キキョウの夢

辻島

キキョウの夢

 教師は途端に筆を置き、獣のような目で私を一瞥すると、

おもむろにポケットからタバコを取り出した。


「私は、君が思うような聖人では無い。今教室でタバコ吸っても

このとおり、なんとも思わないし、仮に君が明日死のうとも

私に関係したことでは無い。」


 私は強烈な紫煙に目を潤ませながら、まどろみに沈む窓外の景色に

過去の記憶を映した。


 校庭の片隅に植えた藤色の朝顔。私の苗だけが、いつまでも小さく育たないことを気にかけて、教師は私の耳元で、晏如に囁いた。


「植物も人間も、皆それぞれ唯一の個性を持っている。

早熟か晩熟であるかも、立派な個性のうちだ。どんな苦悩にも耐え忍び、

己の春を待つ者に、天は至高の宝珠を現してくれる。

だから君も、信じなくてはいけないよ。」


 私は彼の言葉を胸に、来る日も来る日も世話を怠らなかった。

斜陽が頰を照らす頃、教師は必ずやってきて、口もきかずにただ、

目を細め莞爾として笑った。私は彼のその心を、何よりも尊く、美しく感じた。


 しかし朝顔は、台無しになってしまった。

連日降り続く季節外れの甚雨が、庭を呑み込み乱舞して、可憐な我が子を

散らしたのである。駆け寄って腕に抱えた頃には、無残に茎を折っていた。

そして、亡き骸を私に預けたまま、咲きかけの蕾を、

いつまでも風に揺らしていた。


「先生は、私に忍耐の心得を授けてくださいました。

あの言葉には、微塵の偽りもなかったと信じます。」


 私は彼の返答を待たずに、おもむろに教室をあとにした。

本心に、たった一言、慰めの言葉を期待していたのかもしれない。

私の信じていたものは、全て雨上がりに霧散した。

ただ、この世のものは、生々流転のもとに抗う術を持たないのである。


 蝉時雨と斜陽が、小さな街を優しく包む。

今だけは、感傷に浸っていたい。私は足元の石を掴んで、校庭の隅に投げつけた。





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キキョウの夢 辻島 @miko_syuji619

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