56 どちらが上で下なのか
無駄とも思えるポーションの多量摂取。
それにより、メンバーは随時体力を回復させつつひたすら階段を上っていた。
想定よりも高い熱に気を失ってしまったが、今はとても気分が良い。身体と心が一致していないような、そんな浮く感覚がある。
揺れが酷くならないように走っているテレクの背は、思っていたよりも逞しい。
「……今、何階?」
「あっ、スイト君起きた!」
薄目を開く俺にわざとらしくテレクが叫ぶと、それまで走っていた面々の足音が止む。
ああ、ずっと目を瞑っていたから、視界がぼやけていて暗い。何も見えない。
けど、この背はテレクだ。間違いない。現にテレクの声が身近に聞こえてきたし、俺を下から支える手の形が、かつて交わした握手の感触と同じだから。
万が一にも俺が落ちないよう、ロープで固定しているらしい。それであまり揺れないって、凄いと思う。階段と平地が同じような揺れなのだ。
電車の揺れに通じるものがある。
「スタート地点から、約250階層は上がってきたよ」
「……あー。俺、どのくらい寝てた……?」
「丸1日くらいじゃないかな。気分はどう?」
「悪くはない。けど、もうちょっと、このままでもいいか。ふわふわする……」
「了解。言われなくても運ぶつもりだったけどね」
にしし、とテレクは笑って、今度はゆっくり歩き始めた。
「師匠、大丈夫ですか?」
「んん……この状態だと、大丈夫じゃないって事になるけど、まぁ大丈夫だ。」
何回か目をこすってみるが、ぼやけるばかりで一向に景色が見えない。ただ、右を向けばセルクの銀髪っぽい色だけは見えたので、確かにそこにいるのだと分かる。
背丈的にも、女王様じゃないはずだ。
セルクは俺の手に触れ、両手で包み込んだ。俺の手は冷たくなっていたらしく、セルクの小さな手はとても温かく感じられる。
「良かった。です。ずっと、目が覚めなくって。もう、目を覚まさないんじゃないかって……っ」
「あぁ、悪かった。目測を誤った。いつもより高いとは思ったけど、倒れるほどだとは思わなくて」
「えっと、師匠。失礼ながら問いますね。熱を出すのは、いつもの事、なのでしょうか」
「タツキ曰く、俺は意外と病弱らしいぞ。月に一度は熱が出て、たまに倒れて3日寝込むから。でも風とかは引かないし、病弱とは違うと思うけど」
虚弱と言うには体力が高い方だし、病弱と言うには熱が出る以外で病気らしい病気になったことが無い。とてもじゃないが、病弱とはまた別のものじゃないかな。
俺がそんな事を考えている内に、視界が段々とハッキリしてきて、セルクの顔もよく見えるようになってきた。相変わらず薄暗い中で、セルクが目元を赤く腫らしているのも、よく見えた。
「……心配、かけたな」
「っ、本当ですよ! 何でも無いような顔をして、イキナリ倒れるなんて……っ。物凄く、驚いて、僕、僕は……ッ!」
セルクが強く手を握ってくる。握られた俺の手が、少し痛む。
本当に、とても心配をかけてしまったらしい。タツキやツルにも、こんな顔をさせた事があったな。二度とあんな顔にはさせないって、あの時誓ったのに。
ああ、異世界に来て、俺以外にあっちから来た奴が、今いなくて。
だから、油断した。してしまった。
二度と誰にもさせたくない顔を、させてしまった。
胸の辺りが、とても重く感じる。思いついた言葉を出そうとしても、言葉がつっかえて、たったの3文字でさえ喉から先に出てこない。
でも、言わなければならない。
俺は何度か口をパクパクさせながら、ようやく、短い一言を放った。
「ごめん」
「スイト君さぁ、軽すぎると思うよ」
「急に何の話だ」
場所は変わってセーフゾーン。
俺が謝った後はしばらく空気が重くなっていたが、時間経過と共に薄れて行ってくれた。ありがたい。
それはともかく、急に増えたメンバーもさて置いて、唐突な台詞に俺は眉をしかめた。
セーフゾーンは、何もしなくてもモンスターが発生しない空間の事だ。モンスターがいるような気がしても、どういうわけか安全な場所。それがセーフゾーン。
最下層よりも随分と広い印象を受ける中央の広間部分で、俺達は休憩していた。
相変わらずじめじめしていて薄暗いが、俺の魔力を外に出す事で発光させ、光を足してある。蛍光灯などと比べると不安定な光だが、まあ無いよりはマシだ。
俺の魔力は薄紫色のようで、光の色もほんの少しだけ紫がかっている。
そんな不思議な光に照らされたテレクの言葉だった。
「だってほら、服がどれだけ軽くても、本人の重みってあるはずでしょ。加えて全く力を入れていないから普通はかなり重く感じるはず。でもさっき背負った感じだと、多分、セルク君でも持てそうなくらい軽かったわけですよ」
「それは……イユの仕業じゃないか?」
服に着用者軽量化の魔法陣が刻まれていてもおかしくない。魔力の通りやすい糸で魔法陣を刺繍すれば、周囲の魔力か着用者の魔力で、常に発動するのだ。
「いやいや、ここがどこか思い出してよ。ここは魔法禁止エリアでしょうが」
「……ああ、そういえば」
「そういえばって」
「俺にとっては、魔法が無い事の方が日常だったし。16年間ずっと魔法が無い世界で暮らしてきたから、この状況への順応が早かっただけだ」
俺は呆れ顔のテレクに答えつつ、横から差し出されたお椀を受け取った。
ん? この香りは。
「豚汁!」
「わ、食いつき良いな?! びっくりした。こっちの世界にもあるだろうに」
見知らぬ青年は、俺にお椀を差し出した形のまま、一瞬だけ身体を強張らせた。
「こっちの豚汁は、何と言うか上品過ぎる気がして。わぁ、この、栄養バランスを考えているのかいないのか、見た目じゃ分からない具沢山のこの感じ。懐かしいなぁ」
「たしかに、これ一杯でお腹が満たされそうですよね。僕達は100階前でシチューを食べましたし、尚更ですよ」
と、緩んだ顔でお椀を眺めるセルクは、お腹をくぴゅぅ、と鳴らして顔を真っ赤に変えた。美味しい物の前だと、少し食べた程度じゃお腹が空くのだ。
それに豚汁というのは、見た目からして味は濃そうだし、たっぷりの油が浮いている。これを知らない者が見れば、匂いだけが良い得体の知れない泥、みたいに見えるらしい。
泥に見えるといえば、カレーとかもたしかそうだな。
よし、無事に帰ったら、カレーを作ろう。そうしよう。
「……美味」
「あらあらまあまあ。見た目はアレですが、味はとてもよろしいですわ」
女性2人には大好評のようで、早速おかわりを要求していた。ついさっき手渡されたばかりのはずだが、食べるのが早い事で。
うん、美味い。このトロッとしたコクが、胃の中まで熱さを届けてくれるのだ。
飲み込んだ瞬間に全身へと広がっていく熱が心地良い。
普段は行儀が悪いから、とやっていなかったが、箸を使ってたくさんの具を一気に搔き込んだ。ひつまぶし然り、ハンバーガー然り。時には下品に見える食べ方が、最も美味しく食べる秘訣だったりするのだ。
加えてこの、味噌特有の香ばしい香りが更に食欲を掻き立てる。
さっきまで高熱を出していたはずなのに、食べれば食べるほどお腹が空くような感覚さえある。
「ご飯いるか? 一応あるけど」
「食べる!」
「まだ食べるんですか師匠?! やめておいた方が」
「いやいや、雑炊みたいに、豚汁の中へご飯を入れて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてからかっこむのが美味しいんじゃないか!」
「ええっ」
結局、豚汁雑炊は全員が試して、大好評だった。
「こんなに食べるのに、何で、こんなに軽いかなぁ」
テレクの溜め息は、この際聞かなかった事にしよう。そうしよう。
それよりも、先を急がなければならない。俺が思っていた以上にハイペースなようだが、それは俺が倒れたからだろうし。俺があまり動けない分、ちょっとペースを落としてもらうか? 時間はかかるが、全員が疲れて結局ロウペースになるよりはマシだろうから。
ただ、全員の目に何か、妙な生気が宿っているのが気になるな。何があった?
「さて、聞いてほしい事があります」
「あ、おう」
そういえば、こいつ誰だっけ。
真っ白な艶の無い髪を跳ねさせて、青年は俺に話しかけてきた。柔らかな笑みを浮かべた彼は、俺と同じくらいの背丈である。赤と白の戦闘服は、まるで1つの芸術品だった。
腰には、刀の納まっていない鞘がある。
その横に、フィオルを髣髴とさせる真っ白な髪の少女が佇んでいる。
髪型や雰囲気が、フィオルとそっくりな少女だ。フィオルよりも強く貫禄を感じるが、ナユタと違って、妙に存在感が薄いような?
「まずスイト、さん。見た目年齢はそっちが上なので、敬語使いますね。俺はナユタ。この世界では、戦の神アーストレーガで名が通っています」
「……おう?」
俺はまだ少しだけ働いていない頭を起こして、知識の棚を開けていく。
アーストレーガ。背丈は成人を迎えていない、非常に若い青年として描かれる事の多い神だ。白き刀でもってあらゆる戦を終結に導くという。炎の眷属神であると同時に、自由と平和の女神ヘスカトレイナの眷属神でもある特殊な神だ。
四大属性神が一柱、炎の神の眷属神にして、かつて剣神と呼ばれた「人間」が神と化したらしい。
彼は実年齢や身分ではなく、見た目の年齢で言葉遣いを分けるのか。ふぅん。
「率直に言えば、ここから100階ほど上がった位置に迷宮を構成する魔法。それも魔法禁止の結界を張っている魔法陣があり、その近くに、まだ使える転移魔法陣があるようです」
「……という事は、魔法禁止の魔法陣を壊せば、転移魔法陣も同時に使えるようになる、と」
「はい、その通りです!」
ナユタは目をキラキラと輝かせて、ずい、と1歩近寄った。
「俺、魔法はあまり得意じゃないですけど、魔法の感知は凄く自信があって! 他にも幾つか妙な魔法陣はあるみたいだけど、魔法の種類はそれであっているはずなので!」
「お、おぉう?」
更に1歩近寄ってくるナユタ。
ちょ、近い。
目と鼻の先に、ナユタの瞳がある。
鼻息がかかる程に、近い!
「……あ。すみません。こう、普通よりも濃い漆黒の髪と目をした、艶サラヘアの人って、妙にキラキラして見えるというか。つい褒めてもらいたくなるというか」
ハッとなって、顔を真っ赤にしながら後ずさるナユタ。
何だろう。彼の頭とか背中の方から、犬耳と尻尾が見える気がするのだ。しかも絶賛尻尾フリフリ中。
うーん、神様と言われて、納得するほどの存在感はあるのだが。そう、あるのだが、それ以上に人間くさいというか。神様というより、将来有望な後輩を見ているような感覚に陥る。
こういう感覚って何て言うのだったか。
もどかしい? んん……分からん。
「ナユタ、完全に手懐けられていると思うよ、それ。こりゃアスターに文句の1つでも入れにゃ……」
「イニア? 今何か、見逃せない単語が幾つかあったような気がするぞ? アスターさんに文句って、今時勇者でもしないような禁じ手だろうが!」
イニア、と呼ばれた少女が、不機嫌そうな顔でぺしぺしとナユタの肩を叩く。背が低いから、どうがんばっても肩くらいしか叩けないようだ。
その少女から、とても気になる単語が聞こえた。
アスター? 神様でアスターと言えば、規律と犠牲の神アスタロットのはず。戦の神は、階級ではアスタロットの4、5段階下の階級。普通ならアスタロットの命令遵守であり、愛称で呼ぶなんて、どうやっても許されない階級差だ。
どんな関係性だろう。
ヘスカトレイナならまだ色々考えられるのだが、アスタロットとなると全く関係性が見えてこない。
「コホン。ともかく、体力のみ回復出来るポーションはかなりあるみたいなので、早速向かいたいと思うのですが」
「ああ、分かった。行こう」
「そうだ、師匠はテレクさんに乗ってくださいね!」
出発直前になって、セルクが俺に人差し指を突きつける。その横でナフィカはコクコクと頷いているのだが、それは俺がテレクに背負われる事に賛成しているって事なのかね。
「いや、それはいいよ。重いだろうし」
「スイト君、真面目に頼むよ。背負われてくれ。正直、セルク君より君の方が軽いと思う」
はぁ?
セルクは俺よりずっと背が低いし、そもそも年下だぞ。さすがにそんな事は……。
……無いよな? テレクがかなり真面目な顔で、怖いのだが。
これは、背負われた方が良さそうだ。問答で時間を潰すのは不本意だし。
そういうわけで、俺は背負われた状態のまま楽に階層を上がっていく。たまに敵と遭遇しても、ナユタが文字通り瞬殺を決めてずんずん進んでいく。
正直、身体のだるさは消えていなかったから助かる。ただ、この疎外感が何とも言えないのだ。せめて、自分で歩ければ……。
そんな悶々とした心持ちのまま、更に100階層上に辿り着いた俺達。
今まで階段の先には廊下が続いていたはずなのに、そこにあったのは古びた金属製の扉だった。扉には、何やら魔法陣のようなものが刻まれている。発動はしていないようだが。
えーと。
「空間、雷、限定解除、閉鎖? 古い型の魔法陣だな」
「んん? あぁ、これはあれだね。いわゆる自動ドア。特定の人だけを通すように組まれた魔法陣、だね。一部風化で使い物にならなくなっちゃっているけど、自動ドアの魔法陣だよー」
自動ドアか。なるほど、下から出てきた囚人には通れないようにする工夫かね。
俺の感知では、この先にモンスターはいない。加えてセルクやナユタまでもが俺と同じ意見である。モンスターはいないらしい。
俺だけならばともかく、その場の全員が危険無しと判断したのだ。俺、というかテレクは安心して、扉に手を掛けた。
が。
「……えっ、あ。待ってください、テレクさん!」
「分かっているよ。殺気、だねぇ?」
扉がほんの少し押された瞬間に、肌を刺すような感覚が走った。それまで無かったモンスター特有の気配が、扉の先に現れたのである。
当然、扉にかけていた力を緩めるテレク。
「予想外だなぁ。さっきまで全く存在が感じ取れなかったし、ゴーレムの類かな?」
「あの、これ。噂に聞く階層ボス、という奴でしょうか?」
セルクがおずおずと尋ねてくる。その視線は俺のみに向かっており、おそらくこの中で最も博識(年齢的な意味で)なナユタではなかった。
ナユタが、背中で泣いているような気がする。
「そうだな。このダンジョンは出来たばかりだし、いなくてもおかしくなかかった。ただ、元々ここにあった防衛機構があったら」
ダンジョンでは、特定の階層に中間ボスが出てくる。1階層丸ごとボス部屋であり、ダンジョンごとにそのボス部屋の広さ、ボスの強さなどは変化する。
ボスとなるモンスターは、ダンジョンに現れるモンスターと似た傾向となる。たとえばここなら、死霊系が普通だ。ただ、元が監獄である事を踏まえると、そこに脱獄防止用の防衛機構があってもおかしくない。出来たてほやほやのダンジョンではボスが生まれづらいが、元々ある物を流用するなら話は別だ。
ナユタが推測したとおり、ここのボスはゴーレムなのだろう。ダンジョンの影響でモンスターと化した、人の手を離れてしまったゴーレムが。
「死霊系じゃないなら、神聖系の武器はやめておこう。攻撃力が足りない」
「じゃ、どうするの? どう考えてもボス部屋じゃん? 私達がここに着いた途端に起動したし、かなりの高性能ゴーレムのはずだけど。普通のにする?」
「んん~……。それでも足りない気がするな。もっとも、それ以上だとここら一帯がけ……おっと。うん、普通にしよう。イニア、頼む」
「オッケー。よっと!」
イニアは跳び上がると、自らを光の粒子へと変え、次の瞬間には刀へと変貌していた。
その刀は、教科書などに描かれているような刀ではない。持ち手から刃の先端まで、全てが漆黒の刀である。刀を打った時に現れる波模様も無い、飾り気も全く無い、シンプルな脇差だ。
普通。普段使いという意味だろうか。
それ以外だと、ここら一帯が、け、け……消し飛ぶ、とか? いやいや。
神様ならありえる威力なのかもしれないが、刀でここら一帯が消し飛ぶ威力があるってどういう事よ。
ゲームの話だろ。あの、攻撃力99999とかのバグ系武器。
……ナユタが冷静な神様でよかった。
ほら、神様によっては、少ない犠牲で大きな物を守ったとか言って、軽く国1つを滅ぼす奴とかいるじゃん? 小説の中ではたくさんいたぞ?
とりあえず、ほっ。
「よし、じゃあ、扉を開けたら俺が敵を倒しに行く。加減が出来る相手だと良いけど」
「僕もサポートに回っていいかな? 足手纏いになりそうだったら、普通に後方支援に回るから」
「助かる! とはいえそのナイフじゃなぁ」
「あー、じゃあ、俺の剣を使えよ。テレク」
「え、いいの? 壊しちゃうかもよ?!」
「良い刀だし、貰い物だけど。いいぞ」
俺は、腰に差してあった刀を手に取る。無茶をしても、全く曲がらなかった強い奴だ。強度、攻撃力共に申し分ない。
戦の神であるナユタが、興味津々といった様子で俺の刀を見ている。穴が空きそうな勢いで観察しているが、ごめん、これは俺のだ。
「折れても返せよ」
「そ、そりゃもちろん。折らないようにがんばります」
「あはは、折れても俺が直してやるよ。設備があれば、何とかなる。こう見えて鍛冶の神の眷属神だし。腕はある程度保障する!」
屈託無い笑みを浮かべるナユタに、何と無く場が和んだ。
ボスかもしれない。という事が分かったところで、みんな緊張していたのだ。俺も含めて、全員である。歴戦の勇士でも、緊張はするのだろう。ナユタだって、空元気に近い笑顔だった。
けど、自分の身よりも刀の心配をして、適度に緊張はほぐれてくれたらしい。戦わないはずの俺がかいていた冷や汗は、すっかり引いていた。
「セルク君、スイト君は頼んだ!」
「はい! 師匠は僕が守ります!」
「さすがに自分の身は自分で守るぞ?!」
他愛も無い会話は、これまで。
笑顔のテレクとナユタを送り出し、俺達は扉を開ける。
そこには――
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