act.006 Update


 ◇


 飾り気一つ無い基地の廊下に1枚の紙が貼ってあった。


『歩き煙草 厳禁』


 白い紙に印刷された機械の文字。

 それを横目で流しながらE001ピンは咥えていた煙草の紫煙を吹いた。

 通路の曲がり角が見えてくると、右側から集団の声が聞こえてきた。

 作業着の替わりに来ている白衣のポケットに手を突っ込み、煙草を咥え、そのまま進むと集団とぶつかった。


「お、ピンじゃん」


 久しぶり、と集団の前を歩いていた1人が手を上げた。

 ピンは煙草をくわえたまま、小さく手を上げる。知らない顔ではない。


「不思議だなぁ。あんなに似合わなかった白衣が様になってんぞ、ピン」


 さっきとは別の仲間が品定めするようにピンの上から下まで視線を這わせる。


「気持ち悪ィ目つきしてんじゃねェよ、SF-S013」


 片手をポケットに突っ込んだまま、もう片方の手で煙草を手にし、仲間に向かって煙を吐く。

 S013は嫌そうな顔をせず、愉快に腹を抱えるようにして笑った。煙を吸い込んでも噎せることはなかった。確か、少なくとも呼吸器をいじくっていたはず。


「そうだ、ピン。チップのアップデートが近頃あるんだって?」


 後ろを歩いていたSF-L018がそう切り出すと、他の仲間達も「そうだそうだ」と思い出したようにピンの顔を見た。

 同期の仲間達の顔は妙に好奇心に満ちていて、でもその裏で十分すぎるほどの緊迫感を醸し出している。昨日発覚したアップデートをする必要性については既に公表されているらしい。


「今調整中だクソ野郎。しばらくその中古品使っとけ」

「相変わらず口が悪いなぁ」とSF-S022が笑う。

「テメェら銃保管庫そっちから来たって事は今戻ってきたんだろ?汗臭ェからさっさとどっか行け」


 煙草を持っていない手でしっしっと手を払う。

 集団は顔を見合わせて可笑しそうに笑いながら「オーケー」と戦地でのハンドサインで返事を出した。


「じゃあな」と集団は解散時に使うハンドサインを出しながらピンが今通ってきた道の方へと歩いて行った。


 識別番号の後ろ二桁は所属振り分け前の成績順だが、その前の数字は入隊した年号の一番後ろの数字を用いている。先ほどの集団は全て百の位に『0』を持っている。全員ピンの同期だ。

 ピンが戦地を退いたため、会う回数は一段と減ったがどうやら連中の性格や人柄は変わっていないらしい。顔ぶれは大分変わってしまったが。

 残念ながら死者がいない世代はない。全てを把握しているわけではないが、ピンの同期では少なくとも30人は死体が確認されている。


 煙草を再び咥え、それを支える唇を少し動かして煙草を言葉通り口先で弄ぶ。

 うねるようにして登っていく煙を目で追いながら、かつて戦地にいたときのことを少し思い出してみた。



 ◇



 憎たらしい敵が作り出した破壊すべき兵器を生き残るために壊す。そんな日々を望んで過ごしたいとは思わないが、そういう環境に置かれているのならばそれに従う方が道理だと思う。

 そう思っているために、定期的に戦地にて使い慣らしたあの銃をぶっ放したいという欲が出てくる。

 正直禁断症状にも近いが、今の仕事はそれではない。


 技術班は1人1人に寮とは別に個室が設けられており、基本的にその部屋で1人で過ごすことが常である。


 ピンが自分のスペースに戻ると、既に先客がいた。


「あ?なんだお前」


 居るべきでない客に喧嘩腰でつっかかる。

 相手は眠たげな目を嫌そうに細めた。


「うわ、煙草吸ってる」

「悪ィかよ」


 PCの置かれている作業机に座っていたゼロを手を払うようにして追い払い、ピンは椅子に座り、モニターの近くに置いている灰皿に煙草を押しつけて火を消した。


「悪くはないけどさぁ……」


 どかされたゼロは近くの壁際までけだるげに歩くと、それに背を預けてずるずると重心を落としていった。

 そして先ほどピンが使用した灰皿を見上げる。山のようにはまだなってはいないが、数本吸い殻が捨てられている。一日中他のことをせずに作業だけをしているとと吸いたくなるのだろうと、なんとなく分かる。

 ゼロは灰皿からピンの首下に目を移した。肺があるべき場所だ。きっとその奥には金属色をした臓器があるのだろう。それにより喫煙時の害は無効できるが、それでも不快感が燻る。ゼロの肺は今もまだ人間色をしているが、もちろん受動喫煙が云々といった話ではない。


「で、何のよう?」


 ピンはキャスターの椅子のまま近くにある小型冷蔵庫まで移動し、中から缶コーヒーを取りだした。


「……、」

「おい、聞いてんのか?」

「俺の分はないの?」

「あ"ァ?」


 ピンは眉を下げ、片方の口角をつり上げる。

 後輩達はこれで怯むが、同期とゼロはこれがピンの平常時だと知っているので気にはとめない。それで結構なのだが、だからといってしれっとした顔で手を伸ばしてくるのはどうかと思う。

 チ、とピンは舌打ちをしてもう一本缶を取り出した。


「これでいいだろ?」

「他にあんの?」

「ねェよ!」


 ブン!と空を切る鈍い音がしてピンの手から缶が放たれた。

 戦場にて鍛えられた動体視力でなんとかその放物線を確認し、両手で挟むように捕まえた。生身の腕ならその豪腕っぷりをたたえたところだ。


「……手加減しろし」


 グローブ越しでも掌がじんじんとしている。冷蔵庫で冷やされていた缶の冷たさを感じないほど出来たグローブなのに。

「知るかよ」と返答しながら片手で缶を開けて、元の場所に椅子と共に戻ってくる。


「で、なんでいんだよ。仕事は?」

「今日は非番」


 ゼロはプルタブを指で開けない程度に何度もいじくりながらそう答えた。

 大の男が縮こもり気味にそんなことをしていていじける様に、ピンは鼻で嘲笑った。

 組んでいた頃から度々ゼロは単独の任務をこなしていた。その任務後は決まって非番を入れられる。非番がこの男にとって安らぎや慰めになるのかは知らないが、上はそう思っているらしい。

 その非番前の任務はなんとなく察しがつく。

 前は2人で大小様々な任務をこなしてきた。敵アジトだと思われる場所に2人で乗り込んで壊滅させたこともあるし、戦闘せずに情報だけ抜いてきたこともあるし、新型兵器を解析するために持ち帰ったこともある。突如大量出現した敵兵器を殲滅するのに3時間以上ぶっ通しで戦ったこともある。それだけのことをしても、翌日非番になったことはない。

 つまり、敵関連で上は非番を与えない。なら仲間関連。それで考えられる案件は始末ぐらいだ。


 ピンは首をかしげる。

 今まで非番を与えられて、この男が機嫌を損ねるようなこと、あるいは気を病むようなことはなかった。仲間を殺した翌日に平常運転をされてはこちらが穏やかではいられないが、触れさせないぐらいには浮き沈みの差が乏しい奴なりに暗い表情をしていた。

 今日はそんな反応とどこか違う。まるで駄々をこねる子供のようだった。


「なんだ?新しい相方とFFフレンドリーファイアでもしちまったか?」


 戦地では射線が入り乱れる。無い話ではない。

 だが、特殊銃の名前は伊達ではない。の特殊銃は人に向けて発砲するためには許可を申し出なければならない。それがなければ人を捉えたときには強制的にロックがかかり、トリガーを引けなくなる。

 ゼロの銃にその機能は生かされていない。

 ピンの銃もその機能は備わっていない。自身の手で取り外している。おかげでなんどか戦地で味方の弾をかすめた経験がある。


「そのぐらいで喧嘩しないわ、俺」


 心外だと言わんばかりのその口調にピンは思わず吹きだした。


「ってか、喧嘩したのかよ。ガキか」


「してないけど」と声を少し張り気味にそう言いながら、ゼロはようやくプルタブを開けた。


「……そうだ、チップってどうなってる?」


 今開けた缶の底を円を描くように回す。ちゃぷちゃぷと小さな音を立てながら、黒い液が波を打つ。


「今改良中だよクソッタレ。今日から徹夜だよ畜生が」


 銃撃狂な元相棒は意外にも細かい作業も好物らしく、毒を吐くその口調はまるで歌うように上機嫌だった。


「その件なんだけど、俺のってどうなんの?」


「あ?」と疑問符を投げながら、ピンはゼロの頭を一瞥した。その中に入っているチップは東軍のものではない。物が違うのだから、アップデートも容易ではない。それどころか、現在地上にいる人間でこの男と同じチップを所持している人間は誰1人としていない。西軍は滅んだのだ、自身の兵力で。


「アプデ、しなくていい感じ?」

「左手で上書きでもしとけ」

「あー、なるほど」


 ゼロは自身の左手を掲げる。

 その左手のチップも、今はゼロ以外所持していない。その遺物にデータを上書きする機能は無い。機械に言うことを聞かせることができるだけ。

 もちろん、地頭が良い上に機械に詳しくなったピンが知らない話ではない。


「とりあえず、旧型のアップデートが先だな」

「そなの?なんで?」

「今回拉致られてバラされた連中はどいつもこいつも『1』年代よりも前だから」

「……えーっと、旧型チップ使ってるのって、『1』より前?」

「そう」


 ふーんと首を数回縦に振っていたゼロは「ん?」と動きを止めた。


「ピンも『1』より前じゃん」

「まぁ、『0』だからな」


 ふーんと、ゼロはもう一度浅く頷いた。

 コーヒーを口に含み、慣れない苦みにわずかながら顔をしかめつつ天井を見上げる。


「用が済んだらとっとと出てけ」

「んー……」


 PCに向き合い、パチパチとキーボードをたたき出したピンを見ながらゼロはゆったりと腰を上げた。

 今日は一日ここで時間を潰そうと考えていたが、相手が忙しそうにしているのではお暇するしかない。

 手を貸すことは出来なさそうだし、それ以上に下手したら部外者ですらある。同じパーツを所持していないのだから。

 今、この基地が一丸として掲げている案件は、ゼロにとっては居所が悪い。

 自分は昔から兵士だった。兵器の開発に携わったことは一度も無い。

 なのに、関係ないと切り捨てることは出来なかった。

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