act.004 Inquiry
◇
「次逃げ出したら殺す」
「……ハイ」
はて、一体どちらが上司だったっけ。
L777は目の前の光景を見ながら苦笑いを浮かべていた。
鞘に収まったままの軍刀を軍の最高司令官に向けるピン。
部下に謀反ともとれることをされて、なされるがままになる若大将。
おそらく歳が近いのだろうけれど、軍として組織が成り立っている以上上下関係はしっかりしておくべきではないのか。確かにあの若大将はどこか尊敬に欠ける部分もある――たとえば職務中に脱走したりだとか、職務中に私用の作業を始めたりだとか。それでも一応大将と呼ばれるだけのことをしてきた人物であるはず。
止めなくて良いんですか、とL777はゼロのほうに助けの目を向ける。
ゼロがいたのは兵士達が普段座る板のような椅子とはかけ離れた座り心地のするソファーだった。
洒落たティーカップに入れられたコーヒーにありったけの甘みを混ぜ、持ち手があるのにもかかわらず、それのないコップのような持ち方をしてズズズと啜り、口を離すとプハァと小さく息をついた。
「……止めなくて良いんですか?」
頬とこめかみ付近に血の滲んだ絆創膏を貼り付けた顔が眠たげにL777の方を向く。
「逆に、おまえ、あれとめられんの?」
その口調は朝食時の時と少し似ていた。心なしか、けだるげな目が細い気がする。
「……無理、ですけど」
ちら、とL777は若大将たちの方を見る。
鞘で頬を押されたまま若大将は紙に書かれた文字を必死に目で追っている。
気の毒だが何度考えても自業自得だし、それに下につくものとしては真面目に仕事してもらわなければ困るというものだ。もしかして止める必要はないのではないのか。
「こればっかりはあのクソ野郎のやり方が正解なんですよ、じつは」
向かい合うように設置されている2つのソファー。その片方に座るゼロの正面には1人の女性が座っている。腰付近まで伸ばされた長い髪に一切の乱れは見当たらない。その女性は足を組み、貧乏揺すりをしていた。
「……O202さんはなんでここに?」
「仕事にならない案件が起こりまして」
O202はまるでピンに向けるような取り繕ったような笑みを浮かべると、堪えきれなくなった様子で立ち上がった。
床はシックな赤い絨毯が敷かれているが、彼女が歩く度に少々踵の高い靴がカツカツと音を鳴らす。そのままピンのすぐ後ろまで行くと、その踵部分で思い切り彼の背を蹴飛ばした。
戦闘職とはいえ、相手が女性とはいえ、背後からいきなり蹴飛ばされれば体勢を崩す。
「なにしやがるこの暴力女!」
「いつまでやってんのよこの陰湿男!あたしはこの人に用があってここにいんのにアンタのせいで話が出来ないじゃない!」
「あ"!?テメェは黙って自分の仕事してろ!」
「はぁ!?アンタこそ黙って自分の作業してなさいよ!――ってか、若大将死んだんだけど」
「あ?」
いつものやりとりを中断させ、2人は作業机で仕事をしていたはずの脱走常習犯を見る。奴は机に伏せっていた。
「良いご身分だなァこのクソ野郎」
「ちっがうわ!」と若大将が悲痛な声と共に上体を起こした。両手で先ほどまで鞘で圧されていた箇所を抑えている。
「歯ァかけるかと思ったわ!」
「ちょっと、ピン。いくら使えないとはいえ大将職の人間を手にかけるんじゃないわよ」
「テメェが重量級なのがいけねェんだろ」
「風穴開けられたいの?」
先ほどO202がピンを蹴飛ばしたその弾みで、ピンが手にしていた軍刀が若大将の片頬にめり込んだらしい。若大将の片頬は確かに赤くなっていた。
「それで、O202ちゃんはなに用なの?」
「査問の現状を聞こうと思いまして」
「査問?」
「はい、アンが査問にかけられて――まさか、把握してないんですか?」
「うん。だって俺、仕事してなかったからね」
しれっと言った若大将の頭部と両頬に手が伸びた。
「反省してねェなぁ」と馬鹿力で頭を鷲掴みにするピン。
「仮にも大将でしょ」と細い指をで両頬にプレスをかけるO202。
若大将の悲鳴が響く中、ゼロはカップを片手に船をこぎ始めていた。
「アンちゃん、何かしたの!?」
頬を掴まれた状態で聞き取りにくい声だったが、若大将がそう言った。
「1時間前ぐらいに、メインサーバーに不正アクセスしたという罪状で大将達に呼び出されたんですよ」
「またいつもの悪戯?」
「まさか」
O202は手を離し、自身を抱えるように腕を組んだ。
「いくらあの子がハッカー常習犯とはいえ、流石に分別は弁えてますよ」
「確かに。いたずらっ子で問題児ではあるけど、異端児ではないからね」
「はい。だから若大将なら何か知ってるかと思って……」
「ちょっと待ってね」
若大将は自分の頭を鷲掴みピンの手を外し、机の上に乱雑に散らかった資料を1枚ずつ確認し始めた。彼の机の上には報告書が山積みになっている。上から確認していくと目的のものはすぐに見つかった。
「ほんとだ。O201の査問会……彼女は否認を続けている――ってことらしいから、多分まだ質問攻め状態かも」
「……、」
そうですか、とO202は目を伏せる。
「これを見る限り多分拷問にかけたりはしないと思うけど……」
若大将の目が紙の上から下を数回往復する。
念入りに確認すると、立ち上がって椅子にかけていた上着を羽織った。
「どこ行くんだよ脱走犯」
「査問会。アンのこと詳しく聞いてくる。これは俺にしか出来ない仕事でしょ、ピン」
行ってくるね、とO202の頭を軽く撫でると、若大将は部屋を出ていった。
重圧のある雰囲気に室内が犯される。
ピンもO202もL777も査問にかけられたことはない。だが、査問会がどういうものなのかは知っている。そこでの圧は無実の罪でさえ認めたくなるらしい。そして、嘘だろうと何だろうと一度認めてしまえばどのような処分を下されるか。それが予想できる範疇のことでとどめてしまって良いのか分からない。
そう思うと気安く慰めの言葉を口にするわけにも行かない。
「アンのPCからアクセス履歴でも出ちゃったってこと?」
舌っ足らずのその声が発せられたのはその空気が充ち満ちた頃だった。
「……でも、出なかったら査問にならないじゃないですか」
O202の声が品の良い絨毯に吸収される。
「そう?」
ゼロはカップをソファーに挟まれたテーブルの上に置き、伸びをしながら若大将の作業机の場所まで歩いた。
椅子のある側から山積みの報告書に手を伸ばす。
一番上に出ていたのは、裏返しに置かれたO201の査問会に関しての報告書。
ゼロはそれは目の高さまで持ち上げて黙読し始めた。
堅苦しい言い回しをされているのでいまいち内容は理解できないが、不審点は分かる。
「これ見てみ」と報告書をO202とピンの方へ向けた。
離れた場所にいたL777が控え気味にその紙を覗く。
「え、でも……」
報告書に伸ばしかけた手をO202は引っ込めた。
「散らかった机の上のものを整理しようとして目についた。そーだろ?」
「……、」
O202は片手を胸の前で握りながらもう一度手を伸ばした。
「その紙、見た感じだと多分アンを査問にかけた理由は書いてある。けど、証拠はかかれてねェ」
確かに、と呟きながらO202は報告書の内容を目で読む。
メインサーバーへの不正アクセス。それが彼女にかけられた疑いだ。発覚した日付や時刻などは書かれているが、証拠は書かれていない。他に書かれていることは、彼女が不正アクセスしたことによってどんな被害が出るかということ。その事だけはやたらと詳細に明記されていた。
「O202、アンのPCで確認しちゃえば?」
「それはできないんです。情報部の個人PCは私たちのドッグタグに反応して起動するので」
「あー、俺らの銃と同じなのか」
「はい」
O202は隣に立つピンに報告書を渡した。
「……あ"ぁ?」
読むと、ピンは歯をむき出しにした。くしゃり、と紙が少し歪む。
「これ、何」と地を這う声。
ゼロに視線を移し、報告書もそちらにむける。
「お前に向けられて書かれたんならともかく、何これ」
クソだな、とピンは報告書を机の上に放った。
「俺に向けて」とゼロは一瞬笑みにも似た表情を浮かべる。
「なんだろうな、これ」
4人は机の上に落ちた報告書を見下ろした。
内偵の可能性あり――その一文が浮き出て見えた。
「警戒心が高いのはいいけどさぁ……」
ゼロは浅いため息をつく。
「ちなみに、お前は何された」
ピンの冷ややかな声はどこにも向いていなかった。
全員の目はまだ報告書に落ちている。
「聞かない方がいいと思うぜ」
それはまるで霊のような声だった。
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