18話 夕食と食事の儀礼
風呂を上がり、夕食の時間となった。
「さあ、できたよ!」
桜が頬を紅潮させながら、食卓に食事を並べる。
大きな蒸籠にキャベツを敷き詰め、その上にシメジと肉がこれでもかと並んでいた。
宣言していた通り、鶏のムネ肉の蒸し物だった。
(本気だったか。なんという量だ)
友はそれぞれの目の前に置かれた豆乳の入ったコップを見て、溜息を吐く。
視線でちらりと周囲を伺う。
テーブルを挟んで二人ずつ座っていた。
友の横にはルフィーが座り、豆乳を見てにやにやしている。
ルフィーの前に座るディーネは、興味深そうに食事を眺めていた。
友は茶碗にご飯をよそい、ディーネとルフィーに渡す。
「はーい。お待たせ! 食べよ!」
桜がポン酢の入った器を運んできた。
そしてディーネの前で、箸とフォークを握り、首を傾げた。
「ディーネちゃんは、どっちがいい?」
友とルフィーが視線を向ける。
ディーネは桜を見上げて、考えるように顎に指を当てた。
「どっちでも、大丈夫です」
友は目のみをルフィーに動かした。
ルフィーも同様に友を見ている。
「そっか。じゃあ、箸でいこっか」
「はい!」
桜から受け取った箸をディーネは右手に持った。
満足そうに頷いた桜は友の対面に座り、友を見る。
「よし、じゃあいただきます」
「いただきまーす」
友は頭を下げて宣言し、桜は猛然と肉に向かって箸を伸ばす。
ディーネは手を合わせてキョロキョロとしていた。
ルフィーがちらりと視線を向けた後、友に向けて肩を竦める。
「そういや、あんたらってさ」
「んー?」
「いただきますのときって、手を合わせないわね」
友は鶏肉を口の中に放り込み、咀嚼しながら首を傾げた。
「不思議?」
「手を合わせる人、多いと思ってね」
「みんな敬虔な仏教徒なんだろうけど……。うち、別に仏教じゃないし」
「酷い皮肉を言うわね」
「言うさ。合掌の意味を知らずマナーと言う人には、もやっとする」
一般的な食事儀礼として、食事の前に合掌することが認知されている。
だが、仏教由来の行為と思っている人は少ない。
合掌がどういう場で使われているか、考える人自体が希少だ。
「初詣で、神社でも合掌しないし、テレビでクリスチャンが食事前にお祈りするの見てるくせにな」
仏教では、右手は仏の象徴、左手は自分自身そ示す。
手を合わせることで、仏と一体になり、仏への帰依を示すとされる行為が本来だ。
そして他人に向けての合掌は、その者への深い尊敬の念を表す。
「まあ、していることは立派だし、否定はしないけどね」
だから、という訳でもないだろうが。
日本では共通の食事儀礼と思われている合掌を、食事前に行なわない家庭も多い。
友の家庭でも、食事前に合掌はしない。
食材となった生き物への感謝、食事を作った人への感謝を込めて、いただきますを口にする。
「なにも考えずに行なうのは、個人的には仏教に失礼な気がしてね」
あくまで個人的な意見と強調して、友はそう言い食事を続ける。
「なんにしても、日本人特有の行為よね。もはや」
「そう、だな」
友は目を動かさず、視界の端にいるディーネに意識を向ける。
ディーネは慌てたように、食事を始めていた。
箸で肉とキャベツを取り、器のポン酢に付けて口に入れる。
そして、目を大きく開けた。
空いた手で拳を握り、上下に振っている。
「美味しい?」
友は喉を鳴らして笑い、美味しさを全身で表現するディーネに訊ねた。
ディーネは弾けるような笑顔で頷く。
「美味しいです! とっても!」
「特に何かしている調理方法じゃないのにねぇ」
ルフィーは不思議そうに箸で挟んだ肉を眺めている。
友も頷きながら鶏肉を見る。
確かに蒸し料理は、食材を蒸すだけの料理だ。
蒸し加減など諸々技量はあるにしても、美味すぎだった。
「ふふーん。そうでしょうそうでしょう」
一同が料理に秘められた謎を考える中、桜が楽しそうな声を上げる。
視線を向けると、桜はドヤ顔で友を見ていた。
「色々やってるんだよー」
「……ちなみに、どんな?」
「お湯で蒸すんじゃなくて出汁にしたり、キノコもキャベツも一手間かけてたり」
桜の簡単な説明を聞くが、語らない部分にも盛大に手間をかけてそうだった。
風呂に入る前に手早く下ごしらえをしていたが、まさかそこまで手をかけていたとは。
思わぬ仕事量の産物に、友は唸る。
友からの敬意を多分に含んだ視線を受けた桜は、胸を張り顎を上げる。
「おにいちゃんに美味しく食べてもらいつつ! そして胸の栄養もバッチリ! 完璧だよね!」
それでも桜の意識は胸に向けられている。
呆れるほどの情熱はどこから来ているのかと、友は目に掌を当てて深く溜息を吐いた。
(だから、なんでそんなに大きくしたいんだよ)
閉じた視界の中で、先ほどの風呂の情景が思い浮かぶ。
桜の年齢の中では、理想的とも言える体型だったはずだ。
事実、見惚れた。
(そうじゃなくて!)
慌てて頭を振り、目を開く。
ルフィーのにやにやした顔が視界に入った。
「……なんだよ」
「べっつにー。ところで、サクラ。あんた、食事だけで大きくなると思ってんの?」
「む。ちゃんとご飯食べ終わったら、適度に運動するもん」
「バストアップ体操? それだけでいいの?」
「……どういうこと?」
桜が身を乗り出して、ルフィーの言葉に集中を始めた。
ルフィーは頬杖を突いて、笑顔を桜に向ける。
「やはり、肝心要は外部からの刺激じゃないかしら?」
「外部からのっ!?」
茶番が始まったようだ。
友は黙々と食事を続ける。嫌な予感がしていた。早めに食事を切り上げる方がいいと直観する。
ディーネは箸を止めずに、楽しそうに眺めている。
「ど、どうするのっ」
「まだ、本格的ないやらしい行為は、勧めないわ。年齢的に」
「だ、だよねっ、わたしだって他の人は嫌だもん。でも、じゃあどうするの?」
「劣情を催さない人物、つまり家族からなら、大丈夫じゃない?」
矛先が友に向けられた。
予測していたとは言え、友は苦虫を噛み潰した表情で二人を見る。
ルフィーは晴れやかな笑顔を向け、桜は期待に満ちた目で友を見ていた。
「却下だ」
「おにいちゃん!? そんなっ!?」
「なんで期待してんのさっ!? するわけねえだろっ!?」
テーブルを叩きながら、友は桜の期待を棄却する。
「そんなに顔を赤くして怒らなくてもいいのに……」
桜が胸を押えつつ意気消沈する。
(ああ、そうですねっ! 顔が赤いですよ、くそが)
顔が赤いと言われた友は、眉間の皺を更に深く刻みながら茶碗の飯をかっ込む。
ルフィーが笑いを堪え切れていない。
身体を折って、笑い声を上げていた。
「くっくっく。いやあ、おにいちゃんは大変だね、ユウ」
残った茶碗の白米は1/3ほどだ。
友は食事を早く切り上げようと大口開けて食べる。
ルフィーは目元に浮かんだ笑い涙を指で拭っていた。
友はルフィーを見ないように、テーブルの上の豆乳を取る。
一気に飲み干せば、食事を終えることができる。
自室に避難できる、友はグラスを呷った。
喉を懸命に動かす友の横で、ルフィーが小さい声で、友にのみ伝わるような音量でそっと呟いた。
「照れ隠し、お疲れさん」
友は盛大にむせた。
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