第3話


   ヒーロー


 そのおもちゃは、アメリカのアニメや映画に出てくるヒーローのソフビ人形だよ。駅の売店で売っているのを見つけ、優人が好きだったはずだと思い出し、勢いで買ったんだ。昨夜は会社仲間と少し酒を飲んでいて、酔っ払っていたからな。酔っ払うと僕は、お土産を沢山買う癖がある。ソフビ人形はそんなお土産の一つだったんだよ。優香にも別のお土産を買ってはいたんだ。女の子向けのキャラクターが描かれているお菓子だよ。優人にも別のお菓子を買っていたから、優人だけ二つもあるなんてずるい! って言われたのを覚えているよ。今度別のを買うからと、その場では納得してくれたんだ。約束だよ! なんて言って笑顔で指切りげんまんしたくらいなんだよ。

 それでもやっぱり、同じものが欲しかったようだ。差別をしたつもりはなかったけれど、子供心にはそう感じられても少しも不思議はないからね。

 手に取ったおもちゃを僕に渡し、妻は一階に降りて行った。今朝は珍しく僕が子供を叱る役目になったんだ。いつも通り怒るのは妻の役目で、最後に抱き締めるのも妻の役目だ。

 喧嘩はダメだ! 怪我をさせてもいけない! 仲良く遊べないならおもちゃなんて買ってあげないからね。一通り叱りつけ、仲直りをさせる。ほっぺにチュウをして、ごめんねの言葉でお終いだ。喧嘩をした後、妻に怒られ冷静になった二人は、たいていは素直に返事をしてくれる。

「優香もそれが欲しい! ヒーローが好きなの!」

 仲直りの後、泣きながら僕に抱きつきそう言った。ずっと泣くのを我慢していた優香だったけれど、限界だったようだ。どうしても言いたかったその一言のために、涙を我慢し切れなくなったんだね。

「だけどこれは僕のだもん・・・・」

 優香の隣で優人が呟いていた。

「優香も欲しいの!」

 顔を横に向け、優人を睨みつけていた。優人はその圧力に気圧され、頭を垂らしていたよ。

「わかったよ。パパが今からもう一つ買ってくるから。それでいいだろ? 同じのが欲しいのかい?」

 僕に顔を向け、うなずいていた。そしてすぐさま笑顔を見せる。隣では優人が涙をこぼしていた。一度は泣き止んでいた優人だったけれど、こぼれる涙を止めることが出来ないでいた。

「優人もそんなに泣くんじゃないよ。男だろ?」

 僕はそういいながら頭を持ち上げ、そっと撫でた。両手で顔を挟み、二つの親指で涙を拭った。それから耳元に顔を近づけた。

「今度また新しいの買うから、な! お兄ちゃんは簡単に泣いちゃいけないんだぞ! パパが帰ってくるまで、優香にそれを貸してあげなさい。いいだろ?」

 僕の小声に優人は笑顔を浮かべていた。こぼれる涙を必死に止めていたんだよ。見開いたその瞳が、キラキラ光っていた。優人のそんな姿は可愛らしくて愛しくて、今でも僕のこのまぶたの裏に焼きついている。

「別のヒーローも買ってくれる? もう一つ、欲しかったんだ。今度は日本のヒーローだよ。僕は戦隊ヒーローが好きなんだ」

 耳元に向かって囁く優人は、その言葉が妻と優香に聞かれては困ることを知っているんだ。

「ねぇパパ! ちゃんと叱らないとダメでしょ! 喧嘩はダメなの! どんな理由があっても絶対よ! 暴力なんてもってのほかよ! 血を流しているよの! ちゃんとごめんなさいはしたの! 二人とも! 後でママからお仕置きだからね」

 一階に行っていたはずの妻が戻ってきていた。部屋の入り口で腕を組み仁王立ちしていた。振り返った僕に、妻の困った表情が見えた。いつからそこにいたのか? 僕と優人の会話を聞いていた? 僕は苦い笑顔を浮かべるしか出来なかった。

「それで、これからどうするつもり? どうせ・・・・」

 妻の言葉に安心をした。そんな言い方をするってことは、会話を聞かれていないからだ。けれど、聞いていなくても僕がどうするつもりでいるかは分かっているはずなんだ。

「そうだよ。これから買いに行ってくる」

「そう・・・・ 余計なものは買わなくていいからね!」

「分かってるよ・・・・」

 妻に嘘をつくのは難しい。妻の顔を見ず、二人に顔を向ける。

「ケンカはダメだからな! どんな理由があっても、ぶったりするのは絶対にダメだ! 痛いのは身体だけじゃないんだぞ! 心も痛くなるんだからな」

 僕の言葉にうなずく二人は、唇を横に広げ、大きく目を見開いていた。

「僕も一緒に行っていい?」

 優人がそう言った。

「優香も一緒に行きたい!」

 二人の顔に笑顔が浮かんでいた。

「けれどどうする? 昨日の映画の続き、観たくないのか?」

「あっ! 早く観なくっちゃ!」

 二人が声を重ねていたよ。昨日の夜、テレビでやっていた映画を観ていたんだ。楽しかったけれど、疲れていた二人は途中で寝てしまった。録画していたから、観るのは別に今日じゃなくてもよかったんだ。それでも二人が映画を早く観たいってことは知っていた。映画好きだからってのは当然のことだ。二人はどんな映画でも大好きで、僕と一緒に観ている。映画館にも月に一度は行っているんだ。けれど理由はそれだけじゃない。昨日の映画は、僕が買ってきたその人形が主人公の映画だったんだ。それを知っていて買ってきたわけじゃないよ。家に帰って驚いたのは僕だよ。少し前に始まっていたその映画を、二人が夢中で観ていたんだ。録画をしたのは妻だよ。途中で寝たら可哀相だと、二人が好きそうな映画はいつも録画することにしているんだ。

「それじゃあ行ってくるよ」

 僕のその言葉を二人はまるで聞いていなかったよ。すでに映画に夢中になっていたからね。そんな二人の頭を優しく撫で、僕は一人で出かけたんだ。玄関まで見送りに来たのは妻だけだった。行ってきますのキスを忘れなくてよかったと思っている。

 駅までは歩いて五分。すぐに帰ってくるつもりでいた。結果は・・・・ 予定通りにいかないことがこの世の中には溢れているってことだ。

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