14/ 虚ろなる騎士 3

「――範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>。満ちよ、満ちよ」


 秘めたる言葉を唱え、グリフィンは秘術<フィア>を為す場を作り上げる。

 機械によってフィア塊が散布される。空に細かな光が弾け、周囲が媒介素で満たされる。緑の燐光がちらりちらりと非現実の霧の中を舞った。

 秘術<フィア>は万能ではなく、無限ではなく。ゆえにこうして力を満たす。大いなるわざを具現化するために。


「ジャックがこっちの事態に気付くまで引き伸ばす、とかは?」

「期待は出来んな。遺変<オルト>が現れた以上、この場は奴を中心とする空想の中。霧が晴れぬ限り、外界からはこの会場を認識することも難しい」


 遺変<オルト>は現実へと落ちた架空の影。存在しないモノを人は視ることが出来ない。遺変<オルト>の顕現した一帯は現実から見落とされる。


秘術<フィア>を衆目の前で行使するのは気が進まんが、これだけの人命が掛かっているというのであれば、そうも言っていられまい。何、ここに居るような人間はとびきりの科学者だ。個人で研究中の新技術だとでも言えば、信じるとも」


 フィアの散布を確認し、グリフィンは術杖つえを構えた。


「何せ――この現代に幻想は存在しないのだから」


 遺変<オルト>が鞭を振るう。ぐねり、ぐねりと。首なし馬が扱うそれは、まるで一個の生き物のように不気味に蠢く。


 それは、死を手招くように、狩り取る命を手繰り寄せるように。


「あ……ああ……」


 招待客の男の一人が、虚ろな目で遺変<オルト>に近付いた。他の客が引き止めるのも構わず、朦朧とした様子で、男は引き寄せられていく。その男だけではない。一人、また一人と招待客たちの中から虚ろな様子で怪異へと歩みだす者がいる。


「死だ、死だ、死だ」「……死が、迎えに来た、ああ、今だ、今こそ死ぬべき時だ」「ああ、こんなにも私は、死に歓迎されている!」


 尋常ならぬ様子で、人々は死を渇望する言葉を口にする。だがその目は一様に濁っていて、とても正気とは思えなかった。ぞっとする光景にシャノは薄ら寒いものを覚えた。


「グリフィン、これは……」

「あの遺変<オルト>の力だ――奴が彼らを死へといざなっている! まずい……!」


 怪異は歓喜の声を上げた。遺変<オルト>の鞭が虚ろな目の人々へと向かう!


何人其に触れ得ること能わず<ボウ・セ・サク>!」


 グリフィンが力ある言葉を唱えた。術杖つえが輝き、人々の前に緑色の障壁を作り上げた。既の所で怪異の攻撃が弾かれる。死の鞭は人々を命を奪うまでには届かなかった。攻撃を受けたフィア障壁は崩れ、霧散した。


 死の鞭が阻まれた瞬間、客たちは夢から覚めたように立ち止まった。眼前に怪異の姿を見るや否や、人々は混乱し、悲鳴を上げて逃げ出した。


「……危なかった。精神に干渉する……人に死を望ませる遺変<オルト>だと……?」


 明らかに、人々の様子はおかしかった。遺変<オルト>が手にする黄炎纏う鞭が振るわれ、それを見た人々は突然、死の衝動に襲われたかのように怪異の方へと進み始めた。遺変<オルト>に自ら命を捧げるために。


 死を渇望し、死を賛美する。死こそが自らに相応しい定めだと謳う。

 あの首なし馬の怪異に誘われた者は、死へと突き進む感情に支配される。


 それが――あの遺変<オルト>の持つ力。

 幽谷からで、静かに、囁くように人々の隣に死を連れてくる。

 死を宣告する怪異として、それは存在する。


「あの幻惑に囚われず、奴を止めないといけないってことか……厄介だな」


 シャノが銃を強く握った時、再び首なし馬が鞭を振り上げた。ゆらり、ゆらり。生き物のように動く鞭が人々を誘う。その精神を惑わし、心に入り込もうとする。


前進せたかめよ、前進せたかめよ、前進せたかめよ……!>


 古きものを踏み荒らし、憎きものを殺し尽くす。

 前に進むことこそ、全ての<いのり>であるならば。


 尻込みする招待客たちの中から、精神を死に支配された人々がまたふらりと現れる。虚ろに死を望む生贄たちに向かって、死の鞭が迫る!


「ッ、何人其に触れ得ること能わず<ボウ・セ・サク>!」


 秘術<フィア>の光が輝き、襲い来る鞭の攻撃を防ぐ!


「シャノン、客は私が守る。君は遺変<オルト>を!」

「解った!」


 役目を果たしたフィア障壁が砕け散る中、シャノは走り出した。首のない鎧に、同じく鎧に覆われ、荒れ狂う馬の体。まさしくそれは怪異であった。


「脚が四本に腕が二本……狙いは六箇所か――」


 狙うべきは全ての肢。撃ち込む封刻弾シールバレットは六発。

 

<ヒォオオオオオオオ!!>


 首なし馬は高らかに嘶いた。雷鳴の如き足音。四脚を踏み鳴らした突撃を躱す! 大地を蹴る振動でビリビリとシャノの皮膚が震えた。あの太い馬の脚に踏み抜かれれば、それだけで即死だろう。


 交錯した遺変<オルト>が――シャノとグリフィンを睨んだ。首がない故に、実際にそうかは解らない。だが確かにそれは彼らを自らを邪魔する敵と見做したように思えた。


 遺変<オルト>は、怒りを吠えた。その身を阻む者を、その身を否定する者を、許してはならぬと。遺変<オルト>の纏う黄色の炎が大きく燃え上がる! 人々から悲鳴が上がった。


<ヒォオオオ、ヒォオオオ……ヒォオオオオ……!!!!>


「ッ、何人其に触れ得ること能わず<ボウ・セ・サク>!」


 不吉な嵐が遺変<オルト>の周囲を吹き荒れ、地響きがした。咄嗟にグリフィンがシャノに秘術<フィア>防壁を張る。今度は首なし馬の方が速かった。太い鎧脚からの蹴りが、躱しきれなかったシャノを踏み砕かんとする! 巨大な脚の重い一撃が、纏った秘術<フィア>防壁を砕く!


 構成されたフィアが砕けた瞬間に、一発。そして二発! 連続して二本の脚部に封刻弾を刻む。弾を撃ち込んだ二箇所に緑色の術印が浮かび上がった。シャノは駆ける四本の脚の間を辛うじてくぐり抜け、息を吐く。――危うかった。グリフィンの秘術<フィア>による支援がなければ死んでいただろう。汗が握った銃をじわりと濡らした。


 ――だが成程、確かにこの遺変<オルト>は未熟。命を喰らう意思はあっても、人を殺す術をまだ確立していない。しかし、一つ――あの人の心を操り、希死させる能力は危険極まるものだった。もしも遺変<オルト>としての成長を許せば、いずれは程の死を望ませる力を持つだろう。


「ありがとうグリフィン、助かった。……クソっ、ジャックのようにはいかないな……」


 舌打ちするシャノに、グリフィンは首を振った。


「いいや十分だ。この僅かな時間で二発の刻印を刻んだ。あの遺変<オルト>は第一段階。恐らく一度も人の命を喰らってはおらず、まだ弱い存在だ。故に、全ての肢に印を刻む必要はない。だが、少なくとも四ヶ所……四つの封刻は欲しい」

「あとニ発、か……」


 嵐の唸りがした。方向を切り直した首なしの鎧馬が猛り、蹄を鳴らす。耳元を掠める地響きがシャノの脳裏に甦る。あの脚に踏み潰される様を想像する。骨は粉々に砕け、内臓が破裂し、潰れた肉の中身を撒き散らす光景。嫌な想像を振り払い、シャノは肩を竦めた。


「楽な仕事で良かったよ。あとたった二発だ」

「あの脚部は厄介だ。馬の如く力強く走り回り、こちらを蹂躙しようとする。私が奴を拘束しよう。……だが少し術を敷くのに手数が必要だ。時間を稼げるか?」

「どのくらい?」

「三十秒だ」

「了解、簡易食をお湯で戻すより早い。じゃあグリフィン、術式を頼む!」


 シャノは床を蹴り、飛び出した。向かってくる小さな人間の姿を見て、遺変<オルト>も殺意を滾らせ吠えた。人を畏れさせる声が会場の硝子を震わせた。


 グリフィンはフィア塊を内蔵した六本足の自動機械を四機放った。四機の自動機械たちは四方に散開し、その位置をもって正方形を形成する。自動機械が緑色の輝きを放つ――即ち、秘術<フィア>。人知及ばぬ神秘にして、人の手によって体系化されたわざ


範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>


 グリフィンの術杖つえが力を持ち、銅色の仮面が緑色の光を反射した。力ある言葉の後、六脚自動機械が引いた正方形が秘術<フィア>の術陣を浮かび上がらせた。


「シャノン、こちらの準備は整った! 術陣に誘い込め!」


 遺変<オルト>の注意を引いていたシャノは床を転がり、方向を切り替えた。顔を上げた先には霧けぶる暗闇に輝く、フィアの光がある。シャノの真横を、遺変<オルト>の脚が踏み抜いた。床を踏む地響きと衝撃がビリビリと耳元に伝わった。踏み潰し、踏み荒らし、完膚なきまでに元の形などない肉塊に変え、尊厳を踏みにじろうとする意思が近くに在る。


 響く。響く。響く!

 ごうごうと、巨大な怪異が、四つの脚を踏み鳴らす! それは唸る雷鳴、嵐の先触れ。前に立つ全てを薙ぎ払う不吉の象徴。


 竦みそうになる足を叱咤し、シャノは走った。背に感じる地響きにも振り返らず、真っ直ぐに、霧の中たった一つのしるべである、フィアの光へと!


 そして――六脚自動機械によって敷かれた術陣が発動する。

 脚を踏み入れた遺変<オルト>を感知し、秘術機械がその怪異を捕捉した!


「――結び目を此処に此は汝を縛り付けるもの<シュバキ・セ・ケッソ>


 グリフィンが術杖つえを振るった。

 空想から来たりし非現実の怪異に、術陣から発動した拘束の秘術<フィア>が伸び、その体を捕らえる!


<オォ……! ヒォオオオオ!!!!>


 動きを封じられた遺変<オルト>が藻掻いた。逃れようと暴れる遺変<オルト>に会場全体が揺れる。だが秘術<フィア>は確かに成立し、疾走るだけで人を潰し殺すモノであろうと、怪異を逃さない。


「シャノン、今だ!」

「解ってる!」


 シャノは秘術銃<フィア・ガン>を構えた。秘術<フィア>わざに囚われた首のない馬の化物に、狙いを定める。必要な刻印はあと二つ。二発の弾丸を、間違いなく残りのニ脚に……。


 だが、その時。

 鞭が、揺らめいた。


「あ――」


 拘束されて尚、僅かに動く腕を振るい、最後の抵抗のようにゆらりと、それは動いた。

 駄目だと思った。だが、既にシャノはそれから目を逸らせない。死の炎を散らす、誘いから。


 じわり、と昏いものが後ろに這い寄った。

 冷たくて、眠たげな暗闇が、そっと頬を撫でた。


「シャノン……!」

 

 冷たいものを感じ、グリフィンは叫んだ。地獄の蜘蛛糸のごとく、森のなかのパンくずのごとく。行き先を示す死燈の導線が、銅色の仮面を照らした。


 ひたりと闇が心を抱きしめた。

 ――おいで、とそれは言った。

 嫌だと答えたつもりだった。だが言葉は出ない。どんどんと、心が微睡んでゆく。

 ――さあ、君が待ち望んでいた、死だ。


 絡みつく泥水から逃れようと、腕を伸ばした。だがその先には何もない。

 ただ、終わりが広がっていた。


 逃れる術もなく、最後の意識が沈もうとして。

 ――白い一閃が無の中に走った。


 叫び声が聞こえた。否、それは怪異の嘶きだ。

 シャノン・ハイドは無から浮上し、目を見開いた。


「――ッ、ハアッ、ハアッ、ハア……!!」


 荒く息を吐き、冷たい大理石の床に膝をつく。全身が汗ばんでいた。汗で滑った秘術銃<フィア・ガン>が手から滑り落ちた。――何が起こった? 否、状況を見れば解る。遺変<オルト>の術中に陥り、そして自分ではない何者かがそれを打ち破ったのだ。


 どうにか息を整え、シャノはゆっくりと顔を上げた。

 ひらり、と。いつか見覚えのある長い袖がフィアの燐光の中で舞った。


「ご活躍中に失礼。僭越ながら、助っ人が必要なように見受けられまして」


 一風変わった、東方かぶれの衣服が翻った。男は目を細めて微笑んだ。


「見ればお一人足りぬ様子。であれば、拙者が貴殿らの穴を埋めましょう――ああ勿論、お邪魔でなければ、ですが」


 見紛う事などあるはずもない、特徴的な姿の男――アール・ムソウ・シアーズはそう言って、朱色の鞘を揺らした。

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