8/ 屍選のネクロクロウ 1

「フ、フフフ! フフフ!! <グリフィン>か!」


 銀の仮面の女は笑い、確かに呼んだ。その名を。グリフィンの名を。


「……良いだろう、女はやめだ。最優先で、殺させて貰おう!!」


 仮面の女の殺意の形が変わる。それまでは作業のように動いていた仮面の女の体に、熱が漲る。その銀の手甲グローブに再び薄黄色の光が宿った。


「我がは<屍選のネクロクロウ>! 弱きを嘲笑い、強きを蝕むが我が存在! 世に光を齎し得たはずの貴様よ、姿を捨てた仮面の男よ。ここで、その命――食い尽くす」


 仮面の女、ネクロクロウと名乗るそれは薄黄色の力を纏い、地を蹴った。黒衣の女も探偵も居ないかのように、グリフィンに向かって。


切れ<レポーク>


 力ある言葉が唱えられる。ネクロクロウの拳を覆う薄黄色の光が、刃のようにグリフィンへと切りつける!


「――何人我が身触れ得ること能わず<ボウ・セ・ゼン・カル>


 グリフィンは術杖を振るい、半球状の緑のフィア光がネクロクロウの攻撃を阻む。ネクロクロウの形作る薄黄色の光を見て、グリフィンが苦々しく呟く。


「その力、秘術<フィア>か……!」

「フフフ、そうだとも! この力は秘術<フィア>! 失われし世界の理をわざへと高めたもの! 貴様の扱う力と同じものだ!」


 ネクロクロウの拳が、グリフィンの展開した防御壁へと抉りこむ。淡黄色に輝く力がグリフィンの銅色の仮面を照らした。


「私と同じ、と豪語するには、随分と精製の質が悪いようだな」

「フィア光か。確かに、貴様の術の何と鮮やかなことか。一息で多くの言葉を紡ぎあげ、高純度の緑の光を舞わせる。精製の質もわざの精度も違う。私ですら見惚れる美しさだ。だが、多くの質で劣るとて、ここで勝らない訳ではない」


 防御壁へ突き刺さった刃を抜き、ネクロクロウは追撃する! 鋭い非実体の刃が防御壁を傷つける!


切れ<レポーク>! 切れ<レポーク>! 切れ<レポーク>!」

「チッ……短縮式……!」


 切りつける! 切りつける! 切りつける!! 激しい雨のように淡黄色の刃が降り注ぐ!

 グリフィンが舌打ちする。グリフィンの防御ガードはネクロクロウの攻撃に勝る。薄黄色の刃は緑色の壁を破壊し得ない。しかしそれも一撃の遣り取りに於いてのことだ。ネクロクロウの風の如き連撃は少しずつ、その強固な壁を打ち崩さんとする。


 ネクロクロウの刃物のような拳を受ける度、防御壁が消耗する。一つのわざに込められたフィアの力は有限だ。この防御壁が破壊される前に、次の守り、もしくは別のわざを敷かねばならない。


「フフフ! 確かにこちらのわざの質は低い。だが手数は貴様に勝る!」

何人我が身触れ得ること能わず<ボウ・セ・ゼン・カル>!」


 ギィン! 破壊される寸前、再度展開したグリフィンの防御ガードが襲い来る刃を防ぐ。だがネクロクロウは躊躇いなく、執拗に切り裂く<レポーク>の術を使い続ける。

 グリフィンが一つの言葉を唱える内に、ネクロクロウは三度の言葉を唱える。


「驕り! 驕り! 驕り! 如何な優美な術を紡ごうとも! 如何な頑迷な壁を築こうとも! ――貴様はこの勝負に勝てん。死を選ぶ我が爪は、強者の命こそを屠る! 変わらぬ定めなどなく、滅びぬ栄光などなく。私は強靭なりし壁こそに終わりを齎す! 貴様はその実力故に、敗北するのだ!」

「くっ……!」


 弱まる防壁を感じながら、グリフィンは次の手を模索する。 

 防御ガードが打ち破られる前に次のわざを行使せねば、秘術<フィア>の刃が白紺の長衣を貫く。だがネクロクロウの言う通り、グリフィンの扱う秘術<フィア>は精緻な反面、わざの発現に時間がかかる。フィアの流れを丁寧に編み込み、力の連鎖を論理的ロジカルに構成した長文式の秘術<フィア>は強固に現実へと作用する。


 ネクロクロウの短縮式は粗くも速い。荒れ狂う風の如く、それは激しく何度も打ち付ける。かといってそれを防ぐために大技の乱発を行うのは体力、手持ちのフィア石共々の消耗へと繋がる。防御術の崩れる寸前と、ネクロクロウの術の隙間に、わざを敷き直さなければならない。


 グリフィンは手持ちの術具を数える。精製済フィア片石がとお自走機能付術具オート・ファミリアが三つ。


「人間相手に惜しいが……! 瞬け其の輝きよ<サクリ・セ・コウ>我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>


 爆ぜる光をネクロクロウが手甲グローブで受ける。その僅かな隙に追い打つように燃え盛る炎が場を覆い尽くす!


「チィ――!!」


 炎に巻かれながら、ネクロクロウは後方へと下がる。服の一部は焦げていたが、その身は無事だ。


「撹乱からの大技とは、卑怯な手も工夫出来るじゃないか。だが――加速<レクセラ>! 切れ<レポーク>!」


 ネクロクロウもまた力ある言葉を二つ重ねる! 加速<レクセラ>によって、刃を両腕に形成したその小柄な体躯が、天高く舞う大鳥のごとく射出される!

 ――しかし。グリフィンもまた三つ目のわざを組み上げる。ネクロクロウが爆炎に呑まれている最中から、その薄黄色の刃が届くより速く!


結び目を此処に此は汝を縛り付けるもの<シュバキ・セ・ケッソ>


 ネクロクロウの周囲三方に設置された六足の自走機能付術具オート・ファミリア――焦がす炎に紛れて放たれた三機の術具が、グリフィンの言葉に応じて緑色のフィア光を輝かせた。


「――これ、は……!」


 ぎしり。

 大鳥の動きが止まる。その爪はグリフィンへと届かない。自走機能付術具オート・ファミリアから縄のように伸びた緑光が、三機の中心、ネクロクロウの両腕を縛り上げ、動きを制していた。


「動けんようだな。その銀の手甲グローブを拘束されれば、如何に秘術<フィア>の刃を纏おうと振るえまい。速さ比べは終わりだ」


 グリフィンは静かに、身動きの取れぬ銀の仮面の女に告げる。だが女は、仮面の下でくつくつと笑った。

 

「いいや、それでも尚――私の方がはやい! 切れ三度<レポーク・トロ>!!」


ネクロクロウが叫ぶ。そして、三つの淡黄色の光が空高くから一直線に、緑光の拘束を切り落とす!

 ――キィン!

 断ち切られたフィア光が、儚く大気へと舞い散った。ネクロクロウは拘束光を振り払い、不敵に嘲笑った。


 仕掛けを用意していたのはグリフィンだけではなかった。ネクロクロウもまた、爆炎に紛れ、先んじて秘術<フィア>の刃を形成していたのだ。身に付けた手甲グローブではなく、上空に打ち上げるように。そして今、その形成されたフィアが地へと戻ってきたのだ。


何人我が身――<ボウ・セ――>


 グリフィンは素早く守りの言葉を口にする。だがグリフィンが次のわざを紡ぐより、ネクロクロウの方の速度が上回る!


「見えたぞ、貴様の呼吸の間! 切れ<レポーク>!」


 ――薄黄色の刃纏いし右拳が、形成途上の緑の防壁を打ち砕く。ネクロクロウの銀色の仮面が笑った。


「死ね、グリフィン」


 ネクロクロウが左拳を標的へと定めた時――駆け抜ける者があった。

 その刃纏いし拳が白紺の長衣の胸元へと届く前に。一発の銃弾が仮面の女へと穿たれた。

 ――銃声。貫通。赤い血が薄汚れた石畳へと落ちる。 


「な、にぃ……!?」


 赤く染まる左腕を抑え、銃声の元を見るネクロクロウに、更なる銃弾が撃ち込まれる!

 ――ダン! ダン!


「チィッ!! 守れ<レフェド>!」


 身を翻し、ネクロクロウは後方へと飛ぶ。そして睨む。消えた緑色の防壁の横をすり抜け、銃を放った人間の姿を。

 シャノンの灰色の目と銃口が、しっかりとネクロクロウを捉えていた。


「グリフィン、間に合ったか?」

「ああ、助かった」

「貴様……! 秘術<フィア>同士の戦に入り込むとは、命知らずな……!」

「目先の敵に囚われすぎだな。こちらには二人いることを忘れていたのか?」


 グリフィンが術杖を構え直す。弾丸を受け、ネクロクロウの銀色の手甲グローブには罅が入っていた。女は不愉快そうに破損した手甲グローブを見てから、再び拳を握った。


「フ。だが、今の機に私を殺せなかったのは惜しかったな。最早二度の隙はないぞ……!」


 ネクロクロウの言葉に、グリフィンは動じず、静かに手首を動かした。術杖の先端に座すフィア片石が緑色に輝く。


「――問題ない。最早、御前の為のわざは組み上がった」


 ――力が渦巻いた。未だ力ある言葉は紡がれず、未だわざは現世に顕れず。ただ一振り、緑の光戴く術杖が大気を凪ぐ。

 緑の燐光が、灰色の真夜中に千々に舞い散った。それは神秘なる力。それはかつて失われし力。機械と論理によってこの世が思い出した美しき輝きが、場を、世界を満たす。


「――火果は爆ぜる<リ・リ・セ>


 仮面の女が形成した刃を振るうより速く、大いなる力が収束した。緑のフィア光がネクロクロウの眼前で膨らみ、炎を伴い鮮烈に破裂した!


「クッ! ぐあ――ッ!!」


 熱を纏う爆風に揉まれ、ネクロクロウの体が吹き飛んだ。石畳の地面に小柄な体躯が打ち付けられ、転がった。


「クソ、よくも……」


 体の各所から血を流しながら、ネクロクロウは手をつき、身を起こそうとする。咄嗟に手甲グローブで身を守ったことで致命的な傷には至らなかったが、その手を覆う銀色の金属は大きく割れていた。


「気をつけるが良い。即席に組み上げた呪文な上、私は人間を相手どる術を構成したのは今が初めてだ。威力の調整が不完全ゆえ――、一歩踏み間違えれば――死ぬぞ」


 荒い息を吐き、膝をつくネクロクロウに、グリフィンはゆっくりと近付く。

 焦げた臭いが周囲を流れる。炎の残り火がちらちらと地面を焼いている。一点に収束させたフィアを熱と炎に変換し、眼前で爆発させたのだ。そのわざを、ネクロクロウの攻撃を凌ぎ応戦する中、思考を割いて作り上げた。ネクロクロウの切り裂くわざと同等の速さを持つ短縮式として。


「フフ、ハハ! 即席呪文でこの威力か……! 成る程、憎らしいことに、私の速さより貴様の才能まさったか」


 負傷し血を流すネクロクロウの前にはグリフィン。後ろには逃げ道を塞ぐようにシャノが立つ。


「その負傷では到底、御前の刃は私の炎に追いつけまい。御前に私を倒す術はなく、逃げ道もない。大人しく降伏することだな」


 敗北を認めて尚、仮面の女は顔を上げ、そして笑った。


「フフフ! ハハハ、降伏か! 確かにこの勝利の後、貴様が告げるべき言葉はそうだろう。だが良いのか?」


 膝をつきながらも意思を揺るがせないネクロクロウを、グリフィンが怪訝そうに見る。

 ――ふと気づけば空は暗く。路地には闇が満ちている。ネオン輝く上層都市の奥、霧がかった空には月が浮かんでいた。女は低い声で笑った。


「――夜が来るぞ・・・・・……!」


 そして、それは顕現した。


 ――”理解みたせよ”


 巨大な影が、空の月を覆い隠す。人ならざる赤き目が、霧がかった闇に輝いた。

 その暗がりに這い寄るものを、止める者は居ない。

 それに名はなく。人の姿ではなく。命の姿ではなく。在るのはただ、忘れ去られた遺物たち。


 ――怪異。テムシティの夜に潜む異形の怪物がそこに、居た。

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