47/ <前進の遺変/オルト> 3

 片刃剣によって切り口も滑らかに、玄関ドアを守る石像の首が飛ぶ。ムソウは跳び上がり、石像の首を蹴った。石の頭部は黄炎の男へと向かう。首のない男は鉤爪剣を振るい、それを真っ二つに切断した。重い音を立てて、割れた石像の首が高級絨毯に沈んだ。


 石像を蹴った反動で、天井近くまで跳んだムソウが玄関口を見下ろした。だがそこに超自然の色の炎は居ない。炎がムソウの真下に迫った。歪な刃が半月の弧を描いた。天井が粉砕する。剣が捉えたのは――天井の板だけ。白い切っ先が走った。鉤爪剣が片刃剣を受けた。首のない男が見たのは、楽し気に笑うムソウ。


『――――!』


 首のない男の胸を、ムソウの刀の切っ先が裂く。黄炎は追撃の刃を躱す。斬られた箇所からチリチリと火の粉が零れた。音もなく、ムソウは床に着地した。刃先に帯びた黄色の火の粉に、ムソウは目を細めた。


「何人もと剣を交え、あるいは一方的に屠ってきましたが――ああ、やはり怪物とは、人とは違いますね。剣筋も、体捌きも、身の感触も。人の肉体を模している以上、極めて近くはありますが――確かに違う。ああ、貴殿は確かに、人ではない。人ではない剣技を持っている」


 ムソウは剣を構え、深く息を吐いた。熱っぽい呼気が冷えた刀に触れ、刀身を曇らせる。


「――拙者は昂っております」


 男は笑む。指に熱がこもるのを感じながら。


「見知らぬ技。見知らぬ相手。それと剣を交え、技を見る。一太刀交えるごとに、力と才を感じ、一太刀躱すごとに、この身は高みへ一歩進む。もはや、人の中にはこの身を高き果てに導く者はなく。だが人でない者ならば、我が剣を次なる階梯へと導いてくれましょう。――さあ、熱を、炎を、拙者にくべて頂きたい」


 ムソウは体を低く構えた。鍛えられた筋肉に力がこもる。首のない男は理解する。この剣士の得意とする姿勢。一瞬で加速し、勢いを止めぬままに無数の太刀筋を浴びせる。一度触れればその剣は骨をも両断する、豪刀。


「貴殿を殺し、そして遺変<オルト>の糧へと捧げましょう」


 ムソウの姿が消えた。次の瞬間、首のない男のすぐ傍で、風を切り、刀が迫った。剣が交わる音。初撃を防いだ鉤爪剣は、そのまま刀を折らんと手首を返す。


「首なし騎士殿。貴殿は拙者と剣を交え、切り伏せるつもりがおありですか?」

『肯定する。我が身は死を預かる者ゆえに』

「本当でしょうか。無力化すれば同じこと――と思っているのでは?」

『……肯定しよう。我が身は人のいのりを聞くもの。しかして人のいのりを解せぬ。スラー・セジウィークの望みは生存すること。我が身はそれに従い、手段は問わぬ』


 ムソウは憂いの表情を浮かべた。ギシギシと、鉤爪剣の歪な形に捉えられた刀が悲鳴を上げる。


「悲しいですね。貴殿の炎を滾らせることが出来ない、この身が」


 首のない男は力を込めた。歪な方向から負荷をかけられ、片刃剣が軋む。ふと首のない男は気付く。僅かな違和感が鉤爪剣の柄に伝わる。――。ダメージを受けているのは、彼自身の剣だ! 悟った時には遅かった。ムソウの全身が力をこめた。振り上がった刀と共に――鉤爪剣の歪んだ刃が真っ直ぐに割れた。


『ぬ――、う……!』


 斬られた剣の先が、高い音を立てて床に落ちた。ムソウは鋭い空気を纏ったまま、怪異に向き合う。


「所詮は、人の想いの上でしか存在できぬもやでしたか。真なる怪異の太刀筋ですらその程度なら――もはや不要」


 剣は折れた。死色の炎はもはや、死を司どらず。


「この身を次なる階梯に導くことがないならば。――死せよ、怪物」


 刀が奔る。独特な構えから繰り出されるそれは、致死の一撃。自らの肉体を知り尽くした者が生み出した、無双の剣技。全身の筋肉をバネのように使い、全ての力を重ねた何をも斬り、叩き伏せる最大重量の攻撃。豪刀の名を冠するに至ったその技が、半分になった歪んだ刃を叩き割り、黄炎の男を斬った。


『ぐ、―――!!』


 傷口から炎が噴き上がった。人に似た体から、血液の代わりに炎が零れる様子は幻想的だった。構成された肉体から、力がこぼれおちるのを首のない男は感じていた。ああ、消えるのだろうと感じた。この形は霧散し、この身は人々のいのりの中へと戻る。


 受肉した体が炎と共に、形を失い消えゆく。それで――良いのだろう。元より命を持たぬ体、ただ正しき根源へと帰るのみ。小さなものが転がり落ちた。それは既に消滅した体の半分に仕舞っていたものだ。薄黄色の、儚い光。未完成の精製フィア。


『スラー……セジウィーク――……』


 死告を与えるばかりの己が、ただ一つ与えられたもの。自らの炎にも似たその光に手を伸ばした。――ああ、と想う。何故剣を取ったのか。いのりに応えるためだ。常に自らを苛むその声のために己は存在するからだ。


 だが、ただ一人のために剣を取ったのは……炎自身がそう願ったからだ。首のない男の手が、精製フィアを握った。フィアの神秘の光が輝いた。消えかけていた怪異の体に力が巡り、受肉した体が再生する。炎は立ち上がる。その手に真新しい鉤爪剣を携え、ムソウを睨んだ。


『我が身は――汝を殺す……!!』


 死色の黄炎が明々と噴き上がった。全てを燃やし尽くさんとする炎を見て――ムソウは笑んだ。


「ああ、それを望んでおりました。猛き炎の首なし騎士よ。貴殿の願い、貴殿の望み。確かに聞き届けました。故に――拙者は再び貴殿と剣を交えましょう」


 真っ直ぐな剣が首のない男へと向く。鉤爪剣の剣先もまた、ムソウを示す。


「この身はにして。貴殿の剣、改めて一刀に伏しましょう」


 ◆  ◆  ◆


 幾何学模様に手入れされた低木は夜の中、美しく整然としている。入る者を真っ先に出迎える広大な庭は、この邸宅の持ち主の裕福さを象徴する。


前進せたかめよ、前進せたかめよ、前進せたかめよ――>


 持ち主の自意識と偏った趣味が見える機械のオブジェを、遺変<オルト>が踏みつぶす。鈍色のオブジェはひしゃげ、ねじ曲がり、見るも無残に石畳の上で潰れた。


「はあっ、はあっ、あの愚か者め……!! 戻ったら殺してやる……!!」


 追われているのは銀の仮面を被り、黒い服を着た小柄な女。ネクロクロウは遺変<オルト>を睨む。遺変<オルト>の蹴りを受けたダメージはネクロクロウの体を苛んでいた。痛む体を無視して、ネクロクロウは遺変<オルト>を見据える。鎧を纏い、首のない人馬の形をした未だ幻想に至らぬ怪異。


 遺変<オルト>は人を殺し、その想いと魂を自らに取り込まんとする。激情家である自身が遺変<オルト>にとって上質な餌であることを、ネクロクロウは理解している。他の人間がいるのは邸内で、目標を変えさせるのも難かしい。元型が存在の虚ろな怪異であることも今の状況には良くなかった。ネクロクロウは残り少ない精製フィアを握った。


加速せよ<レラレクサ>


 フィアの輝きが、義足に宿る。自ら腕を断ち、脚を落とし、秘術<フィア>を操るために備えた特別製の術肢てあし。猛る遺変<オルト>を振り払い、庭木の隙間を駆け、ネクロクロウは走った。みるみるうちに遺変<オルト>を引き離してゆく。だがそれも使用したフィアが尽きるまでだ。念押しとばかりに、ネクロクロウはもうひとつ、わざを展開した。


壊せ<レスァープ>!」


 ネクロクロウが踏んだ地面から、両側に向かって力が奔った。庭の石畳を割り、秘術<フィア>の奔流が向かう先は、庭に飾られた前衛的な機械オブジェ群だ。破壊の秘術<フィア>を食らい、主の自己顕示欲を満たすオブジェは音を立てて倒れ、道を塞いだ。巨大なオブジェに阻まれ、追ってきた遺変<オルト>の歩みが、僅かに止まる。背中に呪いの咆哮を受けながら、ネクロクロウは更に加速した。一秒、二秒、三秒! 広大な庭を駆け抜け、ネクロクロウは玄関ホールへと飛び込んだ。


 そして数秒後、後を追って、遺変<オルト>もまたホールへと踏み込んだ! ホールのシャンデリアが落下する。床は蹄に砕かれ、絵画は破れ、客人の訪れを歓待する入口は見る影もない。


「ネクロクロウ殿、ご無事で何よりです」


 首のない男と剣を交えながら、ムソウが労った。そこに地響きをたて、ムソウと首のない男の間に遺変<オルト>が乱入した。


前進せたかめよ、前進せたかめよ、前進せたかめよ――!>


「おっと」

『ぬ――』


 二人は鍔迫り合いを止め、遺変<オルト>の突進から身をかわした。標的を見失った鎧人馬はそのまま突き進み、壁にぶつかった。壁は一たまりもなく破壊され、バラバラになった木片が四散し、彼らの足元に散らばった。


「やれやれ、もう少し引き付けていて貰えるかと思ったのですが」

「フン、片付けるのが遅い貴様が悪い。私はセジウィークを殺す。貴様はここで遺変<オルト>に食われて死ね」


 銀の仮面の上からでも分かる憎々しげな眼光をムソウに向け、ネクロクロウは地下室へと走り出す。それに気付き、追おうとする首のない男を、ムソウがやんわりと止めた。


『……!!』

「大丈夫ですよ」


 振り払おうとした黄炎にムソウは言った。その視線がちらりと窓の外を見る。そこには不可思議な燐光が舞い、緑色の神秘なる光で満ちていた。


「ええ、彼はもう大丈夫です」

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