51 ダンジョン攻略


 揺れが収まった後も、しばらくは静寂が続いた。

 どこかで水滴が落ちる音が、響く。


「……大丈夫そうだな」


 立っていられないほどの揺れだったにも拘らず、いかにも脆そうな周囲の壁には何も変化が無い。やはり先程の揺れは、ダンジョンが完成したサインだったらしい。


 試しに近くの錆びすぎた鉄格子を破壊すれば、ほぼ一瞬で元通りになる。


 ついでに、そこら中によからぬ気配が漂い始める。

 生き物のような、そうではない物のような。よく分からない。スライムみたいなやつか? エネルギーの塊でありつつ、生物と言えるような大層なものじゃないスライムなら、ありえそうだ。


 出来上がったダンジョンは、出来た場所よりも核の性質によって様相を変える。様相と言っても、姿形の事ではなく、出てくるモンスターやその属性の事だ。罠なんかは出来上がったばかりの今なら数は皆無だろうが、出来上がる罠も核の性質に左右される。


 核の質が高ければ高いほど、罠の精巧さや苛烈さはよりえげつない物へと変化するのだ。人が仕掛けないような罠が仕掛けられている事さえあるほどに。


 明言は避けるが……。

 罠なのだから、無傷で済む物は限り無く無いと言えるだろう。

 身体的にも、精神的にも。


 もっとも、このダンジョンは出来上がったばかりなのだ。そんな罠が設置されるまで、まだかなりの時間があるはず。

 一刻も早く脱出しなければならない事に、変わりは無い。


「善は急げと言うし、早速行こう。セルク、行けるな?」

「は、はい!」


 そう意気込んでみたものの、罠を無い物として早足で進む先に、モンスターは現れない。

 初めに進んだ右の通路は、いつかに崩落したらしい瓦礫で埋まって進めなかった。だから一旦戻って左の通路へと進んでいく。


 そこで分かったのが、この地下牢獄はほぼドーナツ型を意識して作られているという事だった。


 外側と内側の円に分かれ、外側が集団で入れるための広い牢屋。内側が少しだけ内装の整った個人の牢屋となっている。

 要人などを内側に収容し、大量にいる兵士とか盗賊とかを纏めて外側に入れていたようだ。

 その証拠に、鉄の鎖が朽ちて落ちてしまったらしい魔法ガラス製のドアプレートが、同じく朽ちた鉄格子の扉の前に落ちている。


 ドアプレートは、中に絵の具か何かを閉じ込めてあるらしい。色つきで目立っていた。


「アジャンテ……。地下牢獄に幽閉され、後に公開処刑となった、隣国の王族の名ですわね。戦争を起こした張本人という事で、処刑以外の選択肢は無かったようです」


 女王様がこめかみを押さえながら思い出してくれた名前なので、間違い無いだろう。

 瓦礫があったのは、内側に入るための道の手前だ。ぐるっと一周してこちらに来たわけだが、ようやく、上行きの階段に辿り着いたな。


「階段は上と下、別の場所に配置されている。でしたよね」

「ええ。わたくしの記憶が確かならば、そうですわ。あいにく入った事が無く、あくまで書物の知識なので確証は無いのですけれど。地下1階と2階だけならば、側近に調べさせましたが……この階よりも、かなり広かったと記憶しておりますわ」


 つまり、階を上がる毎に段々広くなっていくわけか。


 そして、ここは最下層である、と。


 下行きの階段が無いのなら、そう考えるしかないだろうな。

 最短2日はかかる広さか。ペース配分を誤ると、最短記録は元から無理にしても、最悪、水と食糧不足に加えて疲労の蓄積による餓死もありえるぞ。

 そうなりたくないから、ペースを上げるしかない。ちょっとしたジレンマだな。


 まあ、幸いにもドーナツ構造だって事は分かったのだ。迷路のようになっていないだけでもマシだと思いたい。ダンジョン化以前に退路が断たれていない事を願わねば。


 ダンジョンになる前から壊れている物は、ダンジョンになった後もそのままなのだ。壊すのではなく、ただ物をどけるくらいなら再生機能も働かないでくれる。

 だがそれだと、瓦礫を一気に吹き飛ばすという手法が使えない。たとえ一瞬でダンジョンが再生しても、その一瞬の内に圧死という可能性は否めないからな。


 即死という言葉を知っている俺は、無謀な真似をしないのだ。

 もっとも、魔法の使えない今、吹き飛ばすなんて事は出来ないわけだが。


「お母様。参考までに、地下牢獄は何階層まであるのですか?」

「そうですわね……記録には何度も増築したと記されていましたが、残っているものだけでも500はありましたわね」

「ご、ひゃ……っ?!」


 ……それ、本当に2日で着けるのか? 少なくとも500階って、それ以上ある可能性もあるって事だろうが、地図を持って、最速ルートで、体力の回復をこまめに行って、ようやく出来た最速記録じゃないだろうか。いやまあ、ダンジョン化は極最近の事だろうし、ありえる話だけども。


 モンスターとの戦闘が無く、瓦礫による障害も無く、完璧な地図も用意された状態で、魔法の使用許可もあるならば、あるいは。


 つまり、だ。

 それら全てが反対の状況になっている俺達は、かなり時間がかかるのではなかろうか。


「回復薬は服に忍ばせていた分があるが、これが効くかは運次第だな……」


 マキナ謹製・魔力回復薬と体力回復薬は、2本ずつ服に忍ばせていた。ナフィカとの先頭でも使わなかったので、本数は2本のままだ。


 これがあれば、飢餓感は拭えると思う。きっと。多分。おそらくは。

 それだけの目的なら、1滴2滴でも済むし。ちゃんと栄養が取れない応急処置だから、無事に帰れたらたくさん食べないといけないけども。


 さすがに今すぐ使うのは勿体無い。


「ここで考えるだけじゃ、何の解決にもならないな。行くか」

「は、はい、師匠!」


 俺達は妙な連帯感を持って、中心に女王様を据えつつ組まれた石の階段に足を掛ける。


 湿気のせいか、ひんやりとした空気が纏わりついた。



 ―― 25階。


「本当、階段の位置に法則性が無いな」

「そうですね。4階辺りは何故か、隣に上り階段がありましたし」



 ―― 50階。


「少しは、進んで、来られた、か……」

「だねぇ。って、スイト君? 大丈夫?」



 ―― 75階。


「……」

「……」



 ―― 100階……。


「ぜぇ、はぁ、はひぃ……」


 貴族は顔を下げてはならない、なんて聞いた事はあるが、緊急事態の前ではそんな事も言っていられないだろう。女王様の顔も視線も下に向かっていた。


 一気に来たわけじゃないが、普段運動していても、階段を100回まで上るなんてキツイ。小休憩を何度か挟んだし、階段を探すために平らな床を移動した。だが、それとこれとは別問題だ。


 幸運にも、ここまでにモンスターは出てこなかった。モンスターが生まれる前段階だったらしい。

 モンスターとの戦闘が無かった分、多少楽に進めたのだろう。それはそれで、ずっと気を張っていて精神的に疲れてしまったのだが。


「一応順調に進んでこられたし、ここらで長めに休憩するか」


 俺が背伸びしながら呟くと、疲れ果てていたセルク達の視線が一気に俺へ集まった。

 そりゃあそうだ。俺も含めて全員が、肩で息をしている状況なのだから。階段を一気に上ったわけじゃないが、ちゃんとした休憩も取らずにここまで来た。そろそろちゃんと休憩してもいい気がする。


 それに、100階になると、牢獄内の雰囲気が変わった。モンスターの気配だけがそこにあるのと違い、明確な反応が感じられたのである。


 魔力を薄く広げて、別の魔力を発している物体を見つける。一応魔法:サーチと混同視されている技術だが、魔法ではないので問題なく使えるようだ。


 もっとも、魔力コントロールに補正が付いていなければ使えないような技術である。魔法として使わないなら、とてもじゃないが一般人に習得できるようなものじゃない。


 俺? 俺は賢者だからな。簡単じゃないけど、出来るぞ。


 さて、話を戻そうか。どうやら100階まで上ってきて、ようやくモンスターのお出ましらしい。

 反応からしてそれほど強い相手ではない敵が、5体くらいだ。


 俺は当初、生まれたてのダンジョンでも勝手に湧くスライムかと思ったのだが。


「スライム、じゃないようだな」


 スライムは、擬態でもしない限りぽよんぽよんと跳ねたり、液体の身体で這ったりして移動する。だからこんな、ガシャガシャといったような音がするわけが無い。


 円を描く廊下で、ちょうど見えなかった部分から、それは現れた。

 たとえるなら、理科室に置かれた骨格標本が、ボロボロの装備を着けて動き回っているような。

 どうやってくっついているのか分からない、白い人骨である。


 目のあった場所に怪しげな青緑色の炎を浮かべて、歯の欠けた口をカタカタと揺らした。


「骸骨騎士、スケルトンってやつだね。はー、魔法が使えれば、神聖魔法で一発なのに」


 スケルトン、ゴーストなどの死霊系モンスターは、神聖魔法で消える。お祈りとか綺麗な光に弱いらしいな。本当、一瞬でサァッと消えてしまうのだ。


 聖なる光を放つ剣なんかがあれば楽だが、無い物ねだりしてもしょうがない。

 幸い、魔法でなければ倒せない、というわけではないのだ。


 この世界では、生命力が数値化されている。死霊系モンスターも例外ではなく、その値が0になれば消滅してくれる。


 ダンジョンという場所では、このモンスターが無限に湧いてくるわけだ。次に出現するまではかなり時間が空いてくれるので、そこは助かるけど。

 無限と言っても、このモンスターを倒せば1時間か2時間は復活しないのである。


 それに、このダンジョンは生まれたばかりなのだ。もしかすれば、3、4時間くらい敵が復活しない事もありえる。確定ではないが、むしろそちらの可能性が高い。


「疲れているところ悪いが、倒すぞ!」


 俺は1歩踏み出した。だが、後ろに続く者はいない。全員疲弊していて、立っているのも辛いのだ。俺も空元気だから強く言えない。けどここで戦わないと、二度と立てなくなる。


 俺は素早く周囲を見回した。俺は何とか動けるし、戦える。けど、その間にモンスターの一部が疲弊している仲間の方へ行ったら止められる自信が無い。

 だから、せめて、動ける者がいてほしい。


 セルク、は無理だな。女王様は論外。ナフィカもちょっと厳しそうだ。


 テレクは……。


「あー、テレク。行けるか?」

「僕は、大丈夫。うん。こいつらくらいなら、いける」


 ふらふらとした足取りで、俺の隣に立ってくれるテレク。武器を落とさないか不安だが、俺が万が一討ち漏らしても倒してくれる、はず!


 俺は重い脚を、1歩、2歩と進める。

 スケルトンは、目の辺りに炎が浮いているだけで、実は目が見えていない。生者の魂を判別して襲ってくるので、彼等の感知範囲内である5メートルに入ると、戦闘開始だ。


 俺がもう1歩踏み出したところで、スケルトンの目がぼうっ、と強く輝いた。


 思った以上に重い身体で駆ける。一気に彼等との距離を詰め、まず、1体。

 右下から左上にかけて、刀を振り上げる。峰打ちだったのだが、それでもスケルトンのHPは大幅に削れたらしい。威力を殺さないよう、振り上げた刀をそのまま横に凪いで、振り回すように1回転してもう1度当てれば、スケルトンはガラガラと崩れた。


「スイト君!」


 テレクの声に振り向けば、スケルトンが俺に向かってボロボロの剣を振り下ろしていた。

 攻撃力は皆無だろうが、わざわざ受けてやる事も無い。俺は回転した時に踏ん張っていた足から、僅かに力を抜き、慣性の法則に従ってスケルトンの一撃を避ける。


 振り下ろされた剣は、ガツン、という音と共に、湿った床の岩を僅かに傷つけた。

 こいつらに意思は存在しない。だから、当たらなかったから悔しい、とかも考えない。当たらなかったら次を狙う。スケルトンは緩慢な動きで、白い顔をこちらに向けた。


 死霊系のモンスターは、動きが愚鈍で攻撃力も低い。上位種は人語を解す事もあるし、生きた人間のような動きをする事もあるが、生きた人間のようにスムーズに動けないようだ。


 実を言うと、あの骨そのものは、かつてここにいた人間……かもしれない。死霊系モンスターは、総じてさまよう魂が変質した物だ。意思や記憶はなくても、生きていた時のような動きをする事があるのは、ようするに身体に染み付いた記憶が作用している、と考えられているのだ。


 もっとも、身体の記憶って、要するに筋肉とかに記憶されるのであって、決して骨に記憶されているわけではないと思う。

 思うだけだが。


「あと、3体!」


 複数のモンスターを倒す場合、敵にとって厄介な者に攻撃が集まりやすい。ヒーラー、アタッカーなどはよくそういった注目度ヘイトを集めやすく、狙われやすいポジションだ。


 今回はヒーラーなんてものがいない。

 敵を後ろに回したくなければ、アタッカーである俺が踏ん張らなければならないのだ。

 スケルトンは言葉を認識しないので、挑発には乗ってくれない。だから、なるべく攻撃を重ねて、こちらを見てくれるようにしないと。


 俺は3体の内、前方に出てきていたスケルトンに的を絞る。


「よいせっ!」


 俺は振り上げた刀を、同じく武器を振り上げたスケルトンに向かって一気に振り下ろした。

 俺が跪くような体勢になりつつ脳天に炸裂した刀は、ほんの少しだけ硬い抵抗をしつつもストンと落ち、スケルトンを真っ二つに割る。


 瞬間、そのスケルトンはガラガラと崩れ去った。

 あと2体――


 ―― ゴッ


「……ぅあっ」


 あまり痛くは無い。だが、鈍い音と共に、首元から痛みが走る。


 反射的に、俺は刀を後ろに回す。手に、硬い物が当たる感触が刀越しに伝わった。多分、4体目を倒せたのだろう。後ろから、スケルトンの崩れる音が聞こえてきた。


 だが、あと1体というところまで来て、俺の身体は湿った床へと転がった。


 っ、頭が、ふわふわする。

 立ち上がろうと腕に力を込めようとするが、上手く行かない。


「ッ。せぇ、のっ」


 横倒しになった視界の中で、テレクがナイフを凪いでいた。よく研がれているようで、ボロボロの剣とか防具ごと、スケルトンは真っ二つになってしまう。


 切れた剣も、防具も、その場にガランと落ちて、スケルトンも崩れた。スケルトンごと武器防具は砂となり、吹いてもいない風に舞って、空気の中へと溶けていく。

 きっと、数時間後には復活するのだろう。


「……っはー……。終わった? よね? ねー?」


 それで最後だったからだろうか。気が抜けて、テレクはその場に崩れてしまった。

 他にモンスターの気配は無い。多分大丈夫なのだろう。


「多分、な……」


 俺は肩で息をする中、やっとの思いでそう返した。


 俺の言葉にホッとし、テレクは身体から完全に力を抜く。息を切らしつつ、大の字になる。ここに来るまでの疲労と緊張感もあって、俺と同じように動けなくなってしまったようだ。

 ああ、俺はあいつらに攻撃されたからだっけ。


 ……うん。疲れていただけで、ちゃんと身体は動く。自分じゃ判断のしようも無いが、脳震盪にはなっていないだろう。攻撃も弱かったし。大丈夫だ。


「師匠、大丈夫ですかっ」


 よろよろと近寄ってきたセルクが、俺の顔を覗き込んだ。疲労の色は濃いが、心配そうな表情だ。


 まあ、さっきまで結構動けるような感じで話していたし、実際そう見えるように演技していたからな。急に倒れてそのままになったから、そりゃ心配するか。俺はなるべく心配させないように頭を撫でてやりたかったのだが、腕が上がらないので諦めた。

 その意図が伝わったのか、セルクは俺の手を握ってきた。


 場所のせいかちょっとひんやりしているけど、手は、あったかい。

 あー、ダメだ。緊張感が完全に無くなった。むしろリラックスし始めたのか、睡魔がすぐそこに迫っているようだ。


「……疲れた。寝る」

「え、ええっ?!」

「1時間経ったら起こしてくれ……」


 僅かな伝言を残して、俺の意識はすぐにどっぷりと沈んで行った。



 ― セルク ―



 師匠が死んだように眠り始めてから、早くも30分が経過しています。

 場所は最下層から数えて100階。未だ正確な階数は分かりません。


 とりあえず、テレクさんがローブを羽織っていたので、そちらを借りて師匠にかぶせておきました。床は変わらず湿っぽいですけど、まあ、かけないよりかはマシだと思いたいです。


 というか、本音ではこのまま目覚めない方が良いと思っています。


 実を言うと、魔法が使えなかった時のクセで、体力回復薬、通称ポーションを幾つか服に仕込んでいたりしていました……。


 あ、その、秘密にしていたわけではないですよ? ただ、話がトントン拍子に進んでしまって、言い出すタイミングを逃しただけです!

 今みたいな状況にはうってつけですよね。


 小瓶に入れたポーションは、全部で30本。うーん、そこそこの数だと思います。

 細長い容器を選んで入れてあるので、持ち運びは楽です。それに魔法薬って重量が無いですし、軽い素材の容器にしたので、負担はあまり無いのですよ。


 師匠にばれるのは何と無く気まずいし今は眠っているので言えません。けど、緊急事態ですし。

 僕は未だに壁にもたれかかっているテレクさんに、懐から取り出したちょっと生温かいポーションを差し出しました。


 やはりと言うか何と言うか、テレクさんはとても驚いた様子で目を見開きます。


「……え、ポーション?! 何で持ってんの?!」

「かくかくしかじかで、タイミングが掴めませんでした」


 僕がかなり素直に話すと、テレクさんは困ったように笑って、納得してくれました。それから僕が渡したポーションを手に、僕を見つめます。


「もらってもいいの? 貴重だと思うけども」

「大丈夫です。師匠にも飲ませる分を除いて、あと28本ありますから!」

「多いね?!」


 ただ、材料の関係で満腹感は得られないですが。回復薬はレシピがたくさんあって、多分、師匠のポーションは徹夜する人向けの回復薬ですね。値段もあちらの方が高いでしょう。

 というか、一部では麻薬のように扱われているとか。幸福感とか高揚感は一切無いですが、疲労や空腹を吹き飛ばす作用はあるので。


 大量摂取しても副作用は無いのですが、精神面にしか作用しないと聞きました。師匠もそれを危惧しているはずですし、多用はしちゃだめです! 絶対です!


「でも、体力の回復だけならこれでも出来ます」

「うんうん。便利そうじゃん。少しは余裕を持って探索できそうだね」


 そう言って、テレクさんは小瓶の中に入っていた、透明な緑色の液体を一気に飲み干した。


 薬効に作用しない果物を使って、なるべく美味しく仕上げたつもりです。魔法薬を作るのに魔法は必要ないですが、大量の魔力が必要なのです。魔力だけはあったので、大量に作ったわけですよ。

 僕には魔法薬精製の才能が眠っているのかも、なんて考えていたのは良い思い出ですねー。


 たしかに大量に作れたし、魔力を大量に込めるおかげか同じ材料で作られた他人の魔法薬よりも効き目は上がった。けど、それだけでした。

 魔法そのものが使えなきゃ意味が無いと、魔法薬の精製は途中で放り出したっけ。

 今ではちょっと後悔している。だから少しだけ勉強してみたのです。


 それでちょっとだけ改良したのがこのポーション。

 本来はえもいわれぬ苦み、ユニークかつ独特すぎる酸っぱいにおいが大不評だったこちら。


 なんと、程好い酸味と甘みのハーモニーが美しいリンゴジュースの味に、甘酸っぱいカリベリーの香りを添えて。


「何これ、美味しい!」


 一躍大好評!


「え、何、本当、何。こんなに美味しい回復薬は初めてなんですけど!」


 分かります。良薬口に苦しということわざがありますしね。けど、ポーションの場合そのえぐさの度合いは良薬であればあるほどえぐいのです。


 回復したいのに、逆にダメージを負うような回復薬も存在するわけで。


「教師の方々に売ったら、何故かぼろ儲けが出来まして」

「え」

「冗談めかして言った後に適正価格を言おうとしたら、ぼったくり価格のまま話が進んでしまいました」


 タイミングの悪さがここでも活用されちゃったわけです。

 まあ、良いですよね。次に売る時から段々安くしていきましょう。


 いつか薄利多売が出来ればいいな。


「レシピを売って、使用料とかもらえば?」

「あ、それです! ここを出たら考えてみますね」

「いやー……セルク君は考えなくても大丈夫じゃないかなー……」


 テレクさんの瞳が、お母様を捉えて離しません。お母様に何か御用でもあるのでしょうか? 後で何とか取り次いでおきましょう!

 良いアイデアを考えてもらったわけですし、恩は返さなければ。


 僕が自己満足に浸って色々考えていると、ナフィカさんが僕の肩を叩いてきました。見た目が小さくて、てっきり僕と同じか少し上くらいだと思っていた人です。

 けど、自己紹介でエルフだと言っていたので、多分僕よりずっと年上です。


「時間」


 彼女は短くそう告げると、静かに僕から離れて、無表情のまま座り込んでしまいました。何事かと思いましたが、ああ、1時間経っていたようですね。

 師匠には1時間後に起こしてくれと言われましたし、そろそろ声を掛けてみましょうか。


 声をかけて、もう少し休憩が必要なら、まだ30分しか経っていません、とか言って眠ってもらいましょう。思えば、師匠とナフィカさんは轟音を起こすような戦いをなさっていましたし。


「師匠、起きてください」

「……1時間、経った?」

「正確には分かりませんが。具合はどうでしょう?」

「……大丈夫。行くか」

「? はい」


 何でしょう。寝起きだからでしょうか。少し、ほんの少しだけ、違和感を覚えますね。

 何に対する違和感なのか。師匠に関する事なのでしょうが、分かりません。とはいえ、


 寝起きは不機嫌である事も多いですし、こんな場所です。ちゃんと疲れが取れているなんて、お世辞でも言えないでしょう。

 少しふらつきながら歩き出した師匠に、更に違和感を覚えました。


 けど、確証も無く問い詰める事はしたくありません。ここは師匠の事を注視する程度でおさめておきましょうか。


「スイト君、何かあったかな」

「さあ。様子は、変」


 ただ、僕以外にも師匠の様子がおかしい事に気付いている人はいるようです。


 どうせいつもより気を張るのです。師匠の事をよく見ておくくらい、何の負担にもなりません。僕は何と無く、心の中だけで何故か言い訳をしつつ、師匠を見つめます。


 いつもは僕達の事を見てくれているのですし、今は僕が師匠の事を守りたいです!


 もっとも、この状況で最も強いのは、多分師匠ですけど。

 むしろ、僕はどちらかと言うとお荷物ですけど!


 先程と同じように、師匠が先行して更に5階ほど上ります。

 すると、突如としてその場の雰囲気が変わりました。


 雰囲気というか、ニオイですね。ある意味この空間にマッチした、腐臭のような物が漂い始めました。

 鼻をつまむよりもまず、周囲の警戒をします。そういえば、師匠は魔力を薄く広げて、モンスターの位置を割り出すとか言っていましたね。


 僕の魔力は、コントロールしやすい性質を持っています。もしかしたら、大人数を相手にした時に便利な魔力かもしれません。


 そうこうしている内に、僕はたしかに、この階に5体、いや、7体? くらいのモンスターがいることに気が付きました。ニオイからして、グールとか、ゾンビとかでしょうね。死霊系の中でも、またもやブツリ攻撃が当たる敵です。


 僕の杖は魔法攻撃専用で、強度もイマイチ。材質も木なので、腐臭がしみこんでしまうかもしれません。けど、今度は疲れてもいませんし、手伝います!

 僕はその決意を、近くにいたテレクさんに目線だけで伝えます。


 テレクさんは苦笑気味に頷いてくれたので、良かった。

 そう、僕がホッとした時でした。


 ……そこで起きたのが、モンスターとの戦闘であればどれだけ良かったか。



 ―― 師匠が、倒れてしまったのです。


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