第一章「承前」
(一)
「御社にテロの予告あり 業務を直ちに停止せよ」
偽造文書機構。
誰が最初にそう言い出したのかはわからないが、政府高官や報道関係者は「偽の情報を偽の情報として流布する」この機構をそう呼んだ。
この国において、検閲による表現や報道の規制がされるようになって久しい。それに伴って、検閲に引っ掛かりにくい情報操作の手法が暗黙の了解となっていったのは、必然と言えば必然と言えるかもしれない。
偏向報道以外の情報操作には、特定の情報のみを延々と流しイメージを誘導するものや、情報を発信する者が、格付けがトップの者とならぶことによってそのイメージに対する信頼度を高めていくもの等があるが、偽造文書機構は情報筋を明かさない「匿名の権威」と、誹謗中傷などを大量に流し、ノイズを発生させることを得意とした。
しかし、偽造文書機構の肝は、流布する情報が必ずしも偽ではないことであった。
事実と虚構が入り混じること。それまで存在した報道機関においても、当然のようにあったことだ。だが、偽造文書機構はこう宣言する。
『知るということは非常に直感的なものであることを我々は通告する。情報は目という、耳というありとあらゆる感覚より知覚される。それを処理するのは人々の感性である。その感性が、我々が流した情報を偽とするのか、真とするのか、我々は制御することはできない。
つまり我々は偽造文書機構を名乗ることにより、発行すること自体に対して責任を負う。しかしながら、その発行された文書の、そこに書かれた内容に対しては、責任は負うことを一切放棄する。それは、文書の内容が殺人予告であっても、ただの誹謗中傷であっても、我々は一切そこに検閲を加えず報道することを約束するということである。』
偽造文書機構が創造される前までも、テロの予告は度々報道され脅威となったが、実行されることもされないこともあった。それは今も昔も変わることはない。
信じるのも信じないのも、その発信者が実行するもしないも、全ては「消息筋」の責任によるのだ。昔、世界を征服していたマスメディアという群衆が発する妙な噂に信憑性をもたせていたものだ。
「彼ら」は言っているのは、偽造文書機構そのものが消息筋になるということであった。我々が、偽造文書機構が、今までは名も名乗らなかった「消息筋」となり、名を名乗りたくない、もしくは名乗れない、存在するのかしないのかもわからない貴方たちの名前になります、というのだ。
発行責任を負えないもの、または負いたくないものの代わりに、発行責任を負う。
それが偽造文書機構だ。
さて、ここから昔話をしたいと思う。
古い話だ。ずっと昔の話だ。それは歴史書の初めに書かれてある出来事だ。アダムとイブがこの世界を作りだした。ビフォアキリスト。そしてアンノドミニ。ユリウス歴で延々と刻まれ続けた世界がもう一度生まれた時のことだ。
この国は、どこかの青く光る惑星を仮に上下に分けた時に、上にある大きな海原の、ちょうど端のほうにある。縦に斜めに伸びている。五つの大きな島と、俗に離島と呼ばれる小さな島がそこら中に散らばっている、寄せ集めのような国だ。
今ではすっかりその面影はないけれども、大昔は先進国というカテゴリーに入っていたらしい。先を進む国と書いて先進国という。こんな馬鹿げた名称があったものかと思うかもしれないが、あったものは仕方がない。この歴史書にはそう書いているのだから。
そして、この国は世界でも屈指の「科学者」と呼ばれた魔法使いたちがいた。彼らは、次々と人類に有益な魔法を生みだして、生活を潤わせて文明を発達させていた。魔法使いたちは、魔法を生み出すだけではなく組み合わせることによって、更に複雑な魔法を発明した。魔法使いたちの知識は増えていき、知恵は進化を続け、神の領域とされた生命の誕生まで司るようになった。進化を続けるにつれて、人々は知らなくてもいいことまで知るようになった。人々がコントロールできなくてもいい部分までコントロールできるようになってしまった。魔法は魔法使いではない人々が発動させる権利を持つようになり、それが不満で逃げる魔法使いもいた。
だが世界は魔法の進化を望み続けた。
その期待に応えるように、魔法使いは魔法を生み出し始めた。
しかし、それはある日突然止まってしまう。
これが全ての始まりである。
魔法は「科学」と呼ばれ、「魔法使い」は科学者と呼ばれていたが、ある日、偽造文書機構が出したテロ予告を発端に、科学者は科学を使うのをやめてしまった。
文明のボイコットと呼ぶに等しいそれは、科学の恩恵にあずかってきた平民を混乱に陥れた。携帯デバイスを使うための電気も、食事をするための火をコントロールする機械たちも、全てが無意味と化したのである。
「御社にテロの予告あり 業務を直ちに停止せよ」
偽造文書機構が各地のインフラ拠点に通知した文書にはそう書いてあったそうだ。
「御社にテロの予告あり 業務を直ちに停止せよ」
偽造文書機構はその文書の「発行」にのみ責任を持ち、その内容の真偽に関しては責任をもたない。しかしながら、その時の通知文書の内容はまさしく真であった。
ただし、正確にはテロではなかった。
技術者たちが全てのインフラを停止させた。
ボイコットであった。
科学を生み出した科学者と、技術を生み出した技術者は、それを死に絶えさせることができたのである。
進化し続けると思われた科学技術は、瞬く間に衰退していった。人々が科学技術の恩恵にあずかれたのは、科学技術者たちがそれを平民が使えるレベルにまで汎用化させたからで、知識や道具そのものが残っていても、使えるものがいなければただのガラクタに過ぎない。
人々は苦渋の決断を迫られた。そして、今までの生活を全て捨て、文明を一から築くことを決意した。当然のことだが、技術を捨てた結果、それまでの生活を原始と呼ばれていたレベルにまで落とし込まざるを得なかった。それまでわずかながら培ってきた平民でも準備でき、活用できる技術をより合わせ、この世界が二回目に生まれた日から始まる歴史の記録と保存を試みた。歴史を文書にし、科学技術者たちが作りあげた「文明」はどのようなものであったかを纏めた。そして、人々はそれを国庫に収めたのである。そして、歴史を語る書物は経年劣化する度に定期的に書き写され、丁重に保存された。
そして今がある。現在へと至る。天皇家と、天皇家の側近として、御神と呼ばれる八人の臣下によって統べられる神の国が出来上がった。
この国にとって、天皇とは神に等しい。
「宮神様は本当に神様なの?」
少年は幼気な目でそう母親に聴いた。大砲の音が鳴りやんだあとで、怯えた目をする母親を見ながら、なんとなく頭に浮かんだ疑問を尋ねたつもりであった。
「そうよ、宮神様は本当に神様なの」
母親は少しも疑念のない顔でそう答える。そして、部屋に飾られた、全ての花弁の大きさが等しい花を指さして言うのだ。
「あの花がある限り、宮神様は私たちのことをまもってくれるのよ」
国民は天皇を宮神様と呼んで慕った。全ての花弁の大きさが等しい、その菊紋様のシンボルマークは宮神様の家紋そのものであった。天皇家の家紋を家に飾ることは、国民の心の拠り所であり、不可侵領域であり、絶対だった。天皇を崇拝すること。その統治下に置かれること。今起こる全ての厄災は神の怒りであると責任を転嫁すること。一見、宗教の偶像崇拝にも思えるような一連の心象の流れは、国民に心の安寧をもたらしていた。
母親の言葉を聴いた少年は、頭をもたげながら、横目で家紋を見上げた。ほぼ丸に近い花紋様。真黒の下地に白で抜かれた菊の花。
「……かみさまは本当にかみさまなの?」
少年が言った言葉は、母親の耳に届くことはなかった。
(二)
天皇を中心とする国家は、八人の臣下によってなり立っている。この国にはかつて「内閣」という国の頭脳部分があり、それを必要最低限まで抑え込んだものが、八人の臣下からなる御神群と呼ばれる臣下たちだった。
その中でも、キサラギと呼ばれる女性は、天皇の側近として国政の大半を補助していた。かつて内閣官房と呼ばれたその役所のなれの果てだ。
文明の進化がもたらしたのは、政治の細分化であった。人々の生活と科学の進歩に合わせて、当時は様々な省庁が作られたという。しかしながら、一次産業が中心となった今では、政治機能を細分化することは意味をもたない。技術力に伴わない省庁は無駄でしかないのである。海、土地、そして国民、それに伴う僅かな統治を天皇と八人の臣下は分担して行っていた。
「キサラギ様、王宮敷地内、第七エリアの河岸に漂流者がいた模様です」
「救助は」
執務室に入ってきた文官は、無表情に告げる。
「たった今、当該エリアの救護班が連れてきました。この男です」
現れたのは、縄で後ろ手に縛られた、薄ら汚れた身なりの一人の男だった。
「その者の名は……」
キサラギは文官に尋ねたつもりだったが、男は長く前に垂れた髪の隙間から視線を寄越す。
「ムツキ」
男はぶっきらぼうに答えると、再び視線をよそへ移した。真水で雑に洗われたのであろう髪の毛からは、僅かに落ち切れていない泥が見え隠れしていた。ましてや、衣服は海水を吸いこんで湿っている。ただでさえ海水は乾きにくいというのに。
「仕方ない……詳しい調書はあとでいい。とりあえず、そうだな……着替えをさせて独房に入れておけ。あと……法務官のヤヨイに伝言を頼む。拾い者をしたと言え」
暫くして、キサラギとは違う身なりの一人の女が執務室を訪れた。温厚な顔だち。長く黒い髪を後ろにまとめて背中に垂らしている。この国の上位階層者だけができる髪型だ。キサラギは面倒でやる気が起きないが、この女はそれを平然とやってのける。そして、同じ顔で冷徹な判断も下すことができる。
「厄介なものを押し付けてくれたな」
「ああいうのはお前のところの管轄だろう、ヤヨイ」
キサラギは書類に朱液でサインを入れながら、ヤヨイの顔を見ることなく言った。
どこの国から来られたか、とキサラギが問えば、ムツキは「ゴゼ」とだけ答えて床を見入る。
「御神は官の名であるが」
「『御神』じゃない、『御瀬』だ。あんたらが持っている地図には存在しないかもしれないが、隣国政府の統治下にある島の一つだよ。もっとも、隣国よりもこちらの国の方が近いけどなァ」
敬うことを知らない口調で、ムツキはキサラギの質問に答えた。
その答えを基に、キサラギは手元にある歴史書をめくる。歴史書は代々写本され続けてきた貴重品で、原本に近いものは天皇と八人の臣下しか持つことができない。そして歴史書の地理の項目曰く、御瀬は南国にあるという。隣国の統治下にあるその島は、昔は観光地として栄えていたのだそうだ。はるか昔は、この国からの移住者も多くいるらしい。ため息をつきながら、キサラギは歴史書を捲る。
「……たしかに、隣国の統治下にある島だな」
「……あれを隣国と言うのか?」
言って、ムツキは呆れたように今度は天井を見た。
「いささか離れ過ぎか?」
キサラギは苦笑すれば、ムツキは口角だけを上げて鼻で笑った。太平洋、と昔は呼んだらしいその巨海は、今の船で何ヶ月掛かることかわからない。
「あの日までは一日で行けたらしいな」
この飛行機とやらはどんな乗り物だったんだ、とキサラギは言って口をつぐんだ。
(三)
世界が二回目に生まれた日を、人々はその後起こった仮政府首脳の名前を取って「東の風」と呼んだ。
東の風が吹けば、世界はもう一度生まれ変わることができる。
仏教のお経のように、繰り返し人々の間で囀られた言葉は、ある日現実となってこの国を襲った。そして世界をもう一度構築したのである。全てを破壊することによって。この世界は浄化された。歴史学者はそう宣う。
「民主主義とはどのようなものだったのだろうな」
歴史書に読みふけるキサラギはいつものようにヤヨイに問うた。
「民の声を聴き、政治を行うというやつだろう?」
ヤヨイは呆れた様に息を吐いた。その手には歴史書も書類も持ってはいない。やや仕事中毒気味のキサラギとは違い、ヤヨイは量より質を取るタイプなのだとよく笑った。
「今、この国はそんな余裕は無い」
文明を捨ててしまったこの国は、東の風により人口の半分を喪った。この国だけではない。世界に存在すると言われる数々の国も同じような出来事が立て続けに起きた。それでも踏みとどまれた隣国のような場所もあれば、この国のように退化し停滞する国もあった。退廃した国がもう一度、国民の声を聴き、それを基に政治を行うというシステムを構築することは困難に近く、理想は「効率性」の名の元に廃れてしまっていた。
文明の退化。
それは民主主義という当時の政権体制を君主制に変えてしまった。
「神に見放された」
キサラギは笑って本を閉じた。それを見て、もう一人の側近であるシモツキは顔をしかめて言う。
「東の風が吹いたからだ、神は我々を見放してなどいない」
東の風が吹いたのだ、と老人は言った。病床で余生を過ごしていた彼は、かすむ視野の中で、幻想のような光をみながら、その時のことを思い出していた。自らの父親が彼に語ったまるでおとぎ話のような昔の話を。魔法使いが魔法を使って様々な道具を生み出し、人々の生活を豊かにしていったというその人類の軌跡を。箱にガラスがはめ込まれた映像を映すテレビというもの、ガラス板を叩けばまるでボタンを押したかのように反応する小さな板を、炎を一つのつまみで自在に操ることのできる機械を。物を冷やしたり温めたりすることが容易にできる世界を。
文明を捨てた国はそれだけ文明が退化した。文明が捨てられた分だけ、資源は利用されなくなっていく。百年前には三十年ばかりで無くなると云われた燃料ガスは、まだ無くならない。山の様に作られ、捨てられた紙は貴重品とされ、木の伐採は減った。資源は生き長らえたのだ。
「代わりに文明は死んだのだ」と、この国の国王は言う。
この国の国王は、国の象徴として解放されることもなく、束縛され続けていた皇族が即位した。東の風が吹いてから数代経った今も、それは変わる事は無い。意見陳情に上がったという神官の話を聴きながら男は嘲笑する。かつては今と同様に神として崇められていた時代もあったという皇族にいるかの人は、神の存在を信じてはいなかった。
「文明を培ったのは自分たちというのを忘れたか?」
国王であれば崇められることは当然ではある。文明を喪い、民主主義を捨てたこの国で、国王は唯一であり絶対の存在であった。だが即位する者は神の存在を信じてはいなかった。文明が作られ、衰退した歴史を知っているからだ。自らの血の系譜を、先祖がみてきた光景を彼らは幼少時より帝王学の名の元で淡々と教え込まれる。
「それはお前が作りあげた偶像だよ。例え俺が本当に神だったとしても、お前が作りあげた偶像とは別物だ」
国王が言い放てば、神官は罵声を吐きながら嗚咽した。
(四)
「御瀬では内戦があるらしいな」
キサラギは定期便でやってくる隣国からの亡命者報告書に目を通してぼそりと呟いてから、それを山積みになった書類の上に置いた。そこにムツキの名前はなく、ただ一文、「集落を巻き込む内戦あり。正確な情報伝達は不可能」とだけ書いてある。そこに付随するのは、隣国政府が一応公式な情報として公開している亡命者と難民、及び戦死者の数をみながら、キサラギはうんざりしたように呟いた。
「これを一体どうしろというんだ」
「どうせ本国へ流れるんじゃないのか。あの東の風さえも鎮圧した世界最強の大国様だったら争うこともないだろう」
シモツキそう宣うが、キサラギは更に顔を渋くしながら、別の調書を手に取る。
「違うよ、シモツキ……これは独立戦争だ。独立をしたい国がわざわざ敵である本国に助けを求めると思うか……。ここまで余裕のない世界になってしまってまで、」
「それは、どういう、」
自分が想定した回答いがいの言葉を返したキサラギを、シモツキは見る。
「御瀬は隣国に愛想を尽かしたんだ」
心なしか、悲しそうな顔をして、キサラギは目を伏せた。
「御神」という官がいる。
正確には官の位である。かつて存在した一府十一庁二省を必要最低限まで押さえこんだのがこの体制だった。
国王の位である「一の御神」を筆頭に、かつて内閣官房、法務省、外務省、防衛省、財務省、文部科学省、農林水産省、経済産業省、国土交通省と呼ばれた省庁を八人の臣下が管理する。
それぞれの官の職員は「神官群」と呼ばれ、雇い主は国となる。「御神群」は通常、長官の下につく者の総称として扱われ、職員が御神そのものを名乗ることは認められない。
この国の体制を聴いてきた目の前の男に一通りの説明を終えたキサラギはため息をつくと、男はクスリと笑った。
「何を笑う?」
「いや、なんとも仰々しい組織だと思っただけだ。気にするな」
ムツキは、人守の管轄下にある診療所に入院していた。日当たりのよいその部屋で監視の兵士をつけた彼は、拘留中とは思えない堂々とした態度で生活をしていた。
「じゃぁ、シモツキは右大臣左大臣の片割れみたいなものか」
「そうだ」
ムツキは突然、この国の政権体制について訊いてきた。それには何の脈絡もなく、何を意味するのかもわからない。ただ、ムツキはこの国の体制を知ることを望んだ。
「なぜお前は、この国の体制に興味を持ったんだ?」
「気にして悪いか?」
じゃり、とムツキがつけていた手錠が彼の体を覆う布団の上で音を立てた。
「物好きだな。いまどき、政治評論家でもそんなことなんて気にならない」
気にしている余裕がない、という一瞬脳裏をよぎった言葉を、キサラギは笑い声でごまかした。
「しかし、何で突然政権体制が変わったのか、というのが気になるな」
ムツキは差し出された水に口を付けながら問えば、キサラギは目を細くして答えることはなかった。
数代前、東の風が吹いた時より記録され続けた歴史書によると、文明の進化、開発に疲れた「科学者」たちは、進化を止めるべく力の限りを尽くしたらしい。中には再開発に奮起する者も居たが、結局は多勢に負けてしまったのである。つまり、世界中の魔法使いは同胞によって鎮圧されたのだ。それまで文明の発展のために同胞を精神的にも肉体的にも見殺しにし続けてきた彼らは、文明を退化させるにあたっても同じことができたのである。
魔法は世界の礎を作った。すなわち、科学者たちは大きな目で見れば世界を制圧していたのだ。時に協力し、時に競い合うことによって。優しい言葉を使えば結束ともいえるその協働は、世界を沈める時にもいかんなく威力を発揮した。そして、魔法の上に立つことによって成り立っていた政府とその統治下の人々は、世界を鎮めようとする魔法使いたちに勝つことができなかった。
戦争の始まり方を知っているか、とキサラギは言った。
「世論は絶対だ、力を合わせれば何とかなる。だが、その思考は、上が絶対的な意思を持ったとき、あっという間に崩壊する」
平和に過ごしていた一つの集団が崩壊するきっかけは本当にささいなものだ。カリスマ性のある人物の扇動。水面下に蔓延っていた不安を助長する噂。助言。そして叛逆。それが少しずつ波紋のように広がり、平和だった集団は一気に争いに精を出しはじめる。
それが五人の集団でも、百人の集団でも、千人の集団でも、一万人の集団でも、原理自体は変わることはない。
「オエライさんも大変だな」
キサラギの言葉と神妙な顔を見て、ムツキは苦笑した。
「東の風が吹いたあと、世論は必要ない、と政府は認めた。世論を通じて国民の望みをきくことを放棄した国は、民主主義に属さないことを決めた……そして、君主制は甦った」
ムツキはキサラギを見たまま止まっている。
「どうして東の風は吹いてしまったのだろうな」
不意に沸いた疑問に答える声はどこにもなかった。
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