ナックルカーブ

 外角低目、ストライクからボールに外れる変化球スライダー

「ボール!」

 審判のコールがひびく。

(よし!) 

 これで3ボール、1ストライク。もうボール球は投げられない。

 優勝をかけたこの1戦。

 いまは同点、2死満塁、そして最終回。もう1つボールが続くと、フォア・ボールで俺たちジャガースのサヨナラ勝ちだ。


『バッターボックスの辻、見送ってボール!

 逆転勝利をぐぐっとたぐり寄せました。

 今年のプロ野球もこれで最後。ジャガースとミラクルズの決戦です。勝った方が優勝、全国の注目がこの球場に集まっています。

 いったいどんな結末となるのか?

 ミラクルズのピッチャーは浜西。

 帽子を取って汗を拭います。驚異の新人と言われた彼でも、この場面では緊張するのでしょう。

 さあ、次の球は?』


 ストレートだ!

 好きな内角、だが高さがまずい。この高さは、打ってもファールにしかならないコースだ。

(こんちくしょう!)

 バットを合わせると、球は後ろへ飛んでいった。ファールだ。ファールは2球目まではストライク扱いになる。


『これで3ボール2ストライク。

 次の球がボールならサヨナラ、ジャガースの勝ち。

 ストライクなら同点のまま引き分け。勝率で上回るミラクルズの優勝です。

 バッター辻。

 一度打席を外して間合いを取る。

 今年でプロ7年目の辻、老獪さで新人の浜西を翻弄か。

 しかし浜西には、あの球があります。伝家の宝刀ナックルカーブ。肘を痛めてしまうので、監督から「投げるな」と言われているそうですが、はたしてこの場面で使ってくるのか?』


 次の球はストレート。

(くっ!)

 なんとかファール。2ストライクからのファールは打ち直しだ。

 カウントはそのまま3-2。

 次もストレート!

 150キロを超える直球を、なんとかかんとか、またファールにする。


『粘っています、辻。

 そして浜西、1球たりともボール球を投げません。なかなかの好勝負です!』


 ボール球なんて投げるわけない。

 浜西は大学野球で数々の記録を更新してプロ入りしてきた、本物の天才。すでに完成された最高のピッチャーだ。

 特に球のコントロールは絶品。

 この場面でボール球を投げてしまうような、そんなミスはしないだろう。

 だが、それだけに予測がしやすく、だからストレートをどうにかファールにできている。

(来い)

 俺は、あの球を待っていた。

(ナックルカーブで来い!)


『ピッチャー浜西、おおっと、大きく振りかぶった!

 豪快な投球フォームから、来たぁ!

 ナックルカーブ!』


 よしっ!

 

『ストライク!

 三振だぁ! 辻、ナックルカーブを空振り。

 これで優勝はミラクルズです。ピッチャーの浜西、25勝そして今日の1セーブ。新人とは思えない大活躍で、前年最下位のチームを優勝に導きました!』


 歓喜に沸く球場。

 胴上げをはじめる敵チーム。

 そんな光景を背に、俺はベンチに帰った。

 そしてバットを叩きつける。

「くそっ!」

 もちろん、ちゃんと監督から見える位置で、だ。


(俺も、もう29歳)

 大卒でプロ入りして7年目。

 これまで、ろくな成績を残していない。今年だって、昨日の試合でケガ人が続出するまでは、ずっと二軍だった。だから最終回の最後の場面まで出番がなかった。今年でプロをクビになってもおかしくないのだ。

 そんな俺に、天才・浜西の球が打てるわけがない。

 負けるのなんて最初から分かってた。

 だからナックルカーブを待っていたんだ。

(ストレートやスライダーは打とうとせずに、ファールにすることだけを狙って食らいつく。そして、あの有名な、アイツの必殺球・ナックルカーブを空振りだ。どうせ打てないなら、その方がアピールになるだろう)

 監督が近づいてきた。

 ぽん、と背中を叩かれる。

「惜しかったな。この悔しさを忘れるな。来年、リベンジするぞ」

 よし!

 これで、もう1年、プロ選手でいられる。

 チームの勝利も優勝もどうでもいい。俺にとっての戦いは、自分がプロ野球選手であり続けることなんだ。

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