしたゲームチックなシステムは、もうひとつの世界に強く依存させる要因のひとつに挙げられている。頑張れば頑張っただけ報われる。強い装備と強敵を討伐した記録があればネットでは英雄扱い。そんな環境が「AW依存者」を輩出しているという。実際、私もこういった価値観には共感できるところがあった。


とはいえ、私も武器は欲しいには欲しいが、無茶してまで手に入れようとは思っていなかったので、のんびりとスライム狩りをする。


この辺りのスライムはさほど強くなく、某RPGのような「スライム=チュートリアル」という認識でいいのだけど、「大きなものになるとラストダンジョンで出てくる最凶悪のモンスター並み」と先人たちが戦々恐々と書き込んでいたので、決してスライムだからと油断はしない。魔法を使える世界とはいえ、身体能力はもとの世界となんら変わらないのだから。


剣の扱いは完全に我流だ。それっぽい知識をネットで集めながら、自分に合うものをいろいろと探している最中だった。魔法は魔力を感じられるようになればそれだけで使えるようになる。


魔力は内なる力で、実際に魔法として現象に変えると、その現象の大きさに応じて体力を消耗していく。感覚的には剣を振り下ろす代わりに風を起こすと、実際に剣を振るうのと同じかそれ以上に疲労する。とはいえ、この辺りは使い手の技量次第。魔法の方が疲れないという人も当然いる。


魔法の使い方は魔力を集めて発現イメージを鮮明に描くこと。このイメージが曖昧だとロスが大きくなり、疲れが溜まりやすくなる。また、決まった発現の仕方が存在しないため、使える魔法は十人十色。使い手のセンスや想像力が試されるということもあって、魔法の開発はかなり白熱していた。


そうして、湿原を彩るカラフルなスライム相手に全力で剣を振り続けると、スマホが鳴った。これは私が設定していたアラームだ。あまり長居しないようにと、滞在時間を決めていた。集中力が切れるとけがをしやすくなるし、最悪死ぬことだってありえるかもしれない。基本、のんびり楽しめればそれでよかった。


私はファンタジーなもうひとつの世界に別れを告げて帰りのドアを潜る。そこで剣や鎧をデータに戻して、逆に持ち込んでいた道具をデータから実体に戻す。こうして、帰り支度は恙なく終えた。


私は<世界の狭間>から出ようとして、ふとテキストの着信があることに気づく。


――明日、一緒にAW行かない?


AWはもちろん「Another World」の略で、もうひとつの世界のこと。今日は日曜で明日は月曜だ。平日じゃないかと一瞬思って、ふと祝日だったことを思い出す。明日は何の日だったか。政府の連休政策のお蔭で思い出せない。


けれど、まあ、たまには友達と行くのもいいだろう。ひとりの方が気楽ではあるのだけど、何人かで行けば多少の無茶もできる。


私は了承の返事をして、もとの世界へと戻った。


***


私は草原エリアで朝から狩りをしていた。草原エリアのドアは黄緑色。見通しがよく、不意打ちなどの奇襲を受けにくいため、比較的安全なエリアとされ、人気がある。そんなエリアに私がいるのは偶然などではなかった。


「がんばって探した甲斐があったよねー」


五人で手分けして探したのだ。メンバーは昨日連絡をくれたミユキを始め、サホ、ナオ、シオリという付き合いの長い仲良しグループだ。


そんなメンバーで訪れたもうひとつの世界の草原エリアだが、狙った色の<異界の門>を見つけ出すのは言うほど容易なことではなかった。


確かに<異界の門>の出現率は上がってきていて、最近はよくみられるようになった。少し前までは何の色であれ、ドアを見つけるだけでも大変だったのだ。そのことを思えば、狙った色のドアを探し出すのも、このくらいの人数でならば、無茶なことではなくなっていた。とはいえ、みつからない時はみつからない。今回こうして、みつけることができたということはかなり幸運なことだった。


「前方、敵影在り! 放てー!」

「いや、待て待て。それだけじゃ伝わらん。どこに何がいるんだよ」


そんな、いつも通りなサホとナオの、命が懸かった戦場にいるとは思えない漫才を聞きながら、討伐と攻略は行われる。


「大丈夫だよー。いざとなったら、わたしが治癒してあげるから。当たって砕けよー!」

「全然大丈夫じゃないよ? 砕けたら死んでるからね?」

「あ、そっか」


治癒魔法が得意なシオリの天然ボケをグループのまとめ役ミユキが窘める。なかなか緩い空気だが、それでも常に適度な緊張感は保つ。油断が死につながることは、皆、心得ていた。慎重かつ大胆に奥へと進んでいく。


奥というのは、ほぼすべてのフィールドで確認されている、<世界樹>の方角を指す。<世界樹>というのは勝手に皆がそう呼んでいるだけで、正式な名称は不明。というか、大体のものは電界の住人が勝手に名前を付けて呼んでいるだけなのだけど。


そんな<世界樹>は、地上部分を確認できる位置まで辿り着くことはできず、上空部分はどこまでも高く伸びていて、先端は霞んでしまって見えない。つまり、大きな壁のような幹の部分と小さな枝葉がわずかに確認できるだけ。


そのため、皆、<世界樹>の根元に辿り着くことがひとつの目標となっていた。それができれば、一躍スターになれる。それだけ、もうひとつの世界の価値は上がっていた。


私たちも<世界樹>の根元に辿り着くことを目指してはいたけれど、真剣に辿り着こうとしているわけでもなかった。私たちよりもずっとのめりこんでいる人たちはたくさんいて、その人たちが辿り着くことができないというのだから、私たちにできるはずもない。それに何より、<世界樹>の根元に辿り着こうとすれば、何日、何か月かかるか分からない。それだけの時間、もうひとつの世界にいることなど、できるはずもなかった。


「明日は平日だし、そろそろ引き返そうか」


誰ともなくそう言い、私たちは帰りのドアのある場所を目指す。


フィールド毎に大体のドアの在りそうな場所の傾向は示されていて、帰りのドアが複数存在することも確認されていた。なので、どんどん進んでいっても、その地点から比較的近いところにあるドアから帰ることができる。


そうして、しばらく歩くとドアが見えた。予定の時間が来るまで、ドアが見える範囲で、もう少し狩りをした後、<異界の門>を潜る。


「えーと……ああ、ここか」


帰りの場所もランダム。入ってきた場所からあまり離れすぎないようにはなっているらしいのだけど、それでも、ランダムゆえの事故が極稀に起こっていた。


今回の帰り地点の評価は優良可でいえば、良。皆それぞれに帰り道の見当がつけられたため、問題なく現地解散となった。

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