37/ 炎の行方は炎が決める 5 (9/7加筆)

遺変<オルト>が怒りの声を上げた。存在しない頭部の代わりに浮遊する六つの骸骨が炎を吐き出した。


「よし、このまま抑え込む――」


 いける、とグリフィンは確信した。猛り狂う遺変<オルト>はしかして、未だ空想の揺り籠。その嘆きが、その怒りが、その絶望が現実へと生み落とされる前に、大秘術<メガロフィア>をもって無に帰す。


「シャノン、用意を頼む!」


 大秘術<メガロフィア>を為すべく、グリフィンが精製フィアを空気中に散布しようとした時だった。アンリエッタはアクセルを踏み込んだ。車が速度を上げる。


「おい、速度を落とすんだ!」


 車と遺変<オルト>の距離はどんどんと開いてゆく。これでは最後の大秘術<メガロフィア>が為し得ない。だが、グリフィンの言葉は届かない。高級車は走り続ける。


「っ、シャノン、外へ――」


 ぐらり、とグリフィンの体が揺れた。


「何?」


 ジャックが眉をひそめた。倒れるグリフィンを燃え盛る頭部の男が車中から身を乗り出して受け止めた。その後ろには、助手席から身を乗り出すスラー・セジウィーク。手には警備用のスタンガンが握られていた。


「すまないね、君たち。我々は逃げねばならない相手が居てね。あの怪物に構っていられないんだ」


 窓からちらりと顔を出したシャノの首にも、首のない男の鉤爪状の剣がかかっていた。両手を小さく上げたシャノが申し訳なさそうな顔をする。


「ご、ごめん、ジャック……油断して」

「シャノ! ほんっとノロマだな!」

「ほんと、ごめんって……」


 運転席の窓から顔を出し、アンリエッタはジャックへと微笑んだ。


「貴方たちにも用があるのよ。このままついてきて下さいな?」

「おっと、無茶はよしてくれよ。こちらには君の仲間が二人いる」


 スラーは首のない男を指した。その腕の中には降参の身振りを取ったシャノとぐったりとしたグリフィンがいる。ジャックは口を閉ざした。赤い長髪が風に揉まれて翻り、そしてその髪の隙間からギロリと緑色の目が覗いた。


「――テメエら、俺に切り刻まれずに済むと思ってんのか?」


 スラーは唾を呑み込んだ


「勿論だとも。こちらには彼がいる。私とエッタだけでは敵うまいが、君と彼なら互角――」


 スラーの返事を聞き終えるより早く、ジャックが動力鎖鋸チェーンソーを振り上げた。

 ――ギャルルルルルル!!

 唸り回転する刃は高級車の白い屋根を引き裂いた。


「な、う、うわっ!?」


 屋根から車内へと差し込まれた動力鎖鋸チェーンソーの刃は運転席のアンリエッタと助手席のスラーの間を裂き、それから音を立てて車の屋根が剥がれた。


「まあ、この方、怪物より乱暴ね……!」


 アンリエッタが運転席の操作盤の一つを押した。鈍い音を立て、運転席横の中央収納コンソールボックスから、折り畳まれた防衛用の機械腕メカニカルアームが飛び出した。真っ直ぐに突き出された機械腕メカニカルアームを、動力鎖鋸チェーンソーが一撃で両断した。


 後ろから前にかけて一直線に裂けた屋根の隙間から、ジャックは運転席のアンリエッタを掴み上げた。ヒールを履いた美しい脚がぶらりと宙に浮かぶ。赤い長髪の男と高価な服を纏った女が睨み合った。


「っ、あら、こんな大通りで殺すおつもり?」

「出来ないと思うか?」


 その言葉一つで、周囲の全てが凍り付いたかのようだった。動力鎖鋸チェーンソーを構えた男の空気が、変わった。残忍に、楽し気に。


「喜べよ、下層じゃ金持ちの悲鳴はウケるぜ――」

「わ、分かった! 分かった! きちんと話し合おう!」


 助手席からハンドルを抑えた姿勢で、スラーが叫んだ。その時だった。


 一閃、刃が上薙ぎに走った。歪んだ形の剣が炎を纏って現れる。夜霧に舞い散るは死色の黄炎。立ち上がるは人ならざる怪物。家の戸を叩き、死を告げる男。――人々はこう噂する。首なし騎士だ、と。


『――汝には――未だ死を与えず』

「おう、覚えてたか、頭なし野郎! 俺もお前と殺りなおそうと思ってたんだよ」


 死色の炎が燃え上がった。鉤爪状の剣が命を刈り取らんと夜を切り裂く。ジャックはアンリエッタを座席に放り投げ、動力鎖鋸チェーンソーで受け止めた。――ギャルルルルル! 金属と金属がぶつかりあい、激しく火花を散らす!


 首のない男は鉤爪剣を動力鎖鋸チェーンソーに食らいつかせる。


「そのやり口は、覚えてんだよ!」


 相手の得物の動きを封じようとした鉤爪剣から、ふっと拮抗する力が抜けた。ジャックが動力鎖鋸チェーンソーから手を離したのだ。


 操る者がいなくなった動力鎖鋸チェーンソーは拮抗から抜け落ちる。ぶつかりあう力を失い、首のない男が僅かによろけた。


 ジャックは一瞬で、滑り落ちた動力鎖鋸チェーンソーを掴みなおした。――ギャルルルルル!! 再び主を得た武器が、勢いよく唸った。ジャックはそのまま、動力鎖鋸チェーンソーを振り上げ、首のない男の左腕を斬り落とした。


 傷口から、血の代わりに炎が噴き出した。切断された首のない男の左腕は宙を舞い、燃え上がって消えた。


『――グ……』

「ハ、これで痛み分けだなァ!」

「君! もう良い、引け!」

「引かせるかよ。大体お前、何でこんな奴連れまわしてんだ? 


 助手席からハンドルを抑えながら、スラーは目を見開いた。


「何? 彼がだと……?」


 ジャックが鼻で笑う。


「こいつ、居たんだぜ。科学技術会合の日にな」

「――そうだとしても……彼は違う!」


 スラーは見た。腕を失い、膝をついてなお、彼と彼女の前に燃え上がる炎の背を。激しく炎を噴き上げながらも、風が吹けば揺れてしまう存在を。


「彼が得体の知れぬ怪物だとしても。彼が人に死を与える者だとしても。私の仲間を殺してなどはいない」

「科学者ってのは頑固で面倒だな。ま、良い、こいつを殺せば問題は一つ片付く。幸い、怪物を殺しちゃいけない法はねえからな!」


 血に飢えた唸りを上げ、ジャックは動力鎖鋸チェーンソーを振り下ろした。――刃が炎の怪物に届く、その寸前。


「ま……待て、ジャック!!」


 ぴたり、と寸でで回転する刃が止まった。ジャックは舌打ちした。声は後部座席で起き上がったグリフィンのものだった。痛みを堪えながら、グリフィンは言葉を続けた。


「馬鹿げた武器を収めるんだ。恐らく、


 証拠はなかったが、半ば確信めいた口調だった。


「……話には聞いていたものの、私が彼を見たのは今晩が初めてだが――思い出したことがある。いや、本物の首なし騎士と呼ばれるものを見て、ようやく理解したというべきか……魔女ドロシー・フォーサイスは言っていた。『』と」


 シャノはその意味に気付き、驚いた顔を見せた。


「死を予告する……あっ」


 グリフィンはゆっくりと、首のない男に尋ねた。


「……首のない君。君は何人に

「形を得、記憶を得て、我が身が告げしは四十四名」

「君は何人を

「否。我が身は死を告げる。未だ命を刈り取る時期にはない。一年の刻はまだ訪れぬが故に。死を与えんとするはその男のみ」


「……首なし騎士は一年前に死を告げる、つまり、彼はまだ言葉通り、告げているだけだ。誰も殺していない。一年後には殺すかも知れないが……少なくとも、


 グリフィンは全員に諭すように言葉を続けた。


「だから、今彼を殺す理由はない」

「……チッ」


 ジャックは遊ぶ機会を奪われたような顔で、渋々動力鎖鋸チェーンソーを止めた。スラーは深い息を吐いた。


「……助かった。こちらも乱暴な手段に出てすまなかった。君たちに話をさせてくれ」


 ◆  ◆  ◆


 細い路地を通り抜け、六人を乗せたブリッツKNG1200は遺変<オルト>から逃げ切った。高いブレーキ音を立て、白い高級車は下層都市中央駅セントラルステーションの前に止まった。


 屋根は真っ二つに裂かれた無残な状態で、その上には楽器ケースを背負った大柄な赤毛の男が威圧的に座っていたが、貨物預かり所の係員に見咎められることはなかった。スラーたちの息がかかっているのだ。


 車は上層都市と下層都市を結ぶ階層連絡線シティポートの貨物運搬線 に運び込まれた。人が乗る索道機関ロープウェイとは違い、貨物線は巨大な動力巻帯ベルトコンベアが稼働している。上層に向かって斜めに伸びた動力巻帯ベルトコンベアに、さながら自動階段エスカレーターのように貨物を乗せる板が備え付けられている。


 白い高級車が乗った貨物積載部はゴウンゴウンと音を立て、緩慢に上昇する。索道機関ロープウェイ乗籠ゴンドラは冷暖房が備わっているが、貨物線にそのようなものはない。一際冷え切った空気が車の中に流れ込む。


「君たち、使いたまえ」


 スラーが前部収納グローブボックスから取り出した人数分のひざ掛けをシャノたちに渡した。十分とは言えないが、この寒さの中で少しは役に立つ。シャノはジャックにひざ掛けを渡し、自分もすっぽりと身を包んだ。


「それで、何のためにわたしたちを?」


 問うシャノの隣には、首のない男が座っている。肩腕を失い、傷口からちらちらと炎が舞っているが、いざとなればその刃はシャノに届くだろう。ジャックはひとまず大人しくしていたがいつでも切り刻む準備は出来ているぞ、と動力鎖鋸チェーンソーをちらつかせていた。グリフィンは術杖を取り上げられたまま、静かに座っている。


 スラーは頷いた。


「貨物線に乗る前に簡単に伝えたが……君たちに上層まで来て欲しい」

「ええ、お聞きしました。何をするにしても、まずそれだと。上層に。何故ですか」

「勿論、護衛として。いや、として、と言った方が正しいかな」

「……生き証人?」


 不穏な言葉だった。あきらかに。シャノは聞き返した。


「セジウィークさん、やはり貴方も狙われているんですね。連続殺人のターゲットとして……そして、貴方はそれを自覚している。貴方は……いえ、貴方たちは一体何をされているんですか」

「君たちは知りたいのだろう、私たちのことを」


 言って、スラーは懐から一つの物を取り出した。一見、未加工の宝石の原石のような形をしたそれは、しかし淡い黄緑色に輝いている。グリフィンの術杖つえが力に反応したのか、僅かに明滅する。


「やはり、君が秘術<フィア>を……!」

「私も知りたい。グリフィン氏の秘術<フィア>をね。……その通り、私は命を狙われている。秘術<フィア>を狙う者たちに」


 グリフィンは仮面の奥からじっとスラーを見た。


「……君は秘術<フィア>をどこで知った」

「我々六人で掘り起こしたのさ。この機科学都市の繁栄を確定づけた偉大なる存在。蒸気動力スチームテクから脱却できずにいた上層に電気動力エレキテクを敷き、数多の理論の礎を築き上げた傑人! ――ヘンリー・トラヴァースの研究所跡から」



 ◆  ◆  ◆


「ヘンリー・トラヴァース……科学技術会合のスピーチで聞いた名ですね。それと、貴方たちの名が載ったリストにも、彼に捧げる言葉が。何者なんですか?」


 シャノの問いにスラーは怪訝な顔をした。


「む……? 君、トラヴァースを知らないのかね? 本当に? 探偵だろう?」

「すみません、科学には疎くて」

「君たちが使っている携帯電話セルフォンの大幅な高性能化や、高品質な大量生産ラインの設計……下層にはまだ一部にしか配線されてはいないが、電気機関エレキテクが普及したのも彼の尽力のおかげだぞ。亡くなった時も、それなりのニュースにはなったはずだ」

「上層の出来事は下層こちらではあまり騒がれませんから」

「む、それもそうか……」


 所詮は弱小探偵だからな、と言いたげなジャックの視線をシャノは無視した。


「グリフィンからも少し聞きました。偉大な功績を残された人だと」

「そうだろうな、当然知っているだろう。グリフィン。君は科学者で――そして秘術<フィア>を使う人間なのだから」


 秘術<フィア>。フィア精製石を媒介とし、燃料とし、この世に現象を顕す秘術わざ。その秘術<フィア>を扱う二人の男がここに居る。グリフィンは静かに口を開いた。


「……ヘンリー・トラヴァースが成した秘術<フィア>の研究は葬りさられるべきだった。彼の死と共に」


 仮面の奥から零れた言葉は、静かで重い。空気に沈むキセノンガスのようだ、とスラーは思う。


「トラヴァースを好かないのかね。偉大な存在だというのに」

「……彼の残したものは功績ばかりではない。多くの負の遺産と呼ぶべきものもこの世に残していった」

「その一つが、秘術<フィア>の研究だと?」

「そうだ。トラヴァースの研究は未熟で、秘術<フィア>を理解しきっていなかった。……何故そんなものを掘り起こしてしまったんだ」


「……セジウィークさん。燃殻通りで何が作られていたかは、ご存じですね。あの施設の資料に貴方の名前がありましたから」

「勿論。あの地下施設は私とイルフェンが主導したものだ。赤い荷馬車カッロ・ロッソに話をつけるのは骨が折れた」

「あそこでは、秘術<フィア>を使い、組織的に銃器を作っていました。ただの力として、目的も理念もなく……あそこには力に溺れた者しかいませんでした。そのために、貴方は秘術<フィア>を見つけたのですか」


 行為を問われる言葉にも、スラーは臆することなく、その目はしっかりと相手を見据えていた。確かな信念と理想を抱く者の目だった。


「当然、違うと答えよう。私たちがアレをそれが良き技術になると思ったからだ」


 スラーにとっては断言出来ることだった。その選択に後悔も憂いもないと。だが、と言葉を続ける。


「だが、確かにデメリットの多い手段だった。しかし我々には時間も手段も限られていたのだ。そして――最も望んでいた結果が出た。こうして君たちが我々の元を訪れたのだから。何があったのか、ようやく君たちに話すとしよう」


 スラーは語り始めた。何故秘術<フィア>の研究が始まったのか。彼らに何があったのか。

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