10/ 科学技術会合 3


「ローウェルさんとは親しいんですか?」


 周囲に目を配りながら、シャノはスラーに尋ねた。

 スラーの姿を見ると、招待客たちは僅かに眉を寄せ、その顔を思い出そうとし、それから目を見張る。『あの顔は、例の……』『噂に聞く機械工学の……』彼らが言葉を漏らすその度に、スラーは愛想良く笑顔を返す。


「ああ、彼は父の会社に出資してくれていてね。よくある関係だよ。彼にとってはセジウィークは多くある企業の一つだろうが、我々にとっては彼は大切な出資者だ」


 出資者の体裁で様々な有力者に近付く。成程、ウル・コネリーはこうやって自身の情報網を広げているらしい。


「やあ、ラスケットさん。お久し振りです、電気送風機の共同開発ではお世話になりました。その後、調子はいかがですか?」


 髭の男に声をかけるスラーとアンリエッタの背を見送る。


「コネリーの紹介だから一体どんな厄介な人物かと思ったけど、普通の人みたいだね」


 距離を離れすぎないよう確認しつつ、シャノはグリフィンに言った。


「ああ、そうだな。あのような人物が、何も知らずにあの男に利用されているというのは、気分が良い話ではないが。……実際、彼は随分と有名人らしいな。彼を見る科学者たちの目が違う。今年の会合で壇に立つなら、それだけで当然かも知れないが」

「研究分野の集まりで、若い人間が壇上に上がる印象イメージってあんまりないな。大体、年配者のお話って感じで」

「こういった場で立つのは専ら、長年界隈の成長に貢献し、大きな功績を上げた経験者だ。新進気鋭の若輩者が立つというのは、相当のことだ。さぞや科学界の期待を背負っているのだろう」


 ラスケットと呼ばれた髭の男は、スラーを前にして機嫌良さそうにワインを揺すった。


「スラー君、今年は君もスピーチをするんだろう? アンリエッタ嬢も一緒かい?」

「いいえ、私は今日は皆様と同じように、スラーを拍手で迎えますわ。婚約発表はもう済ませましたし、私が立つ理由はありませんもの。面倒なことはスラーに任せるだけで十分。今日はただの招待客として楽しむつもりよ」

「それは残念だ、美しいアンリエッタ嬢が集中照明スポットライトを浴びる姿を見てみたかったものだがね! しかし、いやあ、その若さで科学界の注目を集めるとは、十数年ぶりの逸材だよスラー君は」

「とはいえ、私の知識や才能も、今まで科学を追い求め、成長させてきた貴方がた無数の賢人たちの後に成り立っているものです。師でありそして今は同志である皆さんの期待に応えられるなら私も何より嬉しい」

「ハハハ! 勿論、私も君とまた研究に打ち込みたいとも! そうだ、うちの保留している企画に君が興味を持ちそうな案件があるんだ、ちょっと話を聞いて――うん……? 何だは……?」


 スラーと話していたラスケットが何かに気付き、首を伸ばした。その先――会場の中央に小さな人だかりが出来ている。興味深そうに目を丸くする人々の向こう、その真ん中にあるのは――大きな機械だった。


 ぎしり、がちゃり、と音がした。

 黒く丸いその姿は、銅板の外装フレームを黒い塗料で粗く染まり、所々下地の銅色が見えている。丸々とした歪な胴体からは短い四肢のようなものが生えており、それがパタパタと動いている……まるで、


 それは機械――否、機械の人形だろうか?

 着飾った人々の中で、その機械の存在は明らかに異質だった。機械の頭部が蒸気を吐いた。


 思わず、機械から遠ざけるようにシャノはスラーの前に立った。だがスラーはシャノを押し退け、のたのたと不器用に動く機械へと近付いた。


「セジウィークさん!」

「スラー?」

「うむ、問題ない、気にせずエッタの側にいてくれたまえ!」


 スラーは怖気づくことも無く、その機械へ向かってゆく。シャノとアンリエッタは不安げな顔をした。グリフィンが安心させるように、シャノの肩に手を置いた。


「シャノン。大丈夫だ。あれは……人だ」

?」


 黒く丸い機械人形の前に立ったスラーは咳払いをし、門戸を叩くように、機械の黒い銅板外装をノックした。コンコン、という音が機械の内部に反響した。


。君だろう、私のことが見えているかね?」

『おやおや? その声は』


 黒い機械人形の中から、声がした。それは機械音声でも通信音声でもなく、紛うことなき人の肉声だ。金属の金具が外れる音がして、 機械の頭部と思わしき部分が浮き上がった。否、内部から持ち上げられたのだ。


 蒸気を含んだ熱く湿った空気が内部から排出される。そして煙と共に、一つの人影が中から姿を現した。

 会場の豪勢な電気シャンデリアの下、その姿が照らされる。


 ――銀の髪が、きらきらと煌めいた。星刺繍の羽織りが蒸気の向こうで舞う。


 聡明な目をした美しい女がの姿が、そこにあった。シャノはその姿に目を見張った。


「貴方は、教会の……」


 女の方もシャノの視線に気付き、驚いた顔をした。


「ああ、君! 高みより降ってきた天使クンじゃないか」

「天使?」

「いやその、色々あって……」

「シャノン。彼女は、あれか。君が長椅子に転がっていた時の……」

「うん、そう、その時の」


 首を傾げるスラーに、シャノは言葉を濁した。盗人の追跡中に、礼拝中の教会へと落下したという事実を端的に説明するのは難しかった。


「学者だったんですね、まさか、こんな所でお会いするとは思いませんでした」

「うん、実はそうなんだ。それに、今日の会合の主催グループの一人でもある」


 へーレーと呼ばれた美しく、僅かに油の匂いを纏った女は自慢げに胸を張った。


「私こそ、この人口四百万人の都市で、天使に再び出会うとは思ってもみなかった。ヘーレー・アレクシス・キングだよ。宜しく」

「天使は大仰ですよ。シャノン・ハイドです。こちらはグリフィン」

「宜しくお願いします、キングさん」


 へーレーは代わる代わるシャノとグリフィンと握手を交わした。


「スラー、君も変わった知り合いが居たものだね。もっと早くに紹介して欲しかったよ」

「いやいや、違うとも。私も彼らとは今日出会ったばかりでね。ほら、例の殺人事件が世間を騒がしているだろう? 勿論、金持ちなど星の数ほど居るし、殊更不安というわけではないのだがね、だがエッタに何かあれば私にとって一大事だ。そこで、一晩護衛を雇ったんだ。それが彼らというわけだ」

「ふむ、だが彼らの立ち振舞を見るに、本職ではないんだろう? スラー、君のことだからどうせ出遅れて、電話をする頃には連絡のつく警備会社は皆品切れだったんだろう。全く、言ってくれれば私の伝手で用意してあげたというのに。大体君はね、会場入りだってこんなに遅くなって、ホテルの部屋で腹でも下しているんじゃないかと皆噂していたんだよ?」

「まあまあ、それはさておきへーレー、随分な大物だがその機械は?」


 口を酸っぱくしていたヘーレーだったが、纏っていた機械人形……否、機械外殻メカニカルスーツとでも呼ぶべきか――に言及されると、途端に目を輝かせた。


「これかい、よくぞ聞いてくれたねスラー。これは見ての通り、人が纏って動かす機械の外骨格だ。鎧に機械技術を足したもの……ないしは車や駆動二輪モーターサイクルをより人体に適応させたもの、と言っても良い」

「……それは、肉体労働の補助として機能するものですか? それとも、もっと高度な……高速移動や飛行など、本来人体には不可能なことを可能にするためのものですか?」


 へーレーの説明に口を挟んだのは、スラーではなかった。銀の髪の女は驚き、グリフィンの銅色の仮面を見つめた。


「グリフィン君だったね。君も科学を嗜んでいるのかい?」

「ああ……いえ、すみません、つい。昔は学んでいたこともあります。今は、また別のことを」

「成程、成程。いや、どんな智にも価値がある、例え科学を離れたとしてもそれは素晴らしいことだよ」


 そう言ったへーレーは穏やかな目をしていた。へーレーの手が黒い銅板の機械を撫でた。人間一人を内包する、機械製外装。内部には制御装置の光が明滅しているのが見える。


「これはね、実の所……うん、んだ!」


 へーレーの言葉に、スラーは溜息を吐いた。


「そうだろうと思ったよ、ヘーレー」

「うん、すまないね。何というか、私は具体的なビジョンというものに欠けていてね。これも出来るから作ってみたというだけさ。人間が纏う機械の鎧なんて、愉快だし、格好良いだろう? 勿論、発展させれば労働の補助にも空を飛ぶことにも使えるだろう。だがうん、そういう具体的な用途は他の人間に任せるよ!」

「……良いんですか? 任せて」


 首を傾げるシャノに、へーレーは微笑んだ。


「勿論。人間というのは支え合って生きている。科学だって同じことさ。誰かが考えたものを、また別の誰かが発展させてゆく。そうやって。――そういう訳だから私にはこれが何であるかは説明出来ないけれど……機能を説明することは出来るよ。ほら頭部の内側にあるこれはね、周囲投影機だよ。外付の撮影透鏡カメラアイからの映像を映してるんだ。拡大縮小も自在だから、目が悪くてもこうして遠くのものが見える。……そうだ、! これを被ってみてはくれないかな?」


「興味深い申し出ですが、お断りさせて頂きましょう。拙者がその珍妙な機械を被っている間に貴殿に何かあっては困りますから」


「あっ……?」


 一度聞いたら忘れない、芝居がかった口調だった。耳に覚えのある声の元にシャノは思わず視線を向けた。古式ゆかしい正装の中に、東洋めいた独特の長い袖が揺れた。


「ムソウさん?」

「おや、探偵殿。これは奇遇」


 膝で絞った袴に、指先の見える柔らかな履物。腰に帯びた長い刀は以前よりも軽そうだった。――そこに現れたのは間違いなく、アール・ムソウ・シアーズその人だった。

 服装を全く場に合わせる気のない風体で、ムソウはゆっくりとヘーレーの方へと歩み寄った。


「ムソウさんも科学者だったんですか?」

「違う違う、彼は私の雇った護衛だよ。その様子だと、ハイド君はムソウとも知り合いなのかい?」

「ええ、探偵殿とは、数日前に少々個人的なことで相談を受けて貰いまして。拙者もこのような場でお会いするとは思いませんでした」

「フム、私の護衛殿は顔が広いようだ! 成程、君たちは本当に優秀らしいな」


 スラーは感心し、しきりに頷いた。

 へーレーにしてもムソウにしてもただ一度きり会ったことがあるというだけなのだが、シャノはその誤解をあえては訂正しなかった。


「ムソウさんって、こういう場でも同じ格好をしているんですね……」

「ははは、当然です。拙者、この格好でなければまったく本領やる気が出ません故」

「雇い主としては、正装くらいして欲しいんだけれどね。まあこれで腕は立つから、諦めているよ」


 へーレーは機械の頭部を抱えたまま、呆れ顔でムソウを見た。


「……その、確かに聞いていた通り、独特な人物だな」


 シャノからは二度その話を聞いてはいたものの、実際にその存在を目にしてグリフィンは怯んだ様子だった。


「ムソウが嫌がるなら仕方ないな、ではスラー、君がどうだい?」

「あのー……キング様、申し訳ありませんが、そろそろ他の皆様方の邪魔になりますので……」


 黒い銅板製の頭を差し出したへーレーに、恐る恐る声を掛けたのは給仕係の一人だった。見れば、へーレーの機械の見世物を興味深く眺めていた人垣はいつの間にか散り、周囲にはシャノとグリフィン、スラーとアンリエッタ、そしてムソウしか残っていなかった。


 今日のため、綺麗に磨かれた床に重く転がった大仰な機械は、今や会場の人の流れを邪魔しているだけだった。へーレーは残念そうに機械の頭部を抱え直した。


「ううん、それでは仕方ない。スラー、あっちの端の方で試してみよう」

「すまないけどね、ヘーレー。私はそろそろ他にも挨拶周りをしなくては。知っているだろう? 何せ、君が私を今年の登壇者の一人に選んだんだからね」

「そうね。レイスさんにカーボネイトさん、マンキッシュさん……まだまだお会いしていない人が残っているもの」


「アンリエッタからの追撃もか。君の婚約者はしっかりしているよ。ではそうだ、グリフィン君、君はどうかな? 科学の心得があるのだろう? 先程もコレに興味があったみたいじゃないか、どうだい?」

「キングさん、お話したいのは山々なのですが、私もセジウィーク氏の護衛を務めねばなりませんので……」


 そう言いつつも、グリフィンの視線はちらりとへーレーの手元の機械へと向く。話したいというのはけして社交辞令ではない。だが意を決してその場を離れようとしたグリフィンを止めたのは、他でもない依頼主であるスラーの声だった。


「いや、いや。良いとも、私の方は気にしないでくれたまえ! 寧ろそうしてくれた方がありがたいことでね、私はへーレーには世話になっているんだ。だから君が彼女を楽しませてくれるというなら私にとっても喜ばしいことだとも!」

「いや、しかし――」


 言い淀むグリフィンに、尚もスラーは続けた。


「君たちの仲間がもう一人居るんだろう? 彼と探偵殿がいれば十分だとも!」

「……こう言ってくれてることだし、行ってきたら良いと思うよ? 折角の華やかな場なんだし、グリフィンも楽しみなよ」


 事実、物々しく警戒を怠らない警備員や個人雇いの護衛の姿はあるものの、人々は飲み、踊り、この会合を楽しんでいる。背中を押すシャノの言葉にグリフィンは少し悩んだ後、答えを決めた。


「むう……では、少しだけ場を離れる。何かあればすぐに呼んでくれ」

「よし、決まりだな。ムソウ、君は――」

「野暮は致しませんよ。二人でごゆっくり」

「物分りがよくて助かるよ、ああ、だがもしもの時は私が叫ぶより疾く駆けつけ給えよ?」

「それは当然、拙者の自負に賭けて、馳せ参じますとも」


 ムソウは頷き、朱塗りの鞘を軽く揺らした。


「ではスラー、また後で会おう!」

「ああ、へーレーも話に夢中になり過ぎず、私のスピーチは忘れずに聞きに来てくれよ」


 スラーは手を振ると、アンリエッタと共に賑わう人々の中に戻っていった。シャノもそれに伴う。へーレーとグリフィンもまた、機械を抱えて反対側の人だかりの中へと混ざって行った。

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