月蝕
鯵哉
いち
あんたを思い出すとき、いつも雨が降っている。
大学の図書館で公務員試験の参考書を見つけたのでパラパラと捲って見ていた。ある問題で止まって、考える為に手帳のボールペンと何も書いていないページを出す。ああ、だからこれがこうなるのか。
「あおい……葵?」
近くで名前を呼ばれてどきりとする。すぐに参考書を閉じて、手帳を鞄に戻した。
ここであたしの名前を呼んでくる奴って、誰だ。
少しだけ考えてから、声のした方を向いた。端正な顔立ち。その顔を見てすぐに、散りばめられていた記憶の欠片たちが集まってくる。
「驚いた、ここに通ってんの? 何学部?」
「え」
「公務員試験受けるの?」
「ちがう」
次々に投げられる疑問を受け止めきれず、また返しきれず、あたしは無意識に参考書の表紙を手で隠した。
どうしてこんなところで会ってしまったのだろう。
神様って意地悪だ。
「別にそういうんじゃないから」
立ち上がって、元の場所に本を戻す。借りていけば良いのに、と思うだろうか。あたしは借りることはできない。この学校の生徒じゃないから。
図書館を出て、校舎の出口へ向かう。バイト先の近くだから昼食をとるのに食堂を利用していて、今日はなんとなく帰りに図書館へ行こうと思い立ってしまったのが運の尽き。
もうここで昼食食べるのも止めにしよう。サラダうどん、結構気に入ってたんだけど。
「葵」
手首を掴まれて驚いた。足音もなく近づいてくるの、止めてほしい。あたしが気付かなかっただけか?
足が止まる。さっきの学生、これまた身長が高くなって。
「時間ある? 今日まだ授業ある?」
「授業ないけど、」
「じゃあお茶に行こう、奢る」
奢るとか、この歳の女の子が聞いたらきっと嬉しがるのだろう。
「いや、いいよ。帰るし」
「話したいことあるから」
「あたしはないし」
心なしか、周りからの視線が集まってきている。道のど真ん中でこんな攻防戦をしていたら、誰だって好奇心を持って見るだろう。あたしの手首をそろそろ離してもらいたい。
「なんか、葵。雰囲気変わった?」
静河は変わってないね、と言い返したくなる。ただ少し、あの頃のあたしを覚えていてくれたことが嬉しかっただけ。
それだけだ。
「……元からこんなだけど?」
あの時は猫を何匹も被っていた。笑顔を貼付けて、好まれるように努力をしていた。今はその必要がない。
思うより低く出た声に、静河が手を離す。そうだよ、あたしは昔からこういう女で、クズで暗い道を延々と歩いてきた。
「わかるよ、静河の言いたいこと。どうしてあのとき、急に居なくなったかでしょう?」
道の端に寄る。同じように静河もくっついてくる。
目がそうだ、と返事をしている。
「面倒だったから。ただそれだけ」
「本当に?」
「今更嘘吐いてもね」
ヒール気取りか、と笑ったのは誰だ。否、あたしはヒール気取りではなく、本当に悪だ。静河の人生に不幸しかもたらさない。
何とも言えない顔をしている静河を見て、もう満足だった。これで終わり。
中学のときのあたしは、こんなことがしたくて、静河の前に現れたのだった。
救いようのない馬鹿だと思う。
「じゃあ、さようなら」
「葵、連絡先教えて」
「……は?」
「そしたら今度はどっか行っても連絡とれる」
この人は、あたしが小屋の帰って来れなかった犬にでも見えているのか?
「北原、探したんだけど? 電話にも出ないし」
静河の腕を取る女子が現れる。うわ、清楚系。巨乳だし、グラビアアイドルでも出来るんじゃないの? あたしがその身体だったら絶対水着着て撮影料巻き上げる。
「あーごめん」
「みんなもう集まってる。教授にもアポ取って……」
さっさとその場を去った。
なんだ、大学生活をエンジョイしてるんじゃないか。あの清楚系、彼女かな。
良かったね、静河。
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