14/ 虚ろなる騎士 3
「――
秘めたる言葉を唱え、グリフィンは
機械によってフィア塊が散布される。空に細かな光が弾け、周囲が媒介素で満たされる。緑の燐光がちらりちらりと非現実の霧の中を舞った。
「ジャックがこっちの事態に気付くまで引き伸ばす、とかは?」
「期待は出来んな。
「
フィアの散布を確認し、グリフィンは
「何せ――この現代に幻想は存在しないのだから」
それは、死を手招くように、狩り取る命を手繰り寄せるように。
「あ……ああ……」
招待客の男の一人が、虚ろな目で
「死だ、死だ、死だ」「……死が、迎えに来た、ああ、今だ、今こそ死ぬべき時だ」「ああ、こんなにも私は、死に歓迎されている!」
尋常ならぬ様子で、人々は死を渇望する言葉を口にする。だがその目は一様に濁っていて、とても正気とは思えなかった。ぞっとする光景にシャノは薄ら寒いものを覚えた。
「グリフィン、これは……」
「あの
怪異は歓喜の声を上げた。
「
グリフィンが力ある言葉を唱えた。
死の鞭が阻まれた瞬間、客たちは夢から覚めたように立ち止まった。眼前に怪異の姿を見るや否や、人々は混乱し、悲鳴を上げて逃げ出した。
「……危なかった。精神に干渉する……人に死を望ませる
明らかに、人々の様子はおかしかった。
死を渇望し、死を賛美する。死こそが自らに相応しい定めだと謳う。
あの首なし馬の怪異に誘われた者は、死へと突き進む感情に支配される。
それが――あの
幽谷から
死を宣告する怪異として、それは存在する。
「あの幻惑に囚われず、奴を止めないといけないってことか……厄介だな」
シャノが銃を強く握った時、再び首なし馬が鞭を振り上げた。ゆらり、ゆらり。生き物のように動く鞭が人々を誘う。その精神を惑わし、心に入り込もうとする。
<
古きものを踏み荒らし、憎きものを殺し尽くす。
前に進むことこそ、全ての<いのり>であるならば。
尻込みする招待客たちの中から、精神を死に支配された人々がまたふらりと現れる。虚ろに死を望む生贄たちに向かって、死の鞭が迫る!
「ッ、
「シャノン、客は私が守る。君は
「解った!」
役目を果たしたフィア障壁が砕け散る中、シャノは走り出した。首のない鎧に、同じく鎧に覆われ、荒れ狂う馬の体。まさしくそれは怪異であった。
「脚が四本に腕が二本……狙いは六箇所か――」
狙うべきは全ての肢。撃ち込む
<ヒォオオオオオオオ!!>
首なし馬は高らかに嘶いた。雷鳴の如き足音。四脚を踏み鳴らした突撃を躱す! 大地を蹴る振動でビリビリとシャノの皮膚が震えた。あの太い馬の脚に踏み抜かれれば、それだけで即死だろう。
交錯した
<ヒォオオオ、ヒォオオオ……ヒォオオオオ……!!!!>
「ッ、
不吉な嵐が
構成されたフィアが砕けた瞬間に、一発。そして二発! 連続して二本の脚部に封刻弾を刻む。弾を撃ち込んだ二箇所に緑色の術印が浮かび上がった。シャノは駆ける四本の脚の間を辛うじてくぐり抜け、息を吐く。――危うかった。グリフィンの
――だが成程、確かにこの
「ありがとうグリフィン、助かった。……クソっ、ジャックのようにはいかないな……」
舌打ちするシャノに、グリフィンは首を振った。
「いいや十分だ。この僅かな時間で二発の刻印を刻んだ。あの
「あとニ発、か……」
嵐の唸りがした。方向を切り直した首なしの鎧馬が猛り、蹄を鳴らす。耳元を掠める地響きがシャノの脳裏に甦る。あの脚に踏み潰される様を想像する。骨は粉々に砕け、内臓が破裂し、潰れた肉の中身を撒き散らす光景。嫌な想像を振り払い、シャノは肩を竦めた。
「楽な仕事で良かったよ。あとたった二発だ」
「あの脚部は厄介だ。馬の如く力強く走り回り、こちらを蹂躙しようとする。私が奴を拘束しよう。……だが少し術を敷くのに手数が必要だ。時間を稼げるか?」
「どのくらい?」
「三十秒だ」
「了解、簡易食をお湯で戻すより早い。じゃあグリフィン、術式を頼む!」
シャノは床を蹴り、飛び出した。向かってくる小さな人間の姿を見て、
グリフィンはフィア塊を内蔵した六本足の自動機械を四機放った。四機の自動機械たちは四方に散開し、その位置をもって正方形を形成する。自動機械が緑色の輝きを放つ――即ち、秘術<フィア>。人知及ばぬ神秘にして、人の手によって体系化された
「
グリフィンの
「シャノン、こちらの準備は整った! 術陣に誘い込め!」
響く。響く。響く!
ごうごうと、巨大な怪異が、四つの脚を踏み鳴らす! それは唸る雷鳴、嵐の先触れ。前に立つ全てを薙ぎ払う不吉の象徴。
竦みそうになる足を叱咤し、シャノは走った。背に感じる地響きにも振り返らず、真っ直ぐに、霧の中たった一つの
そして――六脚自動機械によって敷かれた術陣が発動する。
脚を踏み入れた
「――
グリフィンが
空想から来たりし非現実の怪異に、術陣から発動した拘束の
<オォ……! ヒォオオオオ!!!!>
動きを封じられた
「シャノン、今だ!」
「解ってる!」
シャノは
だが、その時。
鞭が、揺らめいた。
「あ――」
拘束されて尚、僅かに動く腕を振るい、最後の抵抗のようにゆらりと、それは動いた。
駄目だと思った。だが、既にシャノはそれから目を逸らせない。死の炎を散らす、誘いから。
じわり、と昏いものが後ろに這い寄った。
冷たくて、眠たげな暗闇が、そっと頬を撫でた。
「シャノン……!」
冷たいものを感じ、グリフィンは叫んだ。地獄の蜘蛛糸のごとく、森のなかのパンくずのごとく。行き先を示す死燈の導線が、銅色の仮面を照らした。
ひたりと闇が心を抱きしめた。
――おいで、とそれは言った。
嫌だと答えたつもりだった。だが言葉は出ない。どんどんと、心が微睡んでゆく。
――さあ、君が待ち望んでいた、死だ。
絡みつく泥水から逃れようと、腕を伸ばした。だがその先には何もない。
ただ、終わりが広がっていた。
逃れる術もなく、最後の意識が沈もうとして。
――白い一閃が無の中に走った。
叫び声が聞こえた。否、それは怪異の嘶きだ。
シャノン・ハイドは無から浮上し、目を見開いた。
「――ッ、ハアッ、ハアッ、ハア……!!」
荒く息を吐き、冷たい大理石の床に膝をつく。全身が汗ばんでいた。汗で滑った
どうにか息を整え、シャノはゆっくりと顔を上げた。
ひらり、と。いつか見覚えのある長い袖がフィアの燐光の中で舞った。
「ご活躍中に失礼。僭越ながら、助っ人が必要なように見受けられまして」
一風変わった、東方かぶれの衣服が翻った。男は目を細めて微笑んだ。
「見ればお一人足りぬ様子。であれば、拙者が貴殿らの穴を埋めましょう――ああ勿論、お邪魔でなければ、ですが」
見紛う事などあるはずもない、特徴的な姿の男――アール・ムソウ・シアーズはそう言って、朱色の鞘を揺らした。
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