52 夢は現の鏡なり

 ― ハルカ ―



 どうも、こんにちは。ハルカです。


 今回は、私の夢の話について、少しだけお話に付き合ってください。


 クロヴェイツ王国に来てすぐ、私達はスイト君達と分かれた。そこから私達は、大人数で泊まっても大丈夫そうな宿に的を絞り、尋ねていった。

 長丁場になるかな、と思っていたけど、国の状態のせいか宿はどこもガラガラで、閉店休業状態だった。私達が入った1軒目の宿で、あっさりと泊まる事が決まったの。


 ここまではね、問題無いの。ここまでは。


 ただその後、私の召喚獣であるドルチェが耳をふこふこさせたり、預かっているスイト君の召喚獣のノエル君がそわそわしたりし始めた。

 何事かと思ったら、急に眠気が襲ってきて。

 ちょうど2階の、私に割り振られた部屋に入った所だったし、目に付いたベッドに倒れこんだの。


 うん、そう。

 私は眠った。そう、自分で理解している。


 けど、気が付くと、私は宿屋の1階にいた。

 でも、あれだよ。宿屋はね、歴史のありそうなちょっと古めの木造建築で、普通に茶色だったはずなの。それが、どこを見回しても薄い緑一色になっている。


 というか、覚えている限り、その場にあった色の全てが反転していた。

 ほら、赤の反対って緑じゃない。金色の反対が黒ずんだ青紫っていうのが気持ち悪いけど、概ね私の視界に映っている物は、色が反転していた。

 ついでに、どこを見ても人がいない。女将さんや、厨房にいたはずの息子さん。一緒にいたはずのマキナちゃんやセルク君も、どこにもいないのだ。


 うん。


 えっと。


「何が起こったのさ?!」

「うるさいな、それはこっちの台詞だよ!」


 衝動的に叫ぶと、隣から声が聞こえてきた。

 するとそこには、10歳くらいの男の子がいた。


 その子の色はマトモだ。白人系の肌に、透き通った緑色の瞳。黒い髪の毛は短めで、クセ毛なのか、よく跳ねている。

 見るからに生意気そうな顔である。


 黒いベストに白いワイシャツを合わせ、下は7分丈のデニムを履いた男の子。上着は細かい刺繍の入ったボタンの無いパーカーで、靴は茶色の革靴。


 色々と観察している内に、ちょっとだけ落ち着いた。

 私は彼と目線を合わせるために、少しだけ前かがみになる。


「えっと、君、名前は?」

「人に名乗らせる前に、自分が名乗れよ。マナー違反だぞ」


 ぷいっとそっぽを向く男の子は、至極当然の事を口にする。たしかに私も正論だとは思うけど、いかんせん態度が悪い。せっかく混乱が落ち着いたのに、今度はイラついてきた。

 それでも、私はにっこりと笑顔を浮かべて口を開く。


「……ハルカ。長谷川晴香。はい、名乗ったよ。君は?」

「ふん。僕に名前は無いぞ」

「名乗らせておいてそれ?」

「本当に名前がないからしょうがないだろ! そもそも、僕は人と話すのが初めてなんだ。ここに人が来たのは初めてだしな」


 やれやれといった様子で、男の子は首を横に振る。

 ここに人が来た事は無い? そりゃ、この世界はかなりおかしな見た目だけど、目の前にいる男の子はどうやって来たというのか。


 それを言ったら、私だってどうやって来たのか分からないけどさ。


「まったく。何で素の状態でここに来られるかなぁ」

「ん? ねぇ君、もしかして、ここの出口、分かるの?」

「分かるも何も、元いた場所に帰るだけだろ」


 鼻を鳴らしながら、男の子はさも当然のように言い放つ。

 元いた場所? 何のこっちゃ。


「もっと詳しく!」

「えー、元いた場所は元いた場所だよ。……えっと、ここにいるって気が付いたのは、どこさ」

「宿屋の2階の、奥の方にある部屋だけど」

「じゃあそこだ」


 ついてきて、と言って、と男の子は先導し始めた。いや、2階に上がるくらいなら、迷う事なんて無いと思うけど。何で案内してくれるのだろうか。


 もしかして、私、そんなに方向音痴に見える?!

 地図は読めるし、学校では迷った事なんて無いけど!


 いや、普通に良い子だからだよね。根は素直で良い子なのだ。きっと。


「……はぁ」

「ん、どうかしたの?」

「うん。ハルカにはまず、ここの説明をした方が良かったなって、後悔していたところ」


 ここの、説明?

 そりゃ、出来るならその方がありがたいよ。

 というか、せめてハルカさんとか、年上に対する敬意を示してくれると嬉しいんだけど。見るからに年下だよね、この子!


「っていうか、何で後悔?」

「見れば分かる。周りを見てみなよ」


 男の子は、呆れたように私を階段の上から見下ろした。身長差があるから、階段のおかげでかがまなくても目線が同じになっている。

 彼はぐっと課を近付けてきたものだから、私は驚いて2、3歩退いてしまった。


 と、そこで気が付く。

 階段が、無限に続いていた。それも、前にも、後ろにも。薄い緑色の木の階段が、とにかくずっと続いているのだ。見えない部分は白くぼやけて、見えなくなっている。


「何これ!」

「うーん、まあ、妙な考え事をしたからだ、としか言えない。ねぇ、ハルカって方向音痴?」

「なっ!」


 イキナリ失礼な!


 まあ、そうかもしれないと考えたことはあるよ? 小さい頃に、初めてのおつかいでものの見事に迷子になって、お兄ちゃんに見つけてもらったのよね。

 あれから地図を読む練習も、主意の風景を覚えるクセを付けるようにするのもがんばった。幼い私、物凄くがんばったよ。おかげで、今の私は迷わずに済んでいるもの。


 ……たま~に、迷子になるけど。でも、おそろしく広い学校の敷地が悪い! 同じような廊下が続く構造が悪い!


「違うならそれで良い。けど、方向音痴でも何でも良いから、とりあえず心を平静に保ってくれ」

「? えっと?」

「この世界は、この世界にいる人間の心に忠実なんだ。だから、ハルカが混乱すればするほど、この世界もぐちゃぐちゃになっていく。こんな風に」


 男の子は、両手を開いてパタパタとはためかせる。私もその動きにつられて、再び周囲を見回した。すると、階段はそのままに、壁が取り払われて、向こうに階段が見えるようになった。


 紺色の世界の中に、何本もの階段が浮いている。私の真上、真下、横、横の上など、縦横無尽に階段達が伸びているではないか。


「な、なっ、ぁ」

「これ以上混乱されると、こっちも困る。説明してやるから、今から俺の言うとおりの物を、頭の中に思い描いてみ?」

「え、何で」

「良いから、目を閉じる」


 問答無用、と、男の子は人差し指を私の口に突きつけた。

 むむ、小さいとは思えない迫力だね? ちょっと驚いちゃったよ。


 私を驚かせたのだから、今は彼の要求に従っておこう。まあ、こんなに偉そうにせずとも、それ以外に何をすれば良いか分からないし、聞いておくけどね。

 どうせ私じゃ、ここからちゃんと出る事が出来なさそうだし。


 私は目を閉じて、男の子の声に集中する。


「まず、そこはガラスのドームだ。透明で、白い金属の骨組みによって構成された庭園だ。中はかなり広くて、たくさんの花が咲いている。たとえば、ラベンダー、バラ、コスモス。君の好きな花が、これでもかと咲いている。

 けど、ドームの入口から、中央までは花ではなく、道が続いている。ドームの中央は広場になっていて、そこにはくすんだ青緑のテーブルがあって、テーブルはガラス張り。傍には、テーブルと同じ材質のイスが2つ。背もたれ部分はとても凝った意匠が施されている。

 本題はここからだ。君が最も好きなお菓子と、最も好きなお茶がテーブルに用意されている。それも最高の状態で用意されている。

 どう?」


 言われるままに、想像してみる。ガラスのドーム、咲き誇る花々。一番好きなお菓子とお茶が何で本題なのかと疑問を持ったけど、まあ、一応想像はしておこう。


 そういえば、小さい頃はそういう綺麗な空間が憧れだったなぁ。優雅なティーパーティーとか、憧れるよね。今はいつでも、フィオルちゃんと出来るけど。


 好きなお菓子とお茶かぁ。前は市販の和菓子に水出しの緑茶だったな。

 今は、フィオルちゃんと食べたスイト君謹製のお菓子に、マロンさんが淹れてくれた紅茶。あれは市販とか素人では決して届かない、神の領域に踏み入った味だよね。うん。


「ハルカ、その辺で良い」

「ん? その辺って……うわぁ?!」


 思い出すだけでよだれが出てくるようなお菓子達を次々に思い出していたら、男の子に止められた。当然だ。何故って、目の前にそのお菓子達がどっさり置かれていたのだから。


 目を開けて見れば、私達は私が想像したとおりのガラスドームの中で、出入口の傍に立ち尽くしていた。目の前に広がるお菓子の国に、少し眩暈がしてしまう。

 甘い香りが、脳を直接揺さぶっているような、妙な感覚だ。


「ハルカ、今一番食べたいお菓子だけを思い浮かべて!」

「い、今一番?! 選べないよ! 強いて言うならオレンジショートだけど!」

「選べてんじゃん……」


 だって、聞くだけで美味しそうでしょ? スイト君がいつかの夏に作ったっていう、オレンジのショートケーキですよ? 甘さと酸味が絶妙で、生地もふわっふわで、つい次から次へと食べたくなるような、夢のお菓子だよ?!

 それも企業秘密のカロリーオフ仕様だって聞いた時は、思わず白目を剥いて卒倒したからね! こっちの世界では材料がなかなか揃わないって言って作ってくれなかったけど、私は分かる。


 あの顔は、面倒くさいが故に作らないのだと……!


「分かったから。素晴らしさは分かったから、量産はやめて」

「ふぇ? 量産? って、おお、いっぱい!」


 先ほどまであったお菓子天国が消えて、オレンジショートの花園が広がる。


「さっきから、妙だね」

「最初から妙だっての! まったく。どこまで想像力豊かなんだか」

「……え? まさかとは思うけど、私の想像した物が、そのまま具現化しているわけ?!」

「今更気付いたのか?!」


 目を見開いて驚く男の子。え、今更な話だった? そんなに分かりやすい感じに話していたっけ?

 あぁ、でも、そうだね。私が想像したガラスのドームが現れた時点で、かなり分かりやすい感じになっていたよね。何で気付かなかったのかな。


 案外、まだ混乱しているのかもね。考えてみれば、この世界自体がよく分からないのだし。


「あー、もー、話が進まないから、適当に『固定』するぞ。……よ、っと」


 パキン、と、何かが割れるような音が響いた。

 するとほんの一瞬、周囲が白く光る。光っただけで見た目に違いは無い。


 けど、固定とか言っていたね。多分、私が想像するだけで次々に状況が変わる事がなくなったのだ。たしかに、ちょっと別の事を考えるだけでぽんぽんと何かが生み出されていったら、面倒この上ない。

 混乱して妙な空間になると、更に混乱してしまう。すると、空間そのものも更に奇妙な物へと変化していく。これでは悪循環だ。


 それを固定する事が出来るなら、最初からしておいてほしかったよ……。


「とりあえず座ってよ。落ち着いて話してやるから」

「その上から目線はどうにかならないの?」

「ならないね。それで? 座るの? 座らないの?」

「……座るけど」


 むぅ、小憎たらしい子供だね!

 座ります。座りますとも! 私だって、このままこの世界にいるわけには行かないもん。ちゃんと、元の世界に戻って、みんなに心配をかけずにいたいのだ。


 私は、私が想像したとおりのガーデンチェアに腰掛けた。

 何はともあれ、ちょっと疲れたし。スイト君謹製のケーキを切り分けて、と。


「……ッ、美味しい!」

「ふぅん、あっちにはこんな物があるのか。羨ましいね」

「……羨ましい?」

「想像出来る物しか、こっちには無いから。知らない物を想像しても、中身が無いせいで味も面白みも全く無い。これがケーキだって事は分かっても、どういう味なのか、さっぱり分からなかったし」


 フォークで小さく切り取ったケーキを、彼は興味深げに口へと運ぶ。

 かなり味わっているようで、一口に時間がかかっている。


 うんうん。スイト君の作ったお菓子は、どんな人でも魅了できるよね。分かるわー。

 ただ、このまま長時間をおやつにかけることは出来ない。私は半分ほど残ったケーキから手をどけて、ほんの少しだけ身体を前のめりにした。


「単刀直入に聞くよ。ここは、何?」

「正直に言ってしまうと、ここに正式な名前はない。けど、僕は『精神世界』って呼んでる。あらゆる人の心が生み出した、精神のみが存在する世界だよ」

「精神のみ、って事は、私も精神なの? 君も?」

「そうだよ。ハルカは多分、眠った時にこっちに来た。僕は……どうだったかな」


 彼は真っ白な角砂糖を、ガラスの容器から2個取り出し、紅茶の中に滑り込ませた。ガラスのティーカップに砂糖が溶けて、消える。

 それを一口だけ含んで、彼は一息ついた。


「僕の事は良い。僕が言いたいのは、ここが本当の意味で何でもアリな世界だって事。ハルカなら分かるだろうけど、何でも想像通りに事が進む、夢よりも夢のような空間さ。

 本来、この世界に入り込める者はほとんどいない。ハルカみたいに、無意識で来られる者はいないんだ。何たって、こちらで意識を持って動けるのは、僕みたいに『実体ごと』ここにいる奴くらいだから。ハルカはとんでもなく希少な存在なんだよ」


 夢よりも夢、というのは、何か分かる気がした。

 本当の夢なら、自分の思い通りに出来そうで、出来ないから。


 それにしても、私も精神しかこちらに来ていないという事は分かったけど、彼は実体もこちらにある、と言ったね。

 うーん、気になるけど、それは全部聞き終わってからで良いか。


 本当、今は、この世界の事を聞きたいから。


「精神世界は、いろんな人の心が寄せ集まった場所。ハルカの友達の心だってこの世界にいる。けどその心は人の形をしていない。ハルカみたいに、こちらに来ているわけじゃないから」

「えっと、じゃあ、私がここにいる事は、本当に特別な事なの?」

「そうだよ。とても、とても特別だ。魔法とか、人為的なものならあるかもしれない。けど、ハルカは無意識に、自分の力のみでここに来た。本当に特別だよ」


 そこから聞いた事を纏めると、たしかに特別なのだと思った。


 そもそも、この世界を感じ取るためには、かなり特殊な属性の魔力を持っていなければならない。

 夢属性とか、心属性とか、聞いた事の無い単語が出てきた。


 あまりにも希少な属性で、1つの世界に100人くらいいれば多い方だという。その世界にいる人の数にもよるけど、億単位で生きている人間の中でたったの100人なのだから、そりゃ少ない。

 それも、こちらの世界を感じても、ちゃんとこちらに来るには、更に空間属性、時属性、更に色属性なども必要だとか。色属性は魔法の勉強をした時に出てきたけど、それでも珍しいよ。


 私は、魔力の属性より、性質を重視して使う魔法を決めた。けど、あらゆる条件にちょうどはまって、どうやら何者かの補助を受けて精神世界へと来てしまったらしい。

 何者か、って、誰だろうね?


「多分、召喚獣だと思う。手に入れたでしょ。どんなのかは知らないけどさ」

「何で知っているの? あっちの事は分からないんじゃ」

「手に入れた事は分かる。……何と無くだけど。多分僕は、人間というより、召喚獣に近い存在みたいだからね。僕自身、彼等に触れて、ようやくそれを理解した」

「触れて?」

「彼等の心に接触したのさ。……まあ、不可抗力だったけど」


 むすぅ、とふて腐れると、彼はもう一口紅茶を飲み込む。

 この、人がいない精神世界で、何がどうなれば不可抗力となるのかは分からない。けど、おそらくそれは本当に不可抗力だったのだろう。

 男の子はかなり不機嫌そうにしているし、先程よりもケーキを食べるスピードが速まったから。


「ともかく、この世界から出るには、元いた『身体の在処』まで戻らなきゃならない。こっちと向こうで、時間の流れ方は違う。時にはこっちの方がゆっくり流れるけど、最悪の場合、ハルカは昏睡状態で数年眠ったままだ」

「え、ええっ! 困る!」


 精神のみ浦島太郎とか! 本当に困るって!

 この大変な時期に、数年眠っていたとか!


「まあ、僕がある程度意識してコントロールしているから、あっちに戻っても数分くらいしか経っていないと思うけど。でも、なるべく早く戻った方が良いって事は理解した? したよな? だったらまず、ここがどこなのかを正確に把握しろ」

「ど、どこなのかって。既に宿屋とは別の場所なの……?」

「そうだよ」


 ケーキを一皿分食べ終えた彼は、もう一切れ皿に移した。

 気に入ったんだね、それ。


「じゃあ、ここはどこなの?」

「知らない」

「えぇ……」


 自信たっぷりに答えられたのは、残酷な言葉だった。もう、じゃあどうすればいいのさ。迷子が自分家に戻るためには、まず、自分がどこにいるのかを確かめなければならないのに。

 ここがどこなのか分からないなら、帰りようが無い。


「うぅ、せめて目印とかあれば……」

「あるよ、目印」

「……あるの?」

「あるよ。知り合いでも友達でも、自分が知っている人の心を辿れば簡単」


 なんでもないような顔で、彼は言い切った。


「辿るって、どうやって?」

「知っている人の顔、性格、とにかく思いつく特徴を心に思い浮かべて、この人の所に行きたい、って願えば良い。これが中々、混乱していると間違える」

「あ、だから私を落ち着かせたのね!」

「そういう事。分かったらさっさとやってよ。疲れてきた」


 はー、と溜め息をつく男の子は、イスの背もたれに身体を預けていた。

 言われてみれば、彼は少し疲れた表情をしている。


 帰れるかもしれないと嬉しい気分に浸っている私と違って、彼はたしかに、少しずつ、少しずつ衰弱していっているようだ。


 さっき、ある程度時間の流れをコントロールしているって、言ったよね?

 思えば、時間を操るってとんでもない事なのではなかろうか。


 スイト君が時間を巻き戻すアビリティを持っていたけど、それを聞いた時、この世界の人達はとても驚いていた。だからきっと、時間とか空間に関する力は、とても希少な上に扱いが難しいのだと思う。


 彼の言い方では、私がここから出るには、私自身が落ち着く必要があった。

 私が落ち着いて、きちんと帰れるように、色々と私が気付かないような気遣いをしてくれたのだ。


 ああ、この子、凄くかわいい。

 優しい、かわいいって撫でたくなってきた。そんな事をしている暇も余裕も、彼には無いだろうし、やらないけども。

 素直じゃないけど、この子、良い子だ!


「知っている人、だね。……」


 私が一番知っているのは、タツキ君のことだ。タツキ君は優しくて、明るくて、頼りになって……ブツブツ。タツキ君が今、どこにいるのかは知らないけど、だからこそどこにいるか知りたい。


 タツキ君、どこにいるのかな?

 ……っ。


「あ」


 この空間には、私と彼だけしかいなかった。

 鳥も虫もいなかったのに、遠くで、1つだけ、急に強く主張してくる何かがあった。

 それは強く鼓動して、音がこちらにまで届いた。

 ドクン、ドクンと、力強く、それでいて安心感のある音。


「見つけたな。じゃあ、いくぞ」

「行くって、どうやって……ひゃあ?!」


 がくん、と、身体がバランスを失う。私が想像し、創造したガラスのドームがすぅっと消えて、残ったのは落ちる感覚だけ。

 妙な浮遊感もある。まるで水の中みたいだ。


 視界はどこまでも黒い。暗いのではなく、黒い。私と男の子の姿がはっきり見えているのに、背景だけがただただ黒い。

 感覚では水だと分かっても、泳げない。現実ではちゃんと泳げるのに、いくら水をかいても浮かばないのだ。どれだけ暴れても、ただ落ちる感覚だけが纏わりつく。


 その感覚は1分ほども続いた。でも、やがて、彼が落ちた先に向かって指を差す。


「ほら、見えてきた」

「え、えっ?」


 彼の指先から、落ちる方向へと目を向ける。

 そこには、大きな光の珠があった。


 このままではぶつかる……! と、私は目を瞑ったけど、それまであった落ちる感覚が消えて、今度は、浮かぶ感覚が纏わり付いてきた。

 何事かと思って目を開くと、いつの間にか、周囲が暗い灰色の壁に囲まれていた。私はいつの間にか濃い紫色の地面に降りていて、でも妙な浮遊感だけがある不思議な状態になっている。


 何が起こったというのか。私はキョロキョロと見回した。

 すると、大きな光の珠が、ふよふよと浮いているのが視界に映る。


 光の珠は、大きさも、色も、輝き方もまちまちだ。手の平に収まるサイズから、両手で抱えきれるか不安な大きさのものまで。


 それらが4つ……あ、いや、5つあった。


「ここは闘技場みたいだね。宿屋の近くにあったやつ」

「ああ、あの大きな壁の! って事は、タツキ君は案外近くにいたんだね……」


 宿屋を見つける時に、時間があったら観光してみたいと思った場所だ。見るからに古そうで、歴史のありそうな施設だったしね。


 それはそうと、観客席にそれはあった。見た目は全然タツキ君じゃないけど、見ればそれがそうなのだと納得する。これが、タツキ君の心なのだ。

 真っ白で、でも黒い影みたいな部分もあって。ちょっと不思議な珠。両手を使って、抱えられるかな、というくらいの大きさだ。

 自分が光っているはずなのに、影があるのだ。不思議というか、不可解である。


「強いね。この心は」

「タツキ君だもの。当然だよ!」


 むふん、と胸を張ってみるけど、考えてみれば他人の事だ。

 その事に気付いたら、顔が熱くなってきた。慌てて体勢を戻したけど、そうしなくとも彼は見ていなかっただろう。


 彼は、今にも触れそうな距離で、タツキ君の心を舐めるように見入っていた。


「妙な影に侵食されかかっているけど、まあ、保っているからね。見た目よりずっと、強いと思う」

「……妙な影? やっぱりこれ、妙なんだ」

「そうだね。普通じゃこんな影は生まれない。本人は物凄くキラキラ輝いているのに、何か別の、邪悪な影が半分近くを覆っているなんて」


 ……邪悪? 影?

 何だろう、あの邪悪な聖剣が、脳裏をよぎった。


 彼曰く、影はタツキ君自身のものじゃないみたい。他から来た邪悪なものと言えば、もう邪悪な聖剣くらいしか思いつかないや。


 けど、あれは『前回』現れたものだ。これはきっと、違うところから来たものだね。

 タツキ君の事だから、スイト君に会えない期間に比例して影が増えていくとか……あれ、ありえそうなんだけど?! 怖い!


「……ねえ、この人、タツキだっけ? はいいや。それより、あっち、誰?」

「ん、あっちとは」


 男の子は興味の対象をアッサリと切り替えて、今度は闘技場の中央に指差していた。私もそちらへと目を向けると、確かに珠が2つある。誰と聞かれてもすぐには……。


 ……?


「スイト君、かな?」


 片方は誰のものか分からない。けど、もう片方は何と無く分かった。

 白くて、虹色の光を放っている。不思議な光だ。


 けど……何だろう。こちらも力強い光を放っているのに、タツキ君とは反対に、見ていると不安になる。見ていて落ち着かない。気が気でない、というか。


「不安定なのに、強い」

「……うん」


 スイト君らしいといえば、そうなのだろう。スイト君は普通なら出来ない事を、容易くやってのける才能を持っている。けど、それ故に何でも1人でやろうとするからね。見ていて気が気でないというか、不安になるのだ。


 強いけど、脆い。


 現実でそうなのだから、心の世界でも妙な不安定感があるのは当然と言える。

 危ういと分かっていながら、私は彼を支えられている自信が無い。タツキ君ならスイト君の隣にいたし、もしかすると心の支えにはなっているかもしれないけど。


「ハルカ」

「ん、何」

「何って。元の場所に戻らないと」

「ん、あ、ああ! そうだった!」

「……えぇ」


 ひどく呆れた顔をして、男の子はこちらを睨んできた。

 そうだった、私、早く帰らなきゃ! って、スイト君の事で色々考え込んだのは、彼のせいだけども。


 とにかく、世界の形が安定していたからか、私は随分アッサリと元いた場所へ戻ってくる事ができた。

 あー、良かったぁ。


「あそこだ」


 元いた場所は、とても分かりやすかった。金色の取っ手がついた、枠の無い透明な扉があったのだ。扉は薄く発光しており、異様な色味をしているこちらの世界において、とても目立っている。

 何故来た時に気付けなかったのか。


「なぁ、今度は意識的に来いよ。その時、僕の事をもっと話してやるから」

「自分の名前、知らないのに?」

「知らないんじゃなくて、無いんだよ。悪かったな!」


 ふんす、と怒る彼はそっぽを向いてしまった。

 というか、本当に無いのかな。きっと、自分の名前とかあるだろうに。

 それとも、本当に? 召喚獣に近い存在だとか、自分で言っていたし、召喚獣は最初名前が無い。もしかして、本当に無いの?


「んん、やっぱり、呼ぶのに不便だね。勝手に名前つけても良い?」

「えー……別にいいけど、変なのにするなよ?」

「善処する」

「ていうか、今回はいいよ。また来てくれるだろ?」

「意識的に出来るのか、不安だけど。……がんばる」

「……約束、だからな」


 彼ははにかんで、立てた小指を差し出してきた。

 私はその小さくて細い小指に、自分の小指を絡ませる。


「ゆーびきーりげーんまーん、嘘吐いたら~、そうだなぁ」


 クスクスと笑いながら、思案する彼は、ひどく楽しそうだ。

 その顔は凄く子供っぽくて、悪戯っぽい。


「うん、よし。嘘吐いたら、僕が作った悪夢に招待するよ」

「ぅわぁ、地味に嫌な事するなぁ。しかも、本当に出来ることだよね、それ?」

「まぁね。せいぜい約束を守ってよ!」


 にぃ、と浮かべた笑顔は、怪しくもかわいらしい子供の笑顔だった。

 その笑顔を彼が浮かべた途端、触ってもいない扉が、バンッ! と激しい音を立てて開く。扉の先は白い空間になっていて、何も見えない。


 驚いた事に、そこへ向かって吸い込まれそうになる。

 掴まる物が何も無いせいで、私の身体は浮き、扉の中へと吸い込まれてしまった。


 ただ、彼は吸い込まれそうになっている様子など無く、私だけが扉の向こうへ向かっていく。

 最後に、彼は一言だけ、大きな声で叫んだ。



「―― マキナに、よろしく」



 ――……


 近くで、セルク君の声がする。少し慌てた声だ。でも、何を話しているのか分からない。


 眠くは無い。けど、何だろう。脳と身体と感覚が、かなりちぐはぐになっていた。

 眠いという感覚は無いけど、脳のぼんやり加減は眠い時と同じくらい。身体の動きは眠い時と同じくらい緩慢だけど、脳よりもっとふらふらしている。


 夢の中のあの子は、本当に実在するのだろうか。

 ふわふわする視界の中、私はふと、周囲を見渡した。


 すると、ドルチェとノエル君が、マキナちゃんに遊んでもらっている光景が目に入った。


 ……。そうだ、夢の中のあの子は、マキナちゃんによろしく伝えてくれ、みたいな事を言っていた。マキナちゃんなら、何か知っているかもしれない。


「マキナひゃん」


 あ、ダメだ。呂律が回らない。


「ハルカっち、どうしたんだぞー? 物凄くふらふらだなー?」

「んぅ、ゆめでね、おとこのこがね、でてきてね。おなまえ、かんふぁえなふひゃ……」

「おーおー、ハルカっちの代わりに考えればいいのかー? 僕はその子を知らないがなー? テキトーに、もやしかナッツでいいと思うぞー?」


 ナッツはともかくもやしはアウトだよね?!


 でもまあ、いいや。あの子は暫定的にナッツっていう名前にしておこう。何でナッツ君(仮)がマキナちゃんの事を知っていたのかは謎だけど、今度聞けばいいよね。うん!


 今はちょっと眠くなって来たし、ちょっと寝よう。

 いつまでもちぐはぐだと、それはそれで困るし。


 というか、私が寝てから1時間くらい経ったね。向こうにいたよりも、ちょっと長めに時間が経ったみたい。ナッツ君(仮)には感謝だよ。


 さてと、一度寝ようか。おやすみなさーい。


「―― ハルカさん、起きてください! 師匠達の所に行かなくちゃならなくなりました!」


 せっかく寝ようとしていた所で、セルク君が揺さぶってくる。

 いや、目は覚めているけどね? どうにも身体と頭がきちんと稼動していないのですよ。


「ハルカさんってば!」


 あぁああぁ、お願いだから揺らさないでー! うぅ、感覚だけはハッキリしているから、揺れがこう、ダイレクトに伝わってくるぅうう。


 あーもー、行けばいいんでしょ? 行けば。

 私は、ヤケクソ気味にふらふらと立ち上がった。



 以上が、私がスイト君と合流する、ちょっと前のお話。

 この時の私は、精神世界なんてものがあるのかーへーほーふーん。って感じで楽観視していた。


 でも私は、知らない内に、踏み込んではいけない領域に足を踏み入れていたのだ。

 半歩どころじゃない。それはもう、どっぷりと。


 でも、私がそれに気付いたのは、恥ずかしながら、今よりずっと後の事だった。


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