48/ <前進の遺変/オルト> 4
「――
静まり返った研究室の中で、厳かな声がする。白と紺の荘厳なる衣装と銅色の仮面。緑に光る
四方には既に、精製フィアを積んだ小型機械を放っていた。術陣が構築され、屋敷の敷地一帯にフィアの力が満ちてゆく。緑の燐光が屋敷を覆ってゆく。銅色の仮面の奥から、グリフィンは呟く。
「――フィアは満ちたぞ、セジウィーク」
◆ ◆ ◆
スラー・セジウィークは地下室の階段を上がる。金属製の扉は冷たく、蝶番は重い。一階の廊下はしんと静まり返っていた。遠く、戦闘音が聞こえる。足早に進む彼が辿り着くより先に、扉が開いた。コツリ、と硬い足音がした。扉に立つのは人の姿。
「――スラー・セジウィーク」
「……ネクロクロウ」
銀の仮面を被った女は、手甲に緑の光を灯した。スラーが作り上げた完全なるフィア。
「腹はくくっているだろう、セジウィーク」
コツリ。殺意を纏わせた女がそこにいる。黒い髪と黒い服は闇から出るように。
「今の私は機嫌が悪い……!! 痕跡もなく、焼けて消えろッ!!!!」
ネクロクロウが駆けだした。拳にフィアを纏わせ、目の前の男を殺すために。だが、それ遮るように、何かが女の目の前を通り抜けた。
「――ッ!!!」
ネクロクロウが思わず足を止める。小さな駆動音。それは小型機械だった。背面にフィアの光を輝かせ、飛行型の小型機械は廊下を飛び、スラーの元へと舞い降りた。スラーが小型秘術機械を掴む。
「間に合わせてくれたな、グリフィン」
「貴様、それは――!」
小型秘術機械が運んできたモノをスラーは手にする。気づくや否や、ネクロクロウは床を蹴った。
「セジウィーク! させるか!
ネクロクロウの拳が一際強く輝いた。フィアの光がスラーの顔を照らし出した。
「――
スラーが呟いた。力ある言葉を。
ジャラリ、と鎖が鳴った。スラーの右手には細い鎖で繋がった五つの指輪がある。その一つ一つに小さなフィアがある。スラーの手に、神秘の光が形を成す。科学では未だ踏破できぬ、世界を変質させる
フィアを纏ったネクロクロウの拳を――槍が貫いた。
「ぐっ……!!?」
くぐもった声をあげ、ネクロクロウの腕が壁に縫い留められる。その腕を、緑に輝く非現実の槍が貫いていた。
「きさま……!」
槍を引き抜こうとした時、次なる槍が腕を更に貫いた。ネクロクロウの義手が割れ、大きな亀裂が走る。ネクロクロウは唇を噛み、声を耐え、スラーを睨んだ。スラーの五つの指輪が光り、そこから新たな槍が構成される。一本、二本――十数本のフィアの刃が宙に浮かび、ネクロクロウに狙いを定めていた。
スラーの手の五つの指輪が、仄かに緑の光を放ち、敵を睨む。
これこそが――スラーが設計し、グリフィンが完成させた秘術武器。五つの指輪に五つのフィアを宿し、それを以て自在にフィアを操る道具。グリフィンの
「充電池、というのを知っているかな? ネクロクロウ。通常、精製フィアは内部のエネルギーを使い果たせば用済みだ。空の石を廃棄し、新たな精製フィアを補充しなければならない。だが――私の作った精製フィアは、フィアを繰り返し補充できる。特に――このような大気にフィアが満ちた状態においては」
大量の槍を構成し、くすんでいた指輪の石が大気中に散った緑の燐光に触れた。途端、精製フィア石は輝きを取り戻した。
「五つの精製フィアを順に使い、空になる度に補充する。そうすることで、常に
同時に、不意を打たれたとしてもすぐさま
「さて――これで、君たちと私は互角だ。もはや君たちの言うが侭に動く存在ではないということだ」
今度は逆に、スラーが一歩近づいた。壁に縫い留められたネクロクロウの方に。背後からはフィアの光槍が彼女を狙っている。
「ここに私の
ネクロクロウたちは
「――やってみろ。そうなればこの上層ごと、叩き壊してやる。お前の生きるべき場所は消え、どこにも帰れず、何も成すこともない」
「都市上層を壊すだと? そんなことが……」
「ハ! 出来ないと思っているのか? こんな街一つ破壊するくらい容易い。貴様らは生かされているだけだ。破壊では為し得ぬことのためにな」
「それは――」
スラーが問おうとした時、ネクロクロウが刺し貫かれた腕を切り離した。スラーは咄嗟に光槍を放った。光槍が壁を貫き、木片が散る。だがそこにネクロクロウはいない。廊下の隅に、小柄な女の姿がある。片腕になったネクロクロウは憎悪を滲ませていた。スラーは身構えた。だがネクロクロウの拳にフィアの気配はない。
「腹立たしいが痛み分けだな。フン、こちらは四人殺したが、貴様らはこちらの目的を阻み切った。大したものだ、今すぐ殺してやりたい程にな」
ネクロクロウは吐き捨てた。
「まあいい、ここで貴様を殺しても、すぐに他の奴が情報を外部に送るつもりだろう?
逃がすまいとスラーが光槍を撃った。ネクロクロウはそれを残った左腕で止めた。掴んだフィアが光る粉となり、空中に霧散する。
「精々、あとは
ネクロクロウは壁を破壊し、荒々しく立ち去った。残されたスラーは息をつき、周囲に展開していた光槍を消失させた。
◆ ◆ ◆
屋敷全体を揺らす衝撃に、アンリエッタが姿勢を崩した。ジャックがそれを片手で受け止める。玄関ホールが破壊され、外には壁の破片が散らばっていた。
――呪いを吐く
街灯の光を受けて、黒く大きな影が闇を作る。
歩みを叫び。先行くものを踏みにじる恐怖の形。
「何だあ? 派手なことになってんな」
ジャックは眉を潜めた。アンリエッタははっとする。
「あの怪物は、下層で見た――」
「あ、アンリエッタ、あれが君たちの言う怪物か!? あんなものから逃げてきたのか!? 正気じゃない……! し、死ぬ……! もうおしまいだ……!」
「大丈夫よ、イルフェン。一度退けたんだもの。次は倒せるわ」
フリルを揺らし怯えるイルフェンの肩に、アンリエッタがそっと触れた。そしてジャックにちらりと視線をやった。
「この人たちが、だけど」
「ったく、グリフィンの奴、どこにいるんだ? もう研究室を出て下に降りたりしてねーだろうな」
廊下の先から人の気配がした。ジャックが顔を向けると、そこに銅色の仮面の男が居た。グリフィンも三人の姿に気付いた。
「おう、居たか。状況は分かってるか?」
「概ね理解している。ジャック、二人は無事か?」
アンリエッタは頷いた。
「ええ、おかげさまで。少し痛めたけど、これは私のミスだから」
「おい、スラーはどこだ? あいつは無事なのか!?」
周囲にスラーの姿が見えないことに気付き、食いかかったイルフェンをグリフィンは宥める。
「スラー・セジウィークはシャノンと共に電気の復旧に向かった。屋敷の様子を見るに、成功したのだろう」
「シャノと一緒じゃ不安だがな。こっちはネクロクロウに会った。それと、あの鬱陶しい記者女にも」
「サーシャ・ガルシアか? ウォルトン新聞社もここに来ているのか」
「サーシャはスラーの姉なのよ。だから私たちを先に行かせて、あのいけすかない女を止めてくれたわ」
「何だと……? 状況が複雑だな……」
グリフィンが研究室にこもっている間、多くのことが起こっているようだった。イルフェンは苛立ち、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「くそっ、今どうなってるんだ……!」
「とにかく……我々は
「また階段を戻るのか……うう、おっかねえ……」
イルフェンが心細く呟いた。ジャックはニヤリと口の端を上げた。
「一々戻る必要なんかねえよ」
「ん? どういう意味だ?」
グリフィンは溜息を吐いた。
「貴様の乱暴な考えには常々うんざりしている」
「何だよ、その方が早いだろ? このデカい屋敷を何度も往復するよりさ」
「待て、待てよアンタ! なんだか嫌な予感がしてきた!」
「大した事ねえよ、たかだか二階だろ」
「何で高さの話をするっ!?」
泣きわめくイルフェンをジャックは問答無用で抱えた。グリフィンは深い溜息を吐いた。
「私は必要ない。
「何だ、びびらせてやろうと思ったのに」
「そういう魂胆だろうと思っていた」
「箱入り女、お前は左だ。それとも上層暮らしのお嬢様はお姫様みたいに両腕で抱えてやらないと駄目か?」
「まあ、ふふ。そのくらいはできるわよ」
アンリエッタは微笑み、ジャックの首に腕を回した。ジャックの左腕が彼女の体を支えた。
「待て、待て、大体分かったが、心の準備が!」
「三秒で支度しろよ!」
「うわああああッ!!!!」
イルフェンの絶叫と共に、ジャックは二人を抱えて窓から飛び降りた。グリフィンは嘆息し、
◆ ◆ ◆
死色の炎が揺れている。冷たく、身を焼くことのない炎が。
その心は虚ろで、想いはすべて他人のもの。
声が聞こえる。――死を。死を、死を。死を与えんことを!
<ヒォオオオ、ヒォオオオ……ヒォオオオオ……!!!!>
鎧の人馬が
自らを作り上げた人の情動が、源流たるものがそこにある。
故に――それを殺さねばならない。それを消し去らねばならない。
人のいのりに望まれた幻想を、現実に顕すために!
<先に――この先に――
首のない男の目前に、白刃が飛んだ。見下ろせば翻るのは東方風の広く長い袖。死人の顔を覆う白布のようにそれは棚引く。
鎧人馬の攻撃を掻い潜りながら、東方かぶれの剣士と首なし騎士と呼ばれたるモノは繰り返し刃を振るう。ムソウの刀が迫った。首のない男は後ろに跳ぶ。その右足を
『ぬ……!』
「おや、ご注意を。貴殿を傷つけるごとに、
「む、まずいか――」
四脚で大邸宅のホールを踏み荒らし、向かう先はただ一つ。
首なし騎士として願われた、その身の元型、真なるもの!
そこには膝をつき、鉤爪剣を握る人の形を模した死色の炎の姿。
<
<オオオ……!!
『我が、身は――』
その
『汝のいのりに、応えず』
首のない男の拒絶を理解したように、
<ヒォオオ……ォオオオオオオ!!!!>
首のない鎧人馬の背後に、六つの骸骨が浮かび上がった。ケタケタと顎を鳴らし、その眼窩から口腔から、炎を噴き出した。髑髏から落ちる炎が階段を燃やし、壁を燃やし、装飾を燃やす。ごうごうと炎が猛り、視界を覆う。
否、それはただの炎ではなく。
在りし現実を歪め、架空をこの世に映し出す。
階段がねじれた。四方全てが――歪む。熱によるものではない。炎は目に映る形に過ぎず、その本質は、世界を呑み込む幻想。
燃え尽きた壁がぼろぼろと崩れ落ち、その奥から流れでたのは――荒野の風。乾いた砂に、鉄と腐肉の匂い。――そんなことがあろうはずもない。ここは上層都市。外を歩けば人と建物と街灯がある。
だが周囲を見れば、そこには無数の槍。串刺しの死体はとうに血も乾いている。荒涼とした荒野には、ただ一本、真っ直ぐな道があるだけ。道の横に立つ篝火が一斉に黄炎を灯した。
――奇妙で、ありえざることだった。
だが先程までティービー邸だった場所は――荒れ野へと変貌していた。まるで、現実を書き換えられたかのように。
「到達していましたか――」
ムソウの髪と袖が死臭まじりの風に揺れた。
「
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