第10話 決着の時

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 大雨の中ワンボックスカーに転がり込んだ五人はすぐさまエンジンをかけ龍告寺に向けて走りだした。

 雨は激しさを増し、路面はキラキラと街灯が、弾ける雫を反射させている。途中大きな水溜りや風にハンドルを煽られながらもなんとか五人を乗せたワンボックスカーは龍告寺の門前にたどり着いた。

 山の中腹にある龍告寺からは麓の町が一望できる。

 亮介は異形の者となった部長の顔が脳裏から離れないでいた。

 亮介がバイトを始めた頃の部長は、物腰も柔らかく、柔和な笑顔が印象的な穏やかな人物だった。時々、失敗してオドオドとし、動きや判断が散漫になってしまう小市民のイメージそのままだった。

 立場や肩書きは部長の方がはるかに高いのに、ベテランパートの高木さんにはいつも偉そうに顎でこき使われている印象だった。

 緒方さんが辞めた時も、ブツブツと文句を言うだけで特に取り乱すようなことはなかった。そんな部長がマノコの取り憑かれていたとは思いもよらなかった。亮介がバイトを始めた頃にはもうすでに部長はマノコの手先となっていたのだ。

 亮介は雨に打たれるフロントガラス越しにスーパーマルカツを探した。時折ワイパーが亮介の視界を邪魔するが、スーパーマルカツはすぐに見つかった。なぜなら、スーパーマルカツから狼煙のような黒いモヤが一直線に空へと伸びていたからだ。

 激しい雨音にかき消されてはいるが、あの部長の地を這うような叫び声が聞こえるような気になった。

 ドンッ!

 突然、亮介達の乗ったワンボックスカーに振動が伝わった。

「えっ?何?何が落ちてきた?」

 深雪の声が張った。それは何か柔らかく、重いものが地面から車の屋根に飛び移ってきたような衝撃だった。それから何者かがズルズル、ビタビタと屋根を這う音がする。

「動…いてる…」

 五人は天井を見上げてその音と感触を目で追った。ズルズルとゆっくり這いずるその音は運転席の上まで移動し、静かになった。

 五人の目線はフロントガラスの上部に釘付けになった。何者かがこの車の屋根に乗っている。実際はわからないが、確実に気配は感じる。激しく打ち続ける雨の音とは違う不気味な音に車内の空気は重く、息苦しさを感じた。

 次の瞬間ヌーッと屋根から部長のニヤケ顔がフロントガラス沿いに現れた。その髪は濡れて逆立ちボンネット側に垂れ下がり所々額にピタリとくっつき雫を滴らせていた。顔の頬はニヤけた唇とともに歪んでいる。その血走った眼球には力があり車の中を睨みつけていた。

「逃げられませんね〜。残念ですぅねぇ。ギェッギェッギェーッ」

 気のせいではなかった。実際に五人の耳に部長の叫び声が聞こえていたのだ。

 慌てて慶長はワイパーレバーを最強にした。部長の歪んだ頬をワイパーが叩く。その度に

「エゲッ、エゲッ」

 と呻き声が聞こえた。

「早く車から出ましょう」

 慶長が叫んだ。

 結界が貼られている龍告寺内はマノコは入ってこられない安全地帯になる。

 龍告寺の門扉は閉じられている。五人は車から飛び降り、横の小さな通用門から境内に転がり込んだ。

「ギャワーワッワッワッワー!」

 門の向こう側で部長の雄叫びが激しい雨音とともにこだました。

 本堂から良観と通玄が駆け寄って来た。

「何事だ!」

「とてつもない邪気が感じられる!」

 二人の手には長い数珠が握られている。

 通玄が門の内側に数珠を掛けて、念仏を唱え出した。

「とにかく奥へ」

 良観は五人を本堂へ連れていった。

 ドンッ、ドンッ

 門扉を蹴破ろうとしているのか大きな木槌で叩かれるような音が門の外側から聞こえて来た。その音がするたびに内側にかけられた数珠が大きく波打つ。通玄はひたすら念仏を唱えている。

 ドッドッドッドッ

 その音は激しさを増していく。門を叩く音と通玄の念仏の声が雨音と混じり合う。

「とりあえず、ここにいれば安全だ。この寺の結界は絶対に破られない」

 本堂の庇の下で五人は腰を下ろした。激しかった雨は少し勢いが弱まっているようだ。

 規則正しく打ち付けられる門からの音、その度に揺れる数珠と空気、雨の音、濡れて重たくなった服、悪臭、恐怖と悪寒。震え。寒さ。いつ終えるやも知れない戦い。これに巻き込まれた自分を思い、亮介は夜空を仰ぎ見た。

 ブッケンの三人は本堂の石段に腰掛けている。やはり恐怖で小刻みに体が震えている。

 慶長は深雪の横で佇んでいる。

 雨は徐々に小雨になってきた。門を叩く音の間隔があきだした。

 ドンッ…ドンッ…ドンッ…

 ついに、諦めたのか門扉は叩かれなくなった。

 通玄は念仏をやめない。雨はサラサラと空気を湿らせる程度になっていた。

 龍告寺の空気は重く、誰も物音一つ立てなかった。ただ、通玄の読経だけが薄く鳴り響く。

 静けさにみんなが慣れだした頃、その空気を切り裂くように

「おーい、外見てみろよ。面白いモンが見られるぞ」

 門の外側から部長の声が聞こえてきた。読経をやめ、

「お前の言葉になんかに騙されたりするか!」

 通玄が大声で外に向かって叫ぶ。

「いいから。見てみろよ。お前達が外見るまで何もしないから。約束するよ」

「何を言ってる!」 

「おー、だんだんいい感じになってきたぞ〜」

 通玄は暫く考えた。そして、良観を呼んだ。

「外を見ろと言ってるが」

「ん?罠か?」

「いや、わからん。」

「どうする?」

「今は門も叩いてない。どうだろ?俺が一応後ろで援護しておくから、窓から覗くか?」

「ああ。そうするか」

 通玄は一歩下がった。

 門扉に付いている人の顔ほどの小さな引き戸の小窓を開けて良観は外を覗いた。屋根から落ちる雫と奥に続く暗闇が目の前に広がっているだけだった。

「特に変わった様子はなかったか」

「馬鹿かお前たちは。そこから見える麓の景色を見てみろ」

 部長の声が響いた。

「麓の景色?」

 龍告寺は山の中腹に建っている。普段はこの窓から麓の景色がよく見える。夜になるとそれは美しい夜景が広がる。特に柊山側の商業施設や官公庁が立ち並ぶエリアは明るく色とりどりの光を放っている。翔陵川を境に綱領山側は住宅街だ。

 良観はもう一度小窓に顔近づけて少し目線を下に落とした。

「んな!」

 良観は息を飲んだ。

 小降りになった雨の向こう側に広がる麓の景色はいつもと様子が違っていた。綱領山側の住宅街の至るところで黒いモヤが天に向かって伸びていた。よく見ると奥側の柊山方面も黒いモヤが幾筋も伸びている。

 厚い雲に覆われいたせいで月が出ていないからではない。街は普段よりも暗くモヤの筋が邪魔をして街の光が届いてこない。まるで麓の街が同時多発テロの爆弾によってあらゆるところから黒煙が上がっているかのように見える。

「これはどういうことだ?」

 門扉の向こう側で部長が話しかけてきた。

「見えたか。どうだ美しいだろう。長い年月をかけて俺はゆっくりと俺の仲間を増やしていった。今夜遂に復活の時だ!クソのような人間どもが取り込んでいった俺の分子達が今夜ついに覚醒したのだ!」

 振り返ると庇の下で休んでいた五人がいた。

「何がどうしたんですか」

 良観を押しのけ次々と五人が窓の外に目をやる。外の景色を見た亮介、慶長、そして深雪は言葉を失った。

「ワッハッハ。よく見ろ俺はこの瞬間を二百年間待っていたんだ!」

 麓の街では魑魅魍魎が跋扈し阿鼻叫喚の地獄絵図を描いている。人々は皆狂い凶器を手に殺し合いが始まっている。あらゆるところで火の手が上がり、人々は逃げ惑っていることだろう。

 緊急車両のサイレンはけたたましく、街中を飛び回っているが、その数は到底追いつくわけもなく目の前の事象に対処することが精一杯であった。

「なんで…こんなことが」

 深雪は跪き涙を流した。慶長が震える声で言った。

「許せない」

「ミラン!」

 亮介はミランを叫んで呼んだ。懐から出てきたミランはフワリと亮介の前に現れた。

「どうにかしろ。できるだろ」

「ここまで大きな騒ぎになってしまうと私たちの力ではどうしようもできません。私たちは一つ一つの事象には対応できるんですが。こんなにまとまってしまうともう無理です」

「じゃぁどうしろと。」

「分りません。」

 良観が叫んだ。

「本体だ!本体をやっつければいい!」

 ミランが聞く。

「その本体は?」

「こいつしかいないだろ!」

 良観は門扉を指差した。

「みんなコイツに操られているんだ!コイツは司令塔だ。まだそれぞれのマノコは覚醒したばかりだ。それぞれに意思は生まれていない。今コイツは覚醒の合図を送っただけだろう。だが時間が経てばそれぞれのマノコが意思を持ち、自ら行動を始める。そうなれば、宿主は死に、取り憑いていたマノコは飛散する。拡散する範囲はこの地域では収まらんぞ!早くコイツを倒さなければ!コイツさえ封印すれば問題は解決する!」

「ミラン!」

 亮介が叫んだ。

「わかりました。」

 そう言ってミランは開いた小窓に向けて槍を構えた。

「皆さん、行きましょう。」

 ミランがそう言うと、亮介の持っていたブレイドが明るく輝いた。

 光の筋が五本に集約されその光の筋からアキ、バルーザ、ワナギー、ニッポ、グルーガが滑りだしてきた。慶長が

「アキ!お前!」

 と叫んだ。

「ご主人様、私はミランと共に戦います。」

 アキの主人は慶長である。

「わかった頼んだぞ!こっちもお前達が戦いやすくなるように祈っておくっ!」

「よろしくです!」

 慶長は数珠を構え、読経を唸りだした。それに倣い、通玄と良観も経を読みだした。

 ミランは深雪の前に立ち言った。

「早く出てきてください。あなたの力が必要なんです。」

 深雪の胸元が仄かに光り、ターバンを巻いたバルーンパンツの女の子が剣を片手に現れた。

「ご主人様、私に名前をつけてください。」

 深雪の前にでた女の子は頭を深く下げた。

「私たちはそれぞれに着くご主人様に名前をつけていただけて初めてお守りする力を発揮することができるのです。お願いです早く名前をつけてください。」

 深雪は戸惑った。

「んな。大事な名前を今すぐだなんて。」

「平気です。今思った通りの名前をつけてください。その呼び名が一番いい名前なのです。」

「あぁ、わかった!あなたの名前はルーシャよ!」

「素敵です。ありがとうございます。」

 ルーシャは深く頭を下げ、ミラン達に向き直した。

「我が名はルーシャ!誇り高き吉岡深雪に仕える者なり!」

「ルーシャ!よろしくね。」

 ミランが一番に駆け寄り背中を押した。 

 六人のマノコはそれぞれの武器を構え、開いた小窓に向かって飛び出していった。

 亮介と深雪は小窓からその様子を凝視した。

 グルーガが我先にと先陣を切って部長に飛びかかっていった。部長の口から尾をひくように黒いモヤの塊が飛び出してきた。グルーガは武器である湾刀ククリナイフでそのモヤを切り裂こうと振り回した。一太刀目はサクッという肉を割いたような感触があった。しかし、返す刀はカキッという音と共に弾かれた。

「えっ!何で?」

 グルーガは信じられないような顔になって、目の前のモヤを見た。実態がなかったかのようだったモヤが、ドロッとした液体のような形に変わっていた。黒く光るその液体は形を自在に変え、ウネウネと波打っている。その黒い液体が王冠のような形に変わった瞬間、突起の棘が鋭くなりグルーガを突き刺した。四方八方からの攻撃に防御の暇も与えられなかった。グルーガは黒い液体に飲み込まれてしまった。

「グルーガ!」

 ワナギーが長い槍を構えて叫びながらその液体に向かって突っ込んでいった。

「ウオー!」

 ワナギーが何度も何度も液体に向かって槍を突き立てる。しかし、その攻撃も虚しく全く歯が立たない。カキッカキッと虚しい音を立てているだけだった。それでもワナギーは攻撃をやめない。

「ウオー!」

 ワナギーは叫んだ。ワナギーの槍と鋼鉄の液体がぶつかり合い火花が散っている。その瞬間、液体の形は鋭い槍のように変化しワナギーの腹部を一突きで貫いた。ワナギーの攻撃は止んだ。

「ダメかくそ、全く歯が立たない。なんて強さだ!」

 アキが叫んだ。

「アキ、私に任せて。」

 ニッポが弓を構えていた。

「どうやら、あれは表面だけっぽいよ。どちらかというと防御専門。てことは、あれが出ている口のあたりは柔らかいモヤなんじゃないかな」

 そう言うと、ニッポの矢が乱れ飛んだ。何十、何百といった弓矢の攻撃。もちろん、鋼鉄の液体に一本ずつは跳ね返される。しかし、その攻撃は止むことはない。乱れ飛ぶ矢の中をバルーザとアキがその間を縫うように部長に近づいていく。

 二人に気づいた液体は二本の爪のような形になりバルーザとアキを狙った。

「ダメ!貴方の敵は私です!」

 ニッポは弓矢の数を大きく増やして黒い液体に総攻撃をかけた。流石にこの攻撃は耐えられなかったのか、爪の形を平たく変化させ、防御に回したが何本もの弓矢が黒い液体に刺さり始めた。

 その隙に二人は後ろに回り、部長の口元を目指した。

 部長の口は限界を超えて大きく裂け、顎は完全に関節を外れ奥歯が頬の肉の間からのぞいていた。滴り落ちる血液。目からは涙がこぼれ落ち、鼻からも液体が滲み出ていた。しかし、それらは全てどす黒く蛇のようにうねっていた。

 バルーザとアキが左右に分かれて、部長の裂けた頬肉から口の中に剣を突き刺さした。

「グフッ!」

 部長の唸り声が短く聞こえた。やはり、出口のあたりはまだ柔らかい。完璧に二人の剣は獲物を捕らえた。

 その瞬間、鋼鉄のように硬かった液体はブワッとモヤの形に変わった。と同時にニッポの弓矢が雨霰のようにバルーザとアキの体を貫いた。

「ぎゃー!」

「キャー!」

 二人は断末魔の声を上げた。ニッポが霞越しにその様子を見ていた。

「アキ!バルーザ!」

 ニッポは攻撃をやめたが、時はすでに遅かった。モヤはすぐに液体に変わり、モヤの中に入っていたニッポの弓矢を、ニッポに向けて吐き出した。ニッポは逃げることも許されず、自らの弓矢が身体中に突き刺さった。

「ウワーッ!」

 ニッポの体は仰け反り、足の裏から背中まで弓矢の餌食となってしまった。

 残されたミランとルーシャは部長の口元だけを見ていた。

「みんなが教えてくれた弱点!絶対に引きずりだしてやる!」

 部長の口元目掛けて突っ込んでいく。鋼鉄の液体はすぐに臨戦態勢を整えた。鋭く光った爪の形になった鋼鉄の液体はミランとルーシャに向けて勢いよく伸びてくる。

「もうそのスピードは見切りました!」

 二人はその攻撃を見事に避け、あと数センチのところで槍を構えた。あと少しで、口元に届く。ルーシャは剣を振りかざしミランは槍を腕ごと長く伸ばした。部長の口元はもう目と鼻の先だ。

 カキン!

 虚しい金属音が鳴った。ミランとルーシャの攻撃は弾かれた。

「んな?」

「なんて事を。」

 なんと黒い液体は部長の顔全部を覆っていた。唯一の弱点である口元のモヤの出口を顔全体を覆って隠してしまうという、完全防御の姿勢になっていた。

 これでは、ミラン達の武器での攻撃は全く効かない。これを解くには、本体の宿主である部長の呼吸が止まるまで待たなければならない。宿主が死ねば新しい宿主に鞍替えしなければならならない。部長はただ取り憑かれて操られていただけだ。必ず助けなければならない。

 持久戦か。無理だ。呼吸を止めていられるのはもって三分。それ以上なら確実に部長は死ぬ。ジリジリと時間は過ぎて行く。

 部長の体がヒクヒクと痙攣しだした。ダメだ。もう時間がない。

 駄目もとでミラン達は攻撃を始めた。当然刃は跳ね返される。キーンキーンキーンキーンと虚しい金属音が鳴り響くだけだった。

「クソー!どうにもならないの!」

 ミランは覚悟を決めた。そしてこれが最後の一太刀と決めて部長の顔面に突っ込んでいった。

 その時、部長の体がドクンと波打ち黒い液体が顔から剥がれ飛び出てきた。あまりにもの勢いにミランとルーシャは攻撃できず、避けるので精一杯だった。

 何が起きたのか。ミランは部長の顔を改めて見ると、部長の裂けた顎の中、奥歯の上にボロボロに傷を負ったアキとバルーザが片膝をついてこちらを眺めていた。

「アキ!バルーザ!」

 ミランは涙目で二人に近づいた。

「あぁ、やっぱりニッポの矢はキツいな。恐ろしかったよ。」

 バルーザが言った。

「どうしてですか?もうダメかと思っていました。」

 ルーシャの目は完全に涙が溢れている。アキが

「私達がやられたとわかった瞬間、ニッポは攻撃をやめたでしょ。何本も突き刺さって、気絶しちゃったけど。すぐにアイツはモヤをやめて硬い液体に戻ったし、それから顔を覆った。私たちを巻き込んでね。でも、私たちはまだやられていなかったんだよ。剣は突き刺さっていたし、後は引き抜くだけだったから。快復するまでちょっと時間かかったけどね。」

 ミランとルーシャは泣きながら二人に抱きついた。

「でも、これまでだ。私たちにこれ以上戦う力はない。」

 バルーザが続けた。

「後はアンタ達に任せたよ。」

 ミランがそれに答えた。

「わかった。任せておいて!二人はゆっくりと休んでいて。」

 ミランとルーシャは武器を構えなおし、空中に漂うマノコ本体に向き直した。

「本体が出てしまえばこっちのもんよ!」

 ミランが叫んだ。

「反撃開始ですね。」

 ルーシャがそう言うと、二人はマノコ本体に突進していった。モヤの本体は鋼鉄の液体となり二人の攻撃に耐える姿勢を取っている。時折、槍状になり二人に攻撃を加えてくる。

「もう見切ったって。」

 二人は難なくその攻撃をかわす。

「早くマイッタしなさい。」

 ミランが本体に向かって叫ぶ。しかし、本体は二人の攻撃を耐え続ける。

 何かおかしい。ミランは違和感を持った。今までのように自分達を倒そうとする気迫というか気配が全く感じられない。もしかして、時間稼ぎか?二人は攻撃をやめた。

「オイ!見てみろ!」

 門の中から亮介の声が聞こえた。

 麓の景色に目をやると、まっすぐに伸びていたモヤの筋が、まるで竜巻のように螺旋状に絡まってうねりだしていた。

「フワッはっはっはー。気づいたか。もうそろそろだな。アイツラが自らの意思で人間達を操り始めたのだ!フワッハッハ!」

「何だって!」

 亮介は歯をくいしばった。

「フワッハッハ。もう遅い。あれが意思だ。あのモヤが地面に到達した時、我々はこの地上の支配者となる。」

 本体は高らかに宣言した。

「勝った!二百年前の忌まわしい記憶から解放され、我々は勝ったのだ!」

「そんな…。」

 深雪が門伝いに体を小さく畳んだ。

 空から降りてくるモヤはもう完全に雲から離れ、半分ほどになっていた。

「ゆっくり見ていようじゃないか。我々の二百年の悲願が達せられ、愚かな人間が無様に負ける瞬間を。」

 マノコ本体が勝ち誇ったように言った。

「嘘だろ。」

 亮介の目からは涙がこぼれ落ちた。慶長、良観、通玄の三人はまだ諦めていないのか読経を続けている。

 門田と西村は門の前に座り込んでいた。

 亮介はこの光景を記憶しようと思った。たとえ敗北の瞬間でも、この景色は見届けなければならない気がした。人間の敗北の瞬間を俯瞰の目で見た男がいたこと、それを後世に伝えていくことが後々マノコの支配から解放される一助となると信じて。

 亮介はポケットからスマートフォンを取り出し、録画ボタンを押した。ここに記録される景色は、少し賑やかなただの夜景だろう。普通の人はマノコは見えない。ここに記録されるのは何軒かの火事の様子とサイレンの音だけだ。しかし、何世代後になるかわからないがこの映像の本当の意味を知る人物が必ず現れると信じている。

 亮介は涙でスマートフォンの画面がよく見えなくなっていた。

 モヤは高いビルやマンションの陰に隠れるほどまで短くなっている。雨はもうほとんど降っていない。三人の僧侶の声は虚しく力強く聞こえた。龍告寺の境内に諦めと絶望の空気が重く包み込んでいる。

 その時、龍告寺の本堂の中が明るく輝いた。その光は強烈で、本堂の柱や欄干が影となり、幾筋もの光が境内を照らし出した。

 その眩さに亮介は振り返り深雪は顔を上げ、門田と西村は佇み目を細め、三人の僧侶は読経をやめた。その光の中に二人の人影が見えた。一人は恵だった。

「コラッ!女の子が泣いてるじゃない!情けない男どもだなぁ。まったく。」

 恵は大きな声で門に向かって言った。

「男だったら、女の子にはこうして優しくしなさいよ!ましてや、泣かすなんて最低だよ!」

 その傍に立ち手を繋いでいる小さな影はコバトだった。

「さっ、行って。」

 恵は優しくコバトの背中を押した。コバトはゆっくりと境内の真ん中のあたりにある松の木に向かって歩き出した。

 その光景をぼんやりと眺めていた亮介も何かに導かれるように松の木に向かって歩き出していた。

 本堂に向かって左側にコバト、右側に亮介がそれぞれの松の木に向かって歩みを進めている。コバトの首には小さな水晶玉がペンダントのようにぶら下がっていた。

 亮介の手にはブレイドが握られている。

 二人が松の木の下にたどり着いた。

 亮介は持っていたブレイドをコバトの胸に向けると、 水晶玉から細い一本の光が放たれた。その光の筋が亮介のブレイドにたどり着くとその光を反射させ、また水晶玉に返した。

 まるでお互いが会話を交わしているかのように呼応し合う水晶玉とブレイド。その光の反復が徐々に太い光となって龍告寺のすべてを照らし出した。

 光が最高潮に足した時、上空の雲が割れ太陽のような明るい光が現れた。その光の中には大きな女性が立っていた。その女性の頭には冠が被られ美しい装飾がなされていた。胸元からはシンメトリーな首飾りが輝き優しく微笑み、両手を広げていた。

「よく頑張りましたね。コバト。もうあなたは何も心配しなくてもいいですよ。」

 慈しみの声でその女性はコバトに話しかけた。

 亮介にはその声に聞き覚えがあった。初めて龍告寺を訪れ、コバトのゲロをかぶり、慶長に除霊をしてもらった時、夢に出てきたあの声だ。

 コバトの目から一筋の涙がこぼれた。

「亮介さん。約束通りコバトを守ってくれてありがとう。私は皆さんを助けにやって参りました。」

 亮介は優しい気持ちになり多幸感に包まれた。

「では、参りましょうか。」

 その女性は本堂に向かって両腕を上げ広げた。すると、本堂の屋根を突き破り、太く猛烈な光の矢が天に向かって伸びていった。その中には、何人もの甲冑に身を包んだ女の子に囲まれた龍告寺の本尊の薬師如来像が浮かんでいた。

「薬師如来様のご命により、悪なるものを消滅せん。」

 そう言うとその女性は麓の街に向かって手を振り下ろした。その瞬間、薬師如来像を囲っていた女の子たちが一斉に麓に向かって降り立っていった。その中にはアキやバルーザや、マノコ本体と戦ったマノコ達それにミランもいた。深雪が覗き窓から外を眺めると、細い光の線が何本も麓に向けて流れているのが見えた。その光は美しく虹色に輝き夜空を彩っていた。

 暫く眺めていると、麓の街の建物や道路、人々までが光を放ち全体が太陽のように明るく輝き、やがて光を失っていった。そしてまた麓の街はいつも通りの静寂を取り戻した。

「さて、あとは貴方だけですね。」

 そう言うと、後ろにいた薬師如来の半眼の目が見開き、レーザー光線のように光が一直線にモヤ本体に向かって照射された。その光がマノコ本体に届くとアッサリと消し飛び、霧散した。

 全てを終えた薬師如来像は元の本堂に戻り、光も優しくなった。ミラン達も本堂に戻っていった。

「これで終わりです。」

 女性は龍告寺の境内に向き直り言った。優しい目で境内を眺めて照らされている。

「遊里子…」

 通玄はその女性に亡き妻を見たようだった。

「通玄さん。貴方は悪くありません。貴方は何よりも強く愛してくれました。貴方の愛は本物です。さぁ。」

 通玄は差し伸べられた手に向けて自分の手を差し出した。通玄の体が浮き上がりユックリと女性の胸元に入っていった。二人の顔は優しくコバトを見つめている。

「コバト。またいつかあなたを迎えに来るその日まで、あなたはあなただけの誰よりも美しく、幸せな人生を送りなさい。私たちはそのことだけを願っています。」

 そう言うと二人の影は光の中に吸い込まれ消えていった。

 龍告寺の境内にまた静寂が訪れた。

 コバトは松の木の下で頬に一本の涙の跡を残して力強く立っていた。

 慶長、良観、恵の三人は合掌し、ブッケンの三人はただぼんやりと空を眺めていた。

 ふと我に帰った亮介は恵に駆け寄った。

「ありがとうございます。どうやら解決したみたいですね。」

 恵は微笑んで

「そうね。これで一安心ね。」

 と優しく答えた。

「ところで恵さん。少し気になることがあって…」

「何?」

「コバトちゃんを連れてきた時、確か恵さんは男だったら[こうして]女の子に優しくしろ!って言っていましたよね。」

「うん。言ったよ。」

「あのぉ、もしかして、恵さんは…」

「あっ、バレた?私の名前は織田恵瞬。残念ながら男だ。」

 龍告寺は代々男子が二人必ず生まれる。一人は子を産み、龍告寺を継ぐが、もう一人は子には恵まれない。

 亮介は胸に秘めた想いが儚く散っていくのを感じた。


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