15/ 過ぎさりし者の病棟 1

  隠し通路の中は何処まで歩いても暗い。風通しは悪く、篭った空気は湿気と埃で粘ついている。


「何処に繋がっているんだろうね」


 床下に潜ってから、一行は随分と歩いていた。既に二十分程が経過しているが、先も後も暗いままで見えるものはない。本当に進んでいるのかすら不安になるほど代わり映えのしない暗闇だった。


秘術通話機<フィア・フォン>を使えば、大まかな位置を測定出来るのだが……ここでは無理だな。地下に潜っているせいだろう。街に設置した信号シグナルを掴みづらい」


 この通路が何であるのか、何の目的で、何処へ繋がっているのか。解ることはまだ何もない。歩き続けるしかなかった。四人は黙って足を進めた。靴底が床を踏む音だけが狭い通路に反響する。


「……何か?」


 静寂の中、じっと見つめる視線を感じてドロシーは振り返った。


「ああ。お前、綺麗だよなと思って」


 薄ぼんやりとした暗闇の向こうでジャックは笑った。


「綺麗って事は、生活が安定してるってことだ。そういう奴はさ、そそるんだ」

「ふうん。贅沢なものが好きなのね」

「そういうこと。質の良いものが好きなモンで」

「……ジャック。女の子に絡まないの」


 黙って話を聞いていたシャノが前方から


「良いだろ? 少しくらいさ。綺麗な女は貴重なんだからよ」

「ジャックじゃなかったら構わないんだけどね」

「信用がねえなァ」


 気にした様子もなく、ジャックはけらけらと笑った。

 ――やがて、上の方にぼうっとした薄明かりが見えてきた。一瞬、それは暗闇に慣れた目が見せた錯覚かと思わせた。だが事実、それは通路の外から届く光だった。光に向かって鉄パイプの梯子が設置されているのも見えた。


「出口……だろうね。登った先にも通路が続いてたら、げんなりするけど」

「敵に待ち構えられていないと良いが」

「先に見て来てやろうか?」


 ジャックの提案にシャノは複雑な表情を浮かべた。


「そういうトコは頼もしいのになぁ……」

「そりゃ、得意分野でポイントを稼いで、ちょっとした粗相は見逃して貰おうって計画だからな?」

「一々宣言せずとも良い」

「あっはっは、素直に言ってるのになァ」


 茶化すように手を振ると、ジャックがパイプ製の貧弱な梯子を掴み、身軽に登っていった。一旦はその赤毛が見えなくなったが、すぐにまた顔を覗かせた。


「誰もいないっぽいぜ。少なくとも、近くにはな」


 ジャックの報告を聞き、残りの三人もパイプ梯子を伝って、湿った通路から光の差す外へと出た。


「位置は――シックスローズから出ていないようだ」


 信号シグナルが届くようになった秘術通話機<フィア・フォン>を操作し、グリフィンが呟く。

 パイプ梯子を登った先は、狭い倉庫だった。蜘蛛の巣が張り付いた小さな窓から、少し傾き出した陽が差し込んでいる。倉庫の棚には大量の薬瓶が並んでいた。そのどれもがラベルが霞むほど埃が付着していた。


「ここのドア、開けるぜ」


 ジャックが倉庫のドアノブを握った。長く使われていない金属特有の軋みをあげ、ゆっくりとドアが開く――その先に広がるのは白い廊下だ。飾り気のない白一色しか使われていない場所……想起するものは限られている。


「閉鎖された研究所……いや、廃病院か?」

「そうらしいな」


 ジャックは廊下の横にある部屋を覗き、そこに並べられたパイプ製のベッドを示した。病室として使われていたのだろう。


「ふむ……長らく病院として機能した様子はない。使われることも、取り壊されてることもなく忘れ去られた建物か。隠れ潜むには最適だろう」

「生活には適してなさそうだけどね」


 壁際を走るネズミを見て、シャノが呟く。四人は壁にはられた案内図を見た。この建物がまだ病院であった頃に使われていたそれは随分と色落ちし、黄ばんでいたがまだ微かに文字が読み取れる状態だった。病院の作りは五階建て。今彼らが居るのは二階だった。


「誰かが隠れて生活しているとしたら……食堂に近い病室、宿直室、院長室……あたりかな」

「手分けをして探そう。四人でぞろぞろ歩いていくにはこの場所は広すぎる」

「そうだね。あまり時間を掛けていられないし……わたしはドロシーと。グリフィンはジャックと、でどう?」

「む……」


 シャノの提案に、グリフィンは気乗りしない雰囲気でジャックの方を見る。


「俺は構わねえよ。クク、こういう良い女と居ると殺したくなるかも知れないしな?お前らも俺を監視してたほうが安心だろ?」

「まあ、そういうコトを配慮した組み合わせな訳だけど」

「私は構わないわ。……というより、ハイドさんが一番安心出来るわね」


 得体の知れない仮面の男と、軽薄で常人離れした男を避けるのは当然と言えよう。グリフィンは目に見えて不満げだったが、渋々と納得した。


「何かあった時はどうする」

「その時は、グリフィンの渡してくれた秘術通話機<フィア・フォン>か――」


 シャノは視線を落とし、落ちていた瓶の欠片を蹴った。コツンコツンと高く音を反響させながら、欠片は階段を落ちていった。


「――大声で呼ぶさ。これだけ静かな場所だから、叫べばよく響く」

「承知した。……シャノン。危険なものに遭遇した時は無理はするな。良いな」

「そーだぞ、お前、弱いんだからな。ま、こっちは心配するな。俺がいる限りこいつは安全だからよ」

「貴様に守られるつもりはない」


 馴れ馴れしく肩を叩かれ、グリフィンは不愉快そうに睨んだ。


「大丈夫。二人とも頼りにしてるよ」

「では……一時間後にまたここに集まるとしよう」


 ◆ ◆ ◆


 他の二人と分かれたシャノとドロシーは四階の探索に来ていた。五階建ての建物のうち、シャノとドロシーは四階から五階、グリフィンとジャックは一階から三階を調べることになった。後者のほうが階数が多いのは能力や体格による移動速度の違いを考慮してのことだ。


 この総合病院では一階と二階に診察室が設けられており、三階より上は病室やそれに伴った調理室や手洗い、勤務者の休憩室が設けられていた。

 つまり、シャノたちが探索する場所は全て病室用の階層になる。


 取り壊されもせず、忘れられた病棟にはかつてこの場所が機能していた頃の備品が残されたままだった。薬。カルテ。診察機械。そして、病人用のベッドも。


 白いシーツが雑然と放り出されたそこには何もない。遥か昔に打ち捨てられた部屋に、残留した死の匂いがする。死の間際にある人特有のだ。


(――ああ、嫌なことを思い出すな……)


 こういった場所は――どうしても、気が滅入る。シャノにとっては、昔を思い起こさせるからだ。病院。死。大量の、死。白い壁と黒い死体袋。


 グリフィンは何も言わなかった。気づかれずに済んだのか。それとも気を遣われたか。ジャックは、気付いていたとしても言わないだろう。口数が多いようで余計なことは口にしない男だ。数日の付き合いで何となく解るようになっていた。


 ――時は過ぎ去り、既に痛みは遠い。今や死人の顔すら朧気でも、悲しい。



「――きゃあっ!?」

「――――」


 がらがらと物が崩れる音に、シャノはぼんやりとした意識を取り戻した。振り返れば、患者用のロッカーの上に積まれたダンボールが崩れていた。落ちてきたダンボールの中、ドロシーが咳き込む。


「何もかも放り出しっぱなしだね……大丈夫?」

「こういうのは……苦手ね」


 舞い上がる埃から口元を覆いながら、ドロシーはシャノの手をとった。


「見ての通り、動くのは得意ではないのよ。仕事の責任上、仕方なくしているだけで。本当に災難だわ」

「あんまり、後ろめたい方面から仕事を請けるのは勧めないよ」

「"探偵"なんて職業から忠告を受けるとは思わなかったわ」

「まあほら、我が事より他人事のほうが気になるものだしね?」


 シャノは苦笑いした。ドロシーは立ち上がり、黒い服から埃を払った。


「貴方、よく私の同行を断らなかったわね」

「ん……?」

「キールの隠れ家を聞き出せば、貴方たちにとって私はもう用済みだったでしょう。私がキールを追う理由なんて無視しても良かった筈よ。今もこうして、足手纏いになっているのだし」

「うーん……断るほどの理由もなかったからね。良いじゃないか。誰だって目的を果たせないっていうのは嫌になるしね。それなら行ける所まで一緒に行こう。それにほら、うちは三人共優秀だから任せてよ」

「貴方も優秀なの?意外ね」

「おや、信じていないかな。猫は爪を隠すCats hide their clawsって言うだろう? その内あっと驚く才を見せるからさ」


 冗談めかして言うシャノを見て、ドロシーは凝然としていた視線をそらした。


「……軽口が言えるなら、大丈夫そうね」


 呟かれる言葉にシャノがきょとんとする。


「貴方、緊張していたようだから。病院は苦手?」

「あー……、少しね」


 少し躊躇ってから、隠していても仕方ないとシャノは答えた。


「人が死ぬ匂いがするから」

「そう。色々あるわね」


 過去のがらくたにまみれた病室の窓に烏が留まった。黒い羽毛が毛羽立った見すぼらしい鳥。魔女の黒い瞳が探偵を見つめた。


「探偵というのは、大変な仕事なのかしら」

「どうかな。わたしは無許可だしね、気軽なんじゃないかな。……ただ、多くのものを取り零す仕事ではあるのかもね。探偵になってからも、なる前からも」


 窓辺の烏が嘴で体を繕うと、傷んだ羽がはらはらと散った。


「そう。だから貴方は僅かな希望に、自身を賭けてしまうのかしら。あの夜のように」

「……それは」


 あの晩、ドロシーと、そして遺変<オルト>が現れた時。シャノは勝ち目も考えずに怪異へと向き合った。ジャックが間に合わなければ、翌朝を迎えることはなかっただろう。


「……私はね、幸せに生きてきたの。勿論人並みに辛い時もあったけれど、概ね幸せといえる人生を送ってきたわ。――だから、私は人を手助け出来る。自分が幸福だから、魔女として人に救いを与えられる。――貴方は、大丈夫?」


 それは鏡を突きつけるような言葉だった。ある種の賢者のように、穏やかでありながら力のある言葉。


「……何だか、最近はよく怒られるなぁ」


 シャノは我が身を振り返り、苦笑する。

 ――かつては、そうしなければ何も手が届かなかった。そうしてすら多くのものに届かなかった。


「心配してくれて有難う。気をつけるよ。とはいえ、探偵をやめるつもりはないし――だから人も、自分も守ってみせるさ」

「……貴方、見た目によらず随分と我侭なのね」


 呆れた様子で眉を上げるドロシーに、シャノは屈託なく笑った。


「そう、わたしは我侭で欲張りなんだよね」

「貴方を心配する人は苦労するわね」

「そこは、どうにか埋め合わせしていくよ。図々しいのはわたしの良い所だからね」


 そう言って、廊下の曲がり角に差し掛かった時――シャノはピタリと足を止めた。その面持ちがすうっと静かに、何かを伺うものになる。ドロシーは怪訝にシャノを見る。


「……今、声が聞こえた」

「……そう? 私には聞こえなかったけれど……」

「こっちからだ」


 シャノは病棟の中央にある食堂の扉を押し開けた。そこはかつて、入院患者に食事を提供するために存在していた場所だ。安価な白いプラスチック製のテーブルと椅子が不規則に並ぶ広間には誰も居ない。枯れた観葉植物の脇を通り、迷わずその奥にある調理室へ進んだ。


 果たしてそこに――それは居た。


 何人も、何人も。折り重なった人々がそこに倒れていた。


壁に繋がれ、朦朧とした様子で呻く若い男たち。


「……っ!」


 シャノは調理室の扉を弾き、倒れる彼らに駆け寄った。


「こんなに人が……救急車を……!」


 男たちの様子は明らかにおかしかった。シャノとドロシーの存在を認識した気配もなく、苦しみ、呻いている。下層に付き物の違法薬物か、それとも、何かしらの病か――どちらにせよその苦しみは正常ではない。

 けれど、ドロシーは動かなかった。倒れる彼らの手を取るシャノとは対象的に、彼女は静かに告げる。


「落ち着いて、ハイドさん……


 繋がれた男たちが吐くのは胡乱な言葉だ。意味も繋がりもない無意味な言葉が苦痛と共に吐き出されている。その目は白く濁り、何も見えていない。


「異常な高熱で脳が焼けているわ。もう助からない」


 厳然たる事実をドロシーは告げる。シャノは何かを言おうとし、手を取った名も知れぬ男の顔を見て、そして項垂れた。黙って、悔しげに唇を噛む。


「……何も出来ないかな」

「何も出来ないわ」

「……くそっ」


 ぎりと握られた拳が壁に打ち付けられる。それからふと、気がついたようにシャノは男たちの衣服をあさり始めた。


「ハイドさん?」

「……こいつら、……恐らく闇組織モッブの連中だ。どこの所属だ……? 所属元の印がどこかにあるはず…」


 一人ひとりの胸元をはだけさせ、腕をまくり、ポケットを探る。何人かの身体を漁り――シャノは強く睨み、呟いた。


「――何もない」


 並び倒れる男たちを睨み、探偵は言葉を続ける。


「所属を示すものが、何もない。入れ墨も、カードも、バッジも。闇組織モッブの構成員は身の証を持ち歩く。それは示威行為であり、帰属意識であり、束縛されている証だ」


 闇組織モッブとはそういうものだ。力で他者を脅かし、内実自分たちも力によって支配されている。所属を持つということは所属に縛られるということだ。彼らは組織の後ろ盾で身の丈以上の暴力を振るい、一度失敗すればその身以上の罰と見せしめを受ける。


「でも……。だから、下層ダスト・イーストにおいて彼らの所属は一つだ」


 この下層ダスト・イーストで存在を隠す、闇組織モッブの中でも最も悪辣で陰湿な存在と言えばただ一つを指す。


「――死体漁りの犬ブラックドッグ


 テムシティの下層、闇の蠢く裏社会で殊更厄介と言われる存在。大抵の市民は組織名すら聞くこともない闇に潜む集団。それがウル・コネリー率いるブラックドッグだ。


「コネリーが言っていた……襲われた部下たちか? 何人かに殴られた後がある……病で動けなくなった後につけられたのか? 何のために……? 何の意味もなく、か?」


 灰色の目が動く。魘される人々。壁。埃の積もったシンク。いや、埃以外にもある。空になった食品の包装。はした小銭。そして印のつけられた地図。シャノはくしゃくしゃになった地図を手にとった。それはイーストエリアの地図だった。その中に一箇所だけ、ペンで汚く囲まれた場所があった。


「警察署……?」

「ア……うあ……助けて……」

「……!」


 足元から、声がした。彼らの一人、黄色いシャツの男が弱々しくシャノの足を掴んでいた。朦朧とはしているがたしかに二人の方を見て、彼は言葉としての呻きを発した。


「彼は……この人はまだ大丈夫だ!」

「……それなら、ここには残しておけないわね。連れ出しましょう」

「ああ、グリフィンたちも呼んで――」


 病に呻く男を担いだシャノが、言葉を止めた。その首元に冷たい感触が走った。体を動かさないまま、シャノは視線を後ろにやる。そこには――小さな器具を突きつけるドロシーが居た。


「……フォーサイスさん?」


 シャノが目を丸くした瞬間、銀色に光る筒状の器具から首に何かが刺さった。


「ぐっ……!?」

「これも魔女の薬よ。ごめんなさいね。でも安心して、暫く体が麻痺するだけよ。死にはしないわ」


 刺された首元から痺れる感覚がした。目眩。ふらつき、足元も覚束ない。担いだ男をも支えきれず、取り落とした。ドロシーは空になった器具を冷めた目で見、懐にしまう。


「貴方は、にとって知られたくないことを知ってしまった。だから――眠っていて。そうすれば、全てが解決するから」


 シャノは銃に手を伸ばそうとするが、全身が痺れて銃底を掴むことが出来ない。感覚が狂った体をどうにか力なく壁に縋らせる。


「動かないで。悪いようにはしないわ。それは私の上も望まないことだから――」


 シャノは儘ならぬ体を支えながら、ドロシーの方を見た。


「フォーサイスさん、貴方は――死体漁りの犬ブラックドッグの一員なのか?」

「いいえ、依頼よ。私のお得意さんの一つ、それが死体漁りの犬ブラックドッグ。怪しげな店を開いているとね、後ろ盾があった方が良いのよ。下層ダストイーストでのトラブルは日常茶飯事でしょう」

「貴方が探している……キールに奪われたモノ――魔術施品クラフト・グッズは、赤い荷馬車カッロ・ロッソからの注文じゃない。死体漁りの犬ブラックドッグに依頼されたものだな?」

「ええ、そういうこと。だから、私はお店としてきちんと魔術施品クラフト・グッズを回収して依頼主に届けないといけないの。言ったでしょう? 命は惜しいから」


 闇組織モッブと関わるというのはそういうことだ。身に余る見返りと、受け止めきれない報復。


「……これが失敗したら、貴方はどうなる」

「余り考えたくはないわね」


 ドロシーは静かに答えた。それはテムシティの下層で生きる術を学んだ人間の顔だ。だから、シャノは。シャノン・ハイドは答えを選んだ。


「……なら、仕方ない」


 言って、薬で震える手を銃から離す。ドロシーは、正気を疑うようにシャノを見た。


「……何故、諦めるの?」

「悪いようにはしないんだろ? それを信じるよ」

「この状況で運命を委ねるなんて、危機感がないのかしら。それとも豪胆なのかしら」

「……わたしはね」


 ドロシーの問いに、シャノはまっすぐ魔女の顔を見た。


「信じたいものを信じるようにしてるんだ」

「それ、愚かと言うのよ」

「よく言われるよ。皆、から……」


 最早限界だった。注入された薬の影響が勝り、シャノはずるずると膝をつき、床に倒れ伏した。ドロシーは黒い髪の奥から不愉快そうにそれを見る。


「……不愉快な仕事を押し付けてくれるものね。料金、倍額にしてやろうかしら」


 呟いて、魔女は調理室の中を見た。倒れた死体漁りの犬ブラックドッグの構成員たち。これを片付けなければいけない。クライアントは自らの存在を明るみに出すことを望んでいない。ドロシーの役目は本来ならば魔術施品クラフト・グッズを制作するだけのはずが――何とも面倒なことになったと、独りごちる。



 ここに存在する何人もの構成員の存在を秘匿するには――手段は限られている。ドロシーは薬瓶を数本取り出した。複数の可能性の一つとして、こうなる――クライアントの望まぬ状況になることを想定して用意したものだ。


 淡く歪んだ七色に輝く薬瓶を手に、ドロシーは拘束された男たちに近づく――証拠を隠滅するためだ。本当はキールを追うだけのはずだった。こんな物が見つかったのはドロシーにとって誤算だ。だが死体漁りの犬ブラックドッグの関与が明らかになるような物証を残しておけはしない。しかし、途中で魔女は足を止めた。ぐらり。めまいを感じ、魔女もまた膝をつく。


「ッ……う……」


 額を抑える。手のひらにじわりと高熱が伝わる。駄目だと思う。いけないと思う。今は動かなければ――けれど、そんな意思とは裏腹に、ずるずると魔女の体は座り込む。床についたドロシー腕、袖の隙間からちらりと黒い跡が見えた。それは――遺変<オルト>につけられた痕だ。


 昨晩、シャノたちと逃げる際、遺変<オルト>に纏わりつかれた箇所だ。そこにくっきりと謎めいた痣が浮かび上がっていた。


「ああ、本当。今回ばかりは面倒ね……」


 ぼうっとする思考の中、ドロシーもまた力なく床に伏した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る