4‐章終わり‐

 二日経った夜のこと。それは出発の日の前夜。

 セブリとクーエのいるところはエクセルの失ったしるしの左腕が教えてくれている。そこを目指せば二人と会うことができる。おそらく話し合いでどうにか丸く収まることはない。かつての仲間との戦いが待つその地は、現在地のプロテレイから馬で一日ほどかかる、プロテレイとルーレンシアの国境のところだとエクセルは言っていた。

 そして二人だけではなく、今この現状に不満を抱いた人、異人も含めて待ち構えているだろう。

 命のやりとりを誇りと捉えられる人々。


「少し外の空気を吸ってくる」


 全員での夕食を済ませたあと、エクセルはそう言った。彼は少し残していた。それがまた一人で旅に出るためのウソなのではないかと皆どこかで思ったが、彼はぎこちなく歯を見せ、

「いつものやつじゃないよ」


 彼がいたのは草原の丘。丘の頂上あたりで座り、横に乗ってきた馬を伏せさせて右手で優しく撫でている。腰の剣も近くに置いていた。月明かりは弱いが、あたりはまったく暗いというわけではなかった。


「ここにいたんだ」


 見つけたのはベルナだった。あのあと皆からつんつんと押され、流されるままに出たのだ。そこで一番目に思いついたのがこの場所で、当たっていた。


「この馬ともっと仲良くなりたくて。辛い思いをさせるだろうし」


 撫でられ気持ちよさそうにしている。ベルナも馬から下り、馬をエクセルの馬の隣に伏せさせ、自分はその隣に座った。二人の間に馬を置くような形になった。エクセルはちらりとその様子を見たあと、細い月を眺め続けていた。


「エクセル」

「ん」

「ついに、明日だね」

「ああ」

「調子は?」

「かなりいい。みんなのおかげだ」


 立ち上がったかと思うと、その場で後ろに宙返りする。とても軽やかに。隣でそんなことが起きたのに、馬が耳を少しピクリとさせるだけなのはすでに彼をわかっているからかもしれない。


「いきなりなにやってんの」

「眠そうな目していたから、ちょっと驚かせてみた」

「こういう目なの」


 気だるそうで眠たそうな目であることは自分でもよくわかっている。しっかりと目が冴えていても指摘されることが多かった。鬱陶しいことだと思うこともある。けれど今のはかつての。


「ああ、ごめんな。でもなんだか軽いんだ、体が。すごく久しぶりに。おいしいご飯食べてるからかな」


 また座る。穏やかな表情。瞳は濁ったままで短く切った髪もまだ傷みが目立つ。こめかみに残る古傷は痛々しい。それでも再開した当初から考えられないほどの穏やかさがある。

 だからベルナはひどく怖くなった。


「……セブリと、クーエだね」

 再び座った彼が、ベルナの方を見ずまっすぐ、まっすぐと視線を固めていた。

「本当に強い二人だった。あのとき、どうにもできなかった」


 思い出す。彼が地面に伏せ、ぴくりとも動かず血まみれで倒れていたあの光景を。ひどく血の気が引いたあの場面を。

 力が弱まってきていたとはいえ、彼の実力は確かだった。二対一という不利な状況であったとはいえ、しかしああもやられてしまうとは。二人は無傷だった。彼はまったく抵抗できないままに左腕を奪われてしまったということ。


「だけど負けるつもりはないさ。みんながいる」


 とても嬉しい言葉だった。そしてそれに応えたいと思う。けれどそう言った彼の瞳は遠くへ、ここではない遠くへあるようだった。ベルナはわかっている。彼が何を見ようとしているのか。

 今ここで聞くべきことではないだろう。彼の覚悟を疑うことになるからだ。それでも話をしたかった。この戦いが終わればまた彼はどこか遠くへ行ってしまいそうだったから。

 これは、ベルナのずるさだ。


「クーエのこと、今でも好き?」

 彼は彼女の方を向き、何度か瞬きを繰り返す。

「なんだよ、それじゃまるで昔から好きだったみたいじゃないか」

 頬杖をつく。そして前と同じ話をもう一度した。あのときとは違う声色で。

「俺、クーエに左腕を飛ばされたとき、何も考えずに殴りかかろうとしたんだ」


 ひどい激痛だったろう。普通ならばあまりの痛さに何もできなくなるはずだ。それでも彼は戦う意志で封じ込めた。

 しかし封じ込めることができてしまったからこそ。ベルナは彼の心を見た。


「殴れたんだ」

 ふっ、と自嘲の笑みを作り、

「かわされたけどな」

 伏せている馬の鼻筋をそっとなぞり、

「だから……もう、そうじゃないんだろう」


 彼はごまかさなかった。はっきりと言葉にはしなかったが、それは同じ旅をした仲間という枠を越えていると示していた。一方的な恋慕(れんぼ)ではない。クーエも同じだった。みんな知っていた。だからいずれ二人は結ばれて、いつか三人で遊びに行こうと、二人には内緒で話し合っていた。

 そのときにはきっとどちらかに似た子供がいて、下品だが、少しからかってやろうと。


「それだけで、もう気持ちはないって?」


 さすがに言い方が悪かった。エクセルはやや拳に力を込めていた。

 けれどベルナはこういう言い方しかできないから、今もまだ竜刺姫(りゅうせきひめ)として未熟にいる。


「それだけ? 俺は殴ったんだぞ? やれるなら刺しもしただろうさ」


 睨みつけていた。それはひどい形相で。目の前のベルナのことを本当に。すでに一度言っていることをもう一度言わせるのかと。だからあの二人はもう敵なのだと言ったはずだと。それをぶつけるように濁った瞳の奥がよりぐちゃくちゃに乱れていく。


「異人の王と戦っていたとき、俺はッ……クーエがどこかケガするだけでも、もう……治るってわかっていても、やられるはずがないってわかりきっていたのに……なのに俺は殴ったんだぞ? 傷つけようとしたんだぞ? これ以上のことなんてあるわけないだろ」


 言いたいのだ。本当に恋していたのであれば、されるがままに身を捧げただろうと。しかしサーリアスでありたい彼はそれを拒んだ。

 見つめる拳が震えているのはあらゆることで。馬は賢い。付き合いはまだまだ短いが、そばにいる主の気持ちを察することができ、その顔を首筋へと近づけていた。

 ベルナもまた同じようにできるならばどれだけ良いことだろうかと思った。

 けれどそんなことはできないから、彼女はまた別の方法で寄り添う。


「はっきり言うよ。そうしでもしなきゃ止められないときは、あたしがやるから」


 これは試したわけではない。本当に目の前にクーエがいたならば、世界をまた巻き戻すことを止めないならば、自分がその首を取るという宣言だ。変な冗談だと思われたくもなかったから、しっかりと抜いてみせたフィンバル二世の刀身をぎらつかせた。


「何言ってるんだ。話し合えばわかってくれるかもしれないんだろ?」


 揺れている揺れている。サーリアスである彼はもう二度と会えなくなる方法、あらゆる可能性を捨てたように言っていたのに、それがあっさりと消え去っている。

 ――どこにもないんだろうな。

 はっきりとした終わりを今ここで。これから向かうべき場所から戻ってこられるかわからないのだから。


「いや、違う。俺だ。俺の左腕がやられたんだ。だから決着は俺がつけなきゃおかしいんだよこれは」

「そんな震えていて?」

「だ、だから俺がっ!」

「好きだからだよ」


 立ち上がり、伏せさせていた馬も同じく立つ。そうして馬にまたがり、馬上からもう一度彼女は彼に告げる。


「あたしはエクセルが好き。エクセルがクーエに思っているのと同じように」


 皆のいる家へと戻るため、ゆっくりと歩かせ始める。彼の顔を見ないように。


「あ、返事はいらないから。忘れて。じゃ、明日からよろしく、おやすみ戦友」


 襲歩(しゅうほ)させ、エクセルを一人置いて彼女は戻っていく。すっきりした気持などどこにもない。あまりにずるくひどい自分勝手さ、彼のことを諦め忘れなければならなくなった気持ちが溢れに溢れ、広く豊かな丘がおぼれていった。


 彼女は愚かかもしれない。けれど愚かなことをしない人などどこにもいない。自分の歩いてきた足跡を自ら消していくことのほうが圧倒的に愚かだ。今は走れ高貴となる少女よ。馬はどこまでも応えてくれる。

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