第7話
リアルな天使
僕の目の前で、その女性が笑顔を見せていた。しゃがみ込み、その顔を僕に近づけていた。キスされるんじゃないかと思うほどの距離感だった。キスされてもいいと思うほどに素敵に輝く笑顔でもあった。そんな彼女の態度に、僕の心がドキッとしたのはいうまでもない。生まれて始めて見る天使の笑顔。自然とそう感じたよ。そして僕は二つのことに気がついた。その顔が売店で手にした天使の人形に似ていることと、その人形が手にはないっていうことだ。しかもなくなっていたのは、天使の人形だけでなく、手に持っていたはずの三つの人形全てがなくなっていた。
「なにをお探しですか? もしかして、これですか?」
彼女は三つの人形を手に持っていた。売店の店員? 確かによく似ていた。けれど少し、その雰囲気が違うようにも感じられた。
「えぇ、それです。ありがとうございます」
手を伸ばし、すぐにでも受け取ろうとした僕を、ちょっと待って下さいと彼女は制した。三つの人形を自らの太ももの上に置き、懐に手を入れ、その服装と同じ布で出来ていると思われる袋を取り出したんだ。
「大事な物のようですね。なくさないようにこれに入れることをお勧めします」
そう言いながら三つの人形を袋にしまい僕に手渡した。布で出来た買い物袋? そんな形の袋だよ。小さなエコバッグとでも言えば分かりいいのかも知れない。
「これは子供たちへのプレゼントなんだ」
僕はそう言い、袋を受け取る勢いを利用して立ち上がった。僕が立ち上がると同時に、彼女も腰を上げていた。
「お子さんがいるのですか? それは素晴らしいことです。あなたのお子さんはさぞかし可愛らしいことでしょう。その人形、きっと気に入るはずですよ。とてもいい物だと感じられます」
「君はいったい、誰なんだ? 助けてくれたのは嬉しいけど、僕の変わりにあの人は死んでしまった・・・・ 他にも助けるべき人は大勢いる。どうして僕を・・・・ 僕だけを助けてくれたんだ?」
僕にとっては当然の疑問だよ。僕だけが助かるってことは、嬉しいけれど恥ずかしく、とても複雑な気持ちだったんだ。
「その答えはいずれ分かることでしょう。今はまず、ここから離れましょう。ビル全体が崩れ落ちるのも、時間の問題ですから」
「だったらなおさら他の人たちを助けないと!」
僕はそう言い、辺りを見回したよ。本気で誰かを助けたいと考えていたんだ。偽善じゃないんだ。罪滅ぼし? そんなんでもない。もっと単純な、自己満足を得るためだよ。誰かを助けることが、自分を助けることにつながる。そんな身勝手な思いで誰かを助けようと考えたんだ。まぁ、実際にはそんな余計なことを考える余裕もなかったんだけれどね。
「あなたが助ける必要はありません。助けるべき方がおられるのなら、誰かが助けに向かっているはずです。私があなたを助けたように」
彼女はそう言い、僕に背を向けて歩き始めた。
「さぁ早く、それをお子さんにプレゼントしましょう。今頃はきっと、あなたのことをとても心配していることでしょう」
「君は・・・・ それは本物なのかい?」
彼女の背中に、大きな翼が二枚、生えていた。天使の人形そっくりな翼だった。驚いたって言うより、凄いなって感心をした。本物か偽物かの違いは、実物を見ればハッキリとすることが多い。
「これは私の身体の一部です」
「君は天使なのかい?」
つまらないほどに素直な言葉を吐いた。そして意味もなく袋の中の人形を確かめ、そのそっくり具合に意味のない納得をしたんだよ。
「そうですね。そういう風に呼ばれることもあります」
「君には名前があるのかい? 天使っていうのは、君以外にも大勢いるんだろ?」
緊急時だというのに、馬鹿な質問をしたもんだと反省している。
「とにかく今はもう少し急いで下さい。手遅れになってしまいますよ」
「そんなに急ぐんなら飛んでいけばいいんだ。君の翼は飾りじゃないんだろ?」
「こんな狭い場所で翼を広げるのは危険です。飛ぶのは外に出てからです」
天使の足がどんどんと速くなっていく。歩いていたはずが、いつの間にか飛ぶように走っていた。翼を広げていなくとも、まるで飛んでいるかのような軽やかさだった。必死に後をついていく僕は、何度も瓦礫に躓き、転んでいたよ。死体やまだ生きている人も飛び越えていかなければならなかったんだ。そしてそこでもまた、足を躓かせていた。
「助けないのかい? 君と僕がいれば助けられるはずだよ」
本気じゃない僕の言葉だ。本気なら、天使の行動なんて気にもせずに助ければいいんだ。けれど僕にはそれが出来なかった。その理由は単純だった。倒れているのはどれもが死んでいる。天使の力なら蘇らせることが出来るかもとは、ほんの少ししか考えなかった。
「えぇ、そうだと思います。その場は助けることが出来るでしょう。けれどすぐ、私もあなたも巻き添えに一緒に死ぬことになるでしょう」
天使がそう言うと、背後で大きな物音がしていたよ。振り返ると、まだほんの少し息の残っているかも知れない人の上に、天井が崩れ落ちていた。可哀想に・・・・ なんて想いよりもまず、その場に立ち止まらずによかったと安心していた。僕は最低な嘘つきだったりする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます