星室庁の黄昏

銀次

第1話 出張所の担当者

「『定例の調査指示が本庁から降りて来たので、各位月末までに上申用の報告書を取りまとめ提出する事』だそうだ、相変わらず懲りないねぇ……」


 先ほど手渡された指示文書をを手に、シャートフは隣に座る同僚リプーチンに話しかけた。


「まぁ、いいんじゃないの、俺らは本庁様や上の言うとおりに動いてさ、俸給をいただくのさ。ウン、さしあたってだな、文書番号とるために、用意しておいた名簿を添えて上に回すのさ。あ、つきましては、ここにサインをお願いね」

「なぁ」シャートフは書類にサインをさらさらと書きながら言った。「お前の担当する案件はスイスイ回っているみたいじゃないか、どんな魔法を使ってるんだ? 同じ仕事だろ? 密偵使って不穏分子の調査。内緒でちょっと教えてくれないか? はい、書類」

「どうも。仕事が速い? なに、別に難しい話じゃない。密偵の連中っていう奴らはだな、調査なんて細かい仕事は向いてないんだよ。あんなやつらに書類をきっちり作る沈着な精神が備わっていると思うか? そういうものがないから密偵なのさ」

「まぁ、そういわれればそうだなぁ」


 シャートフは密偵のことを思い出していた。密偵の仕事は、運悪く囚人となった盗賊が、当局の恩赦という形式によって世に出た者が担っていた。彼らは読み書きそろばん(遠隔地との手紙による情報のやり取り、盗品の売買のためにこれらは必須の技術だった)ができ、おまけに、密偵業に精通していたばかりか、経験まであった。元プロが親分を変えてプロに戻るというわけである。


 しかし、密偵らから上がってくる調査の報告書は、一様に一目見ただけでデタラメとわかる杜撰な代物で、彼らを管理する立場のシャートフは、見るたびに修正に費やされる手間を想像して、頭が重くなるのを感じたのだった。


「パッと見は、普通の商人なんだがねぇ……。なんというか、雑で」

「やつらを普通の人だと思うからいけないのさ、監獄で足かせをジャラジャラ言わせていたってことを頭に入れて見てみれば、連中の性質が想像できるってわけでね」

「というと?」

「つまり、頑固で、やっかみ深く、恐ろしく見栄っ張りで、自慢やさんで、傷つきやすく、役所を遥かに凌駕する形式主義者さ。連中を傷つけないようにするには、おおらかで余計な事を言わない役人然とするしかない。やつらは、なぜか役人を偉いと思っている」

「うん」


 シャートフは密偵の慇懃な振る舞いと決して乱れない尊敬語謙譲語丁寧語を思い出していた。それでいて、喋る内容と言えばシャートフが出した報告書への注文に対する、辛辣きわまるあてこすりや中傷のたぐいだったのである。


「それで、彼らをやる気にするには、彼らが他の密偵連中のなかで自慢できるような事をさせてやればいいのさ。俺なんてあいつらの中では『気前のいい旦那だ!』って評判なんだぜ」


 盗賊に褒められるのはあまり気が進まないな、とシャートフは思った。


「つまり、調査なんて細かい書類の仕事をさせるんじゃなくて」ここから、リプーチンはシャートフに耳打ちした「最初から殺しの依頼を出してしまうのさ。やつらとの打ち合わせの時に、『この書類には調査依頼ってあるけどな、その実殺しの指示ってワケなんですよ』とこそっと耳打ちする(今みたいにな)するとやつら、ニヤニヤッとして『かしこまりましたゼ、旦那』なんて言って俄然やる気さ。一仕事終えて、密偵が集う酒屋に顔出して、『おいおめぇ、何人やったか? 俺は百人だぞ、がっはっは!』というわけさ。結果は早いぞ! ざっと10倍速だね。おまけに報告も詳細きわまるものさ、自分がやったことがうれしくてたまらないといった興奮した筆致でね。そこから、俺はいるものだけ拝借してワン・ペーパーにまとめておしまい。清書くらいは彼らもやってくれるさ。『正式のはこうでなくちゃならないんだなぁ、悪いね』『ヘェ、お役人様はキレイな殺しの話をお好みのようでフッフッフ』てな調子さ」


 これは明らかに命令違反であったが、本庁は調査結果を鵜呑みにするため、調査対象となった人物は、結局のところ全員殺される運命にあった。殺害にあたって、事後に報告書の本庁提出が義務付けられていたが、これも殺害が秘密裏に行われる性質上、殺害日のごまかしは何とでもなるのだ。


「シャートフさん、受付にガーランドさんが見えられましたよ」


 係りの者が客人の到着を伝えにやってきた。召喚通知指定の時刻通り、ガーランドが事務所に現れたのだった。彼は密偵である。


「わかりました、すぐに行きますとお伝えください」

「ほらお客さんだぞ。他のところから来た新人さんだったっけか? さっそく試してみるといい」


 シャートフは必要な書類を手に取り、面会所へと向かった。

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