ホワイトデー・加害者はチョコレート

 異臭騒ぎ。

 甘く、辛く、苦く、酸っぱくもあるというその異臭がしていた頃が懐かしい。


 聖クレシュリーの日。こちらのバレンタインデーに当たる日から、ちょうど1ヶ月が経った。ホワイトデーに当たる日もあるため、城内城外問わず、甘ったるい香りが広がっている今日この頃。


 聖クレシュリーの日は、一応、大切な人に何かしらのプレゼントを渡す日だった。

 しかし、この日。

 こちらでは甘き黒騎士の日というらしいのだが、この日は聖クレシュリーの日とは全く違う。


 なんと。


 そう、なんと!


 女性が、男性に、もとい愛する人に『チョコレート』を配るという日なのだ!


 おかげでどこに行っても甘ったるい香りが漂っている。チョコレートが好きな奴じゃないと、チョコレートを食べてもいないのに胸焼けを引き起こすレベルだ。

 臭い遮断の結界を張って、自室に退避しなければやり過ごせないほどなのである。


「いやぁ、今回は賢者召還が起こったので、いっそうにおいが強いですね」


 そう呟くのは、兎の亜人であるルディ。

 亜人や獣人は鼻が発達しているらしく、人族よりもニオイには敏感だ。甘ったるい香りだけで失神する者も少なくないらしい。


 というわけで、顔見知りになった者達をここに集めておいた。

 ちなみに、遊びに来ていたセルクやタツキも一緒である。


「うぅー、鼻に、まだ、甘い香りがぁあ……」

「今日ばっかりは喜べないぜ」


 こちらのホワイトデーは、別名男子が恐怖する日。愛という名目の下、それはもう甘ったるいチョコレートが配りまくられる。それも、大量に。


 愛の大きさの分だけ、懐事情が許す限りは大量に贈られてくるのだ。

 素直に全てを受け入れれば、次の日には虫歯が出来ていたという者も続出する日なのだ。恋愛はもちろんのこと、友愛、家族愛なども愛に含まれてしまうために、そのチョコレートの量は半端無い。


 全ての人間を愛するという者も中にはおり、見かけた男性にチョコレートを渡しまくる女性が、その年に何人もいるというのだから恐ろしい。


「せめて、今日はここから出たくない……」

「ルディ。今日1日、この人数が凌げる程度の食料はあるか?」

「申し訳ないのですが、無いのです……」


 少しでも持っていれば良かったのだが。

 ルディが言うには、ティータイム用に幾つか紅茶の茶葉がある程度らしい。お菓子は出来たてが良いだろうとか、チョコレートが来るかな、とか考えていて、用意は全くしていないとの事。賢者である俺や勇者であるタツキは、たしかに、既に何名かのメイドに幾つかのチョコをもらっていた。


 うーん。それでも数はちょっとだけ。まあ、凌げる程度ではあるか。

 運良くここに集まる事が出来たのは、俺も含めて12人。時刻はまだ朝であり、朝食も食べていない者が大半だ。


 人間、1日食べなくとも別に大丈夫である。だが、それでも空腹は人をイラつかせてしまうものだ。やる事も無いし、時間経過が鬱陶しく感じるかもしれない。


「仕方無い。変装して、女性のフリをしてでも厨房に乗り込むか」

「スイト、頼むわー」


 ぱぁっと輝くような笑みを浮かべるタツキ。ああ、もう食糧問題が解決したような顔をしやがって。

 空腹じゃないが、ムカついた。


「タツキも来い」

「はぁ?! やだよ、スイトみたいな中性的な顔してねぇもん!」

「大丈夫、大丈夫。俺に任せろ」


 変装用として部屋に置かせていた物があれば大丈夫だろう。きっと、タツキに似合うドレスやウィッグがあるはずだから。


 よし、そうと決まれば早速変装開始である。メイク道具も、うん、あるな。


 ふっふっふ……!

 腕が、鳴るぜ!



 閑話休題。



「何で俺までー……」

「よく似合っていると思います。それとタツキ様、俺ではなく、わたくしと一人称を改めてくださいませ。せめて僕などでお願いしますわ」

「やなこった!」

「なら、その言葉遣いをもう少しだけ大人しめにしてください」


 一応、これは俺とタツキの会話である。スイティアだと速攻でばれるので、どこかにはいそうなメイドの格好を意識してみた。


 黒髪の貴族少女が俺。

 栗色のポニーテイルな女騎士がタツキである。


 タツキはぶつくさ言っているが、身長が高くて多少男っぽくても問題無いと言えば、騎士くらいである。訪問の連絡はしていないが、自由閲覧可能な図書室へ来た辺境の貴族という設定であれば問題無い。


 ふむ。ちょっと粗暴だけど、貴族の少女と仲が良いから護衛に選ばれた女騎士、という設定が良いかな。よし、それで行こう。


「そもそも、何で俺まで変装する必要があるんだよ?!」

「私は賢者ですわよ? 今日は元々、世界を救った賢者への愛を、誰がどれだけ多く示す事が出来るか競う大会から派生したものですの。私が賢者と知られれば、大変な事になります」


 そう、元は賢者への愛を示す大会から来ているが故に、男性の賢者には無条件でチョコを渡されてしまうのだ。冗談じゃない。

 今日は知り合いの女性の前には出ないと固く誓っている。


「賢者が男性だった場合、町中を練り歩く事になりますの。私は賢者ではないと公言していますから、そんな事にはなっていませんが。城の中では私が賢者である事が知られていますもの。それに、貴族の子女が、たった一人でいる事は不自然ですわ」

「じゃあ、メイドに扮するのは……あ、ここじゃ無理か」


 この城で働くメイド同士は仲が非常に良く、その日入ってきた新人でも顔見知りが多い。だから、メイドに扮するのは自殺行為。

 だからと言って執事に扮するのも、元も子もない結果を生む。男性はとにかく禁じ手だ。


「では、参りましょう。えぇと……ティナさん」

「うぇ?! それ俺の事?! うぅー、あー、もう! 分かりましたよ、もう」

「うふふ。私の事は、セッテと呼んでくださいね!」

「セッテ、様、ね。了解」


 さて、後はどれだけ上手く騙せるか、である。

 出来うる限り、ハルカには会いたくない。あれは直感でこちらの正体を暴いてくる怪物だからな。


 よし、ニオイ遮断の小規模な結界を張って、と。

 いざ、出陣―― !



「あ、スイト君発見! タツキ君も!」



 出鼻をくじかれたぁー?!


 自室から一歩踏み出した瞬間、ちょうどこちらへ向かっていたハルカが、そこにいた。その横には、何故かハルカと同じような服装を纏ったミリーが。どちらも小さめの紙袋を抱えている。


 ハルカの私服は、膝丈のワンピースにパーカーを羽織るのが定番のスタイル。春が近いという事で、桜を意識したかわいらしい服装。そのカラーリングをモノクロにしたのが、今のミリーの格好だった。

 白いワンピースに、長袖の黒いパーカーを前開きにして着ている。どうやらスニーカーももらったのか、黒い網目模様の入っているタイツに、真っ白なスニーカーを合わせていた。

 髪はハーフアップにしていて、髪の一部がみつあみになっている。


 ……かっ。


「えっとぉ、何ですぐ分かるわけ?」

「直感!」

「すげぇなー」

「あ、ニオイ凄いよね。何処か隠れられる場所、無い? 近年はね、男女関係無くチョコを渡す事になっているみたいで。追われてるんだー」


 ハルカも被害者側になっている、だと?!

 ミリーは無表情のままもごもごと口を動かしているが、ハルカは困ったように微笑んだ。


 男性限定で被害者になる日が、男女関係無くなったらカオスにならないか?!


「あ、2人はそんな格好でどこに行くつもりなの?」

「厨房、というか、食料庫ですわ。1日、空腹が凌げる程度の食料を求めて。魔法での変装は気付かれやすいかもしれないので、普通の変装にしたのです」

「あぁ、なるほど。じゃあ、私も変装するよ! ミリーちゃんも、ほら!」

「ん」


 え、ハルカはともかく、ミリーはそのままで良くないか?

 と思ったら、ミリーは容姿が整っている事もあって、既に名も知らぬ者達から大量にチョコをもらってしまったとのこと。たしかに、それだとちょっと、大変かもしれない。


 美形をあえてみすぼらしくするとなると、特殊メイクになりそうだ。

 うーん、イユがほしい。


「呼んだ?」

「「「?!?!?!」」」


 ハイ、唐突に神出鬼没なイユちゃん登場!

 何でこう、毎回毎回突然現れるかな、この子は!


 ふわふわのポニーテールを揺らして、小柄なイユが小首をかしげる。


「メイク?」

「え」

「やるよ?」

「えっ」


 じり、じりっ、とにじり寄ってくるイユ。背は小さいが、彼女の能力はそこらへんの兵士よりはるかに上である。俺だって、素手では勝てないくらいには強い。

 その彼女がにじり寄ってくると、彼女の力を知っている俺はちょっと、怖く見える。


 戦闘ではないのだが、妙に緊張してしまうのだ。

 おそらく、イユが妙なスキルを得たと思われる。


「出来上がり……!」


 などと考えている内に、イユはハイスピードで服やらかつらやらを調えた。ハルカは俺の友人風。ミリーは黒髪のメイド風である。


 ああそうか、城外にいるメイドなら、別に怪しまれる事も無かったな。

 満足そうに頷くイユは、櫛を片手に満面の笑みを浮かべていた。


「よし、じゃあ行こう! あ、お話はスイト君に任せるよ?」

「ええ、任されましたわ」


 俺は微笑を浮かべて、先頭になって歩き始める。

 目指すは食料庫! 次は知り合いに会わないといいなぁ……。



「皆様ぁ~!」



 長い廊下の先から、鈴のようなかわいらしい声が響く。


 今度は誰だ?! と、俺達は一斉に振り向いた。


 その先に見えたのは、シスターに変装した、白金髪の少女。

 肩にかからないボブヘアに、シンプルなデザインの王冠がちょこんと乗せられている美少女。

 要するに、魔王フィオルだった。



「もう、鬱陶しいのです! 助けてください~!」


 泣きついてきたフィオルは、ボロボロと涙を零しながら俺の胸に飛び込んできた。

 ……何で、俺?


「ふぇえ……もう、もぅ。チョコは見たくないよぅ……」


 何があった?!


 ぐすぐすと俺の胸元で涙を流す少女は、チョコレートの強烈な香りを放っている。甘ったるく、嗅ぐだけで胸焼けが起きそうだ。

 しかし、フィオルがこれほどまでに泣いているのは珍しいのではないか? 俺は思わず、フィオルの頭をそっと撫でてやる。


 しばらくすると落ち着いてきたのか、目の周りを赤く腫れさせたフィオルが俺から離れていった。


 意外と撫で心地が良かったので、ちょっと複雑な心境である。

 何があったかと思えば、賢者の出現により女性にもチョコレートを贈る習慣が、魔王のフィオルにも適用されてしまったらしい。


 魔王は魔族の長。貢物としてチョコレートが大量に送られてきたのだ。直接献上しに来た者達が、永遠に切れない列となって押し寄せているらしい。


 休憩と偽って逃げてきたものの、いつここにいる事が知られるか……。


「逃げたいのです! 今すぐ! 遠くに!」

「……デスヨネー」


 タツキの張った防音結界の中で、フィオルは大音量で叫んだ。ミリーはちゃっかり耳を塞いでいたが、それ以外の面々はバリケード無しで彼女のシャウトをモロにくらってしまった。


 くっ! 改心の一撃じゃないか……!

 と、冗談はここまでにしておいて、と。


「逃げるのは不可能だと思いますわ。どこもかしこもチョコを片手に女性がうろついていますから」

「それです! 普通に愛想笑いを浮かべつつ応対しようかと思っていたのに、みんな血眼で必至になって、私や城の騎士達にチョコを押し付けていくのですよ?! それも、1人で最低5個も持って来るって、どういう事ですか! 食べ切れません! というか怖いです!」


 半ばやけくそになって語るフィオルは、やけくそながらも真実味に溢れた、一種の演説を始めた。

 話の要点をまとめれば、こうだ。


 その1、チョコを渡してくる人怖い。

 その2、チョコの量半端無く多い。

 その3、チョコから離れたい。


 当分の間チョコは見たくない、聞きたくないといった様子である。

 これはもう、チョコという物体にトラウマを抱いているらしい。


 いつどこにいるか分からない賢者よりも、城にいる事が分かっている分、人が送りやすいという事もあるだろう。チョコを渡そうとする人物がとにかく多いのだ。しかも、贈られるチョコは代償の規模はあれど、個数が何故か最低5個。


 食べきれない量のチョコは、それが愛の大きさだと割り切れればよかったのだが。それで許容できない量だったらしいな。今度処分に付き合ってやろう。


 ぐすぐすとまた泣き始めているフィオルは、しばらく休憩時間にしてもらったらしい。すぐ行方不明がばれる心配は無いだろうという事で、俺達と一緒に行動する事になった。


 イユが施した変装は、髪の色をほんのり青く染めただけ。シスターの格好はそのまま。

 王冠はフィオルの意思によって形を変化させる事が出来るため、バッチみたいにしてテンプルにつけておく。これでよし!


 見学を名目に厨房へと潜入する。すると、男子の消えた妙な雰囲気の中、手作りチョコを製作している女の子達が不気味な笑い声を発していた。


 見た目は普通にお菓子作りをしているだけなのに。

 雰囲気が、魔女の工房と化している……?!


 とにかく不気味なのだ。黒いオーラが出ていない分、余計に不気味なのである。何と言うか、得体が知れない!

 俺達は許可も取らずに食料庫へと入り込み、一定量の食料を収納鞄へ放り込む。


 そして、そそくさと厨房を後にした。幸いにも、追っ手は来ていない。

 厨房からかなり離れたところで、思わず額に滲んでいた汗を手で拭った。


 精神的に消耗していたのは俺だけではないらしく、タツキ達も壁に手を付いたり、大胆に座り込んでいる者もいた。


「それにしても、何でみんな、血眼になってチョコを配るのかね」


 そう、何気無い調子で呟いたのはタツキだった。

 一応は変装をしている自覚をもっているようで、タツキはいつもより何段階か高い声で話しかけてくる。女子にしては低い、が、ハスキーな女性でならいそうな声だ。


 そういえば、見かける女性は全体的に血眼になっている。

 メイド、パティシエ、貴族子女。あらゆる女性がおかしな事になっているのだ。


 何が彼等をここまで突き動かすのか?

 うーむ。たしかに謎だ。


「何か変わった事は無かったか?」

「うーん?」


 タツキが訊ねたのは、ちゃんとした女子であるハルカとミリー、イユだった。フィオルはイベントに詳しそうに見えて、実は全く知らない世間知らずなので除外する。


 タツキに訊ねられたハルカは、何度か首をひねった。

 何分か歩き続けて、無事に食料庫から帰ってきた時。ようやく、ピーン、という効果音が聞こえてきそうなほどハルカの表情が明るくなった。


「チョコレートだ!」

「ああ、うん。チョコレートは加害者だよなぁ」

「そう! 正に加害者はチョコレートなの! 厨房の子達や街の人達、チョコを買う前と買った後で、全然雰囲気が違うのよ!」

「「はい?」」


 ハルカ達は、買い溜めていたチョコレートを使っていたので別段変化は無い。加えて、彼女達が余らせてしまったチョコをお裾分けしてもらった女性達も、みんな大丈夫だった。

 それが、厨房にいた者達は違った……。


 なるほど、加害者はチョコレート。

 俺達はもう一度だけ、厨房という名の魔境と化した空間へと潜入を試みた。


 結果。


「アッサリチョコレート入手、ですわね」

「えっと、クータンテール産のカカオを使用した、手作りチョコに最適なミルクチョコ、だって。説明文は変じゃないね」

「堂々と怪しいチョコだと書くおバカはいないでしょう」

「たしかに。じゃあ、鑑定! ……うーん、こっちも変なものは無いけどなー」


 俺とハルカで、入手したチョコを検分する。ハルカは特に変なチョコじゃないという鑑定結果が出たようだ。実に怪しい。


 ああ、ハルカが怪しいのではなく。チョコが、な。


 自室へと戻ってきた際、女性が一緒だった事もあってちょっともめたのだが……そこは割愛しよう。

 色々あって、ハルカ達も被害者である事が分かると、ようやく俺達を信じてくれたようだ。今はのんびりとイスに座ってくつろいでいる。


 ああそうだ。俺も一応、鑑定しておこう。



【 チョコレート ※ 危険 】


 世界的に有名なチョコレート製造社製。クータンテール産のカカオを使用した、手作りチョコに最適なミルクチョコ。程好い甘さとクリーミーな口解けは、あらゆる人を虜にする。

※偽装 中毒物質 : クータンテールカカオの皮

 クータンテールカカオは、加工すると美味しいチョコが生産可能。ただし、香りが良いからと皮まで使用してしまうと、チョコに使用している種部分と反応し、催眠作用を引き起こす強烈な香りを発してしまうので注意!



 ぅおーい。

 思いっきり『偽装』って出ているのだが。


 え、何、催眠作用って。


 俺は試しに、しっかりと封のされていたチョコを取り出し、それをルディに差し出す。ルディは素直で、俺が差し出したチョコレートを何の疑いも無く即座に口へ放り込んだ。


 ……良心が痛んだ。


「ルディ」

「はい?」

「俺よりタツキが好き」

「……僕は、タツキ、様が……す……って、何言わせてっ!」


 ああ、確定。ルディは何か俺に執着しているようだからな。こういった話題になると、即座に否定するはずである。ノリツッコミもしない、デリケートなお話なのだ。

 それが、好き、の『す』までは言いかけた。渡したチョコレートが少量だったからすぐ正気に戻ったのだろうが、これがもし、大量にあったら。


 大量に……そう、それこそ、世界中に拡散していたら。


「ねえ、今、ルディ君の目が一瞬うつろになっていたけど大丈夫?」

「まずい」

「だよね。一応回復魔法をかけて――」

「フィオル! ムリヤリにでもこのチョコの生産、輸送、販売、使用、誤飲を何とかやめさせろ!」

「えっ、はい?!」


 催眠作用による、チョコの大量販売。および、非常に悪質な嫌がらせ。

 途轍もなく、ほんっっとぉおーーーに、途轍もなく。



 ムカついた。



「限定的に問いかければ、あるいは」

「あのぉ、スイト君? ものすごぉく、嫌な顔になっているのだけれど」


 何を言うか。俺は満面の笑みを浮かべているだけだというのに。

 まあ、この上なく含みを持った笑顔である事は認めるが。


「ハルカ様」

「えっ、はい!」


 あくまで声はまだ女性。服装をまだ変えていないからな。

 ただ、それまで出していた声を、3段階ほど低くして、ハルカに話しかける。


 ハルカ自身は、身体全体をビクつかせて、目をまん丸にしていた。


「このチョコレート。どうやら催眠作用があるようなのですが。世の女性に売った者は、何を考えて、これを売ったのでしょうね?」

「え、何でって。うーん。チョコをもらえない人が、ただでさえもらえる人に対する性質の悪い悪戯とか、嫌がらせ、とか、憂さ晴らし、的、な……?」


 頭に浮かんだ事を素直に話している内に、ハルカの表情が曇っていく。


「え、じゃあ何。みんなが狂ったようにチョコをばら撒いているのって、モテない人がモテる人にやった、超大規模、それも世界規模の嫌がらせだってこと?!」


 サイテー! とハルカが叫ぶと、ミリーとイユも普通の音量でサイテーと連呼する。後ろの2人はあまり乗り気ではないらしい。


「そうなりますわ。これは、ちょっと、お仕置きが必要だと思いません?」

「お金儲けも出来た上、恨みも晴らせる。たしかに良い考えだが、世界中の人を敵に回すほどのリスクを背負っているとなると、最悪の手だな、こりゃ」


 女性だけでなく男性の賛同も得られた。うん、これ、凄く良い考えじゃないか?


 乗り込んじゃう?

 乗り込んじゃおう。

 乗り込んじゃえー。


 食料の心配は無くなっても、こちとら部屋に閉じこもった上に不本意ながら女装もさせられたのだ。

 それと、会社が魔族領内にあるというのが、何ともご愁傷様である。


 何せ。

 魔族の至高、魔王陛下その人を怒らせた上、泣かせたのだから。


「全員、覚悟は良いですわね?」


 そりゃあ、ボコボコに殴った上、牢屋にぶち込みますとも。



 チョコの香りを強制的に排除したためか、人々は徐々に正気に戻っていった。

 この日、異世界のホワイトデーはその様子を一変させ、チョコの大部分がガスマスクを着けた者達によって処分された。


 城からチョコレート臭を完全に消し去った時、ハルカ、フィオル、他チョコに煩わしさを感じていた男女が一様に声を揃えて叫ぶ。


「「「スッキリ!!」」」


 翌年から、俺達の世界、日本の文化を参考にしたホワイトデーが採用される事となる。

 バレンタインデーのお返しをする日。そう、法律で定められるほどに、今年のホワイトデーは魔王に恐怖を与えたのだった。



 時は夜。


 ドレスもウィッグも取り去って、シャワーも浴びて、あったかいお湯にも浸かって、気分は超爽快。地味にダメージを受けていたのか、強烈だったチョコの香りから開放されて、かなりスッキリしていた。


 鬱陶しかったチョコの香りは消え、あるのはラベンダーの香りだけ。


 俺だけになった自室は静まり返っていて、俺自身、非常にリラックスしていた。

 髪をきちんと乾かして、バスローブから部屋着に替えて、後は寝るだけの状態。


 寝れば、騒がしかった1日が終わる。


「はずだったけど」


 ただ、すぐに寝付けるか、と問われると、違う。モンスターとの戦闘とは全く違う、精神的なダメージは肉体にも特殊な披露を蓄積させてくるのだ。

 心身ともに疲れすぎたらしい。リラックスはしてはいるが、瞼が全く重くない。


 仕方無いので、眠くなるまで城内をうろつく事にした。


 寒いと眠気から遠ざかりそうなので、隠し通路は使わない。あの通路は、夏でもひんやりしているらしいからな。


 途中、何人かとすれ違うが、俺がいる事には気付かない。変装ではなく、単純に魔法で姿を消して、においや音など、いる事がばれそうなものを一切通さない透明な結界を張ったのだ。

 これで俺がいると気付けるのは、魔力が目で追えるタツキ、勘の鋭いハルカ、ルディの執念くらい。


 あとは……。


「ごきげんよう、スイト」

「やっぱり、ばれたか」


 一ヶ月前とは、その様子を変えた庭園。咲いている花が僅かに変化し、心なしか感じる温度も変化しているように思う。

 美しい三日月が浮かぶ藍色の空は、たくさんの星が煌いている。


 そこで1人、そわそわと落ち着かない様子でいたミリー。彼女は俺が来たと同時に目で追い、話しかけてきたのだった。

 ミリーは、単純にレベルの差が大きいから気付かれたのだと思いたい。


「大丈夫?」


 相変わらずトロンとした、眠そうにも見える瞳のミリー。イスに腰掛けていた彼女は、俺の顔色をうかがいつつ、心配そうに首をかしげた。

 大丈夫、と返すのはやめておこう。彼女は勘が鋭いし、疲れていることくらいはすぐばれる。


「寝付けない程度には疲れたよ。けど、歩ける程度には平気だ」

「そう」


 小さくホッと一息ついた彼女は、たった1人で紅茶を飲んでいたらしい。真っ白な湯気の立つ紅茶は、チョコとも花ともまた違った香りを運んできた。


 甘く、香ばしく、それでいて爽やか。

 ミリーが、淹れようか? と問うと、俺はああ、と答える。


 ティーカップは2つに増えた。


「こんな時間まで起きているのか」

「ん。というか、私は本来、眠る必要が無い。眠りたい時に眠るけれど、別に眠りたくなければ眠らない」

「それはまた……便利な身体だな」

「睡眠無効があれば、出来る」


 手に持ったティーカップで両手を温めながら、ミリーは1つ、溜め息をついた。


「どうした?」

「ん、どうもしない。けど、……う……」

「?」


 いつも無表情気味のミリーが、今日はそわそわと落ち着きが無い。無表情の割に感情表現は豊かなミリーの事だから、何かあるのだろう。

 だが、ここで問い詰めるようなことはしないぞ。


 女性が自分から話そうとしている事があるのなら、男は黙って聞くべきだ。話を聞かない男は嫌われるからな。って、これは女性でもありえる話か。

 チラチラとこちらを見つめるミリーは、チビチビと紅茶を口に含む。


 じれったいけど、こっちからは聞かないぞ。

 散々空気が読めないと言われているからな。こっちから雰囲気をぶち壊す事はしない!


 ……雰囲気? 何の雰囲気だ?


「あ、の」

「ああ」

「……こ、これ」


 ようやくミリーが出してきたのは、かわいらしい2つの小包だった。リボンがかけられている事からプレゼントらしい。

 一方は……チョコレートの香りがする。


「今日、あんな事が、あったから。受け取ってもらえない、かな?」

「い、いや。好意を無駄にするわけがないだろ。ありがとう」

「……ん」


 ふんわりと、柔らかな笑みを浮かべた少女は、頬を真っ赤に染めていた。

 手渡された小包は、一方は黄色の紙製の箱に入れられ、2/14と書かれたシールが貼ってある。もしかしてバレンタインデーのチョコか?


 もう一方は赤色の手触りがいい袋を、光沢のある黄色いリボンで留めたもの。こちらは一度開けたのか、リボンにちょっとだけ跡が付いている。中身を入れ替えたのかもしれない。もしかすると、チョコレートだったものを変えたのかも。


「中、見ていいか?」

「ん」


 コクコクと頷く彼女は、そのまま俯いてしまう。


 黄色の小包は、やはりチョコレートが入っていた。手作りらしい。既製品チョコ特有の光沢は無く、表面に緩やかながらも目立つ凹凸が残っている。


 赤い袋の方は、甘酸っぱい香りの漂うクッキー、いや、プチタルトだな。この香りはイチゴかカリベリーか。あるいは全く知らない世界の植物か。

 とにかく、美味しそうだ。


「今回は何も用意していないな……すまないが、お返しはまた今度で構わないか」

「いい。いらない。その。バレンタインデーの、お返し。だから」


 顔を茹蛸みたいに真っ赤に染めて、ミリーは小さく頭を横に振った。

 キラキラと、髪が月明かりに反射する。


「……えっと。えと」

「?」

「か、かえる」

「え、急に?! じゃ、見送りを」

「いい。大丈夫、だから」


 今にも湯気が出そうなほどに真っ赤な顔のまま、何の兆候も無しに、ミリーは急に走り出した。

 中身が飲み干されたティーカップはそのままに、とんでもない速さで駆け抜けるミリー。途轍もない速度で駆け抜けたというのに、風は一切起こっていなかった。さすが超高レベル。


「……帰るか」


 完全に見えなくなってしまったミリーから目をそらし、俺は紅茶を一気に飲み込む。それから部屋に戻ろうと立ち上がり、テーブルを背に歩き出す。


 思いついたように黄色い袋をからプチタルトを一個取り出し、頬張った。



「うん、美味い」



 ちょっとだけ大き目の声で呟けば、後ろにあったイスがカタリ、と動いた気がした。


 そういえば、ミリーは覚えているだろうか。

 俺の目が、魔力を見通せる事を。


 そして、この魔族領が魔力に満ちている事を。


 不自然に魔力の無い空間は怪しい。そこに『彼女』がいる事はバレバレだった。だが、種明かしを須磨でもなく誰かから言われるかもしれないし、俺が言い出すことも無い。


 俺は勘付かれないよう、脇目も振らずに自室へ戻る。

 今度は、ぐっすり眠りに付いた。


 ……夢の中で良い出来事があった気がしないでもないが、起きた時には覚えていなかった。


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