第9話 疑惑

「君が先輩を襲ったの?」


 僕が質問しても波布さんの表情が変わることはなかった。波布さんはいつものように……いや、いつも以上に僕の目を真っ直ぐ見ている。


 僕は屋上でのことを思い出す。あの時、確かに僕は波布さんを見た。

『白い大蛇』、そして、屋上に現れた波布さん。僕は、波布さんが『シロちゃん』を使って先輩を襲ったのではないのかと考えた。


「私が……ですか?」

 波布さんは「不思議です」と言って、軽く首を傾げる。

「何が、不思議なの?」

「鰐淵先輩は、私の目の前で事故に遭いました。それは、雨牛君も一緒に見ていましたよね?」

「うん」

「しかし、雨牛君は私が先輩を襲ったと考えているのですね」

「……うん」

「そこが不思議です。何故、雨牛君は私が鰐淵先輩を襲ったという結論に至ったのでしょうか?」

 波布さんは、やはり表情を変えることなく僕に尋ねる。

 それが演技なのか、それとも本当に分からない事を素直に聞いているだけなのかは、僕には分からなかった。


「ねぇ、波布さん」

「はい」

「先輩が事故に遭う前のことなんだけど」

「はい」

「波布さん……学校になかった?」

 もし、屋上で見た波布さんが僕の見間違いや幻なのだとしたら、波布さんはきっと否定するか『何を言っているのか、分からない』と困惑するはずだ。

 でも僕の質問に波布さんは、否定も困惑もしなかった。

「はい、いました」

 波布さんはあっさりと肯定した。波布さんがあまりにあっさり答えたので、僕の方が軽く混乱した。僕は、呼吸を整えると、さらに波布さんに問い掛ける。

「……その時、僕を見た?」

「はい、屋上で雨牛君を見ました」


(やっぱり、あそこにいたのは本物だったのか……)

 見間違いや幻ではなく、僕が屋上で見た波布さんは本物に間違いないようだ。

「波布さん」

「はい」

「波布さん……悪いんだけど、あの時何があったのか教えてもらってもいい?」

「分かりました」

 波布さんは軽く頷くと、ゆっくりと話し始めた。


「私が学校に飛ばされたのは、雨牛君との抱擁を引き剥がされそうになった時です。頭の中にブウウウンという音がしたと思うと、いつの間にか私は学校の校舎の中にいました」

(僕と同じか……)

 僕も頭の中に変な音がした後、学校にいた。

「私は直ぐに、雨牛君を探しました。すると、上の方から雨牛君の匂いがしましたので、大急ぎで階段を駆け上がり、上へと向かいました」

「……僕の匂いがしたの?」

「はい、甘く、優しく、愛らしい雨牛君の匂いがしました」

「そ、そう……」

 以前、波布さんは僕の匂いを辿って、僕の家を突き止めたと言っていた。あれは冗談や比喩ではなく、本当のことだったらしい。

 異常な嗅覚は、波布さんの中にいる「シロちゃん」の影響なのだろうか?そして、どれほど離れていても分かるのだろうか?すごく気になるが、それは後回しだ。

「ごめん、続けて」

 波布さんは「分かりました」と言って、再び話し始める。

「雨牛君の匂いを辿り、私はこの踊り場まで来ました。踊り場まで来ると屋上から雨牛君の匂いを強く感じました。私は屋上に通じるそこの扉のドアノブを掴みました」

 波布さんは、僕の後ろにある屋上へと通じる扉を指差す。

「そこの扉には何故か鍵が掛かっておらず、簡単に開けることができました。ドアを開けた私は、そこで雨牛君を見付けました。雨牛君が無事だったことに安心していると、また頭の中でブウウウンという音がしました。そして、気付いたら元の場所に戻っていました。その後は……雨牛君も見た通りです」

「……そう」

 頭の中に先輩が跳ねられた時の記憶が蘇る。僕は軽く頭を振った。

「波布さん、屋上のドアを開けたら僕がいたって言ったよね?」

「はい」

「その時、僕の他に何かいなかった?」

「何か……ですか」

 波布さんは少し首を傾げた後、その首を横に振った。

「いいえ、屋上にいたのは雨牛君だけでした」


(何も見ていない……?)

 あの時、屋上には僕と白い大蛇がいた。何も見ていないというのは、おかしくはないだろうか?……いや、波布さんが屋上に現れた時、僕は波布さんに視線を向けた。その時に白い大蛇が消えたのだとしたら、どうだろう?

 波布さんがドアを開け、その音に気付いた僕が振り返る。それと同時に白い大蛇が姿を消したのだとしたら、波布さんが白い大蛇を見ていないことにも説明が付く。ドアを開けた直後なら、まだドアが死角となり屋上全体を見ることは出来ないからだ。

 波布さんの話は果たして本当か、それとも嘘か?

 しばらく考えてみたが、結局分からなかった。そこまで考えた時、はっと波布さんの視線に気付いた。波布さんは何も言わず、じっと僕を見ていた。慌てて謝る。

「ごめん、ちょっと考え事をしてた」

 謝る僕に波布さんは「いえ、大丈夫ですよ」と言った。特に怒っている様子はない。

「では、雨牛君。私も雨牛君と同じ質問をしていいでしょうか?」

「……いいよ」

「では、あの時、何があったのか教えてもらえますか?」

「うん、分かった」

 さっきとは逆に、今度は僕があの時体験したことを波布さんに話した。


「なるほど……」

 僕の話を聞き終えた波布さんは口を手の掌で覆い、何かを考え始めた。

 きっと彼女は次に『つまり、雨牛君は私がシロちゃんを使って鰐淵先輩を襲わせたと思っているのですね?』と言うだろう。

 その通りだ。僕は波布さんのことを疑っている。もし、そう聞かれても僕は、そのことを否定するつもりはない。

「つまり、雨牛君は……」

 波布さんの声が耳に届いた。

 僕が予想した言葉が波布さんは口から出る。僕は波布さんの質問を肯定するために首を縦に振ろうとした。


「私に協力して欲しいのですね」


 予想していない言葉を聞いた僕は縦に振ろうとした首をピタリと止める。驚きながらも僕は、波布さんの質問にこう返した。

「どうして、分かったの?」

 目を見開く僕に向かって、波布さんは「愛の力です」と言って優しく微笑んだ。


 

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