39/ 死の剣は誰の首に 1

 都市中央駅セントラルステーション上層部。正しくは、第二都市中央駅ニューセントラルステーション。彼らは貨物線から下り、屋根が半壊した高級車と共に貨物預かり所に移動していた。シャノたちは車から降りる。アンリエッタは携帯電話セルフォンを手にどこかに電話をかけていた。


 首のない男も車外に出て、片腕で不気味な形状の剣を鞘に納めた。スラーは申し訳なさそうに、その様子を見ていた。


「すまない。君にこんなことをさせてはいけなかったのに」


 揺れる死色の炎がスラーに向く。

 首のない男にはスラーの言葉の意味は解らない。


「解らなくともいい。これ以上、私のトラブルに付き合う必要はない。自由にしたまえ」

『それが汝のいのりか、スラー・セジウィーク』


「――いや、それは問題がある」


 口をはさんで止めたのは、グリフィンだった。グリフィンは術杖つえを折り畳んで仕舞った。


「彼が本物の首なし騎士ということだ」

「むむ、本物の……とは? 偽物もいるのかね?」

「どうも、君は何もわからずに彼を拾ったようだな。一体どんな縁があったんだ?」

「科学技術会合の帰りに、茂みに倒れていたのを拾ったんだ。それだけだよ」

「……大物だな。その上、すっかり手なづけているようだ」

「失敬な、きちんとした対話の末だ」


 スラーはむっとした様子だった。グリフィンは話を続けた。


「知人であるオカルトの専門家曰く――本来出れば、首なし騎士というのは虚ろな現象であり、確かな形と自我を持つことはないと。だが――ここにいる彼ははっきりとした実体と意思を持っている。故に、問題だ」

「……遺変<オルト>?」


 シャノの言葉にグリフィンは頷いた。


「そうだ。確かな存在として確立した本物の首なし騎士。遺変<オルト>が怪異としてこの世に顕れる為に、これ以上なく相応しい格だ。何せただの噂でも虚飾でもない、人々が想像するままの真なる存在だ」

「あの怪物は一体? あれは、首なし騎士の彼とも違う。何か、揺らぎのような……未だ実態を得ない存在……まるで、空想から現れ出た幻影のような印象を得た。私は、ネクロクロウが差し向けたものだと思っていたが……」


 スラーの疑問をグリフィンは否定する。


遺変<オルト>を利用することは出来るが、遺変<オルト>を操ることは無理だ。それこそ、空想を御すことは出来ないように」

「では、あれは何故我々を狙う?」

「理由があるからだ。――遺変<オルト>は虚空より現実に生まれ落ちたるもの。形なき存在が現実に形を成すためには、参照となる形が必要だ。だが、完全にこの世に形を成すためには、参照した存在……『元型げんけい』を消し、無二固有の存在であろうとする」


 遺変<オルト>は既にある存在を食らい、自らがそれと入れ替わることでこの世への顕現を確かにする。故に、参照した存在を消すことが最後のキーとなる。


「あの遺変<オルト>の元型は――首のない彼、炎纏う死の怪物そのものの彼というわけだ」

「……本当に彼が怪物の元型とやらなのか?」

「確かなことは言えない。これはあくまで推測だ。もしかすると君や、アンリエッタ嬢かも知れん。ともあれ、君たちは今、二つの脅威に一度に狙われている、ということだ」

「……遺変<オルト>とやらが再び現れたらどうなる?」


 スラーの疑問に、ジャックが楽しげに笑った。


「あの遺変<オルト>は成長途中らしいからな。下手な場所に出りゃ、面白いくらい死人が出るだろうな」


 考え込むスラーの後ろに、死色の炎がゆらりと近づいた。


『――スラー・セジウィーク』


 人ならざるものは、地獄めいた低い声を響かせた。失った片腕から火の粉がこぼれているが、畏怖される容姿を持つ彼は、変わりなく立っている。


『我が身はもはや、汝がいのるに足らぬか』

「……君……?」

「彼、貴方に頼られたいみたいよ?」


 くすり、とアンリエッタが笑う声がした。振り返れば、新品の車を用意した彼女が居た。スラーは成程、と呟いた。


「いいや、必要だとも。何せまだ何一つ、君のことを研究してはいないのだからね!」


 スラー・セジウィークは快活な笑みで言った。普段の彼と同じように。スラーはグリフィンに向かって頷いた。


「分かった。私に考えがある」


 ◆  ◆  ◆


 車窓から、輝くネオンの都市が見える。対向車線に、ブリッツKNG1200と同じメーカーロゴをつけた車が過ぎ去った。下層の道路では周囲の全てを寄せ付けず、一際輝かんばかりだった高級車も、上層都市では調和している。


 遠くからでも、第二都市中央駅ニューセントラルステーションは眩く美しく、存在感を示している。下層であれば、セントラルエリアであっても、この時間まで眩い光が都市を照らすことはない。精々が街灯くらいのもので、路地に入れば途端に闇と犯罪者がうろつく場所になる。


 ぼんやりと外の風景を見ていたシャノを、スラーが助手席から振り返った。


「上層は初めてかね」

「いいえ、副業の取材で何度か。でも、このエリアは初めてですね」

「貧乏人がこんな所に用はねえもんな」

「何だよ、じゃあジャックは来た事あるのか?」


 ジャックはニヤリと笑った。


「あるに決まってるだろ」

「聞くんじゃなかった……」


 シャノは溜息をついた。グリフィンだって来たことがあるに違いないのだ。彼は立ち振る舞いからして整然としているのだから。

 彼らが向かっているのは高級住宅街だった。並び立つ家々は、下層の裕福層が住まうウエストエリアの住宅よりもさらに立派で、貴族でも住んでいるかのようだ。勿論、そんなことはない。この辺りに住んでいるのは事業で成功し、財を成した資産家たちだ。


 邸宅が集中している通りから少し抜けた先で、車は止まった。そこは一際大きな邸宅の前だった。車から降りると、まず人の背の三倍はあろうという門が彼らを出迎えた。


 スラーが呼び鈴インターホンを押すと背の高い門が自動で開いた。一行が足を踏み入れると、その先には広大な庭が広がっていた。幾何学模様に構成された庭には、高そうな石畳が敷かれ、噴水も二つあった。そして奇妙なことに、庭を飾る石像の代わりに、錆び付いた機械が幾つも置かれていた。


 一分ほどかけて広い庭を歩ききり、ようやく邸宅に辿り着いた。スラーが玄関扉をノックした。オーク材と洒落た金属装飾を組み合わせた重厚な扉は暫くしん、と静まり返っていたが、やがて観念したようにゆっくりと開いた。


 ギギイ……と重苦しい音を立てた玄関に立っていたのは、中年の男だった。くたびれてはいるが、未だ若々しく生えた金髪を丁寧に撫でつけ、髭も綺麗に剃っている。いかにも金持ち然とした男だったが、一点だけ目立つ所があった。纏う服が――明らかに女物なのだ。それも、フリフリと魅力的なフリルを沢山あしらった、少女趣味的なもの。


「やあ、イルフェン。夜更けにすまないね!」


 スラーはにこやかに言った。金髪の男は泣きそうな顔になった。


「ええと、彼がティービーさん?」

「ああ、そうだとも!」


そう、ここは六人の中で残されたもう一人、イルフェン・ティービーの邸宅であり、この怯えた顔でフリルドレスを着こんだ金髪の男性こそが、彼その人である。


「くそ、くそ、馬鹿野郎、本当にきやがった」

「君が出迎えてくれるとはな」

「当たり前だろ! 連絡があった後に、使用人は全員家に返したんだ! こんな状況で居させられるわけないだろ!」


 イルフェンが怒鳴ると、それに合わせてフリルが上下に揺れた。可愛らしく。

 

「そいつらは何だっ! その後ろのっ!」

「うむ、助っ人だ、イルフェン。彼らがいれば死なずにすむ可能性が跳ねあがるぞ」


 イルフェンは驚くとも、怯えるとも、怒るともつかない複雑な表情を浮かべ、それから忌々し気に言った。


「ああもう、分かったよ! 入れっ、全員さっさと! どうせ、もうここしかないんだ!」


 言うとイルフェンは扉を開け放ち、自分はずかずかと高級カーペットが敷かれた廊下を進んでいった。シャノたちは言われるがままに邸宅に入る。使用人の姿はなかったが、代わりに艶やかに磨かれた床板や、壁にかけられた大きな油絵が一行を迎え入れる。


「ああ、イルフェンのことは気にしないでくれたまえ。悪い奴じゃない。ただストレスに弱いんだ。そういう時はいつも、ああいった可愛らしい服を着て気持ちを落ち着けるのさ」


 ジャックは動力鎖鋸チェーンソーの入ったチェロケースを背負いなおし、ふぅんと呟いた。


「何だ、随分かさばる寝間着だと思ったぜ」

「ははは、勿論寝巻き用もあるだろうがね!」


 

 ティービー邸の広間は外観から想像した以上に豪華だった。天井には豪奢な金色のシャンデリア、ソファは細やかな鳥や花が舞う手縫いのファブリック製。壁には有名な絵画のオリジナルと、家主の肖像画が大きく飾られている。絨毯は、足を乗せると、すん、と全ての重みと足音を吸収するほど上質だ。


 ソファの定位置に座りつつも、イルフェンは落ち着きのない様子だった。シャノは大理石のテーブルに置かれたポットから紅茶を注ぎ、カップをイルフェンに渡した。


「ティービーさん、まずはお茶でも飲んで、落ち着きましょう」

「お前、それ俺が沸かした茶だからな」


 じろりとジャックはシャノを見た。ティービー邸の台所を覗いたもののシャノには勝手が解らなかったため、ジャックが紅茶缶と食器を見つけ、用意をしたのだ。イルフェンはカップを受け取ると、一気に紅茶を飲み干した。


「お、落ち着けなくて、当たり前だろっ、もう四人も殺されて……燃殻通りの件だっていつバレるか……そしたらスラーだけじゃない、俺だって殺される……」


 怯えるイルフェンに、スラーがうんうんと頷いた。


「うむ、すまない。そちらはバレていないが、喧嘩は売って来た」

「ばっ、馬鹿! 馬鹿野郎! ほんとお前は、若さにまかせるのもいい加減にしろよ!」


 終わりだ、終わりだ、とイルフェンは蒼白な顔で繰り返す。


「……最初はカイロだった。知ってるよな、ニュースになってるもんな。死んだカイロの遺体が見つかった晩――あの女が、ネクロクロウがまた現れた」


 あの夜、義手義足の女は再び現れた。血に濡れたカイロ・レンチドリビアのネクタイを持って。それはカイロが娘から贈られたと自慢していたものだったから、イルフェンはよく覚えていた。


『奴は我々との契約を破り、秘術<フィア>の情報を外部に漏らしていた。だから、殺した』


『お前たちはそのようなことはないと思うが――もしも、そうだとしたら、同じ目に合うと思え』 


 スラーは沈鬱に目を伏せた。


「そして、一人、また一人と奴らに感づかれ、殺された。ラスケット氏は大金を投じて周囲を守らせていたが……会合の賑わいに浮かされて油断したのだろうな。まさか、あのような場所で殺されるとは……」

「くそ、パーシーは俺が少し席を外した時に、奴らに殺されたんだぞ……」

「何を、私だってラスケット氏の首なし死体をだな……ウッ……思い出したら眩暈が……」

「うう、聞いただけで気分が悪くなってきた……」


 スラーとイルフェンは具合が悪そうに胸を抑えた。アンリエッタが憐れむ顔で二人を宥めた。


「もう、二人ともやめましょうね。自傷行為は」


 イルフェンはポットを掴み、大雑把に紅茶を注ぐと、もう一度ぐいっと飲み干し、スラーの隣を睨んだ。


「大体、なんだ、そいつ! その、頭がぼうぼう燃えてる、そいつだよ!」


 スラーの隣にはアンリエッタ。もう片側には豪邸の中でも変わらず火の粉を揺らす、首のない男。ああ、とスラーは膝を打った。


「彼は本物の首なし騎士だ。珍しいだろう」

「首なし騎士ぃ……!? おとぎ話の化け物のか!? じゃあ、そいつが黄金の昼の集いゴールデンヌーンの指示でラスケットたちの首を切って殺したのか!?」

「いや、彼は首なし騎士だが、その件とはほぼ無関係だ」

「はあっ? 何なんだよ、わ、訳の分からない状況だな……!」


 イルフェンは頭を掻き寧った。首のない男は地獄のような声で、厳かに告げた。


『イルフェン・ティービーよ。我が身は人に死を告げる者なれば、しかして汝にそれを果たすことはない』

「ひいっ、喋った! 頭がないのに!」


 高級ソファの背もたれにイルフェンはのけぞった。


「本当に首なし騎士が居て……しかも普通にソファに座ってるなんて、変な感じだなぁ」

「そういや、ムソウのヤツ、首なし騎士を探してるんだろ。連絡しなくて良いのか?」

「ややこしくなりそうだけど、一旦連絡は入れたほうが良いのかな。いや、その前に彼の同意を取らないと駄目か」

「確かに、そうだな。きちんと意思があるようなのだから」

「な、な、何でスラーもおまえらも、落ち着いてるんだよ……!」


 恐る恐る指の隙間から首のない男を見るイルフェンをよそに、シャノはスラーに尋ねる。


「……セジウィークさんはこれからどうするつもりなんですか?」

「うむ、私はフライブレスを完成させる」


 スラーの目は力強く、やるべきことを確信している顔だった。


「彼らの目的は秘術<フィア>の技術を得ること。そして自分たちの他にそれを知る者を消すことだ。例え裏切っていなくても、フライブレスの技術を得れば、彼らは最後には私とイルフェンを殺すだろう。だから、それを無意味にさせる。つまり――フライブレスを完成させ、彼らを倒すしかない」

「フライブレスを……秘術<フィア>を完成させたとして、勝つための算段はあるんですか? ネクロクロウはただ秘術<フィア>を扱うというだけではありません。鍛えた人間の動きです」

「何、我々の技術だって強い。それに、君たちも手伝ってくれるんだろう?」

「ええ、それは勿論」


 広間の大きな窓は正面の庭園へと向いている。昼間であれば、招かれた客人は美しい幾何学模様の庭を眺めることが出来る。夜の冷気を纏った窓硝子にスラーが近づいた。


「見たまえ、あの遺変<オルト>とかいう怪物が来ても、この庭なら申し分のない広さだろう」


 恐る恐ると首のない男を観察していたイルフェンがぎょっとした様子で叫んだ。


「なにっ!? スラーお前、俺の庭で戦うつもりか!?」

「うむ、その予定だ。もしあの感傷的な機械のオブジェが心配なら、急いで撤去すると良い」

「馬鹿野郎! もう使用人も帰しちまったのにそんなこと出来るか! 本当遠慮がねえんだよな、こいつは……!」

「何を言う、では君の馬鹿げた投資に乗ってやる秀才が他にいたかね?」

「そうだけどよぉ……! ああもう商売ビジネスの話じゃないだろ、今は……!命だよ、命! 死んだら儲けも栄誉もあるかっ! うわあっ、死にたくねえ!」


 恥も外聞もなく泣き出したイルフェンを、シャノが慌てて慰める。中年の伊達男はケープ付き外套インバネスコートの若者に抱き着き、わんわんと泣いた。嗚咽のたびに職人技のフリルが芸術的に揺れた。


「大丈夫ですよ、ティービーさん。我々が助けますから」

「ううっ、くそぉ……こんな胡散臭い探偵なんかに頼る日がくるなんて……」

「胡散臭さは有能さだって見せてあげますよ」

「本当かよぉ……」


 惨めに泣きつく大金持ちの男。ジャックはひっそりとグリフィンに耳打ちした。


「大丈夫か? あのオッサン」

「まあ、依頼人の情緒面はシャノに任せよう」


 グリフィンはスラーの方を向く。


「セジウィーク。フライブレスを……秘術<フィア>を完成させるのだろう。ヘンリー・トラヴァースの遺産を手にした君たちに対して、気乗りはしないが……私も作業を手伝おう」

「君ほどの秘術<フィア>の使い手であれば、とても助かる。感謝する」


 部屋を移動しようとするスラーに、死の色の炎が揺らめいた。それに気づき、スラーが立ち止まった。首のない男は人ならざる異形の声で告げた。


『スラー・セジウィーク。いのれ。怒り、憎しみ、嘆き。人の声ではあれば、全てのいのりは我が身に届く』


 静かに、激しく、首から上の炎が燃えている。非現実的な火の粉がシャンデリアの電球の下に漂う。スラーはいつもの自信に満ちた表情で笑顔を浮かべた。


「分かった。頼りにしている。私はフライブレスを完成させる。アンリエッタとイルフェンを頼む」


 言って、スラーとグリフィンは広間を立ち去った。

 フライブレスを――秘術<フィア>を完成させ、黄金の昼の集いゴールデンヌーンを阻むために。

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