15話 少女と風呂と。

「ふうむ。困ったねえ」


 ソファーに座った友は手に持ったカップを見ながら溜息を吐く。

 息にカップの中の黒い液体が揺れる。

 珈琲の香りがふわりと漂うが、良い香りでも重い気分は晴れなかった。


「本当、困ったわねぇ……」


 隣に座るルフィーも深い息を吐く。

 ルフィーも友と同じく珈琲を飲んでいるが、たっぷりのミルクが入り琥珀色の液体となっている。

 カップに口をつけたルフィーを見ながら、友は帰宅してからのことを思い出す。


(流石に予想を超えていたな……)


 ボロボロの服装の少女を連れたまま買い物に行く訳にも行かなかった。

 友は買い物を桜とルフィーに任せ、友は少女と家に帰る。

 そして、少女から諸々の話を聞こうとしたが、聞き出せる情報がなかった。


「まさか、……記憶喪失ときたか」


 少女には、記憶がなかった。

 名前も、出身も。何処から来たのかすら、少女は覚えてなかった。

 少女との会話を思い出す。

 つっかえながら、友の質問に首を振って応じていた。


(常に戸惑いながら話すってのも、記憶がないからなのだろうか)


 テーブルにカップを置いて唸り始めると、ルフィーが身体を傾けて友の肩に体重をかけてきた。


「ところで、ねえ、ユウ? あの子は?」


「んー。今、桜が風呂に入れてる」


 情報を聞き出そうとしても、少女が何もわからないことしかわからなく、途方に暮れていた。

 そんな折、桜たちが帰宅する。


 そして怒られた。

 女の子を汚れたままで居させるとは、何事かと叱られる。

 食事の下ごしらえを桜が進める横で、説教を受けながら正座させられた。


 素早く5分ほどで終わらせる桜の手際に友は驚愕する。

 その後、桜は友に米を炊くように指示をすると、風呂の準備を始めた。


「で、俺は炊飯器をセットし、珈琲を淹れて飲んでる訳だ」


「一緒に入る必要あるのかしら?」


「さあ……、心配したからじゃない?」


 少女は何かに怯えている雰囲気があった。

 一人で風呂くらい入れるのかもしれないが、どこか不安に思うことは可笑しくない。


「あのボロボロな服も、結局何もわからないわね」


「あんなルームウェアを着てるってことは、ある程度裕福な家かもしれないけどね」


「高いパジャマよねー、桜も何着か持ってるんだっけ?」


「ねだられて買いにいったけど。あの売り場は居るだけで恥ずかしい」


 桜に欲しいと言われて、断り切れなかったことを思い出す。

 友は、近くの大型ショッピングモールに桜と共に買いにいった。


 売り場には女性が多く溢れ、男の姿が殆どない。

 居心地の悪さに堪えつつ、どれを買うか悩む桜に友は意見を伝えていた。


「値段といい、売り場といい。多分、買い物に馴れた女性の身内がいるんだろうけど……」


「それすら、推測だよなぁ。別に買おうと思えば男でも買えるし」


 想像を膨らませてみても、少女の身元を判別する材料にはならなかった。


 ガス湯沸かし器の起動音が聞こえた。

 シャワーを使い始めたようだ。


「……風呂上がりに、もう少し聞いてみますかね」


「そうね、無理のない範囲で聞きますか」


 そして、友とルフィーは揃って珈琲に口をつけた。


――悲鳴。


「ふはっ!? なに?」


「あの子だ!?」


 風呂場から悲鳴が聞こえた。

 友とルフィーは弾かれたように、風呂場へ走る。


(『精霊の結界』は発動していないから、精霊関係じゃないと思うけど)


 慌てて走った友は、風呂場に辿り着く。

 浴室前には洗面所、そして洗濯機がある。


 二人分の衣服が、雑にだが畳んで洗濯機の上に置かれていた。

 異常は見えない。


(バスルームか!?)


 友は浴室の扉に目を向ける。

 曇りガラスの向こうで、人影が二人分動いている。

 ドアノブに手をかけ、急いで引く。


「桜っ、大丈夫か!?」


 友が突入すると、腹部に衝撃が走った。

 驚きつつも、視線を向けると、少女がしがみついている。

 髪は殆ど濡れていない。

 まだ身体も殆ど洗っていないようだった。


「だ、だいじょうぶ?」


 戸惑いながら友が声を少女にかけるが、少女は震えて友に顔を押し付けている。

 ここまで怯える原因はなんだろうか、異常の原因を探って友は浴室内を見渡す。


 何も、変わったことはない。

 一般家庭にしては広い浴槽。

 それに伴う広い洗い場があり、湯気が立ち込めている。

 ボディーソープもシャンプーもコンディショナーも、友と桜の二人分があるだけだ。

 そこにも異常が無い。


(他に、異常は……)


 視線を動かして、そして友は動きを止める。


「……お、おにいちゃん?」


 桜が立っていた。

 シャワーヘッドを左手に持ち、泡だったスポンジを右手に持った桜が立っていた。


 風呂に入っている以上、その身に何も纏っていない。

 友は動きを止める。

 見てはいけないと脳が叫んでいた。

 見ることを止めるなと本能が暴れている。

 知らず喉が鳴った。


 視点が一点に固定される。

 顔と腹の間から目が離れない。

 小さいと本人は嘆いていたが、どうだろうか。


 形状、大きさ。

 途上なのは間違いないが、それでも完成された美しさを感じる。

 細い腰に見合わない豊かな主張がそこにあった。


 そう。細い、腰だ。


 友の視点が下がっていく。

 これ以上いけない、脳がブレーキを踏めと指示した。


 制御が聞かない。

 誰か止めてくれ、友は心で願いつつも、友の焦点は桜のヘソを通過しようとした。


「はい、すとっぷー」


 後頭部を殴られ、首ががくりと下を向く。

 少女の頭を見ながら、友は安堵の息を吐く。


「助かった! ありがとうルフィー!」


「礼には及ばんけど、このアホめ!」


 友は心よりの感謝をルフィーに向けるが、ルフィーは再度友の後頭部を叩く。

 目の前で繰り広げられる賑やかな声に、多少落ち着いたのか、少女が顔を上に向けた。

 少女と目が合った友は苦笑まじりに笑いかける。


「いやあ。ごめん、騒がしくて。大丈夫?」


「え……。あ……、はい」


 少女は辿々しく頷いた。

 外見に外傷もなく、本人も受け答えしているので、大きな問題はないのだろう。


(なら、なんで悲鳴を?)


 同じことをルフィーも感じたのか、桜に訊ねている。


「サクラ、何があったの? 凄い悲鳴だったけど」


「何って、ただ身体を洗おうと、その子にシャワー向けたら……」


 桜の言葉が正しければ、少女はシャワーでお湯を掛けられ怯えたことになる。

 周囲を見渡しても、他に物がない風呂場では、それ以外に要因が考えられない。


(水が、怖いのか?)


 友は少女の後頭部を撫でつつ、どうしたものかと考える。

 水に恐怖を覚えるならば、風呂の無理強いはできない。

 だが、盛大に汚れているままにしておくのも宜しくはない。

 それ以前に、せっかく可愛いのに汚れたままというのは抵抗があった。


「どうしよう?」


「困ったわね」


 友とルフィーは苦笑を見合わせることしかできなかった。

 しかし、友は異変に気付く。


(いや、異変という訳じゃないけど)


 友は視線を下げる。

 ルフィーも合わせて目を動かした。


「あれ、まあ」

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