9/ 屍選のネクロクロウ 2

『遺変<オルト>No.4、現界実験を始めよう』


 繁栄せし都市の影、置き去りにされた街のさらに奥に、それは在る。昏き闇が微睡む巨大回廊メガロクロイスター。 


『存在レベル5。指向性<共感>。完全現界まで五段階。次段階行動――精神の収集』


 ここにまだ幻想は成らず。未だ怪異の身であるならば。


『ああ、我が身は嘆く。嘆く。この世の救いは遠く、幻想は儚い』


 黒衣の男は顔を覆い、天を仰いだ。


『我らが"いのり"の成就の為、礎となれ、価値無き人間たちよ』


 ◆ ◆ ◆


 そこはテムシティ。栄光の電脳機科都市にも、等しく夜は訪れる。――空はくらく、地はくらく。霧けぶる闇夜の向こうに白い月が揺蕩う。

 人智の粋を集める人の都市にして、蔓延る者は人のみに非ず。暗がりの亡霊は夜陰に翳りを落とす。


 それは巨大な影だった。空の月をも覆う奇怪な巨躯が、そこに在った。

 ギチギチと鳴らす体は見窄らしい獣毛に覆われ、頭部には尖った獣の耳と、防病マスクのような赤い二つの目。病んだ狼を思わせるそれの、獣の爪を持つ巨大な腕にはぐるぐると白い布が纏わり付く。脚部はなく、幽霊のような襤褸布を下げた腰部が、無気味に宙へと浮かんでいる。


 人ならざるカタチ。人ならざるモノ。


 <――グルルルルル!!>


 獣の姿を持つ怪異が大きく吠えた。


遺変<オルト>だとッ!?」

「フフフ! この場は貴様らに預けよう! さらばだ!」

「待て!」


 負傷した身を翻す仮面の女を、シャノとグリフィンが追いかける。シャノは走りながら銃を取り出し、女に向けて撃った。乾いた発砲音。しかしそれはネクロクロウの肩を掠めただけだった。揺れる銃口がもう一度狙いを定める。


「シャノン、退け!」


 その時、グリフィンがシャノの腕を掴んだ。立ち止まったシャノの目の前に、白いものが一閃した。――細長く伸びた白布。包帯じみたそれは遺変<オルト>の腕から伸びている。獲物を捕らえんとうねる包帯の向こうで、女は笑い、路地の闇に消えた。


「くっ、逃げられたか……」

<グル……ルルルル……理解みたせよ>


 遺変<オルト>の怪しげに光る大きな赤い目がシャノたちを見下ろした。ゆらゆらと霧と共に揺れるその姿は獲物を見定める獣のように。


「――な、何だありゃあ……? オバケか……?」


 じりじりと下がる二人から離れたところに、呆然と立つ人影があった。赤ら顔の男は間の抜けた顔で闇夜に浮かぶ不気味な怪異を見上げている。それは先程からの戦闘の騒ぎを聞きつけてきた住民だった。酔っているのか、足元がふらついている。酒を飲み過ぎただろうか、という顔で男は不思議そうに狼のような幽霊のような奇妙な怪物を見ている。


「そこの君、逃げろ!」


 グリフィンが叫んだ時には、もうどうにもならなかった。怪異の白い包帯が男を絡め取り、ぐるぐると巻きつけその体を吊り上げた。

 男を助けるべく、グリフィンは術杖を構えた――しかし別の包帯がグリフィンに向かって鋭く伸び、それを阻む!


「くっ、火果は爆ぜる<リ・リ・セ>!」


 襲い来る包帯を、秘術<フィア>の炎が飲み込んだ。


「え、なん、あ……?」


 自分を捕らえる奇妙な怪物や手品のように杖から吹き出す赤い炎。非現実的な光景に、酔った男はぽかんと口を開けていた。しかしそうして何も知らずに居られたのは僅かな間だけだった。怪異の透鏡レンズのような赤い目が暗く光った。すると――強く焼け付く熱が男の内側を襲った。


「な――ア……?」


 熱い。熱い。腸を焼く異常な熱がその体を満たしていく。臓腑が、脳が、ひりつき、悲鳴を上げる。強烈な吐き気と痛みが這い上がってくる。熱い。苦しい。痛い。助けて。

 包帯に触れている箇所から、見る見る内に皮膚に赤い斑が浮かびあがる。


「ぎゃああ! 助けてくれ! 苦しい! 熱い熱い熱い!! 焼ける! アアアア 熱い! 死ぬ! 死ぬゥ! アアア!! アアアア!!!!!」


 叫ぶ。叫ぶ。熱が体の中を這い回り、毒に侵されたように男はのたうつ。しかし逃れることは出来ない。遺変<オルト>の腕から伸びる包帯が強固に彼を縛り上げているからだ。


「ガアアアアアアアア! アアアア――――……!」


 長い絶叫の後。やがて、男の体が力なく地面に落ちる。モノのように落下したそれに、命はないことは明らかだった。


 秘術<フィア>によって焼け落ちる包帯の向こうで、シャノは目を伏せた。遺変<オルト>が満足げに防病マスクの下の口を歪めた。


「死に至るのが早過ぎる。コネリーの報告じゃあ、襲われてから二日は苦しむって」

「成長している。奴は既に四……いや、五段階には達しているか……? あの包帯に触れてはならない」

 成長。遺変<オルト>は人を殺して育つ。即ち、それほどに人を殺しているというほどだ。

「触れないようにって、あれじゃあ中々難し……、ッ!」


 遺変<オルト>の腕から包帯が伸び、二人の頭上を越えた。グリフィンが言葉を唱え、それを焼き払う。火の粉を散らしながら白い布は燃え、燃え残った根本は遺変<オルト>の元へと巻き取られる。


「……? 何だ今の動きは……」


 妙な動きだった。包帯の軌道は二人よりも高い位置を通ろうとしていた。まるで彼らを狙っていないかのような。はっとして二人は振り返った、取り残していた黒衣の女の方を。

 知らぬ間に、闇に紛れて何本もの包帯が建物の壁を這い、後方へと向かっていた。円状に包囲した包帯が、黒衣の女へと迫る!!


「ッ!! ――何人彼らが身触れ得ること能わず<ボウ・セ・ゼン・カル>!」


 黒衣の女に包帯が届く寸での所で、グリフィンのわざが間に合った。白くうねる包帯は緑色の燐光に阻まれ、仰け反った。


「ごめんなさい、助かったわ」


 黒衣の女は駆け寄る二人に礼を告げた。


「無事で何よりだ。折角一度助けたのだから、無傷でここを脱して貰わねばな」


 シャノとグリフィンは様子を窺うように動く包帯を見る。それはじりじりと迫り、再度獲物を捕らえんと隙を伺っている。


「わたしたちよりも、彼女を狙っている……?」

「……遺変<オルト>が一人の人間を狙う理由は限られている。一つは定められた行動原理により適した獲物であるか」


 しかしこの遺変<オルト>の被害者は今まで判明している限り男性ばかりだ。積極的に女性を狙う行動パターンを持つとは思い難い。


「もう一つ。遺変<オルト>が成長の為の獲物よりも狙うもの。それは――自身の形のベースとなった、"元型"の人間だ」


 シャノは黒衣の女を見た。この世ならざる怪物を前にして、静かな表情からはその考えを読み取ることは出来ない。


「彼女がこの遺変<オルト>の元型……?」


 夜風に黒く長い髪が棚引く。黒衣の女は歪んだ獣じみた怪異を見上げた。


「これが、怪物」


 長い耳は狼のように。透鏡レンズのような赤い目とマスクの下から覗く牙の生えた口はどちらも大きく歪だ。小さき者を前にして、ギチギチと嘲笑い、歯を鳴らす。怪異の腕に巻かれた包帯が弱者を闇へと引き摺り込む触手わなのように揺らめいている。

 シャノは背を向けて黒衣の女の前に立った。


「大丈夫。かならず貴方をこの場から逃がす。……逃がすと言ってもその後は、こっちの質問に付き合って貰うけどね?」


 冗談めいてシャノは軽口を叩いた。


「……あの怪物は貴方たちの敵?」

「そう。わたしの敵。グリフィンの敵。そしてこの都市の敵だ」


 シャノは遺変<オルト>を睨んだ。その下に倒れ伏す命のない死体を睨んだ。――許してはおけない。見逃してはおけない。この東の塵ダスト・イーストを脅かすものを。


「……貴方たちは何故戦い、守ろうとするの。きっとそれは貴方たちでなくても良いでしょうに」


 黒衣の女は自分の前に立つその二つの背を見た。シャノは屈託なく笑った。


「わたしは探偵だからね!」


 杖を構えたグリフィンが首を傾げる。


「私は探偵ではないが」

「じゃあ、探偵助手は?」

「研究者と探偵助手の兼業か、良かろう。では君は探偵兼、共同研究者だな」

「良いね、肩書は多いほうが箔がつく」


 シャノは懐を探り、もう一つの銃を確認した。通常の弾ではない、不可思議なわざを放つ特別な銃。


「どうする? ここで戦うか……? 秘術銃<フィア・ガン>は持ってきているけど……」

「勝算がない、とは言わないが、未知の遺変<オルト>だ。前衛ジャックなしに戦うのは不安がある。……遺憾なことだが」

「じゃあ、ここは撤退かな。仮面女も遺変<オルト>も逃がすのは悔しいけど」


 二人が退路を確認した時、蠢く包帯が壁を這い、広場から外へと繋がる通路を塞いだ。細長い白い布が幾重にも巻き付き、立入禁止テープのように道を阻んでいる。


「……撤退はダメそうかな?」

「ぬぅ……」


 獲物を囲い込んだとばかりに、遺変<オルト>はその腕から何本もの包帯を繰り出し、三人へと襲いかかる!


「チッ、何人我が身触れ得ること能わず<ボウ・セ・ゼン・カル>!」


 周囲に展開された護りのわざ遺変<オルト>の攻撃を防ぐ。何本もの包帯がわざの前に弾かれる。だが状況は良くない。グリフィンは守りで手一杯で、シャノには怪異に対する有効打がない。出来ることがあるとすれば、この蜘蛛の巣のように張り巡らされた攻勢の包帯を潜り抜け、遺変<オルト>に術印を刻むこと。

 シャノは試しに道を塞ぐ白布を撃ったが、一度は千切れ、小さな抜け道が開いても、たちまちのうちに他の包帯が押し寄せ、それを塞いでしまう。壁の包帯が苛立たしげにシャノへと向かって伸びる。ダン! ダン! シャノはそれにも反撃するが、一つが撃たれ引き裂かれても、次々と新たな包帯が押し寄せる!


「シャノン! 防御ガードに戻れ!」

「くっ、どうにもならないなこれ……!」


 緑の壁の中に戻り、シャノが舌打ちした。


「どうにも鬱陶しいな、この包帯みたいなヤツ」

「……先程のことを見ただろう。あれも奴の体の一部だ、触れるな。奴の特性を覚えているな?」

「……感染」

「そうだ。先程の男のように完全に絡めとられなくても……僅かに触れるだけでも病が感染うつるだろう。すぐに死に至ることはないだろうが、危険だ」

「手が打てないな……わたしが囮になれれば、グリフィンに火の術を使って貰えるんだけど……」


 護りの術の外では何本もの包帯が激しく攻撃を繰り返している。とてもそんな隙はない。


「……シャノン、受け取れ」


 グリフィンはわざを維持しながら、シャノに小さな機械を投げつけた。受け取ったそれは数字の文字板タイプボードと小さな画面がついている。


「これは……?」


 不思議そうに機械を見るシャノに、グリフィンが説明する。


秘術<フィア>を使った通話機械だ。内部の仕組みは違えど小型通話器セルフォンと同じだな。ジャックには既に渡してある。ダイヤルを2に回し、奴を呼べ! 位置は自動であちらに表示される!」


 シャノは素早く文字板タイプボードを操作すると、通話を繋ぐ。暫くのコール音の後、ざらついた接続音がした。通じたのだ。急いで通話口に話しかける。


「ジャック!? 今すぐこっちに来てくれ!」

『お。この機械ホントに使えるんだ。何だよ、こんな時間に。買い物帰りなんだよ俺は』


 通話の向こうのジャックの声は呑気だった。シャノは構わずまくし立てる。


「良いから早く! 遺変<オルト>だよ! こっちの位置は表示されてるってグリフィンが!」

『ハア!?』


 突然のことにジャックは驚いた様子だったが、すぐに事態を飲み込んだようだった。


『仕方ねえな、行くまでになるべく死なねえようにな! 助ける相手がいねえんじゃ遣り甲斐がないからな!』


 プツリと通信が途切れた。連絡はついた。あとはジャックが到着するまで耐えるだけだ。


「グリフィン、何時いつの間にこんな凄いものを」

「今日完成したばかりだ。昼間の間に、小型通話器セルフォン同様、基地局となるフィアを街の中に設置してきた。といってもウエストエリアにはまだだが……」

「……街の中に? 勝手に?」

「違法ではないぞ」

「……そうだね」


 当然だ。巷に知られていない神秘である秘術<フィア>を規制する法律など存在しない。


 そうしている間にも遺変<オルト>の攻撃は激しさを増し、護りのわざも弱まってきていた。グリフィンはわざを張り替えるタイミングを探るが、中々隙が見いだせない。

 シャノはもう一つの銃を手に取った。普段携行している武器のうち、滅多に使うことのない大型の銃。シャノの体格には不向きだが、威力は高い。


「守りを頼む。少しでも撃ってみる……!」


 グリフィンは少し思案し、小さなケースを取り出した。


「シャノン。これを」


 シャノが箱の蓋を開けると、中にはずらりと弾丸が並んでいた。シャノはその形に見覚えがあった。術印を刻む秘術銃<フィア・ガン>、その弾と同じだ。


「以前渡した、遺変<オルト>を封じる弾とは別の術式を刻んだ弾丸だ。今の手持ちは二十五発」

「効果は?」

遺変<オルト>を消滅させる術を刻む封刻弾シールバレットとは違い、こちらは攻撃用。大掛かりなわざ程の威力はないが、ある程度の遺変<オルト>の破壊が可能だ。さしずめ炎刻弾ファイアーバレットといった所か」


 シャノは弾薬箱を受け取り、秘術銃<フィア・ガン>に込めていた封刻弾シールバレット炎刻弾ファイアーバレットを入れ替える。カチャン。弾倉マガジンが収まる音が響いた。シャノは銃を強く握る。遺変<オルト>の包帯が威嚇するように蠢いた。


「じゃ、ウチの猛犬が来るまで、少し待って貰おうか!」

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