41.5 セルクの受難
一度宿へとんぼ返りしたが、すぐまた神殿へと向かう。
時間指定されていないとはいえ、試練は何が起きるか分からないのが普通で、何が起こっても良いように早めに挑む者が多い。
実は昨日もそうだったのだが、試練を受けようとする者達が行列になっていた。
「師匠、今日も『あそこ』に通じるのでしょうか」
「個人的に通じてほしくないけど、通じるだろうな」
今現在、神殿内の空間がちょっと歪んでいる。これにより、どういうわけか俺達が元いた世界の風景が、ゲートの先に展開されている。そこに、休憩所と呼ばれる不思議空間も混ざってかお砂状態になってしまっていた。
昨日の混ざっている状態が今もまだ続いていれば、本来毎回別の空間が形成されるところが、俺達は同じ空間へ飛ばされるはず。
あの空間ができてしまったのは、俺が持っている休憩所の『鍵』が関係しているのだろう。
まあそんなわけで、俺達もその行列に並んでいるわけだ。
……事件はそこで起こった。
「―― お兄様?」
という、かわいらしい声が、後ろから聞こえてきたのである。
女の子の声だ。
ツルの声ではないが、俺は一応、振り返った。俺以外もだ。ハッキリとした声は、音量こそ大きくは無いものの、騒がしい神殿内に響いたので。
振り返れば、2人の少女がそこにいた。
1人は12歳くらい、もう1人は8歳くらいで、どちらも銀色の髪をしている。
姉妹だろうか?
上の子が青色の瞳に、長髪をハーフアップにしている大人しいイメージ。下の子は濃い赤色の瞳に、髪型をツインテールに結い上げており、纏っている雰囲気はおてんばな感じである。正直、顔立ちと髪色くらいしか似ていない。
まあ、顔立ちが似ているだけでも姉妹っぽいのだが。
その2人の内、声を発していたのは下の子。
「やっぱりお兄様だわ! 何でこんな所にいるのかしら!」
きゃあ、と女の子は跳び上がった。
その目線は、どう見てもこちらを捉えている。
「シャルル、静かになさい。我が国の品位を疑われるわ」
「お姉様、そんな事を言ったって、お兄様がいらっしゃったのに。くすくす」
お姉様という事は、彼女達はやはり姉妹らしい。我が国ということは、彼女達はどこかの国の貴族なのかな。で、妹さんの方は兄に当たる人を見つけた、と。
見たところ、ルディの血縁ではない。だからと言って俺達は異世界から来た人間なので、こちらの世界に兄妹がいるとは思えない。残ったのはセルクだが。
あ、そういえばセルクは銀髪だったはず。
そこに思い至った俺がセルクの方へと視線を向けると、セルクはいつの間にか俺の後ろへ隠れていた。それも、着込んだフードを深く被って、全力で彼女から目を逸らしているようだ。
え、何で?
「お兄様、お兄様! 何でここにいらっしゃるの? ねぇねぇねぇ」
やはりセルクの事をお兄様と呼んでいるらしい。シャルルは、近くにいた俺達に目もくれず、俺の背後に隠れていたセルクに詰め寄った。
その表情は、無邪気な笑顔に見えて、違う。
浮かべているのは嘲笑。所作は子供っぽさと上品さが入り混じった微笑ましいものがある。しかし、その上品さが、上手い事嘲笑を普通の笑顔に見せていた。
それを分かっているのか、セルクは無言を貫いたままシャルルから逃げている。
俺の周りをぐるぐると回って、時々どちらも立ち止まって、逆時計周りで回り始めて。
堂々巡りになっていた。
「シャルル! やめなさい!」
「ええー? お姉様、何で?」
「何でも何もありません! ほら、来なさい!」
それが止まったのは、彼女の姉がシャルルを制止した時。
姉の方はシャルルよりも落ち着いた性格らしい。年齢もセルクより上みたいだし、子供にしては冷静なようで助かった。
少女はこちらへ向き直ると、深々と頭を下げる。
「申し訳ありません、愚妹がご迷惑をおかけしました」
「俺達は構わない。良いよな?」
俺は再び俺の背中に隠れたセルクに問いかける。
セルクは一言も発さず、俺達とも目を合わせようとしない。ただ俺の身に纏うマントを、ぎゅっ、と握り締めた。
うーん。
何か色々と立て込んだ事情がありそうだ。
けど、俺は聞かないぞ。
そういう個人の事情は本人が話したい時に話してもらうのが、一番面倒が無い。
「シャルル、謝りなさい」
「いや」
「謝りなさい!」
「いーやっ!」
頬を膨らませてそっぽを向く妹を、姉は溜め息をついて睨みつけた。彼女達の後ろに並んでいる鎧が重そうな騎士達が呆れているのを見ると、日常茶飯事らしい。
シャルルはそれ以降、不機嫌そうではあるが、こちらを睨みつけるでもなく。護衛らしい騎士達の方へと走り去ってしまった。
姉の方は、その様子を見ておきな溜め息をつくのだった。
「えっと、2週間ほど前に学園に編入した賢者様方、ですよね? 私は― シェディ=アンドレア ―。愚昧は― シャルロット=アンドレア ―といいます。紹介が遅れてしまい、申し訳ありません」
「さっきも言ったが、俺達は良いさ。込み入った事情がありそうだが、今この場では聞かれたくない事、でいいな?」
「はい。後ほど謝罪をしたく思うのですが」
「ここだけでいいよ。……こいつが、な」
俺は優しく、セルクの頭を撫でる。
セルクは一瞬ビクついたが、その後の反応が無い。
表情も全く読み取れないが、この様子からして、早く彼女達から離れた方が良いな。シェディはシャルルと違って聞き分けがいいようだから、会話を早々に切り上げておこう。
「賢者様」
「何だ?」
「もし、我が愚昧がまた何かしでかした時は、遠慮無くお申し付けください。こちらできっちりとオシオキをしておきますので」
ほんの一瞬だけ、真っ黒で邪悪なオーラを放ったシェディ。俺は素直に頷いておくと、シェディは早速とでも言うように、シャルルの頭をグリグリしていた。
まあ、あれで反省するようなら、あのような性格にはならないと思うのだが。
「次の方、どうぞー」
「あっ、はーい。スイト君、順番来たよ」
「おう」
昨日と同じ、触れたら消えてしまいそうなゲートをくぐると、やはり、また汗が出てきた。おそらく同じ場所、つまり、俺達の生まれ育った町が舞台のようだ。
しかし、昨日のような強い日差しは無く、あるのはオレンジ色の光。まだ空に青い部分が残っていることから、それが昼と夕暮れの間である事がうかがえる。
今回は全員が同じ場所に出ていた。ここは駄菓子屋の目の前だな。背中が丸っこくて、いつもニコニコしているおばあさんのいる店だ。
包装されたお菓子からは匂いが出ず、瓶詰めのお菓子や、おばあさんの飲んでいるお茶の香りばかりがしていた駄菓子屋。少し覗いてみれば、電気の点いたそこは懐かしい景色に溢れていた。昭和のニオイというやつだろうか。古臭く、それでいて優しい雰囲気だ。
今回もやはり、試練の達成条件は開示されていない。
昨日は出口が俺の家にあったよな。じゃあ、そっちに行くか。そこならラクス達もいるだろうし、昨日は聞けなかった色々な事を聞いてみようかな。
と、俺達が俺の家へ歩き始めた時だった。
それまでだんまりを決め込んでいたセルクが、俺の名前を呼んだのは。
「あの、師匠! 僕、話したい事がっ」
フードを取った彼は、必至な形相で俺を引き止める。
焦りを多分に含んだそれは、
「それは、本当に話したい事か?」
「え……」
「話さなきゃいけないから話す、とかなら、今は話すな。本当に話したくなってからで良い。今、セルクが話そうとしている事は、本当に今『話したい』事なのか?」
俺はなるべく優しい笑みを浮かべて、セルクと目線を合わせながら尋ねる。すると、セルクは俯いてしまった。そして、おもむろに首を横へ振る。
「じゃあ、本当に話したくなった時に話せ。いつまででも待っているからさ」
「……は、ぃ」
少々落ち込ませてしまったようだが、これで良い。ムリヤリ聞いたところで、心にわだかまりが残るだけだ。話そうとしてくれたって事は、少なくとも俺達が聞くべき事情なのだろうが。
さてと、諸々一段落したことだし、俺達も俺の家に行きますか。
行こうとしていたところでセルクに止められたため、タツキ達の姿が見えないほど距離が離れてしまったのだ。セルクのせいじゃないから怒らないけど、急いで追いかけないと心配させてしまう。
セルクも遅れている事に気付いたらしく、気まずそうにしながらも早足で歩き始めていた。
しかし。
「また会えたわね、お兄様♪」
楽しそうに笑うシャルルが、アスファルトの上で飛び跳ねていた。それを見た瞬間、セルクは再び、歩みを止めてしまったのだ。
「シャルル……ッ?!」
突如として現れた妹(仮)に驚き、思わずその名前を呼んでしまったセルク。ハッとなり、慌てて口を手で覆うが、時既に遅し。
シャルルは、新しいおもちゃを見つけた時のような、楽しそうな笑みを浮かべた。子供らしい笑顔は本当に楽しそうで、何の含みも見られない。
……表面上は。
「私の名前呼んだわね。やっぱりお兄様だったんだわ! ねえ、どうしてさっきは応えなかったの?」
「……っ」
「もー、また喋らなくなっちゃった! つまんなーぃ」
セルクは、今度は顔を全く隠せていない。シャルルから目を背けるだけの彼は、自身の服の裾を、力強く握り締めた。
やはり彼等の間で何かがあった事は確定だ。セルク自身、彼女の事を知っていて、それが妹であると教えているようなものである。先程話そうとしてくれたのもこれに関係するのだろうが、彼女達から目を背ける事に繋がる事柄なのかね。
ん、待てよ? シャルルが何でここにいるんだ? ここは一応、俺達の試練場であって、彼女達とは別口のはず。今は空間が不安定と言っても、昨日は他の試練挑戦者とマッチングしていなかったのだが。
それに、彼女がここにいるという事は。
「シャルル! また皆様に迷惑をかけて!」
やはり、姉であるシェディもここに来ていたか。
それにしても、現代日本の背景に外国人然とした容貌はあまり合わないな。彼女達は桜色のシスター服みたいな服を着ており、髪は銀色で瞳も日本人にはあまり無い色なのだ。
流暢な日本語を話しているから、尚更珍しいように見えてしまう。
2人と、後からやってきた鎧の騎士達は、この風景に馴染まないまま口喧嘩を続けていた。どうも険悪なムードである。
「迷惑なんてかけていないわ! お兄様に声をかけただけだもの!」
「貴方の挨拶は、彼等に失礼な態度に映るのよ。それに何より、セルクは――」
「お姉様、どうして私の邪魔ばかりするのよ! 私より弱いくせに!」
「……っ、お願いだから、これ以上賢者様達に迷惑をかけないで、シャルル」
姉であるシェディは、妹であるシャルルよりも弱腰だ。それに、シャルル自身もシェディの事を『弱い』と表現している。
彼女達は人族だし、シャルルの物言いからして実力主義の国家の生まれかな。護衛として騎士がついているわけだし、貴族なのは明らかだから、あの国で間違い無さそうだ。
魔族領の中に3つだけある、人族国家。あそこの1つが、実力主義の国家だったはず。
見たところ、たしかにシャルルは魔力量が多いようだ。一方で、シェディは人よりも魔力量は少ない。どちらもセルクと同じような属性の魔力を持っているようだが。
加えてシャルルの魔力の性質は、セルクと同じで星。だが、シェディの魔力は……。
「賢者様? こんな変な見た目の人族が? お兄様ごときをパーティに入れるような奴等が? そんなのありえないわ! 冗談を言うのも大概にして!」
「冗談じゃないわ。お願いだから、これ以上は……」
「あぁもう! うるさいっ!! これ以上、私に指図するなぁあ!!!」
シャルルは大声で叫び、同時に、シェディへと右手をかざす。
魔力・精霊可視化を併用している俺は、それが、魔法を出すための予備動作である事に気が付いた。彼女の小さな手に魔力が集中し、そこに向かって大量の『火』の精霊が集っていたのだ。
その手に集められた魔力は、シャルルの苛立ち、憤りを表すかのように普通より多い。10歳以下の子供が出せる放出量を軽く凌駕した威力が、今正に、シェディに襲いかかろうとしていた。
シェディの近くにいた騎士3人が、異変を察知してシェディをかばうように立つ。
シェディ自身も自分達を守るための結界を張ろうとしているが、彼女は呪文を唱え始めたばかり。一方、シャルルはどうやら、呪文ではなくイメージで魔法を出せるタイプのようだ。
魔力も、精霊も、既に魔法を発動する寸前である。
「いっけぇえ!」
コマを投げる感覚で、シャルルから特大のファイアーボールが放たれる。
呪文を唱え切れなかったシェディ達は、中途半端な魔法の発動も無いままに目を瞑った。
襲い来るであろう熱さと痛みを覚悟し、歯を食いしばり、近くにいた背の低い騎士にすがり付いて。
一瞬の後、彼女達は豪炎に包まれてしまう。中身を包み込む巨大な火柱が、夕暮れになりかけた空を真っ二つに切り裂いた。
しかし、そこまでになっても、俺は動かなかった。
何故なら―― 俺の隣に、既に魔法を発動させた者がいたのだから。
「あっはっは! いい気味~♪」
悪ぶれる様子も無く、けらけらと隠す気も無く嘲笑うシャルル。それは子供っぽい笑顔の中に、明らかな邪悪さが入り混じったもの。
まったく。
実の姉を傷付ける行為に、ここまで悪意を覚えないとはね。今の攻撃は、感情に任せた故に威力がとても高かった。結界も張っていない、防御能力の低い衣服だった場合、相手に放てば即死もありえるものだったのに。
「親の顔が見てみたいものだ。なあ、セルク?」
「そうですね、師匠は賢者様ですから、会おうと思えば会えますよ」
もうもうと立ち込める白い煙の方へセルクは歩み寄る。その顔に不安や怯えといった感情は無い。ただ、無表情に彼等のいた場所を見つめていた。
煙が晴れた時、驚いたのはどちらの声だったのか。
「お姉様、そこでじっとしていてくださいね」
「……セルク」
大丈夫ですか。と聞かないのは、彼女を心配していないからというわけではない。心配する必要を感じなかっただけ。
シェディと彼女を守ろうとした騎士諸君は、無色透明なドーム状の結界に覆われていた。周囲のアスファルトは焦げる事無く、しかし濡れて黒くなっている。
何が起きたのか?
俺は何もしていない。俺の隣にいる彼がいれば、彼女達の安全が確保できる事は知っていたからだ。
氷で作られた透明なドームは、セルクが手をかざすと同時に、ぱしゃん、と水になって崩れ去る。
中にいた者達は、ケガ1つ無いまま呆然としていた。
「本当は、してはいけない事なのでしょう。けれどそれでも、シャルルは僕の妹ですから。兄として、ほんの少しだけ教育します」
「……ええ」
よどみの無い台詞に、シェディは頷くことしか出来ない。何が起こったのか理解出来ないという事もあるのだろうが、茫然自失のまま、セルクの言葉に従った。
一方で、シャルルはセルクなど視界に無く、何故か俺の方を凄い形相で睨みつけている。
子供のものとは思えない、顔中にシワの寄った顔だ。
「シャルルだったか。俺を睨んでも意味は無いぞ」
「うるさいっ! 私の邪魔をしたのはアンタねっ。アンタしかいないもの!」
「残念だが違うぞ。俺は何もしていない。邪魔とやらをしたのは、そこにいるお前の兄貴だよ」
「……お前? 私の事を、お前って呼んだわね? 私はクロヴェイツ王国の第三王女よ! 不敬だわ、処刑してやる!」
シャルルは俺に人差し指を突き付けて、自分から身分を明かしてきた。せっかくの偽名が台無しになっていたり、かわいい顔がグシャグシャになっていたりと、色々残念である。
幼い事も含め、オツムが足りないようである。
「これまた残念だが、俺は魔王陛下の庇護下にある。第三王女ごときに処刑できる身分じゃない」
「はんっ、魔王なんて、ここ300年まともに動いていない無能じゃない! そんな奴の庇護なんて、私に言わせれば――」
おいおい、俺はともかく、フィオルの事まで何か言い出したぞ。
聞いていたのが俺だったから良かったものの、これがルディや魔族連中に聞かれていたら……。
しかしそこまで言って、シャルルは急に押し黙る。勝ち誇ったような表情が驚愕と恐怖に塗り替えられ、大きな瞳が俺を捉えた。
ん? 何かあったのか?
……ああ、なるほど。
どうやら、無意識に『殺気』を放ってしまっていたようだ。元の世界で戦争地帯を渡り歩き、この世界でモンスターと戦った経験が活きたらしい。うんうん。俺の事はともかく、フィオルにまで悪口を叩くのは、どうかと思う。うん。
さすがに、8歳で戦闘経験は無いらしい。立場のおかげで殺気を浴びる事は無かっただろうし、社交界で別種の殺気を浴びるような年齢ではないし。
だが、まあ。
これで良いと思わなくも無い。
というか、ついでに魔力を殺気に混ぜてしまえば、ちょっとした威圧をかけられるんだよな。やっておくか。こういう、実力主義のお子様には、実力で立場をムリヤリ教え込むのが1番の薬なのだ。
そもそも、魔族領の最高権力である魔王を侮辱したのだ。不敬罪、侮辱罪を受けるのはシャルルの方である。記憶を投影する魔法は存在するため、フィオルの侮辱を後から誰かに伝える事は可能。それは彼女にとって、人生の破滅を意味するだろう。
それを、罪には問わないというのだから、これくらいでちょうど良い。
だから、込める魔力はそれなりで良い。
何故なら、これ以上怖がらせると、主役が霞んでしまうのだから。
「後は任せたぞ、セルク」
「はい、師匠」
俺に集中していたシャルルの視線を、俺がセルクに話しかける事で移動させる。
セルクに視線が移った瞬間、シャルルの表情から恐怖などが全て消え去ったが、問題は無い。肝心なのはその後だ。
「シャルル、勝負しようか」
「勝負? 私と? お兄様が? 魔法は使えない、剣もそれなり、完全な劣等生の貴方が?」
「そう。勝負。魔法が使えて、剣も扱える、優等生なシャルルと」
セルクはにっこりと、感情のこもっていない笑顔を浮かべる。
明らかな営業スマイルのまま、どこからか取り出した宝石をシャルルに向かって放り投げた。綺麗な紫色の宝石で、それは音を立ててアスファルトに落ちる。
シャルルは目を見開いて驚いた。たしか特殊な宝石を、戦いを宣言した後に投げるのは、ある特別な決闘の時のマナーなのだとか。
なんでも、負けた方は勝った方の命令を受け入れなければならないのだとか。
「ふふん、いいわ。受けてあげる! 私が勝ったら、私の奴隷になってよね!」
「僕が勝ったら……まあ、それは後で考えるよ」
「フンフフ~ン♪」
既に勝った気でいるらしい。シャルルは、それまで取り出す様子の無かった杖を振り回した。セルクとの勝負は、手加減をしないようだ。
鼻歌まで歌っている少女を横目に、セルクは俺の元へとゆっくり近付いてきた。
「すみませんが、広場はありませんか? 昨日は校舎から見渡しましたが、それほど町の様子を覚えていないので」
「ある。そうだな、結界を張ればどうとでもなるから、学園の校舎にするか。全校舎共同だから広い」
念話でハルカさん達に連絡しておけば、万が一ケガ人が出ても大丈夫だろう。
程なくして、俺達が通っている学園の、校舎が4つとも臨める校庭に全員が集まった。それを合図に、俺は決戦の舞台を作り上げる。
透明で、不思議な光を放つ、50メートル四方の結界だ。若干地面から浮いた地点に作ってある。これでセルクとシャルルのどちらかが、土属性に適性があれば砂地も巻き込んだのだが。幸い、どちらもそれほど得意な属性ではなかった。
学校はたとえ偽物でも傷付けたくなかったし、好都合である。
「よし、じゃあ、好きなタイミングで始めてくれ」
俺が言い切るか切らないか。そのタイミングで、まずはシャルルが動く。まだ勝ってもいないのに、得意満面の笑みを浮かべ、杖の先をセルクに構えていたのだ。
杖の先に、シェディに向けた物よりも遥かに大きな豪炎の珠が瞬時に形成される。
シャルルは8歳であのような巨大な魔法を、しっかりコントロールできている。これは彼女が天才である事を示すと同時に、彼女の自信の表れでもあった。
私は天才だ。私は庶民の上に立つ者だ、と。
魔法に優れている事は、元来魔族より魔法の才能に劣る人族にとって、優れた人種であるという証明だ。だからこそ、周囲も彼女に対して、過度な贔屓をしてしまった。
気持ちは分かる。魔法の無い世界から来た俺達にとって、魔法に憧れる気持ちは痛いほどよく分かる。
けど、だからと言って、実の姉でさえ手に掛けるような子に育てるのはいかがなものだろうか。
実力主義も、ある程度なら優れた思考だと俺は思う。だが、シャルルはダメだ。あの子の考える『実力主義』は、人の道を外れかけている。
だから、俺は、セルクを推すのだ。
シャルルから放たれた豪炎の珠は、無防備なセルクへとまっすぐ飛んでいく。一瞬後、セルクがいた場所は赤色の炎が立ち昇り、セルクの立ち位置から軽く15メートルほどの範囲を炎が這う。
「あははっ、ザマァ♪」
その光景に邪悪な笑みを浮かべたのはシャルル。無邪気に笑いながら、その声色や雰囲気に悪意がこれでもかと混ぜられている。
その光景に顔面蒼白になり、真っ先に飛び出したのはシェディ。シャルルに炎を消すように説得しようと叫び、セルクを心配して叫ぶ。たった数秒で声が枯れるほど、彼女は必至だった。
だが、その光景はすぐに消え去る。
炎が、真っ白になったのだ。
それまで炎が支配していた空間が、突如として氷に支配されてしまったのだ。
「笑うには早いよ、シャルル」
「なっ?!」
「炎の氷って聞いた事あるかな? 魔法の炎に限り、氷に変える事の出来る―― 上級魔法だよ」
上級魔法。
基本魔法、初級魔法、中級魔法と。威力が上がるにつれて、その魔法の分類も変化していく。上級魔法は高等部生くらいでは使えないような魔法だ。年齢的にはまだ初等部であるセルクが使っているのは、ひとえに才能がものをいう。
魔法学校の成績優秀な、つまり頭の良い学生でも、せいぜい上級に近い中級を使える程度。威力が上がるごとにコントロールも難しくなっていくそれらは、学生である内は危険で扱えないのだ。
セルクはこの数日、魔法が上手く使えなかった代わりに、膨大な魔法書を抱え込む図書室にこもった。その時に上級魔法も幾つか知ったのだろう。
よくもまあ、この場面にぴったりな魔法があったものだ。
自分が出した、それも特大の炎が、まるごと別の魔法に変えられる。
これはいわば、綺麗な絵を上から別の色で塗り潰すようなもの。当然、下の絵よりも強く濃い色を使わなければならない。
簡単に今の状況を表すならば。
シャルルよりも、セルクの方が、明らかに実力が上という事なのである。
しかし、それを一向に認めないシャルルは、焦りのあまり無差別に魔法を放ち始めていた。威力は低く、見た目がバレーボールほどの炎、水、光属性の珠。それらを何も考えずに、ただセルクへと向かって飛ばし続ける。
焦ったせいでイメージが乱れる、という事がない部分は褒めておこう。
だが、それだけだ。
生まれ持った才能に現を抜かし、生まれたままの才能を伸ばさずにいたシャルル。
生まれ持った才能を開花させ、短い期間でも精進し続けてきたセルク。
それも生まれ持った才能の差は、火を見るよりも明らかなほどセルクの方が上だ。これでセルクの方が努力してしまえば、努力をしていないシャルルはどうしても負けてしまう。
シャルルはやがて、魔力の使いすぎで軽い魔力欠乏症を引き起こし、その場に座り込んだ。
一方、セルクは未だ、魔力の枯渇には程遠い。
「……決まったな」
俺がそう呟くと同時に、結界を解く。壁が無くなって、まず動いたのはシェディだった。
シャルルへと駆け寄った彼女は、顔面蒼白となっているシャルルを優しく抱きしめる。シャルルは驚いた表情をしたものの、振り払おうとはしなかった。
「師匠、ご迷惑をおかけしました」
試合後、セルクがやってきたのは俺の元だった。それから、順に仲間達へと頭を下げていく。
「いいさ。な、みんな」
「うん! 私は大丈夫だよ。こう言ったら不謹慎だけど、良い暇つぶしになったし」
「たしかに。俺達、試練で来ているはずなのに、試練の内容は未だに分からないからなー。2人ともケガは無かったし、結果オーライ!」
ハルカさんとタツキは、何の問題も無い。ルディはシャルル達の方を見て不安げな表情になっているが、まあ、問題は無いだろう。
俺はセルクの頭を撫でてやる。すると、セルクは一瞬キョトンとしてから、花が咲いたような笑顔を浮かべたのだった。
さて。
ここでお約束な展開といえば、勝負に負けた方が三流役者の捨て台詞を吐いていくというものだが。
シェディの肩を借りたシャルルは、俺達の元へ歩いてきた。ずっとふてくされた表情のままだが、一体、何を考えているのやら。
「……ふん」
「シャルル。僕は――」
「言わないで。……せいぜい、命令を考えておく事ね。あ、言っておくけど、命令を3つに増やすとか、そういうのは無しだから!」
強気な発言だが、内心、相当怯えているな。足が生まれたての小鹿……ほどではないけれども、ガクガクしているし。
「僕の『お願い』は、もう決まっているよ」
「! ふ、ふーん。何かしら。謝れとでも言うつもり?」
「うん。謝って、シャルル。……シェディお姉様に」
「……え」
意外そうな声音に、驚いた表情。シャルルはセルクの顔をじっと見つめた。
年齢による身長差で、シャルルはセルクに対し、ちょっと上目遣い気味になる。その瞳は潤んでおり、どうも泣く寸前だったらしい。
しかし、セルクの『お願い』に、涙は引っ込んでしまった。
「シャルル。僕は、君が言う実力主義を否定するつもりは無い。けど、僕達が持っているこの力を、どう、使うべきか。考えた事はある?」
「そ、そんなの、国を守るために決まっているじゃない」
おお、意外と真面目な回答だった。
セルクは、シャルルの頭に手を載せて、優しく撫でる。シャルルは一瞬だけ身震いしたが、その後は大人しく撫でられていた。
ゆっくりと、諭すように、セルクの言葉は続く。
「だったら、分かるよね。たしかに、お姉様はシャルルよりも、魔法の力が弱いかもしれない。けど、シェディお姉様は僕達と血の繋がった家族だ。……家族を私怨で傷付ける力は、国を守るために使えるような力かな? 僕は、そうは思わない」
「う、うぅ」
強気だったシャルルは、すっかり落ち着いていた。シャルルの場合、実力が下より、上の人間に叱られた方が色々と上手く行くだろう。
これで、あの変な価値観が薄れるといいのだが。
……そういえば、何かを忘れているような。
うーん? あっ、そうそう、試練だ、試練。
昨日と同様、扉は既に見えていたから、多分知らない内に試練はクリアしていたのだろう。シャルル達も一緒になって、コリアにもてなしてもらったよ。
紅茶と、今回はコリアが自ら作ったクッキーが美味しかった。
その時、一緒にいたラクスから一言。
「また明日」……だそうだ。
あー、メンドクサイ。
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