24 魔法の在り方
― ミルウィノ ―
それは言わば負け戦。
多分、私だけがやる前からそうだと気付いていたわぁ。
無詠唱で発動された大型結界。その中央にちょこんと立つ女の子。見た目がかわいい、とってもきれいな賢者様。同じ女の私から見てもかわいいわぁ。
「それでは、開始!」
Aランク担当教師であるガビック先生の号令が響く。
と同時に動き出したのは、魔法攻撃の威力ばかり気にする先輩。今日も縦ロールが目立っているわぁ。
ちょっとフライングしていたけれども、呪文を唱えてそれを解き放つ。
「これでも喰らえ、ですわ! 【スパイラル・ラブン】!」
高火力の風属性魔法。それを圧縮したものを作り出してきたわぁ。その威力を高めるのが、アチシの役目だよぉ。……気は進まないけど。
彼女、先輩だけどあまり尊敬していないのよねぇ。
「支援魔法:マジックブースト」
オリジナルの魔法。既存の魔法で言えば【マージサポート】だねぇ。文字通り、魔法の威力を上げる支援魔法よぉ。
攻撃魔法はその威力。防御魔法はその硬度を上げるのよぅ。
これを、仲間である4人にかける。
魔法攻撃力、魔法防御力はさっきの2人。あとの2人はよく分からないので、物理攻撃力と物理防御力を上げる【フィジカルブースト】をかけておくわぁ。
さて、あとは様子見よぅ。
―― とは、言ったものの。
開始の合図が放たれてから、僅か5分。
まさか、最初に防御に優れた先輩がやられるとは思わなかったわ!
戦闘の定石に照らせば、最初に狙うべきは回復役。それがこの中にはいないから、次に支援役、魔法攻撃役、と、弱かったり装甲の薄い相手から相手したりした方が楽。
だというのに、賢者様はまず、防御役の先輩を潰しにかかった。
それが当然であるかのように、堂々と。
魔法先輩の魔法が、いともアッサリと防がれてしまった後に。
風魔法は炎属性の結界で打ち消す事が出来る。でも、アチシの支援もあって威力は中級以上になっていたはずの風魔法が、彼女の張った結界の前ではただのそよ風と成り果てた。
本人はアチシ達のいる結界を維持しながら、更に、密度の高い結界魔法を使っていたのだ。不意を突くような戦法でなければ、魔法先輩の攻撃は無効されるという事。これで魔法先輩が牽制され、攻撃として期待出来るのが他の2人になる。
さて、どうしよう。
防御力がある、という事が分かっている先輩と違って、彼等は何が得意なのだろう。分かるのは、女性の方が手に持つレイピアの扱いに慣れていそう、という事。男性はにやにやしているけど、手の杖には魔力がこめられているので、魔法タイプの可能性が高い。
「来ないのかなぁ?」
アチシが仲間の事を考えている時、賢者様は怪しげな笑みを浮かべた。一見優しげな笑顔だけど、敵対している状態のアチシ達にそうは見えない。
肌がピリピリとした痛みを覚え、無意識の内に足が後ろへ退いて行く。
一歩、二歩と。彼女は動いていないのに、アチシの方が遠ざかる。アチシの魔法は距離があまり関係無いからまだマシだけども……。
知らない2人、特にレイピア女子は距離が開くと不利になりそうなのだけれど。
「じゃ、こっちから行くよ」
賢者様はおもむろに杖を取り出す。きれいな枝の形をした、水晶系の杖。どう見ても超貴重なレアアイテムじゃん。
練習用によく用いられる木製武具、冒険者ビギナーのお供な鉄製武具。武具は材質によって、大まかだけど希少度合いが判別できる。何事にも例外があるとはいえ、賢者の使う武器だ。あの杖はきっと、希少価値の高い水晶系武具だ!
水晶系というのは、魔力のこもった宝石から作られた武器とかという意味じゃない。かつて、この世界に平和と規律をもたらした神々が、この世界に残した『雫』と呼ばれる物質を使用した物の事。
あの杖は薄い紫色だから、平和の女神ヘスカトレイナの涙から造られているわね。という事は、攻撃系の魔法には何かしらの制限があるはず。
杖を出したということは、攻撃魔法を使うと言う事かしら。回復特化の賢者様だし、攻撃魔法は不得意だと考えたいわね。
「ねえ、多対一の攻防戦で言うのもあれだけど。ちょっと、防御力対決をしてみない?」
彼女がそう話しかけたのは、防御の先輩。
「……どういう事だ」
「このままだと埒が明かないと思うの。だから、防御魔法対決、しましょう。私が結界を『飛ばす』ので、貴方はその場で、現時点で出せる最高硬度の結界を出してくれます?」
賢者様はニコニコと笑ったまま。
一方で、防御先輩はギリギリと歯を食いしばりながらジリジリと後方へ下がっている。
防御先輩はアチシの対極に近い位置取りだから、今賢者様は背中を見せて超無防備。……と、言えないのが辛いわねぇ。
彼女は後ろを向いているはずなのに、先程から感じている殺気がまだアチシを襲い続けている。
油断も隙も無い。
「……良いだろう。後悔するなよ」
ぶつぶつと呪文を唱えて、防御先輩は結界を張る。その上で盾を構え、物理攻撃も魔法攻撃も通さないつもりみたい。
まあでも、実際あの防御先輩の守りは堅いわよぉ。魔法防御力はこの学園一で、中級魔法程度なら耐えてしまえる。最近は物理攻撃に対する結界の強度や、自身の防御力を見直しているみたいよぅ。そのせいで、見た目がごついし、暑苦しいし、そもそも重過ぎるとぼやいていたわぁ。
まだまだ改善の余地ありの状態だけど、それは単に直接的な防御力に関しての話よぅ。
魔法防御力では、この学園の生徒を横に並ばせない実力派なのよ。
いくら賢者様でも、そんな彼の魔法防御力には勝てないかもしれないわぁ。
「じゃあ、行くよ」
賢者様は杖を防御先輩に向けると、杖の先に何か、丸い物体が現れた。
ガラス球、みたいな見た目だわぁ。
でも、ガラス球を出す魔法なんて知らないし、そもそも防御力対決、よねぇ?
一体、何を……。
「攻撃は最大の防御と言うけれど、逆もまた然りだと思うの。というわけで、名付けて結界球。私が出せる最高硬度の結界を圧縮してみました!」
ふむふむ? 魔法を圧縮して威力を出す、という方法を、結界で試したわけねぇ。
……。
はい?
「どーん」
ガギュッ! と、賢者様の結界球と、防御先輩のドーム状に展開された結界がぶつかり合う。
結界魔法を鈍器として使った攻撃魔法。
防御先輩の結界の方が硬ければ、賢者様の結界球が崩れる。逆に賢者様の結界球の方が硬ければ、防御先輩の結界が崩れる。
とはいえ、推進力のある賢者様の結界の方が有利な気がするのよね。
あくまで防御力の勝負だし、これは持久戦に……。
……。
……ッ!
「そんな、バカな……」
結界がぶつかって、たった30秒。
たったの30秒で、その場が静かになった。
ぶつかりあっていた間、結界と結界球の間には火花が散り、ずっと轟音が響いていた。しかし、それがたったの30秒で静まったのだ。
原因は明らか。
防御先輩の結界が、ひび割れたガラスのように割れていた。
「ば、バカな。俺の、最高硬度の結界が……」
「自分自身を包む結界にしては、装甲が薄すぎる。攻撃を1回止めただけで消えちゃうよ、これ。まるで、飴で作った風船。穴を開けても割れはしないけど、薄くて脆い」
徐々に空気に解けていく結界を見て、少なからずみんなが納得する。まるで、飴細工の中に防御先輩がいるみたいな、そんなイメージが容易く出来てしまった。
対する結界球は、まだ傷1つ付いていない。
「あ、あああああ!」
防御先輩はもう一度、結界を張る。今度はドーム状ではなく、盾に直接結界を張る魔法だ。魔法を展開する範囲が絞られる分、硬度はドーム状よりも高いかもしれない。
「うん、さっきよりは良いね。良いけど、もったいない」
賢者様は未だ余裕の笑みを浮かべる。
アチシは防御先輩に行動速度上昇の魔法:スピードアップをかける。これであの重い鎧でも普通の速度で走れるはず!
一方、賢者様は笑顔のまま、先程から出しっぱなしの結界球を向かってくる防御先輩に向けた。
これは防御力対決。けど、これは一種の攻撃力対決である。
再び、鈍く、それでいて高い音が周囲に響いた。
「結界の強度。場所によってムラがある。本当にもったいない。魔力制御がおろそかになったね。やっぱり鎧が重過ぎるのかな?」
盾を覆う結界が、またも飴細工のように割られ、防御先輩自身が、大きくなった結界球に閉じ込められてしまう。
「な、そん、な……っ」
「思うに、鎧や盾を身に着け始めたのは最近ですよね。まだ重い装備に不慣れという事かな。けれど魔法を活かすなら、軽くて丈夫で、何より動きやすい装甲にした方がいいですよ。その鎧、性能は良いけど、貴方のスタイルと全然合っていないから」
防御先輩の戦闘スタイル……。たしか、後方で結界を仲間に張っていく、というのが本来のスタイルだったはず。それが賢者様に通じなかったからこそ、特攻に近い形になっていた。
あ、でも待てよ。
防御先輩って、元々動き回る方だったかも?
そうそう。射程が短いからって、仲間の結界を逐一張りに行くスタイルだった。でもそれだと効率が悪いからって自らが前線に出るスタイルに変えていこうとしていたわ。
「あの。今の私の魔法。ちゃんと見ました?」
「な、何の事だ」
「貴方を閉じ込めている結界の事です。私、遠くに飛ばしたり、貴方を閉じ込めたりするのに使っていますよね。これ、貴方のやり方に合っていませんか?」
「……あ」
そういえば、彼女はその場から動かず、20メートル離れた防御先輩に結界を飛ばしていたわね。
あれなら敵をかく乱したり、仲間に結界を張ったりするのも楽。それも自身は動かなくて良い。制御力の関係で射程距離が短いとしても、結界が自ら移動する分、自身の移動が少なくて済む。それなら今着けている鎧も必要無いし、軽装にすれば結界を張る時間の短縮に繋がる。
彼の結界は強度にムラが出来やすい事から、動きながらの魔法に集中力が欠く事が分かった。ならあまり移動しない上で質を向上させる方法を、彼女が思いついたわけね!
よく見ているわぁ。
「じゃあ次。攻撃魔法の人と、幻覚魔法の人」
「え?」
攻撃魔法先輩、と、よく分からない人?
そりゃ、たしかに魔法用の杖を持っているけれども、どうして幻覚魔法を使うと分かったのかね? 魔法を使っているそぶりは見られないけど。
「さっきから何度も幻覚を見せようとしているみたいだけど、残念。私、スキル:全状態異常耐性Ⅴを持っているの。さっきからステータスの警告音がうるさいから、止めてくれない?」
「ぜ、全状態異常耐性、Ⅴ?!」
耐性取得は、レベルを上げる事で自然と入手できるものもあるけれど、その多くが実際にその系統の攻撃を受けることで身に付く。
毒耐性であれば、毒を浴びる、毒を飲むなど、毒を摂取する事で手に入れられる。ただ、こういうバッドステータスの耐性は手に入れようとするだけで危険が付きまとう。たとえリスクを棚に上げて経験値を得たとしても、Ⅴを手に入れるなんて、気が遠くなる作業だ。
それを、既に手に入れているというの?
ちなみに後で聞いたら、それをデフォルトで手に入れているというから驚きよぅ。
とはいえ、それがどうした、という事にはなるのよねぇ。
「慌てないでねぇ。状態異常でなければ良いのよぅ。できるかしらぁ?」
幻覚には二種類ある。1つは、相手の目や耳なんかに直接作用するバッドステータス系の幻覚。もう1つは、周囲に実際には無いはずの物を魔力で映し出す幻覚。
幻覚の多くは前者を用いるけど、それがあの子に効かないならもう1つをとるまでよぅ。
どうでもいいけど、防御先輩は出してあげないのかしらぁ? 本人は既にギブアップしているみたいだし結界の外に出してもいい気がするのよねぇ。
「出来るとも! それだと君達にもかかるから、気を付けたまえ!」
「誰に物を言っていますの?」
「動かないアチシには、そもそも関係ないねぇ」
「早くしてください」
女子三人に手厳しいコメントを繰り出されつつ、彼は呪文を唱えた。
すると、土が棘となって賢者様を襲い、水の珠が上空から落ち、小さな竜巻が彼女へ突進しながら、炎が四方八方から浴びせられる。
この中の幾つかが本物、という事かしらね。
「おぉ、いっぱい! 良いね。魔法なら結界で防いじゃうけど!」
本日3つ目の結界。賢者様は汗1つ垂らさず、幻覚も本物も関係無く防ぎきる。
それどころか……。
「ねぇねぇ、ミラーボールって分かる? 光を反射するボールなのだけれど、やってみるね!」
「やってみる……? 嫌な予感がいたしますわ! 【アルフィレイン】!」
賢者様が一度結界を解いた隙に、攻撃魔法先輩が炎の雨を降らせる。それに合わせて幻覚君が幻覚で炎の雨を複製。どれが本物か分からなくなった。
「うん、と。本来の意味とは違うけど。マジックミラー!」
魔法名だろうか。あと一呼吸もしない内に炎の雨が降り注ごうとしたその時、賢者様はそう叫んだ。
途端。
彼女に向かって降り注ぐはずだった炎の雨が、彼女の周囲に突如として現れた結界に阻まれる。しかしそれらは消えるわけでなく、幻覚も本物も入り混じったまま、四方八方へと飛び交った。
そう、まるで、結界に弾かれたかのように……。
いや、正に弾いたのだ。ドーム状の結界に炎の雨が当たり、角度がランダムに変化して弾かれているのである。正にマジックミラー! 本来の意味としては、表は鏡、裏はガラスのような性質の物。たしかに本来の意味とは違うわねぇ。
というか、今ので制御不能になった炎の雨が、攻撃魔法先輩と幻覚君にもろに当たった! 幻覚君ってばケガはしていないのに怖くて気絶したみたいだねぇ。実力はあるけど、ボンボンだねぇ。
攻撃魔法先輩は火傷を負ったみたい。攻撃魔法に専念しすぎて、防御魔法が出せなかったらしい。水魔法で簡単に消せるのに、咄嗟の事で出来なかったようだ。
残るはアチシとよく分からない女子2人だねぇ。
「そこの君。支援魔法担当か」
「そうだよぅ。貴方はぁ?」
「攻撃魔法、だが、剣に様々な効果を付与させるものだ」
「じゃ、付与魔法のブースト、物理攻撃力上昇、移動速度上昇かなぁ。任せてぇ」
「かたじけない」
あ、この子。東の出かな? 面白い言葉だよぅ。
支援魔法をかけて、と。物理攻撃もあの結界の前には激弱かもねぇ。
「ハァ!」
レイピア。それを彼女が振り下ろすと、ぶわ、と砂埃が舞った。
おぅ、まだ攻撃力上昇はかけて……あ、さっきかけたわぁ。それでも、剣の一振りでアチシが飛びそうになるなんて。もしかしてこの子、元々強い?
もしかすると、もしかするかもしれないわぁ。
アチシは宣言どおりの支援魔法を彼女にかける。すると、彼女は一瞬だけ感触確かめるようにレイピアを握り直した。そうして、にぃ、と笑みを浮かべる。
「私の予備のレイピアがある。それで一閃交えたいのだが」
「ああうん。雰囲気で言われそうだな、とは思ったけれども」
気付くと、彼女の手にはレイピアが握られている。土魔法で作った? この短時間で? こちらがやる事を予測して?
というか、賢者様だよね。そもそもレイピアを扱えるのかしら。
「レイピア、は、初挑戦だけど、大丈夫」
アチシの心を読んだのかしら?!
アチシが首を傾げるよりも前に、賢者様はニコニコと笑いながらレイピアを振り回す。
意外にも様になっているわね……。
「武器の扱いはこちらの方が有利、という事ですか。こちらにはサポートもいますし、勝たせていただきます、賢者様」
「んー……」
賢者様はまだレイピアを前後左右に振って感触を確かめている。
その表情からは笑みが消えていた。
レイピアは主に突くことで攻撃する武器。両刃だけど細身であるため、なぎ払う攻撃だと折れやすいのが欠点だ。この世界では、その折れやすさを魔法でカバーし、むしろなぎ払う攻撃の方が主流となっている。賢者様は魔法の無い世界から来たらしいし、突攻撃が基本となる可能性が高い!
アチシは、支援魔法でレイピア女子の剣を強化する。無系統魔法:硬質化。生物にかける事の出来ない、物質を硬く、丈夫にする魔法だ。
剣であれば折れ難く、盾であれば壊れ難くしてくれる。効果時間の短い魔法だけど、戦闘では本当に便利な魔法である。
「んぅー……」
賢者様がまだ唸っている。
「先手必勝!」
それを隙と捉えたレイピア女子が、賢者様に直進した。ただの突剣ではありえない、いかにもなぎ払うような構えでもって振りかぶる。
一方の賢者様は、こちらの動きを目で追いつつ、何の構えも無い。
模擬戦であるため剣の刃は潰れた練習用のレイピアでも、当たれば痛いはず。せめて受け止めて……。
「 ―― うん、このくらいかな 」
ガギィン!
甲高く、金属同士がこすれあう音が響いた。
ただ剣が交わっただけでは出ない衝撃波が、土埃を巻き上げる。
今の音。賢者様も咄嗟に剣を構えたらしい。しかも受け止めたという事だろうか。土埃のせいで、結果以内の視界は悪くなっている。条件反射で口を覆っていたから、土が口の中に入る事は止められた。
一体どうなったの?
状況確認のために、風魔法で土埃を払う。本来なら自身の居場所を相手に教えるような行為だけど、まあ模擬戦だし、観客もいるし、見えた方が良いよね。
風魔法で巻き上げられた土埃を収集し、そのまま地面に戻す。
そうやって視界確保した時、信じられない光景が広がる。
レイピア女子は地面に仰向けで転がり、レイピアは遠くへ弾かれ、胸辺りを賢者に踏みつけられて動けずにいる。更に、賢者様の持つレイピアは、潰れた刃の切っ先がレイピア女子の喉下で光り、少しでも動けば誤って刺さってしまいそうである。
「チェックメイト」
そう、また余裕の笑みを浮かべた賢者様は、悔しそうに睨みつけるレイピア女子の視線を静かに受け止めていた。
ボードゲームに使われる、勝利の決定した際に放つ言葉。
アチシは攻撃が不得意で、支援以外の魔法はうろ覚え。唯一と言っても良い攻撃力であるレイピア女子は行動不能。
完全に、負けである。
先程聞こえた金属音は、レイピア女子の武器を弾いた音だったらしい。弾いた衝撃でふら付いたところを見逃さず、足を掛けて転ばせ、立てないように踏みつけてからのレイピアでとどめ一歩手前の状況を作ったと。そういう感じかな。
何それ。
賢者様って、もっと物静かというかさ、武闘派のイメージなんて無いよね。
平和な世界から来たのよね?
何、この人。
超、強い。
「あはは、ダメだこりゃ。ギブアップ。先生、アチシ棄権するわぁ」
「え……あっ、はい! 勝者、賢者ハルカさん!」
拍手がいくつか聞こえてきた。
ここにいる生徒の大多数が、この結果を呆然と見つめている。だから拍手の数が少ないのだ。
圧倒的。
模擬戦という、死の危険が無い試合だったからこその油断。それを見逃した失態が、相手の実力を見誤る大失態を加速させた。
完全なる敗北。
身近にモンスターのいない、死の危険が身近に無い筈の世界から来たはずなのに、死の危険が身近にある私達が完全に負けた。
彼女は回復特化。要するに、回復以外の能力はそれなりという解釈は正解だと思う。けど実際に戦ってみれば、彼女は『元々オールラウンダー』から回復特化にシフトした事を理解させられた。
やろうと思えば、彼女は前衛だろうが後衛だろうが勤められるのだろう。
たまたま彼女自身の目指すべきものが、回復役だっただけ。
何より彼女自身、肝心の回復魔法を使っていない。
本領を発揮させる段階まで、アチシ達の力が及ばなかったという事だ。
「うーん、回復魔法を見てもらおうと思っていたけど、何か白熱しちゃったね。あ、ケガしている人、いたよね。治します!」
賢者様は防御先輩をゆっくりと降ろした後、火傷を負った攻撃魔法先輩の方へと向き直る。
そして、杖を一振り。それだけで攻撃魔法先輩が淡い青色の光に包まれた。完全無詠唱には先程から何度も驚いているけれど、何よりその速度と性能に驚いた。先輩が負っていた火傷が、きれいさっぱりなくなっているのだ。
アチシは違うけど、詠唱を破棄した多くの人は魔法の精度がガクッと落ちる。理由は定かになっていないけれど、ともかく完全に詠唱、名称共に破棄しているのに、先輩の傷がきれい消えたのだ。
それも、ケガを負う前よりも肌が潤っている。これはオプションを付ける余裕もあるという事だ。
彼女はアチシと同じ、呪文よりもイメージを明確化する事によって魔法の精度を上げる『イメージ法』を使っていると見た。
どう見ても魔法を使いこなしている彼女達がこの学園に来たのは、おそらくイメージ法を広めるためだ。どう考えたってイメージ法の方が威力は増し、効果も増した上で、効率も上がる。おそらくこれまで魔法を使えないと嘆いていた子達のほぼ全員が、魔法を使えるようになる。
魔法の常識に革命を起こす。これが、彼女達がこの学園で成そうとしている事。
彼女はそれを手っ取り早く見せつけたのだ。
「賢者様は、凄いねぇ」
「あ、えっと。ミルウィノちゃんだよね。同い年の」
「ええそうよぉ。今の模擬戦、完敗だわぁ。まさか、賢者様も『イメージ法』の使用者だったなんてねぇ。素直に驚いたわぁ」
アチシが話しかけると、賢者様はニコニコしながら応じてくれた。けれどアチシがイメージ法の名を出した所で、賢者様の顔色は一変する。
余裕の笑みから一転。真剣な眼差しが、アチシに刺さった。
「私も驚いたよ。ミルウィノちゃんは、独学でそれに辿り着いたの?」
「そうよぅ。アチシは入学当初、文字が読めなかったのよぅ。だからその分イメージを固めてみたのよぅ。……最初は驚いたわ。教科書に書いてある事とはまるで真逆の事をしているのに、むしろそれより良い魔法が使えてしまった時は」
詠唱が大事だと説く教科書が、教えてくれた。
文字の読めないアチシの魔法。魔法を教えてくれる先生の魔法。どちらがより優れた魔法を出せているのか、どちらがより正しく魔法が使えているのかを。
アチシのやり方の方が正しかったのだ。
「ミルウィノちゃんだけが、私の魔法の使い方に驚かなかった。正確には驚き方が違っていた。だからもしやと思っていたけれど、まさか本当にそうとはね」
賢者様は柔らかな笑みを浮かべて、こちらへ手を伸ばしてくる。
「ミルウィノちゃん。支援魔法、教えてくれないかな。回復魔法はもう頭に入れてあるの」
「ミールで良いわよぅ。賢者様に教えるなんて恐れ多いけれど、こちらこそ、色々と教わりたいわぁ」
「ありがとう。私はハルカでいいよ、ミールちゃん。よろしくね!」
温かくて、柔らかい手が触れる。
アチシはそっと、気恥ずかしさを胸の奥にしまいこんで、彼女の手を取った。
ふふ、早速明日の朝、2人でお勉強会をする事になったわぁ。
放課後、それも帰りの遅くなった時間帯。黄昏色の真っ赤な光に照らされる廊下を1人でスキップする。この学園って面白い所も多いけれど、それ以上につまらない事が多いのよねぇ。
見たことは無いけど、Eランクの授業が酷いらしいのよねぇ。そこに通っている子は全員雰囲気がおかしくて、話しかけられないのよぅ。
加えてこの学園には貴族連中が多いのよぅ。アチシみたいな一般庶民、平民、農民なんかの出である生徒は肩身が狭いのよねぇ。
友達なんていつから出来ていなかったかしらぁ。
思わずスキップするほど嬉しいわぁ。
ああ、明日もあの子と話せる。それがこんなに楽しみなんて、小さい子供みたいなはしゃぎよう。
「楽しそうね。ミルウィノ=ミルーシャ」
後ろから、話しかけられる。スキップで進んだ一本道の廊下、その途中から。
人の気配なんて、感じなかった。いつからそこにいたのかしらぁ?
彼女は珍しい真っ黒な髪と瞳を揺らして、アチシに話しかけてきた。
「誰かしらぁ。貴方のような教師、見覚えが無いのだけれどもぉ」
「あらそう? まあ、来たばかりだからしょうがないか。……『それより、一緒に来てくれる?』 ちょっと話があるの」
目が、笑っていない。白衣を纏った彼女からは、ただならぬ不穏なオーラを感じる。
付いて行ってはいけない。怪しげな保険医みたいなこの人には。
「……足りないか」
「何がですぅ?」
「こちらの話よ。そうね、自己紹介をしましょうか。……『私は医者よ。気軽に博士とでも呼んでちょうだい。貴方の体調を調べたいのよ』……良いかしら」
「――……」
あ、ら? 何、かしら。
『博士』の声が、二重に、聞こえるわ、ぁ。
――……ッ!
「っう!」
思い切り、飛び退く。何かしら、これ。物凄く嫌な予感。
今、ほんの少しの間だけ、意識が飛んでいた!
『博士』は何を……。
……『博士』?
「まだ、かしら。しょうがない子ね。……『素直な貴方なら、私に付いて来てくれる。そうよね。いつものように』!!!」
「―― っぎ?!」
ドプン、と、沈む感覚に襲われる。
「……は、ぃ」
アチシの声が、遠くから聞こえてきた。
え、何で? アチシは、ここにいるのに。アチシは、ここから立ち去りたいのに。
どうして、勝手に身体が……。
「……『博士』に、付いて、いきます」
「良い子。試合の時から『良いモノ』だと分かっていたわ。昨日はやりがいが無かったのよね。何の反応も無いわ、実験は失敗するわ。この子は……単純に解剖でもしましょうか?」
かい、ぼう?
解剖、と言ったの?
アチシが『博士』に付いて歩き始めた途端に、彼女は笑顔を取り下げた。同時に、声のトーンが下がり、独り言が増える。
ただ、声が少なくとも分かる事はあった。
彼女の声には温度が無い。アチシに聞こえるような音量で話す割に、その言葉は温かみも冷たさも無く、あるのはこちらを恐怖に染め上げようとするものばかり。
「ああでも、構造はヒトと同じみたいだし、薬漬けも有りか。薬品は集まったから『こちらの人間』にも色々と聞くのかを検証しよう」
い、や。
「それとも同じような『検体』をいくつか集めて、それぞれで別の実験を行うか。しかしそれだと時間がかかる。まあ『この検体』だけで全てを検証できないからな。少なくとももう一体。三体は欲しいところだ。探せばいるだろうな」
嫌ぁ!
何よ、これ! 身体が言う事を聞かない!
逃げなきゃ、今すぐ、一秒でも早くこの場所から!
明日、ハルカと会う約束をしたの。
ねえ。
動いて。
動けぇ!
「……ッ」
たす、けて。
だれ……
か……
――
― ハルカ ―
誰かの声が、切実な声が聞こえた気がした。
でも、何度周りを見ても、窓の外を眺めても、そんな声の主でありそうな者はいない。
速攻でパーティの準備が終わっていたようで、セルク君やスイト君達が騒いでいるだけだ。誰かが助けを求めるような場面ではなく、むしろ雰囲気は和やかである。
けど、悪寒がした。
つい今しがた、もしくはそれよりも前から、事は既に動き出しているのではないか。
そんな予感が、私を支配していた。
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