act.005 Hope
◇
翌日。任務当日。
いつもと気分が違う。これが緊張なのか、不安なのか、自分でも分からない。
これから敵のかつてのアジトに向かう。
そこに今も敵がいるのか分からないが、おそらく情報部が予めある程度の索敵はしてくれているはず。
……いや、出来てないかもしれない。
情報部の索敵には前提として、歩兵がその場所に探索として出向き、映像や音声を飛ばす機械を設置しておかなければならない。前にゼロが取り出した複数にばらけるあの装置のことだ。
西軍付近の索敵が出来ると言うことは、そこに既に誰かが探索に行っている必要がある。ここからそこまでは距離がある。そこまで探索範囲を広げているのだろうか。
だが任務として持ってこられたということは、索敵ができる状況だからなのではないのか。
「……?どーかしたか、L
目の前で水の入ったコップを持ったままうつらうつらとしているゼロに声をかけられた。どうやら茶碗を片手に固まっていたらしい。
なんでもありません、とだけ答えてL777は食事を再開する。
「そういえば、なんでナナなんですか。女のコみたいじゃないですか」
「自意識かじょーでしょ。ふつーに、数字の7だよ」
「そりゃそうでしょうけど……というか、ゼロさん、いつも通りですね」
「……?朝飯のメニューのはなし?」
「違いますよ……」
「……なに言ってんのか分かんねーけど、おまえはめずらしく食欲ねーな」
少し目が覚めてきたのか、ゼロは氷を口の中に入れた。カラコロと少し舐めてから、歯で砕き始める。
「マジ?食わねぇならもらうわ」
ゼロの隣に座るピンが少し目を輝かせて反応した。焦り気味に「あげませんよ」とお盆を引き寄せる。
箸を口に運び、咀嚼していると目の前のゼロが自分の少し上を見ていた。何かと思いその視線を追うと、L777の隣1席分あけて人が座った。
その正面、つまりはピンの隣にも人が座った。
癖一つ無い真っ直ぐな髪をもつその人物とこの白衣の男が関わればどうなるか。
とりあえず、静かな朝食はとれないかもしれない。
「……、」
「……、」
犬猿の2人は互いに文句を言いたげな顔をしながら、相手の目を睨み付ける。
しばらく睨み合っていると、相手の朝食メニューをちらりと確認して、再び睨み合いを始める。
O202は氷の入った水を半分程まで一気に飲むと、納豆の入った皿を左手に、箸を右手に装備し勢いよく回し始めた。その横ですでに納豆を手にしていたピンも更にかき混ぜる。
無言のまま高速で納豆をかき混ぜる。今日はそういう勝負らしい。
静かなのはいいのだが、極めて異色な光景だった。
その匂いが鼻についたのか、ゼロは眉間に皺を寄せた。半分ほどしか開いていなかった目が少し大きくなる。
「L777さん」
一席分開いた隣から、鈴のような声で話しかけられた。
オペレーターとして指示を出すときはあんなにも堂々としているのに、それ以外の彼女は基本的に大人しい。
アンは膝の上で手を重ね姿勢正しく座ったまま、わずかにL777のほうに体を向けていた。顔は少し伏せ気味なので目が合うことはなかった。
「……先日の査問の件、ご存じですか?」
返答につまり、なんとか「はい」とだけ小さく答えた。
「ご迷惑お掛けしました。もう大丈夫なので、今回の件も私が担当させていただきます」
体を完全にこちらに向けて、アンは長い間頭を下げていた。
「誤解は解けたんですか?」
「若大将のおかげで、なんとか」
顔を上げたアンの顔には疲労がにじみ出ていた。
「でも、証拠はないんですよね……?」
アンは大きく頷いた。
「誓って私はそんなことはしてません。けれど……妙に的を射ていたので反論に詰まっていたら、押し切られそうになってしまいまして」
「気の強くないアンタじゃ押し切れないわよね」とO202。
確かに彼女ほどの気の強さがあればものともしなかったかもしれない。
「というか、的を射ていたって、どういうこと?」
アンの視線が彼女の正面に動く。
「この前基地を攻め込んできたあのタイミングは、内通者がいると考えてもおかしくないタイミングだったから。こっちの動きが筒抜けになっているかのような……」
そうなん?とまだ眠たげな顔をしながら呟くゼロとは違い、O202は心当たりがあるのか納豆を混ぜる手が止まった。
「……エリアEを取られたときから、確かにおかしいとは思ってはいたんだけど」
「でも内通者がいるとは考えにくいから……多分私たちの考えすぎよ、ニコちゃん」
「……そうよね。相手が人ならともかく、機械と繋がるなんて、人からしたら利点がないものね」とO202は再び手を動かし始めた。
「どうだかな。案外チップの中盗み見とかされてんじゃねーの?お前にだってできるだろ?」
ピンは粘ついた箸先をアンに向ける。
「で、できます、けど……」
「ちょっと。アンを疑うような発言やめてくれる?不愉快。あと、汚い箸を向けるのもやめてくれる?超不愉快」
「お前も俺に向けてんじゃねぇか」
「アンタが不愉快になったって別に良いじゃない。何か問題でも?」
「あ"?ブチ殺されてぇのか?」
「ちょっとやめて。納豆臭いわ」
「テメェもな」
にらみ合い始める2人にアンが「まぁまぁ」と声をかける。が、もちろん止まらない。アンもそれが分かっていたのか、それ以上は何も言わなかった。
この2人の争いは騒がしさは確かに否めないが、それだけだ。L777も食事に戻る。
むしろ慣れれば微笑ましさもある。少々物騒だけれども。
2人の口論以外の会話が途絶えると、ゼロが「あ」と少し上を見ながら声を零した。
「ホオブに呼び出されてたの忘れてたわ」
ちょっと行ってくる、と席を立つ。
「じゃ、また後で」
そう言って、お盆を両手で持ち上げて、こちらに背を向けて歩き出した。
その後ろ姿に軽く頭を下げたL777は、少ししてから首を傾げた。
「……ホオブって誰」
「おそらく、若大将のことですよ」とアン。
「えっ、そうなんですか?」
「はい、多分ですけど……。たまにゼロさんが若大将のことをそう呼んでますから」
「へぇ……」
「表じゃ呼ばないようにしてるみたいなんですけど、ゼロさん結構ドジですから」
口元を抑えてふふ、とアンが笑う。
「あ、でも。本人は出してないと思ってるので、ナイショですよ」と今度は口のそばで指を立てる。
基本的に軍の中で本名は出さずに識別番号で呼び合う。
本名を呼ばない理由は、情が移るとか、そんな理由だけれど何故か重要視されていることだ。どんなに親しくなった同期にだって名前を明かしたことはない。
あそこの間にはその理由に縛られない何かがあるのだろうか。
それとも単純に、敵だったからとか、そういう理由なのだろうか。
敵――西軍。
L777は今日の任務のことで頭が満たされていた。
けれどそれは悩んでいるとかではなく、不安でも、疑心でもなく。ただ釈然としない何かがぼんやりと自分を覆っていた。
それを追い払おうと軽く頭を左右に振ると、1つ疑問が浮かんだ。
そういえばあの若大将は確か、朝食は下手な変装をして食堂に出てくるはず。
「やっほー」
手を振りながら、その人物は不意に現れた。
丁寧に帽子まで被った青年風の男。
「出た!」
「なにその言い方!俺オバケじゃねぇんですけどぉ!」
怒ったそぶりを見せながらもその男はL777の正面に座り、いただきますと両手を合わせた。箸を手に取り、白米を口にたらふく詰め込み、頬袋膨らませる。
子供かと言いたくなる食べ方だった。
「あえ?そうひえは」
「食いながら喋んな」
「はぉ!?」と悲痛な声の後、若大将は大きく噎せ返った。ピンに思い切り足を踏まれたか蹴られたかしたのだろう。
ゴホゴホと咳き込む若大将に、ピンは「うるせぇな」と睨みを効かせる。相変わらずどちらが上なのか分からない。
というか、変装までして隠れているつもりのはずなのにこれでは目立って仕方がない。
尤も若大将らしいといえば若大将らしいが。
事態が治ると、若大将は仕切りなおすように咳払いを挟んだ。
「そういえば、ゼロは?」
「テメェに呼び出されたとか言ってどっか言ったぞ」
ピンがそっけなく答える。
若大将は口に入れた箸をくわえたまま、少し止まる。
ゼロを呼び出した記憶はない。
呼び出すほど切羽詰ったようなことは起きていない。
おおよそ、彼の個人的な都合を済ませる為に自分の名前を出されたのだろう。自分に呼ばれたと言えば席を外してもなんらおかしくはない。
若大将は目をまん丸にして、「え!?」と声を張った。
「マジで!?すれ違っちゃった!?」
「はい。ついさっき出て行きましたよ」
「マジかー。マジかマジか。えー、俺ご飯食べたいのにぃ……」
ぶつくさと文句を言いながら若大将は立ち上がる。
「もう食べないんですか?」
「まさかぁ。そんな勿体無いことするはずないでしょ。部屋に持って帰ります」
「……それ、いいんですか?」
「ちょっと怒られるぐらいだって」
「いや、怒られると思うことしないでくださいよ……」
若大将は大きく笑って、「チャオ!」と言い残して去っていく。
「嵐みたいな人ですね」
「キッチンに出てくるGの間違いだろ」
「ちょっと、食事中になんて話すんのよ。せいぜい悪霊でしょ」
「びっくり箱みたいな人ですよね」
「ってかチャオってなんだよ」
「挨拶なんでしょうか」
「あの人の考えなんてあってないようなものでしょ。気にしたら負けよ。馬鹿を見るだけだもの」
L777は苦々しい笑みを遠ざかる背中に向けた。
その背は不意に丸まったかと思うと、食堂内に爆発的なくしゃみが響いた。
「L777」
「あ、はい。なんですかピンさん」
「靴。忘れんなよ」
アイツにも言っとけ。
そう付け加えると、もう喋ることはないと言わんばかりに口に食べ物を思い切り詰め込んだ。
「そうだ、ピンさん」
声をかけると、答えたくないと言わんばかりにまた口にものをいれた。
その顔でこちらを一瞥し、すぐに目線を戻した。
「お願いがあるんですけど」
気遣ったことを触れられたくなかったのだろうが、その件ではないと分かると、口の中を空にしてから真剣な眼差しでL777を見た。
「なんだよ」
「実は――」
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