16/ 過ぎさりし者の病棟 2

 一階と二階を早々に探索し終えたグリフィンたちは、三階の病室を順番に調べていた。調べる――と言っても、部屋を覗いたジャックが「なし。次」「鼠。次」とすぐさま隣の部屋を開けるだけだ。


 ジャック曰く、人の気配があるかないか程度はそれで解る、とのことだった。最初はグリフィンも適当なことを、と思い、部屋の一つ一つを丹念に調べていたが、結局は鼠か、虫か、ジャックの言った通りの生き物が逃げ去っていくだけだったので諦めた。


 端から三つ目の病室にもう数十回目になる「なし」が響いた。


「……シャノンと彼女を二人きりにさせて良かったものだろうか」


 ジャックの後を歩きながら、グリフィンは呟いた。


「遺変<オルト>の元型ではないとしても、彼女はこの事件の渦中にいる男を追っている。……正体を表すつもりはなさそうだが、無関係とは言い難いだろう」

「フーン、女一人を前に三人で問い詰めるべきだったか? 『お前は怪しいぞ』って? ――あいつが一人で出来るって言うなら、任せときゃ良いだろ」

「それは……そうだが」


 歯切れの悪いグリフィンをジャックが鼻で笑う。


「ははーん、解った。あいつの能力に期待してない訳だ。まあ、そりゃ同感だが。所詮あいつは探偵ごっこだからな」

「そこまでは言っていない」

「どーかなー。お前ヒトを信用しないからなー。全部自分でやりたがる方だろ」

「殺人鬼に言われたくはない。それに、一人で突き走るのは私より――」

「――待て」


 言葉を返そうとしたグリフィンだったが、ジャックに遮られ怪訝そうに黙った。ふざけた様子は鳴りを潜め、赤毛の殺人鬼は剣呑な目つきで上を睨みつけた。


「俺達以外に、誰か居るぞ」


 ◆ ◆ ◆


 ――それは記憶だ。かつて、初めてあの暗い地下酒場に足を踏み入れた日のこと。


 派手なスカーフを巻いた、黒い髪の色男が笑っている。

 石造りの壁に洒落た酒瓶の並んだカウンター。じわりと広がる冷気と暗闇が身に迫りくるようだ。


「何の後ろ盾もなく、ここを探し当てたって? へええ、そりゃあ大したものだ」


「だが、紹介もなしじゃあね。だから、テストをしよう。アンタがオレから情報を買う価値のある人間かどうか」


「さあ、銃を取るんだ。シャノン・ハイド」


「アンタの願う信念の為――みごと、


 ◆ ◆ ◆


 ――ぼんやりとした時間が過ぎた。意識が落ちてからどれほど経過しただろうか。痺れた感覚が薄まっていることに気づき、シャノは顔をあげる。

 まだ僅かに薬の効果が残っている。ついた手の感覚は鈍く、床の温度すら感じることは出来ない。体はまだ万全ではない。倒れぬように注意を払い、シャノは壁を使って立ち上がった。

 部屋の中を見渡す。そこは――何も変わっていなかった。呻き苦しむ男たちの数も減ったようには見えない。


 ただ一つ違ったのは、その中央に倒れている、黒い服の女だった。


「っ、フォーサイス、さん……!」


 シャノは動かない黒い女に駆け寄った。抱き上げた上半身には温度があった。息があることにほっと安堵する。しかし、その肌は体温があるというよりも、熱を発しているようだった。苦しげに息を吐く女の腕には、不気味な黒い斑が浮き上がっている。まるで病に侵されているかのように。


 長い睫毛に縁取られた黒い瞳が気だるげに開いた。


「……頑張って何ともないようにしていたのだけれど。ごめんなさいね、悪ぶった挙げ句こんな無様を晒すなんて」

「これは……貴方も、遺変<オルト>の影響を」

「ええ、そうね。昨晩近づきすぎたみたい」


 昨夜の遺変<オルト>との戦い――退けられたのは、ドロシーが開放した『光』のおかげだった。しかし、代償もあったのだ。初めて見る恐ろしい怪物を前にして躊躇わず、戦うことを選んだ、怪異を間近に近づけることを許した代償――それが、この病痕だ。やがて人を死に至らしめる、病の発露。黒き斑の印。


「まだ意識がはっきりしている。初期症状の内だ、現時点では死ぬことはない。せめて休めるところに連れていきたいけど……」


 口にしてから、シャノはその言葉が気休めに過ぎないことに気付き、眉を顰めた。


「そうでしょうね。あの怪物を倒さないと、これは治らないのでしょう。なら柔らかいベッドも、お医者様も必要ないわ」


 ドロシーは淡々と答えた。シャノに他に選べる言葉はなかった。どんな言葉もその場しのぎにしかならない。今必要なのは結果を導く手段だけだ。遺変<オルト>を探し出し、倒す。それしか彼女も、他の人間も救う手段はない。


「愚かな人。本当に私のことを心配するのね」


 灰色の目に浮かぶ苦悩を見て、ドロシーは微笑んだ。その微笑みの意味はシャノには解らない。


「とりあえず、グリフィン達を呼ぼう。少しでも安静にしていれば、病の進行も遅くなるかも知れない――」

「――それ以上は、必要ない」


 ――聞き覚えのある、冷たい声がした。それが何者かであるか把握する前に、シャノの後頭部鈍い衝撃が走った。


「ぐ……っ!?」


 ふらつき、ドロシーに覆いかぶさるようにシャノは倒れた。殴られた後頭部が痛む。平衡感覚が混乱する。立ち続けることは出来なかった。眩む視界の中、どうにか肘をついた。痛みに耐え、後ろを振り向く――暗い天井の下、そこに居たのは――。


「御前……ネクロクロウ……!」


 特徴的な銀色の仮面。無機質な冷たさを放つそれ。小柄な体躯にジャケットを羽織った、黒い天幕のような女。――ネクロクロウ。ドロシーを襲い、シャノと戦った謎めいた女。


「フン……仲間は居ないか。御前たちがこちらに現れるとはな……多少の知恵はあるらしい。無意味だがな」


 ネクロクロウは拳を下ろし、蔑むように呟いた。シャノは頭痛を耐え、銀の仮面を睨みつける。


「御前がここに居る……ということは、この連中は、御前の仕業か。キールの仕業か」

「ハ、下らんことを言う。こんな真似をして私に得はない。闇組織モッブの末端ごときを鬱憤晴らしに痛めつけて、何の意味がある? これはあの愚か者が望んだことだ。まあ――その手伝いはしてやったがな」


「……遺変<オルト>を、キールの元に導いたのは、御前だな……? 」


 ロイス・キールは、しがない男だ。平凡に生き、平凡に愛する家族がある。ただの市民に過ぎない。


「幾ら調べたって、キールは……そんな事を知っている人間じゃなかった。だったら、そう仕組んだ相手がいる。ロイス・キールを唆し、死体漁りの犬ブラックドッグの末端が怪異に襲われるように仕向けた――そういう奴が、それが、御前……、ぐッ……!」

「だったら何だと言うんだ、クズが。因果を知った所で、貴様に出来ることなどあるのか? 騒いで反抗した気にでもなっているつもりか? 何の意味もない言葉を紡いで良い気になるな。黙っていろ」


 倒れたシャノを蹴って無造作に転がすと、ネクロクロウはぐったりとしたドロシーを掴み、引きずり上げた。

 

「何を……っ」

「こいつは貰っていこう。野放しにすると厄介そうだからな」

「させるか……!」


 シャノはネクロクロウの足に縋り付いた。女の黒いズボンを必死に掴む。それが今のシャノに出来る程度のことだった。ネクロクロウは冷たい目で見窄らしい探偵を踏みつけた。何て弱い。何の力もなく、ただ夢想だけは高く――そういう人間にこそ価値がない。意味がない。ただの勘違いした生き様だ。無価値なゴミだと自覚してさえ入れば、多少の価値はあるだろうに。


「ハ……ハイドさん、逃げて……」


 髪を引きずり上げられたまま、魔女が苦しげに呻いた。


「これは、囮よ。この女の、罠よ。この女にとって、私を生かす価値も殺す価値もない。それが、こうやって人質にするフリをしてる、ならそれに意味がある――キールは、ここには居ないのよ。早く、キールを追うのよ」

「チッ……黙れクソが!」

「……ッ!」


 ネクロクロウが髪を掴んだまま、ドロシーを床に叩きつけた。小さく悲鳴が漏れる。


 シャノは――迷った。シャノン・ハイドは他人を見捨てることが出来る人間である。

 人を救いたいと思っている。人を守りたいと思っている。――けれども、たった一人のそれらを見捨てることは出来る。


 ――特別な才などなく。生まれ持った権力もなく。ただ一人すら満足に救えないことを知っている。


 けれど――その灰色の目には、見えてしまった。鉄の女に抱えられた魔女の手が震えているのが。ならば、シャノン・ハイドが何を選ぶかは決まっていた。


「――逃げない。絶対に!」


 その人間は――特異な能力もなく、優れた才能もなく、ただ足掻くだけの探偵は仮面の女を睨んだ。


「手の届く人を、諦めるものか」


 ――解りきっている。何を諦めてもそれだけは、シャノン・ハイドには出来ない。


「わたしの前で、手を伸ばせる誰かを、一人で死なせたりはしない!」


 シャノは叫んだ。ネクロクロウが憤懣と共に怒鳴る。


「くだらん、ならば同情と共に死ぬか!」

「死ぬ時は、御前も一緒だ!!」

が吠える!!」


 シャノは銃口をネクロクロウに向け、引き金を引いた。銃声。しかし――その弾は届かなかった。ネクロクロウは金属の手甲を前に突き出し、握った拳を開いた。指の間からパラパラと握り潰された弾が零れ落ちた。


「く……っ」

「馬鹿め」


 狙いが甘い。速度も足りない。体の調子がまだ取り戻せていなかった。金属の手甲がシャノの胸ぐらを掴み、壁へ叩きつけた。銃が床に落ち、虚しい音を立てた。無様に頭を掴み上げられ、アルミ加工のシンクに顔が映りこんだ。無力な若者の顔が。


「大層な挟持、結構だ。だが、貴様のそれは驕りだ。勝つ? 守る? 貴様のような弱さで、成し遂げられることなど何一つない」


 ネクロクロウは憎々しげに吐き捨てた。


「ありきたりな価値しかない、どこにでもいるゴミめ。価値相応に自分の身だけ守って逃げれば良いものを。一体何を見ている?鏡を見ろ。この哀れなゴミが貴様の姿、貴様の持つ価値の限界だ」

「ア゛あああッ!」


 隙をつき、肘をネクロクロウの腹に穿つ。ネクロクロウが唸り、僅かによろめいた。その侭、胴体を足で抑え込もうとシャノは藻掻いた。


「チッ――! 下らん、ことを!!」


 しかし、ネクロクロウの方が有利だった。仮面の女の右膝がシャノの腹に入った。詰まった呼吸が吐き出される。


「は……ぐ……」


 思考が一瞬白く飛ぶ。苦痛と共に口から唾液が溢れた。だが――諦めなかった。仰向けに倒れたシャノを叩きのめさんと近付くネクロクロウに――シャノはもう一つの銃口を向けた。秘術銃フィア・ガン。先程使った人間に向ける銃とは違う。対・遺変<オルト>用にグリフィンが用意した武器。朦朧とした視界の中、シャノはそれを女の仮面へと向けた。


「きさ……っ」

「――くたばれ」


 大いなる力。人智及ばぬ偉大なるフィアの緑光が収束し――輝いた。

 フィアの力を込めた弾丸が、ネクロクロウの銀の仮面に炸裂した。

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