その他まとめ

@mate729

巣立ち、準備編

「さあ、始めますよ!」「おー!」

 物事は始めが肝心、と軽く握りこぶしを作り意気込んでみせる真白の言葉に反応したのは、苺だけであった。一拍遅れて光が、躊躇いがちに苺と合わせようとするが、一言だけのそれに間に合う筈もなく。完全にテンポがズレた彼女を見て、厨房に居た最後の一人であるオリエが朗らかに笑った。その反応にむうと軽く顔を顰めた光が、あることに気付き口を開く。

「そういえばオリエさん、髪の毛は結ばないんですか?」

 その問いかけに彼は呆けた顔をする。「きょとん」としたその表情は、年上でありながら光に可愛らしさを感じさせるものだった。腹立つくらい綺麗な人だよなあと頭の片隅で考えつつ、他の二人を眺めてみる。真白は花の飾りが付けられたゴムを使って、苺は彼女の茶髪によく似合っている爽やかなアクアマリンのシュシュを使って、髪の毛を纏めている。真白が僅かに首を傾げると、彼女の黒い尻尾が小さく踊っていた。当の光は元より髪を一つに纏めているのでエプロンを身に着けるだけだったが、他の三人はそれに加えて長い髪の毛を結んだ方が良いのではないだろうか。真白と苺は光の考え通りにしていたが、オリエは彼女が口にした通り、普段と変わらず金の髪をそのままに揺らしている。中途半端な料理経験しかないが、肩甲骨程の長さの髪の毛は作業の邪魔だと彼女は記憶していた。

 光の言葉に、今回の指南役である真白も同意する。

「そうですね、一応結んでおいた方が良いと思います」

「オリエ、あんた縛るモン持っとるか?」

 続いて尋ねた苺を見て、オリエはゆるゆると首を振った。夏の暑い日には旭の髪ゴムを借りていたと言う。それを聞いて一番に反応したのはしっかり者の苺だった。ちょお待って、言い残すと軽い足音を立てて一度大部屋を後にする。彼女のきびきびした動きを見る度に光は強く感心するのだった。対人関係経験の少ない光は、どうも人付き合いをする時に最適解を思い付くことが出来ない。いつかあんな風になれたらと願ってやまないと改めて感じていると、苺がシンプルな黒いゴムを手に帰ってきた。居間を横切り厨房に戻ってきてオリエにそれを手渡すと、彼女は漸く自分がエプロン姿で外に出ていたことに気付き苦笑いを溢した。

「まぁ、どうせ誰にも見られてないやろうけど」

 知音荘は駅から少し歩いた先にある小道を抜けた場所に建っている。人の出入りが少ない道があると本当に歩行者は少なくなるもので、登下校中にその小道で荘の住人以外を見かけることは稀だった。

 苺がエプロンの裾を片手で泳がせていると、ふとぎこちない動きのオリエが視界に入った。慣れていないらしい、たどたどしい手つきに思わず笑ってしまう。そういえば、小さい頃は自分も一人で髪を纏めることが上手に出来なかった。彼の名を呼んでやる。ちょいしゃがんで、と言えば、彼は素直に従った。親子のようだと光がぼんやり眺めていると、しゃがんだオリエの後ろに居た苺がこちらを見ていた。どうかしたんですか、と代わりに尋ねたのは真白だ。ああいや、そう前置きして苺は口を開く。

「あたしがやるより、光ちゃんがやった方がええと思て」「うえ?!」

 驚きのあまり変な声が出てしまったが、それを気にする余裕が無い。目を瞬かせ、疑心を抱いたような面持ちで理由を尋ねると、苺はからからと笑って自分の髪の毛を指差した。曰く、いつもきっちり一つ結びにしているのは光だから、と。

 確かにその通り、普段光は毛先の跳ねた黒髪を結って右肩にかけており、一方の苺はチョコレート色の長い髪の毛を緩く結んでいる。あたしはいっつもぱぱっと適当にやっちゃってるからなぁ。私もそうですと口に出来ないまま、光はふらふらと苺の側に向かう。と言っても広くない厨房なので、その時間は一瞬だった。

 そもそも自分の髪と他人の髪では勝手が違うのではないか? と思ったが、髪ゴムを手渡された今言い出すことでもない気がする。一呼吸置いてから光は意を決してオリエの髪の毛を掴んだ。「そんな強くする必要ないと思うけれど」と苦い顔をする彼の言葉は集中し始めた光の耳に届かなかった。


 誰の目から見てもスタートダッシュは切れなかったことが明白だが真白はあまり気にしていなかった。何となく、こんな風に、「ぐだぐだ」と始まる予感はしていたのだ。光とオリエと苺の中で真面目と呼べるのは苺くらいだし、その彼女も堅物と言うほど思考が凝り固まっている訳でもない。楽しいことがあればつい流されてしまうような可愛らしい女子高生だ。

 さて、オリエの髪が纏められると(手櫛とは思えぬ程に丁寧だった)、三人は真白に向き直った。脱線は程ほどにしておかねばならないと彼らも分かっている。

「では、改めまして。今日はカレーを作ります!」

 咳ばらいの後に彼女から出た発言に、今度は三人ともはあいと綺麗に声を揃えて返事をした。

 その時間を一言で説明するならば、お料理教室である。結婚し知音荘を出ていくことになった真白は、荘で炊事洗濯の担当だった。彼女の代わりとして入居することになったルーデサック(このふざけた愛称は本人が呼ぶようにと話している)は教師をしているので、流石に全てに手が回らない。

 このまま真白が抜けてしまうとまずいと思った住人が顔を合わせて今後の方針を会議したのがこの前の話で、結果、高校生組が当番制で炊事を行うことになった。しかしその殆どが料理のりの字も知らないという惨状を改善するために、今回の企画が実行される運びとなったのだった。講師一人に生徒八人では負担が大きすぎる、と選ばれたのが光・オリエ・苺の三人である。料理まったくの未経験者であるオリエを、多少齧っている光と苺がサポートする予定だった。

「けどオリエさん、ウチの学校にも調理実習ありましたよね?」

 尋ねた直後に、また脱線してしまったと焦る光だったがそれに対するオリエの返答は恐ろしく簡潔であった。

「調理実習かい? 全部『オリエ君は出来なさそうだから待ってて!』って言われたから、その通りにしていたよ!」

自慢げに語るオリエに、三人は苦笑しか溢せない。そういう初心者の人に経験を積ませるための調理実習ではないのかと珍しく光が正論を頭に浮かべたが、それを口にはしなかった。

 そしていざ講義を始めようとキッチンに並ぶメンバーであったが、その時点で既に問題が出てしまった。食材を置いたり切ったりする為のワークトップが、四人で使うには小さいのだ。分担作業にするとしても講師役の真白は一人しかいないし、同じことを人数分延々とこなしていくのは苦痛にしかならないのではないだろうか。それに気づいて、真白は苦い顔をして沈黙してしまった。

 心配そうな顔を向けられ慌てて取り繕おうと両手を振った真白は、一瞬悩んで、その手を下ろした。変に遠慮をするのはもうやめよう、一つ同じ屋根の下で暮らしている彼らは、自分の秘密を告げても受け入れてくれる人ばかりなのだから。

 躊躇いがちに話し始めた真白の言葉に、受講生は「ああ」と三者三様に頷いた。困った顔をした光はどうすればいいのか真剣に考えこみ、自分が行うことがどれ程重労働か分からないオリエは不思議そうに首を傾げ、軽く思案し解決策が浮かんだ苺は平然とそれを口にする。

「ローテーションにすればええんとちゃう?」

 カレーに必要な作業ははお米を研いで炊くこと・野菜を洗って切ること・野菜を炒めルーを混ぜること、の三つである。どうせ荘の人数分作るのならば一つの作業を何回か繰り返す必要があるのだから、教える側と教わる側を交代で進めていけば、作業が偏ることなく、料理の方法を学べるのではないか。

 真白は童子のように顔を輝かせた。その発案は目から鱗であったし、元来素直な性格である彼女は思いつかなかったことを恥じ入るでもなく、苺は尊敬できる人物であると感心したのだった。ぱちんと真白が両手を合わせた軽快な音が鳴る。「流石です、苺さん!」と幸せそうに頬を緩めて苺を褒めると、当人は小さくはにかんで笑った。対して面白くなさそうに金の髪を流したのはオリエである。

「ぼ、僕だってそれが良いかなって思ってたし」

「オリエさん、見得を張るの止めましょうよ……」

 呆れた光の言葉に彼は口を尖らせながらも言われた通り黙り込む。人との付き合い方を未だ勉強中である光は会話を直球で行ってしまうことが多い。失敗することも多々あるが、それを指摘するものが少ないので中々間違いに気付けない。しかし今回はオリエの露骨の表情で察することが出来たのか、ぎこちない言葉で謝罪する。ええっと、ごめんなさい? 疑問符を付けた言い方にオリエはつい苦笑した。気にしていないよ、相変わらずだねえ君。

「えーと、それじゃあ最初に誰が何をやるか決めますね。一人ずつ教えていくので、他の人はすみませんが待っていてください」

「はいっ」「OK!」「はあい」

 三人の答えを聞くと、真白は先ほど苺が示した作業を思い出しながら誰を割り当てるか考える。オリエさんは包丁で怪我してしまいそうだし、私が教えた方が良さそう。光さんは色々と緊張しているようだし簡単なお米研ぎからかしら。苺さんは他の二人より詳しいようだから、後からオリエさんに切ってもらったものを炒めてもらおう。

 彼らの性格を考えてシュミレーションすると、それは予想外にあっさりと終わった。続けるうちにぎこちなさが無くなっていく光・楽しそうに野菜を切っていくオリエ・慣れた手つきで木べらを動かす苺の姿が真白の脳裏に浮かんで、クスリと微笑を溢す。この予想が当たっているか、結果はすぐに分かる筈だ。確認するためにも今度こそ始めよう。有り触れた幸せな時間は、まだまだ終わりそうにない。




 話のオチとして、それぞれに最初の作業方法を教えてしまった真白の言葉を。

「…………あれ? もしかしてもう私お役御免ですか?」

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