第4話
天使と神様
近所のおもちゃ屋には、その人形が売っていなかった。似たような人形ならいくらでもあるのに、二人が欲しがっているその人形だけが見当たらない。適当に買って誤魔化そうかとも考えたけれど、それで納得してくれるとは思えなかった。優人はともかく、優香が泣き出す姿は簡単に想像出来たよ。困った僕は妻に電話をかけたんだ。どんな答えが返ってくるのかは想像が出来ていたのにも関わらずにね。妻に確認をせずに勝手な行動を取るなんて、僕には出来ないんだ。分かるだろ? どこの家庭だってそうなんだ。妻は神様よりも偉いんだよ。
「なにをしているのよ! 昨日はどこで買ったの? だったらそこにいけばいいでしょ? 二人は今、映画を観ているからおとなしくしているわよ。どうでもいいから早く買って、早く帰ってきてね。絶対同じのにするのよ! それから余計なものは買わなくてもいいからね! 優人に新しいおもちゃなんて絶対にダメよ! そんなことしたら、今度は私とあなたのケンカになるんだからね!」
苛々している妻の姿は好きじゃない。早口で捲くし立てるときのその表情が信じられないくらいに不細工なんだ。普段は客観的に見てもそれなりに綺麗なんだよ。世界でトップ一万には入るほどだからね。
「分かってるよ・・・・ 三十分くらいで帰るよ」
僕の言葉は小さかった。
「なるべく早くね! おもちゃは一つだけよ!」
妻は僕の性格を百パーセント理解している。僕がどうするつもりでいるのか、その全てを見透かしているんだ。僕が怒られるのを覚悟で別の人形を買うことも分かっていたはずだよ。僕が買おうと思っていたのは、優人と約束をしていた戦隊ヒーロー。三人組? 四人組? 毎年ころころ姿を変える戦隊ヒーローを僕が覚えているはずもなく、戦隊ものだったらなんでもいいと考えていたんだ。赤がリーダー? 優人は青が好きだったな・・・・ 実物を見て選ぶつもりでいた。優香にはピンクがいい。それ以外だと怒りそうだからね。そんな戦隊ものも、近所のおもちゃ屋には売っていなかった。
妻から怒られることはそれほど気にはしていない。お仕置き? そんな言葉を使っているけれど、なにかを取り上げられたりするわけじゃない。暴力を受けるなんて考えられないことだしね。少し強めの口調で怒鳴られてお終いだよ。すぐに収まることは経験済みだ。妻にはちゃんと分かっているんだ。僕の行動が子供たちへの愛に満ち溢れていることをね。
それは妻にとっても同じことだ。もしかしたらそれ以上? 愛の重さを比べるなんて無意味だけれど、妻が二人を愛していることに疑いはない。二人に対してのお仕置きだって、愛に満ち溢れている。お互いにごめんなさいをさせて、チュウをする。それだけだよ。僕がしていることとたいして違わない。違っているのは、チュウをするのが子供たちじゃなくて、妻がするって点だよ。仲直りをした二人を妻が抱き締めながらチュウをする。それが妻からのお仕置きなんだよ。体罰なんて絶対に与えない。おもちゃを取り上げたり物置に閉じ込めたりもしない。当たり前だろ?
そんなことを考えながら電車に乗り、昨日人形を買った駅に向かった。近所の駅から間隔の狭い五つの駅を一つ一つ停車し、ゆっくりと十一分間かけて進んでいく。僕の家の近所を走る私鉄の終着駅でもあるんだ。歩いたとしても一時間半もあれば着くんじゃないかな? 真っ直ぐ急いで歩けば一時間以内で着くかもしれない。昨夜はどれほどの時間をかけたのか、まるで覚えていないんだけれどね。
その駅はこの街では一番の大きな駅で、いくつもの会社の多くの路線が集まるターミナル駅になっている。大きな駅ビルがいくつも並んで建っている。デパートや商業施設も多くあり、ホテルなんかも並んでいる。駅のホームを出ればそこは一つの街のようになっている。表に出なくても、好きな場所に歩いていける。地下街も充実していて、一日中いても飽きることがない。僕が乗っていた私鉄の駅は、駅ビルの端っこにホームを有している。
仕事場に向かうにはそこで別の電車に乗り換えるんだ。通勤ラッシュ時の混雑の中だと歩いて三分間はかかる距離だ。駅の中にも、道の途中にもいくつかの売店があり、その中の一つでヒーローのソフビ人形を買ったんだ。
昨夜は酔っ払っていて気がつかなかったけれど、人形が売っている売店は一つきり。こんな所にあったっけ? そう思うような不自然な場所に店を構えていた。デパートへ繋がる階段脇の僅かなスペース、他の売店とは違い、タバコやジュースが売っていない。雑誌、飴やガムなどの小さなお菓子類、そしてソフビ人形。不思議な品揃えだと今となっては感じるよ。
その売店には昨日と同じヒーローの人形が一つ残っていた。僕はそれを手に取り、他の人形にも目を向ける。残念なことに、ヒーローと呼べる人形は手に取ったそれ一つきりだった。天使や悪魔、死神に妖怪、お化けのようなものから宇宙人? 教会のガラスに描かれた神様のようなものまで様々な種類の人形が並んでいた。けれどどれもがたった一つきり、同じものが二つ揃って置いてはいなかった。
僕は取り合えずヒーローの分の代金を支払った。そしてもう一つをどれにしようか、一つ一つを手に取って悩んでいた。女の子らしい人形なんて・・・・ その中で選ぶとするなら、天使くらいのものだった。綺麗な顔をした天使だったよ。僕は何故だかふと、店員の顔を見上げたんだ。僕に向けて微笑むその顔が、なんとなく天使の顔に似ているように感じられたよ。その天使も僕に向かって優しく微笑んでいたからね。大きな羽を広げ、今にも飛び立とうとしていた。どうしてだろう? 天使も神様も、白い服がよく似合う。ちなみにだけど、僕の妻も白が一番よく似合っている。
優人への人形は、その中では神様しかありえなかった。悪魔や死神はいい影響を与えるとは思えず、妖怪の姿は少しグロテスクで、お化けにも可愛らしさが欠片もなく、宇宙人は・・・・ いかにもって姿をしていてつまらなかった。神様は、いうならばこの世界を創り出したヒーローだよ。そんな風に優人を納得させればいいと考えたんだ。残念なことに? 今となってはそんな考えは全て消し飛んでしまっているんだけどね。
そうして僕は天使と神様の人形を手に取り、店員にお金を払おうとしたんだ。
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