ペンテシレイアとの出会い その1

俺がこの世界に来たのは一か月前のことだ。


目が覚めた時、俺は荷馬車に揺られていた。


「ここは……?」

「うん? あと半時もしない間につくぜ」


御者がこちらを向いて俺の質問に答える。

しかし、それは俺が欲しかった答えではない。

俺が知りたかったのはこの場所がどこなのか、だ。


周りを見渡す。木々に囲まれた森林。コンクリートも街灯もない。車も自転車もバイクも走っていない。

地面を見る。舗装された……といっていいものか、森林から木々を引っこ抜いただけの道をこの荷馬車は歩いている。


ここはどこなのか、そしてなぜ俺はここにいるのか。

あまりにも状況が突飛すぎる。さっきまで俺は確か……


「……くそ」

「どうした?」

「……いや、なんでもない……」


さっきまで何をしていたのか思い出せない。だが、間違いなくここではないどこかにいたのだ。

俺の記憶にある現代の日本の都会の風景……少なくとも、こんな木々が生い茂るような場所にはいなかったはずだ。


この異常事態、事情がわかるのは恐らくは目の前にいる業者だけだろう。


「……ちょっと聞きたいんだが」

「うん? なんだ?」

「ここは、どこだ?」

「ここ? 魔貌の森だ、入る時に説明しただろう」


マボウノモリ? 聞いたことがない。


ますます混乱する。この業者は荷馬車に俺を連れてどこに連れていくつもりなのだろう。というか、「荷馬車」なんて現代の日本で乗れたのか?


……そうだ! 助けを呼ぼう。


この荷馬車で覚醒してから数分、やっと俺はその考えに至った。

ポケットをまさぐる。

しかし、携帯がない。

というか、そこで俺が普段着ではない服を着ていることに気が付いた。


何だこの服は……


手触りから合成樹脂ではないことがわかる。おそらくは綿だろう。そして赤茶色の地味な色合い、こんな服やズボン俺は持っていない。

しかし、実際に着ている……もしかして着さられた? いや、そんなことをさせる意味があるのか?


「おい、見えてきたぞ」

「え?」

「孤竜の街だ、アンタの目的地だろ?」

「……」


森林が開け、視界が開ける。街道の先には、城壁と大きな城門が見えた。


「あれは……」

「城壁のことか? ギルドの支部があるところなら大抵あんな感じだぜ」


コリュウノマチ、なんて当然初めて聞く。あんな城壁で囲まれ、城門で閉じられた街が現代の日本に存在するとは思えないし、日本に「ギルド」なんてものが結成されていた歴史はない。


まだどこかで「壮大なドッキリ」の可能性を考えていたが、あの街を見てそんなわずか考えもなくなった。


非現実的でありえない光景、だけどそれを見せつけられれば信じるしかない。


俺は日本ではないどこかにいる。


俺が現実を認識した途端、いきなり荷馬車が大きく揺れた。


「ど、どうしたんだ?」

「馬がいきなり暴れ出した……クソ、まさか狂霊か!?」


キョウレイ? 次から次へと俺の知らない単語が出てくる。

しかし、馬の暴れ方が尋常ではない。まるでその轡を振り剥がそうとしているかのように大きく体を動かしている。


「この畜生め!」


御者が、暴れる馬にいうことを聞かせようと手綱を強く握るが、まったく統制をとれていない。


『欲しい』


「え?」


どこからか声が聞こえた。はっきりと俺にわかる言葉で聞こえた以上、空耳とは考えにくい。


「暴れるなっ! クソが!」

「おい、あんた今何か……」

「あん!? なんだ!?」


何か言ったか、と聞こうとしたが、この御者は馬にかかりきりだ。おそらく先ほどの謎の言葉の主ではないだろう。

では一体誰が言ったんだ?


『欲しい』


また聞こえた。

辺りを見渡すが、平原が広がるだけで何もない。

目に見えない誰かが、「欲しい」と言っている。

何が欲しいんだ?

荷台の縁に掴まりながら、俺は目の前で暴れる馬や、それをどうにかしようとする御者よりも、まずその声に関心を奪われていた。


『欲しい』


「何が欲しいんだ?」

「あん? 欲しいものだと? それなら手伝いだ! あんたもこの馬を……」

「違う」

「え?」


御者に聞いたんじゃない。俺は目に見えぬ声の主に聞いたのだ。


『身体が』


「身体?」


『身体が欲しい』


「誰の身体だ?」


『誰でもいい』


「誰でも……?」


『お前の身体でもいい』


途端、寒気が走った。

謎の声の主が何者かはわからない。しかし、この声の主は俺の身体を欲している。それがどういう意味なのかは大体見当がついた。


俺は荷台から転がり落ちるように降りた。

大きく揺れる荷台よりも、あの謎の声を聞き続けている方が危険だと直感的に判断したからだ。


「おい、もうこの馬は諦めろ、それよりもあんたも逃げた方がいい!」


俺は御者に向かって怒鳴った。

何から逃げるべきかは自分でもわからない。だが、謎の声の主は、とても危険である気がするのだ。


「……」

「おい、聞いてるのか?」


御者がうつむいたまま返事をしないので、もう一度問いかける。


そこでおかしなことに気が付いた。

なぜこの御者はいきなり黙ってしまったんだ。さっきまで暴れ馬に悪態をついたのに。

馬はというと、先ほどよりもだいぶ大人しくなったが、まだ大きく身体を震わせている。


何だかとても嫌な予感がする。


「あんた、大丈夫……か?」

「……」


御者がグルンと首をこちらにまわした。

その眼は焦点が合っていない。


俺はおおよそを理解し、城壁に……孤竜の街に向かって走り出した。

あの謎の声は「身体が欲しい」と言っていた。俺の身体を狙っていると思ったから、俺はすぐにその場から離れた。しかし、あの荷馬車には俺以外にももう一人いる。あの謎の声が、御者の身体をもらってしまったとすれば……


俺が全速力で走る後ろから、何かが迫ってくる音が聞こえた。振り返る暇はないし、その必要もない。きっと御者が荷馬車を走らせているのだ。何者かに身体を乗っ取られてしまった御者が。


蹄の音は間近まで迫ってくる。所詮は馬と人間、いくら荷台があるからといって人間よりも遅いわけがない。

ならばもう、あの操られた御者に追いつかれるのは時間の問題だった。


……なんでこんなことになったんだ

走りながら自問する。

目覚めれば日本でないどこかにいて、そして訳の分からぬ存在に追いかけられている。冗談じゃない。夢なら覚めてくれ。


ふと、街道の向こう側から人影が見えた。

背格好からして子供だろう。その子供が街道を歩きながらこちらに向かってくる。


このままでは鉢合わせになる。すぐにそう判断できたが、俺にはどうしようもない。

子供も巻き込んでしまうが、それを避けるための術が思い至らないのだ。


すまん、見知らぬ子供、訳がわからないだろうが逃げてくれ!


……当たり前だが、子供に俺の気持ちなど伝わらない。

子供は進路を変えることなく、こちらに向かって歩いてくる。


「はあ、はあ……に、げ、ろ……」


可能な限り大きな声を出して子供に伝えようとするが、全力疾走中に大声など出せるはずもなく、出てきたのはわずかなかすれ声だった。

声は聞こえなかっただろうが、口の動きは伝わったのか、子供はピクリと止まった。

しかし、止まるだけで逃げようとしない。

どころかこちらに向かって走り始めた。


何やってるんだ「荷馬車に追われてる男」に近づこうとするやつがどこにいる。バカなことをしでかしている子供に向かって説教がしたかったが、そんなことできる状況じゃない。


子供が走りながら背中に手を回すと、その子供は背中から大剣を引き抜いた。


目の前でありえない光景に目を奪われていると、足元がおろそかになった。

何か躓き、転んでしまったのだ。


もうダメだ。俺の運命も、あとついでにあの子供の命運も尽きた。


子供は目の前に来ている、そして蹄の音もすぐ後ろに来ている。

全てを諦めかけたその時、子供が大剣を水平に向けると、そのまま横一文字に薙ぎ払った。


途端、鮮血が俺の視界を覆う。


「!?」


俺が斬られたのか、と一瞬思ったが、違うようだ。俺はどこも痛くないし、斬られてもいない。


そして平原に馬の大きないななきと轟音が鳴り響いた。


「ハッ、ハッ、やっぱり狂霊か、今日はついてるな」


凛とした少女の声。

あの大剣の子供は少女だったらしい。


「おい、人間種、お前も狂霊か?」


少女が倒れている俺を見下ろす。

狂霊というものが何なのかはわからないが、多分違う。俺は首を横に振った。


「はん、つまらん」


俺はゆっくりと立ち上がり、先ほどの一瞬の間に一体何が起きたかを確認した。


街道を外れたところに、上半身を切断された馬と、それに繋がれた荷台が倒れ、御者が投げ出されている。


「……まさか斬ったのか、走ってくる馬を?」


状況から察するに、そうとしか考えられない。

俺が走ってくる馬に轢き殺されなかったのは、踏みつぶされそうになった瞬間に少女が馬を半分に切り飛ばし、その勢いで荷馬車そのものが街道から外れたせいなのだろう。


「おい人間種」


そうだ、あの御者は無事だろうか。投げ出されたまま動かないが……


「……おい、人間種!」

「うん? 俺の事か?」


先ほどからこの少女は俺に話しかけていたようだ。本人も人間なのに俺に向かって「人間種」とは一体どういうことなのだろう。


「お前、傭兵団か?」

「傭兵……? 違うけど」

「なら報酬は全部俺のものだ」

「報酬ってなんだ?」

「狂霊憑きは殺せば報酬が貰える、お前そんなことも知らないのか」


少女が俺を見下すように笑う。

俺は見下されたことよりも、彼女の歯に注目がいった。

犬歯が異常に伸びているのだ。八重歯という言葉では済ませられない程に。

この少女は何者なのだろう? 突進してくる馬を切り飛ばすなんて普通の女の子にはまず不可能だ。だが実際にそれをやり遂げている。


現代ではまずみられない荷馬車、城壁に囲まれた街、姿の見えない謎の声、見た目に全くそぐわない剛腕過ぎる少女。


最初は見知らぬ場所に連れてこられただけだと思っていた、しかしどうやらそもそもこの世界そのものが、俺の知らないもののようだ。


「ここは異世界なのか……」

「なんか言ったか?」

「いや、なんでもない……そうだ、お礼を言ってなかった」

「あん?」


俺は少女に向き直る。


「助けてくれてありがとう、おかげで轢き殺されずに済んだ」

「お? おう……ううん!」


少女は一瞬ポカンとしたが、すぐにすわりが悪そうに咳払いをした。


「俺の名前は……えーと……」

「あん?」

「アイア……アイアアヤトっていうんだ」


まずは自己紹介を……と思い、自分の名前を言おうとしたが、なぜか「自分の名前を思い出す作業」をしてしまった。まだ記憶が混乱しているかもしれない。


「アイ……? なんだと?」

「相亜彩人だ」

「……」


少女は不満げに唇を尖らせた。言いにくいのだろう。まあ、本人である俺も言いにくい名前は自覚している。しかし、俺自身がつけた名前ではないのだから仕方ないだろう。


「君の名前は?」

「……俺の名前? 知らん」

「……」


答えたくないということだろうか。まだ警戒されているのかもしれない。


「教えたくないのならそれでもいいんだが……ただ、君の名前以外でちょっと聞きたいことがある」

「なんだ?」

「この世界の事について教えてほしい」

「……はあ? お前頭がおかしい奴か?」


少女は自分の頭を指差した。

当然のリアクションだと思う。俺だって初対面でいきなりそんなこと聞いてくる奴がいたらそういう反応をするかもしれない。

しかし、こちらはしごく真剣なのだ。


「すまない、実はかなり遠くから来て……事情がよくわからないんだ、だから色々質問したい」


少女は胡散臭そうなものを見る目でこちらを見ている。


「本当だ、信じてくれ」

「……」


怪しい奴が言いそうなセリフだ、と自分でも思ったが、これ以外に言葉が思い浮かばなかった。


少女はこちらを観察するように見ながら、口角を引き上げた。あの発達した犬歯があらわとなった。笑顔を作っているのかとも思ったが、目がこちらを睨んでいる。


「……何をやっているんだ?」

「……本当によそから来たみたいだな」


どうやらわかってくれたらしい。なぜ急に意見を翻したのか、なぜ急に笑顔のような奇妙な表情をしたのか、その理由はわからないが、こちらの事情さえ分かってくれればそれでいい。


「それで質問なんだか……いや、まず落ち着けるところに行こう、あの城壁の街はゆっくりできるところがあるよな?」

「あるけど……その前にまず、アレを片づける」

「アレ?」


少女が顎でしゃくった先には、投げ出された荷馬車の横に御者が立っていた。どうやら無事だったらしい。

……いや、無事じゃない、目が座ったままだ。


「はん、馬じゃなくて御者に方に狂霊がついてたか、まあどっちでもいいけどな」


少女は邪悪に笑うと、跳んだ。

少女と御者の距離は10mほど、その距離を少女は一息で詰めた。

御者がアクションを起こす暇はなかった。少女の大剣はまるで閃光のように鋭く、速く、豪快に、御者を切り裂いたからだ。


「雑魚め、狂霊も運がなかったな、こんなとろそうな肉体に憑りつくなんざ」


少女は御者の首を切り落とすと、髪を持って持ち上げた。その生首は苦悶に歪んでいた。

中々にショッキングな映像だが、正直もう驚き疲れたというか、こんな光景を受け入れてしまっている自分がいる。


「……おい、いくぞ」


少女は生首を持ったまま、こちらも見ずに吐き捨てるようにそういうと、ズンズンと歩いて行ってしまう。

俺は急いでその後に続いた。

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