42 それぞれの夜
第二の試練は終了した。
無事、セルクの件以外は何事も無く進んだため、結局あまり時間もかからずに終了してしまった。
今日は俺も試飲などを頼まれていないし、暇になってしまう。フィオル達への土産を選ぶくらいでは時間が有り余ってしまうのだ。
そういうわけで、夕方から酒場にいようと考えたのだ。イワンとの約束は夜。早すぎる到着になってしまうのだろうが、暇なのだからしょうがない。
そう思って、酒場の扉を開けたのだが。
……彼は、既にそこにいた。
「何で夕方に来ているのかね」
「よく3時間前行動とかって言うじゃないか。あれだよ」
「あいにく、5分と10分しか聞いた事が無いな」
イワンは昨日と同じ席で、同じカクテルを頼んでいた。相当気に入ったらしい。
酒場は、今日は何名か人がいた。
ああ、俺達が今朝宿に連れてきた人達だな。どうやら、従業員であるパメルから何かを教えてもらっているようだ。
聞き耳を立てる限りでは、仕事を教えているらしい。背丈だけで判断すれば、小さな子供が多いようだ。教えている側が小さい子供っぽい見た目なので、バランスは取れている。
おっと、そういう問題じゃなかったか。
ふむ、アルバイトみたいな感じで雇ってもらったのかな。
「いやー、暇だったからさ。ダメ元で酒場に来てみたけど、まさかラビットも来るなんてね」
からからと朗らかに笑いながら、イワンはカクテルグラスを傾ける。
ついでに、昨日も食べていたカリパリチケルナも頬張った。
こいつ、美味そうに食べるなぁ。
「あ、そーだ。見た、あれ?」
「今朝の騒ぎか。デス・フォレが出たらしいな」
「あー、うん、そうみたい。いやー、僕が出る幕無くなっちゃって。はいこれ」
笑いつつ、イワンはカウンター席の隣に座った俺に、白金貨を差し出す。ん? これ、昨日俺が『前金』として贈った硬貨じゃないか。
ああ、なるほど。今朝のあれをやったのは、あくまで自分じゃないから、と。
律儀だねぇ。
「バカだな。それはお前に依頼するための料金だ。イワンが仕事に失敗しようが、それはお前の物だよ」
「え、いいの? マジで!」
「それを即金で出せる時点で、俺の懐事情は理解しているかと思っていたんだが」
「あー、まぁね」
イワンは気まずそうに頭を掻いて、おそるおそる、白金貨を手におさめる。遠慮しなさそうな奴に見えるけど、意外と律儀な所もあったし、結構根が真面目なのかも。
それに、俺はこいつが何者なのかを知っている。白金貨を渡し、その料金に応えてくれる実力を見込んだのは俺だ。あれをこいつがやった事は、俺界隈では確定事項なのである。
そろそろ、お互いに自己紹介してもいいと思う。
「じゃあ、自己紹介から始めようか」
「え、今更?!」
「友達の本名は知っておくべきだろう」
「……友、達?」
イワンは訝しげにこちらを睨みつけるが、ほんの少し考えて、頷いた。すると、それまで目深に被っていたフードを外し、ふんわりと笑みを浮かべる。
クセ毛の付いた萌葱色の髪と、若木色の瞳が露わになった。
「僕はテルフェリック=ξ=エルマリッカ。長すぎて、自分から名乗るのも億劫でね。普段はその名前から離れたくて、本当にイワンって名乗ってるんだ。愛称はテレク。よろしくー」
「俺はスイト。風羽翠兎だ。異世界から来た賢者……ってコトになるのかな、一応」
「フルネームを名乗るのは久しぶりだなぁ。それに、友達、かぁ。ふふ」
イワン、もといテレクは、スキル:鑑定を持っている。だから、俺がスイトという名前である事も、賢者である事も最初から知っていただろう。俺だってテレクのステータスを勝手に覗いているからな。相手からステータスを覗かれても、大して腹は立たない。
それより、ミドルネームはクシー、という発音だったな。俺には言語理解のおかげでギリシア文字に見えているのだが、これも略称なのだろうか。
まあ、今そこを追及するべきではないだろう。知り合ったばかりの相手に、何か重要そうな事を話してくれるとは思えないし。
「ところでスイト、……彼女の情報は、やっぱりダメ、かなぁ」
「彼女? ああ、あいつの事か」
「うん。まあ、僕、依頼を達成できなかったし、教えてもらえないなら、それで構わないけど。でも、かなり、欲しかったからさぁ……」
既に諦めムードになっているテレクは、ひんやり冷たいカウンター席に頬を付けた。
まあな。どうしても欲しい情報だったから、俺の依頼を受けてくれたわけだし。それを『テレクは』失敗してしまったのだから、受け取れないと考えてしまうのも無理は無い。
だが、そんなどんよりとした空気に向かって、俺は淡々と、それはもうアッサリと切り込んだ。
「いいよ。教えてやる」
「うん、そうだよね、ダメだよね―― って、えぇ?!」
勢い良く跳ね起きたテレクは、跳ねる勢いそのままに俺の眼前まで迫る。
「ああ、教えてやるから、ちょっと離れてくれ」
鼻息を荒くして迫っていたテレクは、ハッとなって縮こまる。無駄に美形だから、男女関係無くドキドキさせてしまうらしいな、こいつ。
今後の発言は、ちょっと注意したい。
「そうだな、まず確認したいのは、どこまで情報を手に入れているのか、だな」
「うーん。彼女の名前は、意外とどこにでもあるからね。商人に、冒険者、絵描き、記者。あらゆる人をあたって、それでも見つけられなかったな」
あれはありふれた名前なのか。ありふれた名前でも、色々と問題アリな性格をしているわけだが、それは知らなかったのかね。
一度会ったら忘れられないと思うけど。
「ふぅん。じゃ、知っている情報全部って事だな。ところで、テレクはいつまでこっちにいるんだ?」
「こっち? あー。1週間はブラブラする予定だけど」
なら、好都合だな。
俺達は、嫌でも彼女と再会する。彼女を探しているテレクを連れて行けば、テレク自身の目的は完遂できるはずだ。
だから、俺は提案する。
「その一週間、俺達と一緒に行動してみないか。もちろん、彼女に会わせられるぞ、確実に」
「えっと、確実、なの?」
「確実だ。間違い無い。あれは多分、あそこから動かないからな」
「……ふぅん?」
テレクの瞳が、キラリと輝いた。
何故、獲物を狙う肉食獣のごとく、俺を睨みつけるのかは謎である。だが、テレクがその目をしたまま手をこちらに差し出してきた事で、その表情が快い承諾の意であると理解した。
良かった。
何か企んでいるようにしか見えない笑顔なんだもん。正直、怖い。
ああでも、会わせてやろうじゃないか。
―― 『 メルシー 』に。
― セルク ―
コンコンコン。
誰かが、すっかり内装の整った部屋の扉をノックする。
いや、誰かじゃないな。僕は、ノックした人物の事を知っているはず。むしろ、彼女達がやって来る事を見越して、身支度を整えていたのだから。
ノックから5秒も経たず、僕は返事をする。
そうすれば、扉は開いて、その先から何人かが入ってくる。
僕は、きれいに洗った制服と、魔術師用のローブを着ていた。制服はそれが正装で、礼儀作法に抵触する事は無いだろう。
王族との謁見では、これでは足りないかもしれないが。
「セルク、ごきげんよう」
「はい、シェディ様」
木製の扉を開け、入ってきた『シェディ様』に対し、最上級の礼を捧げる。彼女の前にかしずいて、彼女の目線よりも頭が高くならないように。
僕が自然にそのポーズをとったものだから、シェディ様は一瞬きょとんとしてしまった。
「っ、お願い。私達の前で、その呼び方はやめて? ね、シャルル、貴方からも言ってやって」
「……ぅ」
シェディ様の陰に隠れるようにいた『シャルル様』が、ヒョコッと顔を出す。しかし、言葉が上手く出てこないようで、もじもじしていた。
僕と目が合った途端に顔を真っ赤にした挙句、ゆっくりとシェディ様の陰に隠れてしまう。
どうやら、先程の事を気にしているらしい。
まあ、血の繋がった家族を傷付けようとして、しかもそれが殺す気だったからね。結果的に、シェディ様も僕も無傷だったから良かったけど。
「……セルクお兄様。お姉様のお願い、聞いてあげて?」
ようやく絞り出した声は、シェディ様の後ろからかすかに聞こえてきた。
けど、そのお願いは聞けない。そりゃ、さっきはちょっと、例外だったけど。今は平常時なわけで。
さすがに、平常時を例外と言い切るような勇気は、僕には、無い。
魔族領は、空気中の魔力濃度が高い。逆に、人族領の魔力濃度は低い。
魔族領に入った人族は、濃すぎる魔力に慣れていないために中毒を引き起こす。しかし、魔族は人族領に入っても特に異変は起きない。
これこそが、人族の多くが魔族を恐れる理由の1つだ。
だが僕みたいに、生まれも育ちも魔族領の人族は、余程魔力濃度の濃い場所でもない限り中毒は起こらない。要は慣れなので、僕自身、ここは魔力が濃いですね、とか感じた事は一度も無い。
魔力の濃度はともかく、人族と魔族の違いはこれ以外にもある。
有名なのが、その魔法適性だ。
魔族領だろうが人族領だろうが、人族がマトモに魔法を使える事はめったに無い。攻撃魔法1つとっても簡単な攻撃魔法が使えるかどうか、といったところだ。
だからこそ、生まれたばかりで魔力を大量に持っていた僕は、お父様に期待された。
クロヴェイツ王国。
魔族領において、人口のほとんどが人族で構成された、人族国家。獣人や亜人は差別対象にされ、優れた人族が劣った人種を見下す国。
魔族領における、人族三大国家と呼ばれる国の1つだ。
とても、居心地の悪い場所。王族の三男として生まれた僕は、城の一室で常にそう感じていた。
気持ちの悪い視線と、蔑むような眼差し。明らかに悪意に満ちた笑顔に囲まれる生活。思えば、その状況は僕が望んでいたかもしれない。
―― 追放という、状況を。
いくら魔法を習っても、マトモな魔法1つ使えやしない。魔力は魔族よりもあるのに、魔法が使えないのでは話にならない。
期待の眼差しが失望に変わるのに、そう時間はかからなかった。
魔法学校に入れば、あるいは。そう考えたのだろう。父王は、国からかなり離れた、寮のある学園に僕を入学させた。
それはきっと、最後の期待の表れだったのだと思う。
入学して1年、僕もがんばって魔法を使おうとした。けど、結果は知ってのとおり。僕自身の持つ魔力の性質が原因で、一向にマトモな魔法1つ使えなかった。
だから、離縁されたのだ。
セルク=アヴェンツ。僕の名前は、元々偽名だった。最初から、王族としては入学しなかった。表向きの理由は何十個も聞かされたけど、本当の理由なんて、1つしかない。
『お前は役立たずだから捨てる事にした』
セルクは本名の愛称で、アヴェンツは貴族の家名。偽名が本名になった事は、無駄に豪華な装飾の施された公文用紙に、短い文章で書かれていた。
父の筆跡に、王族しか使用を許されていない魔法の判子が押印されていた。
公式の、文書だったのだ。
アヴェンツは、既に没落して時間の経っている貴族の家名。今じゃそれを知っている人もほとんどいないだろう。父王がまだ10代の頃に没落したらしいが、それなら覚えていても良かったと思う。
先日、僕宛に、お父様からの手紙が届いた。僕が魔法を使えるようになって、誘拐されて、師匠に助けてもらってから少し経ったある日の事だ。
呆れた事に、僕の事を忘れていたらしい。
簡単に内容を言えば。人族であるセルク=アヴェンツを、宮廷魔術師として召喚する、だってさ。
それはもう、丁重にお断りしたよ。
文面からして、明らかに僕の事を覚えていないようだった。挙句、僕が宮廷魔術師になる事が、既に決定事項のように書かれていた。
丁重にお断りしましたとも。
絶対に嫌です、ってね。
まあ、学園長先生にその手紙を添削してもらったら、にっこり笑っていたけど。
その後、僕のお返事がどうなったかは知らないけど。
あの学園長の笑顔が、黒いオーラに包まれていたような気がしないでもないけど。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
僕は営業スマイルをにっこりと浮かべ、かしずいたままシェディ様方を見上げた。本来、平民が王族を見る事は許されない行為だけれど。
だが、目を逸らすとシェディ様がお怒りになるだろうから、顔を真っ直ぐ見据えておく。
僕の質問に言葉を詰まらせたのは、シェディ様だった。彼女はゴクリとつばを飲み込み、俯いてしまう。あれ? 僕、怖い顔でもしたのかな。師匠を真似た、完璧な営業スマイルだと思うけど。
とはいえ、社交辞令の笑顔くらいは、偽物だと見抜けるのだろう。けど、それで言葉を詰まらせる理由が思いつかないなぁ。
「もう、良いでしょう。セルク、他人行儀はやめてください」
彼女達の更に後ろから、赤茶髪にヒスイ色の瞳をした青年が現れる。黒を基調とした執事服を身に纏う、メガネのよく似合う青年である。
彼はサラサラの髪を後ろで結い上げ、凛々しい顔つきで僕を見下ろした。
何せ背が高い。かしずいていようがそうでなかろうが、10代後半の彼は僕よりずっと背が高いのだ。
……容姿が少し、ヴィッツさんとダブって見えた。
「例外は、増やさぬべきだと思いますが」
「俺達だけでいる時点で、既に例外ですよ。が、まあ、貴方が頑なな事は知っていますから。命令にしましょうか。セルク、この場で『追放令』を撤廃します」
「そのような権限が、貴方におありなのですか?」
「王よりも王妃の方が権力は上ですからね。王妃の命令ならば、仕方ないでしょう?」
にっこり、優雅に微笑むと、僕の頭を優しく撫でる。とても懐かしそうに、とても優しく。
「……お兄様、以前よりもしたたかになられました?」
「王妃、母上がしたたかなのだから、息子である俺もしたたかになるのは道理ですよ」
会話を続けながら、僕の頭を撫で続けているお兄様。
幻覚と変装で右に並ぶ者のいないとされる、幻想の二つ名を持つ青年。それが― ローグアーツ=ウィル=クロヴェイティ ―。
愛称はログ。今は19歳で、師匠よりも年上である。
ログお兄様はクロヴェイツ王国の第一王子だ。
「久しぶりですね、セルク。シェディから逐一報告をもらっていましたが、元気そうで良かった。偶然ですが、お忍びで付いてきて良かった」
「ああ、お忍びだから、その髪色なのですね」
お兄様、というより、僕達兄妹は全員の髪が銀色だ。父はくすんだ金髪なので、誰か1人は金髪の子がいても良いと思う。
だが、よほど母の遺伝が強いのか、兄妹の髪は全員銀色。父親の遺伝が強いのは目の色くらいだ。女性であればかわいらしく、男性であれば中性的な容姿になるのは、母に流れる王族の血が強いという事なのだろう。僕も何度かは女の子に間違われたし。
お兄様は、背が高くて凛々しい顔立ちだけど、どちらかというと中性的である事は変わらない。僕もこんな感じに育つのかなー。
そんなお兄様は、銀髪がどうしてか赤茶色になっている。実を言えば、一目見た時からお兄様だと気付いていた。けど、執事の格好をしている時点でお忍びである事は察していた。
大方、シェディお姉様達だけだと不安で付いてきたのだろう。加えて、実は銀髪って、魔族領でも人族領でも少ない。きっと3人も揃っていると目立ちすぎるだろうからと、自分だけ別の色にしたのだ。きっとそうなのだ。
お兄様は体格や姿勢は良いのに、その、兄妹に対して異様に心配性なので。
だから、今まで気付かなかったフリをしておこう。無難に返して、変な返しが無いようにしておこう。
ここで気付いていましたアピールをしようものなら。
ぎゅっと抱きしめられて、褒めちぎられて、頭を撫で回されるに決まっているのだ。
お兄様は細身の割に力が強いので、押しつぶされてしまうに違いない。ガクブル。
「ところで、そろそろ頭から手を離してくださいませんか」
「え、何故? 俺はシェディよりもセルクを見かける機会に恵まれなかったのに。せめてあと一時間」
「長いです! 僕の髪がぐしゃぐしゃになっちゃうじゃないですか! っていうか、もうなっているじゃないですかぁ!」
ログお兄様に対して頬を膨らませれば、僕の頭から柔らかい感触が消えた。
心配性で兄弟大好きなお兄様だから、僕がちゃんと嫌がればやめてくれる。うーん、最初から嫌がりそうだ事を考えてくれれば、本当に良い兄なのだが。
第一王子で政にも聡く、魔法だって常人より優れている。
これで、兄バカでなければ完璧である。兄妹のためなら国庫も開ける、そんな人でなければ。
「それで結局、何の御用ですか!」
「え、会いに来たかったから、ではダメなのかしら?」
「ダメなのかな?」
「私が考える限り、ダメではないと思いますけれど」
ログお兄様は腕を組み、シェディお姉様は頬に手を当てて微笑みながら。どちらも「?」マークを頭上に浮かべている。
……そうだった。
ログお兄様もさることながら。
シェディお姉様も、兄妹LOVEな人だった!
自身を傷付けようとしたシャルルを、即座に許せるほどの兄妹LOVEなお人なのだ!!
2人は「?」を頭上に掲げたまま、とても楽しそうにしている。彼等の周囲だけ、謎のオレンジ色の空間が形成されてしまっていた。
桃色空間なる言葉は知っているけれど、橙色空間は聞いた事が無い。
家族特有の空間なのだろうな。うん。
「ね、ね。セルクお兄様」
「何、シャルル」
「ログお兄様とシェディお姉様って、時々ああなるの。何で?」
あれとは、橙色空間を示しているのだろう。シャルルは呆気にとられ、先程までの怯えがすっかり消えたのか、シェディお姉様から離れて僕に話しかけてきた。
まったく、この2人と来たら。大事な妹に呆れられている事に気付いているのかも怪しいや。
……ああ、変わらない。
シャルルは4歳のお誕生日以降、会っていなかったけれど。お姉様もお兄様も相変わらずだ。とても優しくて、時々残念なところは、特に。
僕が学園に入学する4年前と、何も変わらない。
シャルルの5歳の誕生日は、ちょうどその一ヶ月前に追放されたため、出席できなかった。とはいえその前に見ていたシャルルはとても素直な子だったので、先程の豹変ぶりには驚いたよ。
今は元に戻っているようだけど、いつまた癇癪を起こすか気が気で無い。
ほんのちょっとだけ、気付かれない程度に離れておこう。
「そういえば、何で3年も経った今になって、追放令が撤廃されたのですか?」
「ああ、その事ですか。母上が病弱なのは、セルクも知っているでしょう。その事もあって、母上にはセルクの事が伝わっていなかったのです。そうでなければ、3年もあの母上が放っておくわけが無い! あまり心配させぬようにと、俺がセルクの現状を話していなければ、まだ……」
お兄様達の兄妹LOVEは、お母様から受け継がれた物だ。お母様とお父様は政略結婚で、仲はそれほどよろしくない。それでも僕達がいるのは、お母様が子供好きだったからである。
お母様は病弱で、それでも、僕達に惜しみなく愛情を注ぐ人だ。まれに、僕達に構いすぎたせいで体調を崩してしまうほどに。
そんなお母様が、一度も手紙を送ってこない事に違和感を抱いていたものだけど。
ああ、お父様が邪魔していたのかな。
お父様は完璧な実力主義者。それこそ、血が繋がっていようと、弱ければ平気で処刑までしそうな人だった。僕は追放されただけで済んだ、と考えるべきだろう。
そんなお父様は、僕の事を忌み嫌っている。記憶の中の彼は、いつだって恐ろしい形相で僕を睨みつけてきたのだ。黒いオーラも放っていた事から、あれが「嫌っていた」以外に表現出来るのなら教えてほしい。あの頃は、少なくとも僕を見てはいたのだが。
好きの反対は無関心とは、よく言ったものである。
記憶の最後にあったのは、そこらにある石を見るように、僕の事を『見ない』彼だったのだから。
「―― というわけで、セルクにお願いしたいのです」
「え、はあ」
あ、まずい。お兄様のお話が長くて、つい聞き流してしまった。やけに真剣な表情をつくっているお兄様だけど、何をお願いされたのだろうか。
「ログお兄様、それではセルクが分かりませんわよ。セルク、実は最近、我が国で不穏な動きがあります。その沈静化のため、一度戻ってきてくれないかしら?」
「沈静化、って。クロヴェイツはそれなりに治安の良い国ですよ? 暴動か何か起こったのですか?」
「うーん。暴動。そうね、暴動です」
「でもね、でもね、セルクお兄様。どちらかというとね、夫婦喧嘩になりそうなのよ」
「……ふう、ふ? えっ、まさか、お父様とお母様が、ですか?!」
「お父様とお母様はね、前から仲が悪かったの。でね、でね。セルクお兄様の事を知ったお母様がね。もう怖くて。怖いのと、寒いのと。もう、怖いの」
ガタガタと震えながら、シャルルは語る。
要するに、お母様がお父様に愛想を尽かしたから、お母様がお父様に対して暴動を起こした、と。以前から親同士の仲はよろしくなかったが、まさか騒ぎになるほどのケンカを始めたというのか。
た、たしかにそれは、大規模な夫婦喧嘩だ。
しかも、その原因が僕なのか。お母様の怒りが爆発するような事をしたお父様も命知らずだけど、それを隠していたから事態が動かずにいたのだろう。
魔法を使えなかった僕も悪いけど。お父様も、あの温厚で知られているお母様を怒らせるなんて。うん、ある意味凄い人だと思う。
僕がうんうん唸っていると、シェディお姉様が僕の手を取った。
「全面的にお父様が悪いですわ」
シェディお姉様は、女神様のような微笑を浮かべる。
「それには同感ですね。母上のビンタ、俺が引き受けたかったくらいです」
ログお兄様は手袋をはめた手で、力強く拳を作る。
「セルクお兄様のこと、悪く言ったの。今思えばね、物凄く腹が立つの!」
シャルルに至っては無意識の内にメラメラと炎を散らしていた。
どうやら、僕が俯いて、落ち込んでいるように見えたらしい。それで、僕には何の責任も無いと主張してくれたのだ。
お姉様達が心配してくれるのは嬉しいけど、実際問題、どうなのだろう。たしかにお父様は酷い仕打ちをしているので、明くか正義かで言うと、少なくともお母様達基準では絶対悪だ。でも、そのきっかけに僕がなってしまっている事に違いは無い。
ついこの間まで魔法が使えなかった事そのものは、劣等生だ無能だと呼ばれても差し支えない事実。
「いいですか、セルク。母上が俺達を愛してやまない事を知っていたにもかかわらず、セルクが魔法を使えないというだけで国外追放を決断した父上。誰が悪いかは一目瞭然です」
「あー、そういう事なら、悪いのはセルクの親父さんだなぁ」
「そう! 父上の独断こそ、断罪すべきなのです! そもそも権力は母上の方が上だというのに、独裁政治的な行動をとっている父上こそが――」
ついつい熱の入ってしまったお兄様に、愛想笑いを浮かべた『師匠』が相槌を打つ。お兄様はオーバーな仕草でもって説明しているけど、会話の内容はお父様の愚痴なんだよね。
役者がかった芝居で、師匠を困らせないでほしいなー。
……ん。
…………あれ。
………………師匠?
「分かってくれますか!」
「血の繋がった家族を追放するなんて、酷いやつですねー」
「そうなのです! あいつは――」
「ちょっと待って、ログお兄様。
……何で師匠がここにいるんですか?!」
僕は驚きのあまり、叫んでいた。
いつの間にか、師匠がそこに立っていた。扉が開いたような音も歩いたような音もしていないのに、何故かログお兄様の隣に彼は立っていた。
おかしな事に、ログお兄様はそれほど驚いていない。
あれっ、僕の目がおかしかったのかなー? なんて考えたけど、シェディお姉様とシャルルが口を大きく開いてびっくりしているので、きっと僕の目も耳も正常である。
ログお兄様はあれだ。幻覚魔法に精通しているから、師匠がいつの間にか入って来た事にも気付いていたのだ。もっとも、そうすると何で今までその事に触れなかったのかが気になるけど。
師匠は愛想笑いを浮かべたまま、口を開く。
「何でって、夕飯の時間を知らせに来たからだけど?」
「―― えっ、もう、そんな時間でしたか」
窓の外を見れば、空から太陽の光がすっかり消えている。感覚的にはそんなに長く会話していた気がしないけど、どうやら、お兄様のお話がかなり長かったようだ。
僕の体内時計が狂っていたとかじゃないと、そう思いたい。
「あ、そうだ。フィリップが、夕飯を作りすぎたって言ってたわ。お兄さん達にも食べてもらえるよう交渉してくれ。イユが帰っている今、あの量を消化しきれるとは思えないから」
「えっ、あ。えっと」
僕は、反射的にお兄様達へと目配せする。シャルルとシェディお姉様は、僕の視線をそのままログお兄様へと流し、お兄様に回答を委ねた。
お兄様はふむ、と顎に指を添えて考える。
すると、指をパチンと鳴らして、その次に「いただきましょう」と付け加えた。
うーん、本当、重度のブラコンでなければ、完璧なんだけどな、この人。
一挙一動が無駄に格好いい。
師匠はその動作に惑わされない数少ない人間のようだ。フィリップさんにその事を伝えようと、何も起こらなかったかのようにドアへ手を掛けていた。
しかし、はたと気付いて、こちらへ向き直った。
その視線の先にいるのは、お兄様、かな?
「ログさんだっけ。例の返答はイエス、だ」
「ああ、それは良かった」
2人とも意味ありげに微笑むと、師匠はこの場を後にする。
例の返答? 僕よりも前に、師匠と話していたのだろうか。まあ、試練の時も一緒になっていて、コリアさんにご馳走になっていたし。あの時に何か話したのかも。
それにしても、何を話していたのだろうか。
気になるなぁ。
「さあ、行きましょうか、セルク。ここの料理は、安いのに高級料理店より美味だと伺っています。ふふ、楽しみですね」
「何より、セルクと一緒に食べるお食事が久しぶりです。お母様にもお話して差し上げなくては」
「あっ、私も! 私もお母様とお話するぅー」
僕の疑問は、明るく騒がしい兄弟達に押し流される。
お兄様の事だ。師匠達に何か迷惑をかけていないといいけど。
……かけていないよね、お兄様?
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