ジャックの探偵代理事件 2

「……それで?」


 ジャックは苦い気持ちを隠し、テーブルの向こうに座る依頼主を見た。


「オレたち、今晩急遽ゲスト演奏の穴を埋めることになって……」


 二匹目の犬を連れてきたのは若いギタリストだった。しっかりと固めた髪型に、耳には幾つかのピアス。不健康に痩せており、その顔つきからは実入りも良くなさそうだった。ジャックとしては特にそそられない相手である。


「いつも世話になってるハイドさんトコがダメだったらどうしようもなかったんで、代理の人が居てくれて良かった、オレ、今晩のライブにだけはどうしても出たくて。でもウチの犬、今病気で投薬中なんスよ。ただの飲み薬なんですけど飲ませてくれる人が必要で……」


(チッ、こいつも常連か……)


 面倒なことだった。常連となるとやはり独断で断るのは気が引けた。定期的に依頼をくれる顧客は大事だ。ジャック自身も個人業なので、何となくそこらへんは気になってしまった。


「今日のライブは特別なんですよ、その道じゃ有名な……ぶっちゃけ憧れのバンドの前座として演奏させて貰えることになって。オレたちこんなこと初めてで。当日いきなり頼まれちゃ迷惑だってのは分かってます、でも、大きなトコと縁を作るチャンスなんです……! ココを掴めば、オレたちようやく第一歩を踏み出せる……! オレ、諦めたくないんス……!!」


 未来への希望を今まさに掴まんとあがく若者。ジャックはちょっと上がった邪念ころしてみたさをを追い払いつつ思案した。


 本来仕事を請けるはずのシャノならどうするだろうか。ジャックは依頼主を見る。若く、希望に燃え、愚かながらも努力家で、愛犬を家族の一員として大事に想っている。恐らく一般的に好ましく、助けてやりたいと思われる人物だろう。


 しかし、こちらにも既に預かった犬が一匹居る。ジャックには自分が二匹もの犬を抱えられるのか分からなかった。シャノが何時帰ってくるかも不明だ。こうした状況で、どうするのが本来の事業主の意向に適うのか?


「――――」


 思いつく限りの前提を加味し、ジャックはよく考え、よく悩み、


(……ぜんっぜん解らん!)


 ――考えるのを諦めた。


 無理だった。そもそもこの家に転がり込んでまだ数週。同居人二人との付き合いも数週。探偵仕事の依頼が来るのを見たのは今日が初めてだ。家主が仕事においてどのような請負基準、正義感、同情心、社会規範を持っているかなど検討もつかなかった。


「やっぱ……ムリですかね……」


 ギタリストが不安げにジャックを見つめた。縋るような青く丸い瞳は、彼の飼い犬とそっくりだった。


 ――そして、古びたアパルトメントの一室には、二匹の犬が居ることになった。


「…………」


 ジャックはソファに座り焼いたパンを齧りながら、無邪気に部屋を探検する犬たちを見た。

 結局ジャックは一人で判断しきれず、結論を『まあ普通のやつならこうするんじゃねえかな……』という社会性に委ねた。


 そして部屋には二匹の愛らしい小型犬が居た。フワフワした白毛に垂れた耳の犬と、白黒斑の短毛に短い耳がちょんと立った犬。どちらも温厚な性格のようで、特に喧嘩をすることもなく過ごしている。飼い主の躾と愛情の賜だろうか。


「フフン、二匹になった時はどうなるかと焦ったが、結構どうとでもなるな」


 このまま何事もなくシャノが帰ってくる時間まで待てば良し、即ち勝利だった。

 様子を眺めていると、やがて白いフワフワの方がジャックの足元まで近寄り、チョコンと座って顔を上げた。


「あー、パンが気になるのか? よせよせ、これは俺の。御前らは御前らのオヤツがあるからちょっと待ってろ」


 気を逸らすため、フワフワの頭をジャックは撫でてやった。すると犬はパタパタと尻尾を振ってから、短い足を使ってソファに跳び乗ると、ジャックの膝の上へとぺたりと前足を乗せた。その重さは人間の首より軽い。つられて、何か楽しいことがあると勘違いしたのか白黒斑の犬もソファに上がり擦り寄った。


「………いや、あのな、御前」


 ジャックは呆れた。フワフワの犬は嬉しそうに側の人間を見た。その人間が己の飼い主に対し『殺してみたいなぁ』などという邪な感想を抱いていたことも知らないのだ。


 見知らぬ人間を警戒するため、主人を守るため、様々な理由で犬は他人を警戒する。だがこの二匹は違った。

 愛情の元に生まれ、愛情を受けて育ち、愛を示せば必ずそれが返ってくると愚かにも信じている。完全無欠なる愛玩動物パーフェクト・ベイビーだった。


「悪人の見分けもつかねえようじゃいつかサクっと死ぬぞ? そうならないよう、しっかり主人に媚びて守って貰うこったな」


 ジャックがフワフワの犬の鼻を軽く押すと、フワフワはくしゅんと小さくくしゃみをした。

 居心地が良くなってきたのか、伸びをし、少し眠たげだ。


「この侭オネムになってくれれば楽なんだが」

 

 ――コンコン。

 独りごちた時、軽いノックの音がした。

 ――ヤバイ。

 ジャックは直感的にそう思った。あの扉を絶対に開けてはいけない。シャノに探偵の依頼が来ることは滅多にない。そう簡単に三件目さんびきめが来るはずもない、理屈ではそうだった。だがジャックのカンは絶対に嫌だと告げていた。


 ――居留守を決め込んでやる。ジャックはそう決める。もしもあの扉を開けて、三匹目の犬が現れたならさすがに面倒は見きれない。依頼人には悪いが諦めてもらおう。

 このカンはハズレで、ただの宅配業者か宗教勧誘か、そういったものである事をジャックは祈った。しかし世界は無慈悲だった。


 ――コンコン。

 二回目のノックが鳴った時に、


「ワンッ」


 犬が、返事をするように吠えてしまった。


「……バッカヤロウ……!」


 ジャックは絶望的な気持ちで頭を抱えた。フワフワ犬は黒くつぶらな瞳でジャックを見上げ『お客さんが来てるよ!』とでも言いたげだった。違う。分かってる。無視してたんだ。憂鬱な気持ちで渋々と立ち上がり、玄関の扉を開ける。

 そこに居たのは、茶色のクルクルした毛を持つ犬のリードを引いた、小さな少女だった。


「あー……」


 ジャックは少しほっとした。子供だ、しかもかなり幼い。十にもなっていないだろう。犬を連れてはいるが、子供ならば適当に言いくるめ、帰って貰おう。


「きれいなお兄さんがレオを預かってくれるって聞いたんだけど、ここでいいですか?」

「"きれいなお兄さん"は今出掛けてるが、合ってるよ」


 ジャックはあまり子供に興味はない。考えが甘く、物事の認識が低く、恐怖を理解しきっていないからだ。どちらかというと子供を持つ親に対し、自身が死んだ後、家庭がどんな不幸に見舞われるかを想像させる方が好きだった。


「夜にね、音楽をききにいくんだって。パパが店長さんからチケットもらったんだって」


 少女は拙いながらも丁寧に話した。


「でね、レオは寂しがりだからね、いっしょに居てあげて欲しいんです。ママは夜の内には帰るからだいじょうぶじゃない?って言ったけど、パパはすごく遅くなるからかわいそうだって。それで、三階のお兄さんが預かってくれるかも知れないから聞いてみなさいってなったんです」

「……三階?」


 その言葉で、ジャックはふと気づいた。よく見れば少女の姿に見覚えがあった。


(――こいつ、一階に住んでる家族か!)


 このアパルトメントの一階には、仲の良さそうな親子が住んでおり、ジャックもその姿を時々見かけていた。この少女はそこの一人娘だ。即ち――ご近所さん。

 ジャックは思い出す。ここに住む際に言われた様々な事柄のうちの一つ、『ご近所付き合いは大事にしてね』を。

 容易いと判断した難易度が、グンと上がる音が聞こえた。


「……だめですか?」


 少女が心配そうに長身のジャックを見上げた。ここで断るのは容易い。依頼の理由も切羽詰まっているわけではない。遅くなると言っても深夜一時を過ぎる訳ではないだろう。ワンチャンにはちょっと我慢して貰いな、で済む話ではある。

 

 だが、ご近所さんで、しかも同じアパルトメント。ここにきて最初に侮った子供という属性が重くのしかかってくる。大人ならば既に二匹を抱えていることに理解を示し『そうですか、やはり難しいですよね』と納得してくれるだろう。しかし、相手は幼い子供である。まだまだ理屈よりも素直に感情を大事にする年頃に下手な断り方をすれば『レオだけ預かってくれなかった三階の人』の評価は免れない。


 ジャックは追い詰められていた。断るべきか、ご近所さんの頼みと寛大に引き受けるべきか? 無理のない業務か、自営業としての評判か? 

 ――結果的には。探偵代理の殺人鬼は茶色くクルクルした毛を持つ犬のリードを受け取っていた。


 ◆ ◆ ◆


 ――何故こうなってしまったのか。

 ジャックは可愛らしくフワフワした小型犬たちを見た。三件目の依頼に関しては流石に一階を訪ね、預かり証は親に書かせた。


 普段はあまりない探偵への依頼が今日だけで三件。どんな確率だと思うが、重なる時は何故か重なるものでもある。


 ジャックも以前に、暫く暇をしていたというのに、何故か特定の日に限ってお得意先の依頼さつじんが二件重なり、どちらかの日程をずらそうとしたものの、どちらもその日ではないと駄目だと返された事がある。結果的にその日は連続して二人の人間を拘束・誘拐する羽目になった。苛立ちのままに被害者ターゲットをいたぶり鬱憤を晴らしたが、やはり怒りを理由にした拷問はあまり楽しくはなく、二体分の死体処理を外注したため手取りが少し減ったこともあって、その件は苦い記憶となっている。


 そもそも同時に何匹まで預かって良いのだろうか。三匹は多過ぎたのではないか?

 今更悔やんだ所で預かってしまったものはどうしようもなかった。


「シャノ……いやこの際グリフィンでも良い、とにかく誰か帰ってこい……!!」


 幸いなことに犬たちの仲は良かった。そして不幸なことに、仲が良すぎた。

 三匹目の茶色くクルクルとした犬は一番元気が良く、社交的だった。それは他の二匹の意欲を刺激し――つまり今は三匹の犬たちが部屋の中で楽しそうに追いかけっこや乗っかり合いを繰り返していた。


「部屋が片付いてたのだけは救いだったな……救いだったが……」


 ドタドタドタ。ゴロゴロゴロ。ワンワンワン。

 犬たちは駆け回り、時折はしゃぎすぎてテーブルの脚に頭をぶつけるなどをしていた。そしてそれがずっと続いている。正直預かり品がそんなことをしているとハラハラする。


 ――このまま犬同士で遊ばせているより、こっちが構ったほうが安全なんじゃないか?


 ジャックは棚を片っ端から漁り、やがて犬のオモチャを発見した。一つは太いロープ状のオモチャだった。先はほぐされて何本もの糸がヒラヒラと動くようになっており、犬の関心を引くように作られている。もう一つは愛らしいぬいぐるみだった。腹を押せばプキュと音が鳴った。


 ジャックは犬たちの気を引くように、二つのオモチャを振り、音を鳴らした。

 それは効果覿面だった。

 犬たちはワクワクした表情で駆け寄ると、オモチャに噛み付いた。グイと引っ張るので程々に力を抜き、それから引っ張り返してやる。犬の尻尾が揺れる。


「よし、イケる……!」


 ジャックは確信した、正しい一手を打ったと。犬たちはオモチャに夢中ではしゃいでいるが、同時に疲れを見せ始めていた。チャンスだと思った。このまま疲労困憊させ、お昼寝タイムに持ち込む――!!


 だが、この作戦にはたった一つ落とし穴があった。ジャックが同時に持てるオモチャは二つ。相手に出来る犬は二匹。三匹同時には楽しませることが出来ない。

 ――ガチャン。と音がした。ジャックは振り返った。視線の先はグリフィンの研究部屋の前。そこに、扉の取っ手を開けてみようと飛びつく白黒斑の犬が居た。


「ばっ、待て!」


 ジャックは焦った。グリフィンの研究部屋にはデリケートそうな器具が多くある。テンションの上がった犬などに入られれば何を破壊するか分からなかった。

 グリフィンは犬には怒らないだろう。シャノにも怒らないだろう。けれどジャックに対しては静かにブチ切れるさまが想像出来た。恐ろしいわけではないが数日間面倒くさいことこの上ないに違いなかった。


「待て、待て! ステイ!!」


 ジャックはオモチャを放し、急いで白黒斑の犬を抱え上げた。犬は無邪気に自分を捕まえた人間を見上げる。


「分かった。分かった御前ら」


 ジャックは息を吸い、深く吐いた。


「――散歩に行こう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る