第26話

「事業部の太田、事業部の太田・・・・・・」ぶつぶつと呟きながら鷹取はO&Wの本社に向かう。

鷹取は今、和泉商事の太田という男に扮している。

太田という人物どころか、和泉商事という会社すら実在するかどうかは分からないが、話が通っている保証がない以上、O&Wの受付に馬鹿正直に本名を名乗るわけにもいかない。

あれこれと考えた末に、潜入を諦めて真っ向から勝負を挑むことにした。


鷹取個人としては今回の仕事は金持ちのバカ息子の尻拭いに駆り出されているようでどうにもいい気分がしない。

鷹取自身は金持ちというものが嫌いではないし、隙あらば自らが金持ちになる機会が転がってやしないかと夢想しているが、一方で金持ちのアホ息子という生き物は大嫌いだった。


O&W本社ビルに入ると受付の周囲を見やる。

監視カメラは上方の壁、目立ちにくい位置に一基。

カメラに顔が映らない角度を計算しながら受付に向かい、すいませんと声を掛ける。

営業スマイルの受付嬢が、なんでしょうかと顔を崩さずに答える。受付には2人並んで座っているが、どちらも似たような背格好と似たような化粧のせいでどっちがどっちだか分からない。

一瞬鷹取はもしや双子なのではないかと疑ったが、胸元の名札がそれぞれ別人であることを示していた。

「西川専務をお願いしたいんですが」

途端に受付の顔に怪訝なものが浮かぶ。

「・・・・・・西川専務ですか?」

当たり前だろう。こんないかにも平社員な見た目の男が専務に会いたいなど荒唐無稽にも程がある。

「ええ、所用で」

かなり訝しがりながらも受付は内線を掛けてくれた。

「和泉商事の太田が来たと言っていただければ通じますよ」

向こうが出るまでの間、受付に負けじと出せる限りの営業スマイルを浮かべながら説明を補足する。

少しして、受付が電話口の相手とはいはいと二言三言交わす。

「知らないと言ってますが」

至極当然の反応だが、そんな馬鹿なと鷹取は大袈裟に驚く。

「ちょっと貸して」

受付が、あっと声を出す間も無く、半ばひったくるように受話器を取る。

「お久しぶりです。事業部の太田です!・・・・・・ええ?覚えていないだなんて、私ですよ、ほら、あの、以前喫茶アルタイルでご馳走になったじゃないですか!」


喫茶アルタイルとは、件の経理マンが専務と会合を果たした店のことだ。

「悪いが、思い出せんな」

渋く、低めの声が電話口から聞こえた。

「いえいえ、海外との取引の話をして下さったじゃありませんか」

ここでそっと声を下げ、ささやくように鷹取は言った。

「例えば、シリアとか」

1秒、2秒・・・・・・

「君は、一体誰だ・・・・・・?」

明らかな狼狽が見られた。

「ありがとうございます、ではアルタイルでお待ちしてます!」

呆気にとられる受付嬢を尻目にそのまま受話器を置く。

「ありがとう、外で待ちます」

そのまま鷹取は本社ビルを出た。


そしてアルタイルには向かわず、玄関口を逆方向に出る。

しばらく待っていると、写真の男が出てきた。実物の西川専務という男は写真に比べ随分老けたような印象を受けた。

1人だけで、随伴はなし。

「・・・・・・はい、引っかかりましたァ」

簡単に釣れた。ここまでは狙い通りに事が進んでいる。


アルタイルはここからさほど遠くはなく、歩いてせいぜい10分程度のものだ。

専務からきっかり15メートル後方について鷹取は後を追う。そして、専務がアルタイルのある角を入ろうとした直前に駆け寄り「西川専務」と声をかけた。

振り返った専務は、鷹取をいつ見た顔だったか記憶から掘り起こそうとしている様だったが、すぐにそれを諦めたような顔になった。すまんが誰だったかなと専務が尋ねるより早く、事業部の太田です、と鷹取が名乗った。途端に専務の顔が強張る。

「申し訳ありませんがアルタイルは満席で」

こちらにお願いします、とタクシーを捕まえると、アルタイルには向かわず、手近にある別のストークという喫茶店に向かった。いないだろうが、万が一護衛がいた時の保険だ。


ストークに入ると、店内を一望できる奥の席を抑えた。この店の奥の席は通りから見えない上に、建物の構造上電波が悪い。仮に盗聴器を携帯していた場合でも相当に近付かないと聞き取れなくなる。つまり十分に対策が取れた寸法になる。

何にされますか、という営業スマイルの鷹取の質問に対し、西川専務はアールグレイを頼んで席に着いた。エスプレッソコーヒーを頼みながら鷹取も席に着く。

最初に断っておきますが、と前置きした上で営業スマイルを引き続き浮かべて会話を始める。

「私は強請り屋じゃあありません。ただ聞きたいことがあるだけなんですよ」

「じゃあ、殺し屋かね・・・・・・?」

「モノはどこにありますか?」

質問には答えず、淡々と尋問を始める。

「・・・・・・日本語が上手いな。どこで習った?」

不意に専務の顔付きが妙に穏やかなものになる。遠回しに質問に答えろと言っている。

「どうでもいいことですよ」

「やるならとっくにやってる、と?」

話が進まない。

「どこに隠したんですか?」

「まあ、急ぐな。茶でも飲もう」

ちょうどその時、注文した紅茶とコーヒーが届いた。

はたから見る分には大きな取引先になんとか首を縦に振ってもらおうと苦労する営業マンのように思えるだろうし、事実、あながち間違いでもない。

尤も、ただの商談のようでも取引されている内容は国際情勢の緊張を激化させる爆弾のようなものだが。


「どうせ、彼を始末したのも君らなんだろう?」

「それよりも、専務が流そうとしたデータですが」

西川専務は鷹取のその先の言葉を手で制した。

「どでかい爆弾のようなものだと言いたいんだろう?」

「お分かりの上でしたか」

分かってなきゃあやらんさ、と悪びれた様子もなく、表情一つ変えずに専務は続け、手元のアールグレイにミルクを足した。心地よい香りに新鮮な牛乳の風味が混じる。

やはり故意犯だったか、と鷹取は一つの仮説が当たったことを確信した。しかし動機が分からない。

「専務、何故ですか」

「おや、証拠よりも事実関係の方が大事かね」

どうにものらりくらりと躱そうとしている。鷹取はコーヒーにうるさい。珍しいことに、ここストークのエスプレッソは鷹取の好みそのものなのだが、手元のコーヒーの存在を忘れ、鷹取は思考を続ける。

一方の西川専務は目を細めながら、紅茶を味わっている。

「彼はまだ出張に出たことになっている。実際のところ、彼がどこに出張しに行ってしまったのかは十分に把握しとるつもりだがね」

かなり旗色が悪くなり始めている。まずい方向に話が進み始めているのを鷹取は感じていた。このまま行くとでかい魚を取り逃がす。アタりかけたこの魚をバラすとどうなるか。もしかしたら、もう動きを見せることはないだろうが、そのまま証拠と一緒に大海原に潜って二度と機会が訪れないのでは。それどころか、自分が物理的に大海原に消されてしまうのでは。

ここでは本人の体に訊く類の手荒な真似は出来ない。潜入ではなく、真っ向から戦いを挑む選択をした数時間前の自分を恨んだ。

手の内を明かすべきか?

コーヒーが冷めるのも厭わず、長考し口を開く。

「・・・・・・高校生になる娘さんがいますね?」

「だからどうした?」

不思議と、まるで動揺していない。父親という存在ならば、自分の子供に危害が及ぶ可能性を最も恐れるはずではなかろうか。完全にアテが外れた。

「私の始末でも、強請りでも、金でもなく。ただただデータのみ」

最早打つ手は無い。

「狙いが読めんな」

学校で何を習った?「焦りだけは出すな」という教えが頭の中を渦巻く。

「悪いが失礼する。暇じゃあないんでね」

こうなりゃヤケだが、焦ったら向こうの思うツボだ。

「無駄ですよ」

席を立とうとしている専務に、さも落ち着き払った様子で鷹取は半ば独り言のように告げた。

「もう専務の家にはうちの優秀なやつを行かせましたし、会社の部署にも潜入させました。私の役目は実は時間稼ぎです」

「既に?・・・・・・」

すっと専務が席に再び着く。

「私の役目はこれで終わりです。お付き合い頂き有難うございました」

家に派遣された小村の他は完全にハッタリ以外の何者でもない。


一口アールグレイを口に付ける。

「そうか・・・・・・家にも・・・・・・そうか・・・・・・」

目を閉じうなだれる。そして長い沈黙の後に絞り出すような声で専務は喋り始めた。

「・・・・・・家に、置いてある。私の部屋の、鍵付き棚の中だ」

随分あっさり認めた。

この心境の変化は一体何だろうか。

「最近家には戻っていないから今は分からんがな」

だが、嘘を言っているようには見えなかった。

「家には戻っていない」という言葉が妙に引っかかったが、鷹取は気にしないことにした。

後は小村に連絡するのみ。電話を取り出そうとして、ストークの店内は電波が悪いことを鷹取は思い出した。

何もかもが裏目に出ているような感じがしたが、一応コトは片付いた。

何とかして連絡をつけようとする鷹取に、だがな、と独り言のように、まるで自分に言い聞かせるように西川専務は呟く。

「私の居場所は、最早あの家にはないのだよ」


最早、専務にもストークにも用は無い。店を後にするのみだが、妙に専務の言葉が耳に残った。

もう今回の対象者はこれ以上の動きを見せる気配はない。状況がこれより悪化する兆しがないことを意味する。時間の確認がてら、携帯電話を取り出す。数分程度なら話を聞くだけの時間はある。

「まあ、急がずに茶でも飲みましょうか」

今度は鷹取が浮かせかけた腰を再び椅子に落ち着ける番だった。すっかり冷めきったエスプレッソを飲み干すと、もう一杯注文する。

鷹取は左手に持っていた携帯電話をそのままテーブルの傍らに置いた。その待ち受け画面は、電波が予想通り圏外であることを示していた。

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