64 からの超劣勢


 ― Chrakhuce? ―



 クラクス=フォン=カルコット。


 彼の人生は、ある意味で波乱万丈と言える。

 またある意味では、ありふれているとも言えた。


 脳障害なのか何なのか。生まれつき物覚えが悪く、顔も悪い。加えて周囲が甘やかして育てたために性格がこの上なく悪い。

 良いのは血筋だけ。血筋だけで言えば、彼は公爵家の息子なのだ。


 しかし頭も顔も良い弟がすぐ下に生まれていた。誰もが弟を褒め、誰もが兄をけなした。


 弟だけに構えば、顔も性格も頭も悪いクラクスは癇癪を起こす。それも、周囲に多大な迷惑をかけるような、権力を笠に着たような方法で。

 だから周囲は、愛情ではなく仕事として彼に接するようになっていった。


 ある意味当然と言えるが、そのままであれば、彼は表の世界に出る事無く一生を終えただろう。


 しかし機会が訪れてしまった。

 家柄だけで、彼は次期女王の婚約者候補に挙がってしまったのだ。


 そして、タイミングの悪い事に、彼が婚約者候補になったと聞いた貴族がいた。頭の悪い王の下で、今まで以上に私腹を肥やすビジョンを見出してしまった。


 そうして貴族達は始動する。

 手始めに、他の婚約者候補の洗い出しを済ませ、極秘裏に処分していく。そうして全てを処分していけば家柄だけのクラクスでも成り上がれるからだ。


 案の定、王族に見合う血筋の者は、クラクスを除き全てが始末された。


 王族に見出され、晩餐会とは名ばかりのお見合いパーティーに呼ばれる予定だった者達全てが。


 この時点で城内に内通者がいる事は確実であり、それは当然、クラクスを王にと望む者達である。


 クラクスしか選べない状況は、こうしてやってきた。

 クラクスは成人間近になっても、未だ子供のような脳の出来をしていた。それでも王様がどれだけ偉いのか、どれだけ凄いのか、やんわりと理解できていた。


 王様は凄い。

 王様は偉い。

 王様は強い。


 王様は、僕だ。


 半ば暗示のかかった状態で、クラクスは王として君臨する事になる。


 ただし、王族ではなく、王族の影武者として。


 クラクスがそれに気付けるわけがない。


 誤解させていた方が面倒は少ないと、王族が判断した事。

 更に現女王を政から追放したいと願う、貴族の利害が一致してしまった。


 案の定、女王は毒を盛られ、4年もの間床に伏せる事となる。この時点で既に6人の王子、王女が生まれていた。跡継ぎが生まれている事で、女王を不要とみなした者達による暴挙である。

 クラクスは、自身が気に入らない物を次々に排除していった。

 自身の思う、王様のイメージにそぐわない物。


 たとえば、魔力が豊富なのに、肝心の魔法が使えない者。

 たとえば、素直なだけで自分の意に背く者。

 たとえば、自分と何一つ似ていない血縁者。


 たとえ自分に流れるものと同じ血を受け継いだ、実の子供であろうと。

 セルクも、シャルルも、ログも。クラクスの気分によって、立場も心も揺さぶられ続けた。


 そして。


 その、反撃だとでも言うかのように、彼は氷に閉じ込められている。

 冷たい氷の中、目玉すら動かせない激痛の中、クラクスは、それでも、声を振り絞った。


「あいつらは、嫌いだ」


 クラクスは呟いた。


「僕を……オレ様を侮辱する、全てが憎い」


 クラクスは吠えた。


「オレ様が、王だ! 全てを支配し、全てを統べる、それが〝王様〟だろう?!」


 クラクスは叫んだ。


「オレ様が! この世の管理者なのだ!」


 バキバキと、どこからか不穏な音が耳に届く。


『だったら、どうする?』


 それは誰の声だっただろう。

 音と同じく、どこからか聞こえてきた。


『どうするも、無いよねぇ?』


 ひどく楽しそうな、ひどく懐かしいような声が、響く。


『だからさぁ――』


 声はそこで途切れる。だが、クラクスは、その言葉の後半を、理解した。まるで最初からその言葉を知っていたかのように、すんなりと受け入れる。


 身体が軽い。

 身体が熱い。


「あ、あぁああ、あ……」


 身体中を駆け巡り、迸る力に、クラクスは感動した。これまで手にした事のない、とても強い力。魔力とも、気力とも、また違う何か。


 この力があれば、何でも出来るのではないか……そう、確信に至った瞬間。


 クラクスの意思は、随分アッサリと飲み込まれた。


 飲み込まれ、噛み砕かれ、その〝何か〟の糧になる事も無く、消滅した。


「『 ……ふむ 』」


 〝何か〟はクラクスの意思を完全に消去した後、周囲を見渡す。


 不自由から放たれた〝何か〟は、自分を見て驚く少年に目を留めた。

 瞬間、クラクス〝だった〟名残である身体が、自動的にとある記憶を蘇らせる。


 それは無意識。反射的とも言える、執着が見せた映像。自身を圧倒し、トラウマを蘇らせ、同時に、トラウマそのものをクラクスに焼きつかせた人物の面影を残す者。


 弟だった。

 出来の悪い兄を哀れむように、神様がクラクスの両親に与えた人間。


 弟は、クラクスとは反対に、天才であった。

 容姿は完璧。頭脳も完璧。ついでに魔法の力にも優れ、更に性格も良い。当然クラクスより人望は厚く、当然、クラクスよりも両親に愛された。


 そんな弟は、唯一、クラクスを愛してくれた。


 しかし悲しい事に、その愛は何もかもが醜いクラクスにとって、純粋すぎたのだ。


 事あるごとに自分を自慢し、褒めるように催促する弟。美味しい料理が作れた時、真っ先に試食を頼んでくる弟。何の用が無くとも、笑顔で遊びに来ていた弟。


 何でも出来る。

 自慢で。

 綺麗で。


 憎い、弟。


 髪の色も、瞳の色も、全く違う。

 だが、セルクのその顔つきは、どう見ても弟のそれであった。


 弟がクラクスに会いに来なくなった、あの日の絶望が。


 クラクスの意思が消え、その身体を支配する〝何か〟の、糧となる。


 〝何か〟もまた、クラクスの最後に残った執着に、支配されていく。クラクスが無意識に抑え込んでいた醜い感情が、〝何か〟によって解き放たれる。


「『 余を愚弄する 人間共よ 』」


 〝何か〟が言葉を発するたび、部屋を覆う氷に、亀裂が入っていく。


「『 余を軽蔑する 愚かな者共よ 』」


 〝何か〟が声を強めるだけで、部屋を覆う氷が、音を立てて崩れていく。


「『 余は世界を支配する王である 』」


 更に声が強まると、部屋全体が揺れ、その場に立つ者全てが立っていられなくなった。


 〝何か〟は跪く者達を『見下ろし』ている。


 そこにいたのは、最早クラクスの面影を微塵も感じさせない何か。


 くすんでいた金髪は、美しい金糸に。

 薄汚れていた瞳は、透き通ったエメラルドに。

 醜い容姿は美しく、より人間から遠ざかった人形めいたものへと。

 肌の色も、骨格さえもを作り変え、纏っていた服までもが変化する。


 光によって作り出された、金色の玉座。赤い布の張られたそれに、〝何か〟はどっかりと座り込む。その姿は威厳に満ち溢れ、威圧感さえ醸し出していた。

 玉座はふわりと浮いており、同時にそこに座っていた彼も上空へと浮き上がった。


 長い足が床から離れ、それよりも長い真っ赤なマントも徐々に離れていく。


 彼は美麗な顔に頬をつき、はにかんだ。

 彼がモデルと言われても、違和感の無い顔。


 服装はこの世界の雰囲気とよく合い、向こうには不人気になるであろうものだが……。


 その、蜂蜜よりも甘いマスクで、それも、裏クスにただ似ているだけの低い声が、部屋に響く。



「『 王の前だ ―― ひれ伏せ 』」



 〝王様〟はこの状況に満足していた。


 少し話すだけで、その場にいる者全てがひれ伏すのだ。

 皆が地に膝を突き、頭を垂れる。


 それを誰よりも上から見下ろすとは、何と心地よい事か!


「『 我は王 偉大なる王である 』」


 〝王様〟は続ける。

 なお、満足そうにはにかみながら。


「『 この窮屈な小屋を作ったのは誰だ ? 』」


 〝王様〟はその場にいる者達を、見回した。


「『 余 自ら 消し炭にしてくれようではないか 』」


 耳を塞いでも聞こえてくる。現実に発する声と、頭に直接叩き込まれるような声が、その場にいる者達の中で重奏を奏でている。

 抗おうにも何も出来ずに、一部の者は蹲ってしまった。


「『 ふむ、出て来ぬのならば仕方無い ―― そこの小さき者と共に 葬ってやろう 』」


 〝王様〟は、掲げた右手の平に、煌く紅い炎を浮かべた。

 その炎から放たれる熱気は、魔法で作られた氷を、容易く溶かし、蒸発させていった。




 ― スイト ―



 何が起こったのか、と言われれば、よく分からない、という答えを返そう。


 クラクスから邪悪な気配を感じ取ったと同時。彼を閉じ込めていたはずの氷に亀裂が入り、割れたのだ。そこからクラクスはふらふらと立ち上がり、にんまりと笑った。

 聞こえてきたのは、バキボキと、およそ人から聞こえてはならないような不穏な音のオンパレード。


 しかも、クラクスの顔を中心に、その身体がボコボコと盛り上がったのだ。


 沸騰したお湯のような、というレベルじゃない。

 まるで、伸びやすいゴムの布に向かって、思い切りパンチをお見舞いしたかのような。


 引き伸ばされ、元に戻る。また引き伸ばされ、また元に戻る。

 それを繰り返し、音が止んだ時。


 そこに、クラクスはいなかった。


 いたのは、セルクと顔のパーツが似ている、美しい金髪と緑色の瞳を持った〝何か〟だった。

 これで目が金色なら、それはもう、ヴィッツと瓜二つ。


 彼はぶつぶつと何かを呟き、その途中でも不穏な音を響かせながら、宙に浮く。


 呟きが徐々に大きくなり、地面が揺れた。やがて立っていられなくなるほどの揺れになり、俺達はやむなく膝をついてしまう。

 彼は宙に浮き、自ら出した光の玉座に腰を下ろし、ふんぞり返った。

 そして、それまでよりずっと鮮明に、大きく、ゆったりとした口調で、告げる。


「『 王の前だ ―― ひれ伏せ 』」


 現実に声として聞こえてくるだけではなく、僅かにずれて、脳に直接声が響いた。身体の中に直接叩きつけられたかのような痛みが、全身を襲う。

 更に、魔力が、その威圧感が、現実のものとなって俺達にのしかかる。


 何人かの叫びが聞こえ、振り向けば、ハルカさんやテレクが、頭を押さえて転げまわっていた。

 そう言う俺だって、あの王様を見上げるので精一杯である。


「『 この窮屈な小屋を作ったのは誰だ? 』」


 また、声が響く。


 その目は、俺達へと向けられている。つまり、俺達に尋ねているのだろう。窮屈、小屋? 小屋って、この結界の事かね?

 そんなの知って、何を――


「『 余 自ら 消し炭にしてくれようではないか 』」


 無邪気に微笑んで、彼はそう、言い放った。

 今、何と言った?


 消し炭、と聞こえたような……!


「『 ふむ、出て来ぬのならば仕方無い ―― そこの小さき者と共に 葬ってやろう 』」


 彼は天井へ向けて手を掲げ、煌く炎を出現させる。

 科学的に言えば、青くなるほど炎の温度は上がっていくらしい。だが、その炎は誰が見ても紅い。赤より深い、紅色だ。


 そこから放たれる熱気が、部屋を満たしていく。

 夏のうだるような暑さより、ずっと強い。じりじりと焼け付くような熱が肌を刺し、氷は昇華して水蒸気へと変わっていく。


 大量の氷があったためか、部屋はすぐに湿度が高まった。


「『 死ぬが良い 』」

「――……っ! 【クールダウン】!」


 視界に映る炎の勢いが、一気に増したその瞬間。

 俺は焼けたアスファルトのように熱い床に手を押し付け、魔法を発動させる。


 その名のとおり、冷気を発するだけの魔法だ。

 じゅう、と音が聞こえ、焦げた嫌なにおいが鼻につく。


「わ、私も……えっと……【クーラー】!」


 俺とハルカさんを中心に、ふわりと冷気が舞う。王様は「む」と呟いて視線をこちらに寄せた。

 途端、周囲の熱気が収まる。見ると、王様は炎を消し、ひどく楽しそうに目を輝かせていた。


「『 ふはは ! 貴様 我の炎に抗うとは 面白いものを見させてもらったぞ ! 』」

「……それは、何より」


 手を叩き、席を立つ王様は、とても満足そうに笑う。だが、次の瞬間には不満そうな表情になり、玉座に座ったままほんの少しだけ俺達に近付いた。


「『 貴様 名は? 』」

「……スイト。風羽翠兎」

「『 スイト か よい名だ 我が名に比べれば劣るがな 』」


 今度は嘲るように笑って、再び見下す。


「『 我が名を教えてやろう 冥土の土産に知っておくとよい 』」


 あ、殺すのは確定なのね。


「『 我が名は【   】だが…… ふむ? 人間如きの耳では 聞こえぬか 』」


 名前を発したのだろうが、たしかに聞こえない。王様も耳を指で弄っている辺り、聞こえていないのだろう。身体は人間という事だ。中身はそうじゃないようだが。


 ちょっと残念。王様呼びは今のクラクス? ならぴったりだし、やめる気はさらさら無いけど。これから戦う相手の情報は、何でも知っておきたいところである。

 もっとも、その正体も、何と無く掴めているのだが。


 ― そうだね。発音を現代世界の人間用に直すと、ラセファンっていうけど、あまり関係ないか……。


「ラセファンねぇ……ん?」


 今、何か聞こえたような。


 ― あっ、出て来すぎた。かえろ。


 ちょ、ちょっと待て。何だ、お前。

 おーい。


 ……聞こえなくなった……? 何だ、今の……!


「『 ふむ? 何故貴様が発音できるのだ? 貴様は人間であろう? 』」


 ……本当にラセファンらしい。一応人間には発音できないような名前らしいので、王様は首をかしげた。うん。俺も傾げたい。


 というか、今はこれ以上考える余裕が無さそう。

 王様が俺をいぶかしんでいる今が、チャンスなのだ。


「お前は、何者だ」

「『 我をお前呼ばわりするか…… まぁよい 我は……そう ラセファンである 』」

「名前はもう聞いたって。……何者なのかを問うているんだ。答える事、出来るだろう?」

「『 む 既に【嫉妬】に触れた者であったか どうりで我の前でも平然としていられるわけだ! 』」


 王様、もといラセファンは、目を大きく輝かせた。悪趣味な王冠……いや、今は容姿のおかげもあって、非常によくお似合いな豪奢な王冠が少し傾く。

「『 ならば話は早い 我もそちらを名乗ってやろう 感謝せよ 』」


 まぁ、この台詞で、大体「どれ」なのかも予想はついてしまうのだが。

 俺は、静かにラセファンを睨み付けた。


「『 我は創造主により創られし 大罪が眷属!


 ―― 【傲慢】のラセファン よぉくその魂に名を刻むが良い! 』」



 名乗りを上げると同時。

 部屋の至る場所から、べきべきと音が響く。見れば、床、壁、天井に大きな亀裂が入り、崩れているではないか!


 部屋と近くの廊下ごと、異空間の結界に閉じ込めたこの場所。異空間も箱状になっているため、広さには限度がある。その代わり、端まで進むと、対角の端から出るという無限ループ仕様となっているのだ。


 一応、ハルカさんも使えるぞ。

 使用法は……まぁ、使う人次第である。


 俺? 俺は、うーん。そもそも使わない。


「『 ここは狭い あまりにも狭い! 我が直接手を下すのだ もっと広い場所で 存分に殺り合おうではないかッ! 』」


 ラセファンが叫ぶと、部屋は完全に形を失くし、木っ端微塵となる。同時に、ぬいぐるみが張ってくれたはずの結界をも、粉々に砕けてしまった。

 更に、それまで声に慣れずにいたせいで気付けなかったが、ちょっと怖い事実が判明。


 これ、あの時の【嫉妬の欠片】とは、比較にならないほど、強い。


 手がじくじくと痛む。だが、それ以上に、痛みを忘れるほどの恐怖がそこにあった。

 結界という枠組みには収まらない、どこまでも続く地平線。


 ぬいぐるみやハルカさんとは、比べ物にならない異空間創造力が無ければ、こんな場所を作れない。

 隠れる場所の無い、全面タイル張りのだだっ広い空間。白と黒、まるでチェス盤のような、1メートル四方のタイルが、見渡す限りの地面に張られている。


 空は青く輝き、太陽の光が眩しい。

 所々に立つ白と黒の螺旋を描いた柱は、空の彼方まで続いて、頂点が見えない。


 幻覚、だと、思いたかった。

 だが、それこそ幻覚であった。


 セルクに取り付いた【嫉妬の欠片】と、同じ。邪悪なようで違う、しかし途轍もなく大きな力が感じ取れてしまったから。

 この世のありとあらゆる心を表す三要素が1つ。


 大罪は【傲慢】のラセファン、か。

 いつの間に取り出したのだろう。ラセファンは豪奢、かつとても細い、レイピアを手にしていた。


「『 一対一の真剣勝負と参ろうではないか 』」


 邪悪、かつ純粋なその笑みに、俺は苦し紛れの笑みを返しておく。

 未知が最も恐ろしいとは、よく言ったものだ。


 俺は、ハルカさん達に下がるよう言った。

 しかしやはりと言うべきか、ハルカさんは反対してきた。


「ちょ、スイト君、私も戦うよ! あの人……人? の力、とても1人じゃ太刀打ちできないって!」

「たしかにそうかもな」

「なら!」

「けど、ハルカさんが乱入するのは、あの王様が『一対一の真剣勝負』を止めた時だ。こっちから破ったらどんな事態になるか、計り知れないぞ」

「う、むぅ……」


 【嫉妬の欠片】は、俺への執着を持っていた。

 だから、こちらへ意識を向け、他に攻撃をしないよう、誘導する事が出来たのだ。


 しかし今回は、欠片ではなく本体らしい。おそらく力の源は……。

 いや、考えるのは後だ。話が通じる超強敵なのだから、これは利用するしか無い。


 【傲慢】と言うからには、わがまま、手段を選ばないという懸念はある。だが、だからといってこちらがルールを破った試合をすれば、あちらは喜び勇んで同道とルールを破ってくるだろう。

 こちらがルールを破るのは、あちらがルールを破った時だけ。


 瞬殺される可能性は十分にあるが……逃げに徹するか、どうするか。

 世の中には、様子見、という言葉があるのだから、それも悪くない。


「また、お役に立てないのですね……」

「……セルク」


 しゅん、と落ち込むセルクは、杖を握りこんだ。

 しかし、役に立っていないなど、そんな事は無いぞ?

 そう言おうとして、だが、セルクは顔を上げた。


「あれは、僕のせいで目覚めてしまったのでしょうか」

「……」

「だとしたら、僕のせいで、師匠が危ない目に遭うのでしょうか。どう考えても、あれは化け物です。いくら師匠でも……負けて……」


 段々と萎んでいく声に、俺は何と声をかければ良いか迷った。


 【嫉妬の欠片】に取り付かれていた時の事を、セルクは覚えちゃいない。けど、その被害が甚大だった事は後から聞いているのだ。

 俺達はセルクに、詳しい情報は与えていない。学校を危機に陥れたのがセルクだと、感づかせたくなかったからだ。しかし独自に調べ、何かが暴走し、その暴走が自分の魔力によるものだと知ったようだ。


 今回のラセファンの出現には、途轍もない力が伴った。今は異空間に放出しているだけだが、これが現実世界でも起こると、一気に被害が増すだろう。そして、この力の系統は、あの【嫉妬の欠片】と酷似しているのである。


 何がきっかけか、正しくは分からない。だがラセファンの出現、暴走理由は、おそらく、クラクスが心情的に追い込まれた事が原因だろう。


 つまりセルクは、世界の危機に瀕するような行動を、2度も取った事になる。


 たとえ自身が無意識の内に仕込まれた事だったとしても。

 たとえ自身が知らずに暴走のきっかけを与えてしまったのだとしても。


 セルクのせいだと、俺が言ってしまえば、それはセルクのせいになってしまう。それだけ、セルクの中で俺の発言権は強い。


 どう言葉をかえきょうか迷っていると、ぬいぐるみがぴょん、とセルクの肩に乗っかった。


『あれは、遅かれ早かれ目覚めていたよ』

「っ、ぬいぐるみ、さん?」

「そうなのか?」

『うん。……けど、それを話すのは後で。今は、行ってらっしゃい』

「……分かった。後で聞かせろ」

『うん。約束』


 ぬいぐるみには指が無いので、俺は拳を作り、もふっとぬいぐるみの手に当てる。


「時間が無いから、僕からは一つだけ。死なないで。まだまだお説教し足りないから」

「あー、善処する」


 鋭い視線を浴びせてくるテレクから視線を逸らす。そこから流れるようにラセファンへと視線を向け、彼の前へと歩み出た。


 後ろで、結界を張る音が聞こえる。

 ハルカさん辺りが、気を利かせてくれたのだろうか。


 ともかく、俺はラセファンへと向き直った。


「えっと、お待ちいただき感謝する」

「『 ふん 我は王だからな このような短き時間ぐらいは待つというものよ 』」


 ラセファンは鼻で笑い、胸を張る。

 【嫉妬の欠片】より随分と人の話を聞く、のか? いやいや、油断は禁物か。


 何にせよ、痺れを切らして先制攻撃を仕掛けられる事は無かったので、良しとしよう。

 欠片と本体の違いなのだろうか。


 それとも単に、身体に【傲慢】が馴染んでいないために本来の性質がまだ出てきていないのか。


「『 構えよ 』」

「ああ」


 俺は剣を取り出し、構える。

 ラセファンはフェンシングのように、突き出した構えを取った。


 一方俺は、少し腰を落として、両手で剣の柄を握り、刃をラセファンへと向けている。

 普段、緊張で身体が不調を訴える事はない。だが、今ばかりは勝手が違っていた。


 手が震える事は無いが、手先が冷えてゆく。

 鼓動は不思議と落ち着いているが、冷や汗が頬を伝う。


 俺はひとつ、深呼吸をした。


「『 いざ 』」


 ラセファンが呟いた途端、気迫が膨れ上がった。魔力を伴っているために、しっかり踏ん張っていないと飛ばされそうだ。

 その顔に浮かべられた笑顔は、戦闘狂のそれである。


 俺もまた、口の端が吊り上がっているのを感じていた。


 どうやら俺も、そうらしい。


「参る」


 合図らしい合図は、俺の一言だけだった。

 だが、無詠唱で、タイムラグ無しに発動させた身体強化をもってしても。


 俺の一撃は、今にも折れそうなほど細い剣に、いとも容易く受け止められてしまった。


「ぐっ……!」


 最後のこれが無ければ、優勢のまま事が進んだのに。

 そう嘆いたって、今のこの状況は何も変わらない。


 力量、経験値。少なくとも、その2つに大きな差があるだろう。

 正直、俺達が全員で戦って、どうにかなる領域を軽く超えている。


 たった一撃で、嫌と言うほどそれを理解した。

 理解、してしまった。


「『 ふむ…… まぁ 人間ならば こんなものか 』」


 笑みは絶やさず。だが、それでいて不満そうなオーラを隠そうともしないラセファン。


「『 今の一撃 本気の一振りであるな 一撃必殺を狙ったか 牽制のつもりか…… どちらにせよ 全く意味は無かったが 』」


 レイピアを構え、油断も隙も無く、そう呟いた。


「『 つまらぬ 』」


 それから、はっきりと告げる。

 ああ、そうだろうな。人間の身体を得てなお、お前は化け物の類だから、俺達は弱いように映るだろう。そんなの当然だ。


 ラセファンがレイピアを横に凪げば、突風が巻き起こる。

 俺は軽く10メートルは飛ばされた。


「っ、がっ!」


 硬いタイル張りの地面に叩きつけられ、何度も跳ねる。

 限り無く平らな床に、真っ赤な点が幾つも落ちた。


「スイト君!」

「……っ、う、ぅ!」


 しかし何度目かの跳ねで、俺は剣を床に突き刺した。

 剣はガリガリと地面を削り取りながら、更に数メートルもの間後退し続ける。

 ようやく止まった時、ハルカさん達のいる結界が、遠くに見えた。


「『 人間とは これほどまでに弱いものだっただろうか? どれ 』」


 首をかしげ、酷く残念そうにそう呟くと、ラセファンはレイピアを下げた。

 何をする気だ……!


「『 少しは楽しませよ そうだな…… こうすれば 力を出せるのか? 』」


 ラセファンは俺の視界に映る結界へ、一瞬で近付いた。

 かと思えば、結界に触れ、バチバチと拒絶反応を起こしながらも、結界を掴む。

 普通なら問答無用で弾かれてしまうであろうそれに触れた瞬間。


 結界が、無残に砕け散った。


「……っ」


 そして、あろう事か、力無く座り込むハルカさんへと手を伸ばしたのだ。


「な、にを……」

「『 決まっておろう 貴様がこちらへ戻ってくるまで 処刑の続きを楽しむまでだ 』」

「………………ッッッ!!!」


 一瞬で、ハルカさんの首が持ち上げられる。

 ハルカさんは声も出せず、もがき、ラセファンの手を払いのけようと暴れた。


 だが、すぐに、その抵抗は弱々しいものとなる。


「あ、ぅ……」

「っ、させ、るか!」


 吹き飛ばされた驚愕と痛みで、消えかけていた身体強化を掛け直す。あんな派手に飛ばされたが、骨折はしていないのが幸いだった。

 1歩でラセファンに近寄り、その腕を狙う。


 が。


 ガキィッ! と金属がぶつかり合う音と、鍔迫り合いの耳障りな音に、足が止まった。

 刃の交わる一点で、激しく火花が散る。


 ただの金属同士であれば、こんな激しくぶつかると折れてしまうだろう。だが、こちらもあちらも尋常ではない硬度を誇る剣同士。折れはしなかった。


 だが、こちらはめいっぱい魔力を使った身体強化を行っているというのに、あちらは余裕綽々という笑みを浮かべるばかり。


 こうしている間にも、ハルカさんの顔が青ざめていく。


 他のメンバーは、近くに寄った【傲慢】の覇気にあてられて、軒並みダウンしていた。


 俺が幾ら時間稼ぎをしたところで、セルク達でハルカさんを奪還出来るかどうかもわからない。


 どうする。


 このままじゃ、ハルカさんが……!


「ぅ、ぁああぁあっ!」


 もう一度、腕を狙う。

 止められる。


「『 ふん 』」


 更に狙う。

 更に止められる。


「『 さて どれほど保つか…… 』」


 また、狙う。

 また、止められる。


「ぐ、まだ!」

「『 ……ええい しつこいぞ 』」

「ぅぐっ!」


 ハルカさんを放り出し、ラセファンが俺の首を掴んだ。


 そのまま、上空へと浮かび上がる。

 瞬時に足が地面から離れ、ラセファンの手の爪が首に食い込んだ。


 食い込みは徐々に強まり、呼吸が段々としにくくなってゆく。


 美麗な容姿に、綺麗な笑顔を浮かべる【傲慢】が、目に映った。


 それと同時に、放り出されたハルカさんが、こちらへ何か叫んでいるのが見えた。良かった、無事だったか。爪痕とか、残らないと良いが……。


 ハルカさんを確認した時、笑みが零れていたらしい。ラセファンは次の瞬間、不機嫌になった。

 首の絞まる感覚が、一気に強まる。


 あ、これ、マジでやばい。元々やばいとは思っていたけど、マジでやばい。


 身体中が妙に冷たくなっているのに、意識だけがハッキリしている。


 痛みや苦しさが薄れていくのに、ふわふわと浮いた感じだけが残る感覚。


 これはまるで、あの剣に刺された時のような……。


 あの時、は。そう、コリアが俺の能力を、使ってくれた。


 俺の、あのアビリティを使うか……?

 むしろ、こういう時に使わないと、意味が無い気がする……。


 でも、どう、やって……?


「『 ほう やはりその力を持っているか しかし 無駄だ 』」

「……っ」

「『 貴様の力は 我には効かぬ 創造主により生み出された我が 『時耐性』を持っておらぬとでも思うのか? 欠片よ 』」

「か、け……?」

「『 ふ 気付いておらぬのか 所詮は欠片 創造主自らが生み出した我より劣るのは 必然か 』」


 ……何だろう。誰かが以前、同じような事を、言っていた気がする。

 誰、だっけ。


 ……そう、ミリー、だ。


 ミリーなら……こいつの言っている事、分かるの、かな。


「『 まぁ 知らぬのならばそれでよい  ―― 死ね 』」


 首にかかる力が、強まる。

 もう、だめか……!



 ――…… 諦めない方が、良いよ。



 何かが、聞こえる。

 酸欠のせいでようやく朦朧とし始めた頭に、直接。


 誰だろう。聞き覚えがあるようで、無いような、不思議な、声。


 その声で浮上した意識に、間違えようの無い声が届いた。



「―― スイトから、離れろぉおおぉおお!」



 その声が聞こえた途端、浮上していた意識が途絶えた。

 何でだろう。きっと、あいつが来ても、あまり状況は変わらないだろうに。


 とても、安心してしまうのだ。

 ああ、俺は最後まで、状況は見ておくべきなのだろう。だが、それは出来なさそうだ。


 だから。



 後は頼むよ―― タツキ。


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