chapter 003

act.001 Homecoming



 ◇



 お盆にのった朝食をテーブルに置き、L777は箸を片手に大きく伸びをした。

 朝が弱いというわけではないが、連日の疲労が溜まっているのかもしれない。力を抜くだけで瞼が閉じそうだった。


「……ねむそーだな」


 正面から舌っ足らずな声。


「ゼロさんには言われたくないですよ……」


 L777よりも先に席に座っていたのに、未だに箸を握ってはおらず、眠たげな目で水の入ったコップを掴んでいた。その手の甲は大分治ったようだが、まだ薄らと赤みと紫色の小さな斑点を残している。


「なんだテメェら、寝ぼけてんのか?」


 あ"?と朝っぱらから何故か不機嫌全開のピンがゼロの横に座った。ガタンと乱暴に椅子を引っ張りテーブルが揺れ、ゼロが掴んでいたコップの中の水がこぼれ落ちた。

 眉間に濃く刻まれた皺やいつも以上に悪い目つきにL777は小さく身震いし、いただきますと小さく呟きこそこそと食事を始める。


「……なに、なんでキレてんの?」とゼロがまだ寝ている口で話を振る。

「別に」


 言葉の初めに破裂に近いアクセントがついていた。

 ピンは箸をとり、茶碗に山盛りにされた白米を口にかきこんだ。


「……また若大将が逃げた?」


 ゼロがのそのそと箸に手を伸ばしながらそう尋ねると、ピンはドン!と茶碗をお盆の上に戻した。


「椅子に縄でくくりつけてやった」

「……わーお、乱暴」

「仕事しねェのが悪ィ」

「……まぁそうだけどさ」


 ふわぁ、とゼロが欠伸を零す。

 目に少し涙を浮かべながら、ゼロは掴んだ箸でL777の後ろを指した。


「成果、出て無くない?」


 2人の目がそこに向く。

 そこにいたのはやたらとかしこまった格好をし、ご丁寧に帽子まで被った1人の高身長の青年風の男だった。


 ピンが近くにあった台ふきんをその人物に投げつけた。だが、その人物は振り返ったりはせず黙々と食事を続けた。


「オイコラ。シカトぶっこいてんじゃねェぞクソ野郎」


 普通そんな風に言われたら振り向かなくない?とあくまでも他人事のように呟くゼロにL777はとりあえず同意の意を込めて苦笑した。食堂内の空気が少しぴりぴりとし始める。何故その渦中に巻き込まれてしまったのか。今更ながら後悔でしかない。


「もー、そんなに乱暴じゃ女の子は振り向かないゾ」

「ぶっ殺す」


 振り返った若大将が片目を閉じながら茶目っ気たっぷりに振る舞ったが、意味は無く。

 ピンは背後の机から再び台ふきを手に取り、全力でその男の顔面に投げつけた。


「止めなくていいんですか?」とL777はピンの罵声にかき消されながらも、正面に座るゼロにこそこそと話しかけた。

「止めたところで止まると思う?」と寝ぼけた目をしたまま、ゼロは汁物を啜った。


 思いません。

 L777は肩を落とした。

 朝食ぐらい穏やかにとらせて欲しいものだ。

 というか、軍の権力者に対しその口の利き方で軍法会議などにはかけられないのかといささか疑問が湧く。


「それで、なんで脱走したのさ」


 のそのそとお碗と茶碗を持ち替えながら、ゼロはL777の後ろに視線を飛ばした。


「お前らに任務を持ってきてやったぜ」


 パチンと指を鳴らし、若大将はゼロを指さした。


「お前らっていうか、正確にはゼロにしかできない任務なんだけどさ」

「えー、めんどくさ」


 遮ってはいけない話になり、ピンは渋々腰を下ろし、何か言いたげな顔をしながら食事を始めた。鼻に皺が寄っているし、口がへの字に歪んでいる。

 若大将はそんなピンの正面に移動してきて、至って真剣な眼差しをゼロに向けた。


「西軍跡地に行ってくれ」


 絶句したのは当事者ではない2人だった。

 ゼロは白米をもそもそと咀嚼しながら、寝ぼけ眼を若大将に向ける。


「いいけど」


 寝ぼけているが故にタイムラグはあったが即答だった。


「悪いな」

「別に。でも、何しに行くのさ。探索?」

「そのチップの製造方法及び、他のデータを持ってきて欲しい」


 そのチップ――若大将は茶碗を支えているゼロの手を指さす。


「これ?仕組み知りたいなら俺から持っていっていいのに」

「それがなくなっちゃうのは困る。取り出したら機能が停止しないとは限らないだろ?」


 ゼロは唸るように頷いた。使ってはいるが構造は一切知らないので違うとは断言できない。


「他のデータってのは?」

「はっきりとは分からない。けど、西軍ならまだ東軍が到達できない技術が眠ってるだろうからさ」


 滅亡の危機に瀕している今、かつての敵だ味方だとは言っていられない。

 それに単純計算すれば、西軍の兵器がすべて敵に回っているのだからその技術を上回らなければ勝機は無い。

 のそのそと成果を上げている場合ではないのだ。


 L777は顔を伏せ気味に保ちながら、目だけを正面に向けて反応を窺った。

 経緯は知らないが、敵に寝返ったのだ。そこに良い思い出があるとは思えない。いくら内部構造を知っているとは言え、酷ではないのか。


「なるほど」と呟くゼロは素直に納得しているようだった。

 そして、いつも通りの穏やかな声と表情で言う。


「宝探しみたいだな」


 L777は箸で掬った白米を茶碗に戻した。

 兵器によって滅ぼされた西軍はその後誰の手も入っていない。

 その地は、間違いなく人の血肉がまき散らされたままなのだ。

 滅びた当時のまま。

 その全てが顔見知りではなくても、間違いなくその全てはゼロにとっての仲間だったはず。


 嫌だ、と。

 むしろこっちが断りたくなった。


 L777の斜め正面に座るピンは味噌汁を白米の上にかけ、子供のような箸使いで白米を解していた。そして噛む素振りなく、全てを喉に流し込む。

 再び茶碗を盆に戻したときの表情に先ほどまでの迫力は一切感じられなかった。


「……やってくれるか?ゼロ」

「いいぜ」


 やるしかないじゃん、と幽かに口角が上を向く。

 真剣そのものの若大将の眉が少し下がる。


「構造も知ってる。道も知ってる。場所も知ってる。兵器の種類も知ってる。ドアの開け方も知ってる――そんなん、俺にしかできねェことじゃん」


 ゼロは白米に醤油をかけ、少し活気を取り戻した目でそう口にする。


「……任せたぜ、ゼロ」


 まるで友人へ送る言葉のようだった。

 いつもの信頼だけではなく、もっと深みのある声色。


「yes,sir」


 そう答えた相方の表情はとてもじゃないが見られなかった。

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