第三章 第4話
翌朝、いつものようにロディに起こされた。
僕らが食堂に出向くと、ニコルガさんはカラッとした表情で挨拶をしてくる。
「起きたか。朝メシ食ったら、ちょっと森に行くぞ」
「え、森ですか?」
「そう、ちょっと見せたいものがあるんだ」
手早く朝食をとった僕らは、ニコルガさんを先頭に、集落の奥にある鬱蒼とした森へと足を踏み入れた。
基本的には、ここもケプロ一帯ではあるので、生えている木や植物に目立った変化はない。
ただ、森といってもアップダウンが多く、なかなか進みづらい。
途中まではよく人が通っているのか、踏み固められた道はあったものの、途中から脇道に入ると、草をかき分けて進んでいる感じだ。
「チクチクして痛いっ!」
ロディは上着を置いてきたまま来たせいか、草と腕が擦れて音をあげている。
「まったく、何で上着置いてきたんだよ」
僕は羽織っていたマントを脱いで、ロディの肩にかけた。
「だって急いでる感じだったから、つい忘れちゃっただけよ」
「まだ、お前もお子様だなぁ」
ロディは拗ねたような目で、僕を見上げてくる。
「お子様っていったって、レイバーも同い年じゃない」
「精神年齢がだよ、精神年齢。わかる?」
僕がおどけた表情でロディをからかうと、彼女は持ってた杖をブンブン振り回す。
軽く後ろに飛んでよけて、着地しようとした瞬間に僕は何かを踏んだ。
「グボばっ」
うごめく声と共に、何やら大量の物体が、僕の顔面に覆いかぶさってきた。
う、う、息ができない……。
力を振り絞って、どうにかソイツを引き剥がした。
よく見ると、黄緑色のゼリー状のものだ。
ん、そういえばさっきからレイGの声が聞こえない。
「あれ?」
僕は思わずロディを見つめて、
「もしかして、これレイGだったのかな?」
黄緑色の物体を指して、尋ねた。
ロディが僕の近くに寄ってきて、よく見ようとした矢先、
「なんズラ、そいつはオラじゃないズら」
「「レイG!」」
僕とロディは、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「そいつは、“グボバ”ズら。草しか食べないスライムだから、よく森にいるズら」
「え、スライムってことは、レイGの仲間なのか?」
レイGは指を左右に振りながら、チッチッチと合図する。
たまに思うけど、いちいちコイツは尊大に振る舞おうとするなぁ。
「一緒にされては困るズラ。そいつらとは、精神年齢が違うズラ。精神年齢、わかる?」
レイGはヌッと、僕に顔を寄せてくる。
「なんだ、じゃあ単にモンスターだったってことか」
「おおい、何してんだ」
先を行っていたニコルガがこちらに寄ってくる。
僕はさっき踏んづけて倒したグボバを彼に見せた。
「なんでえ、グボバじゃねえか。ちょうどよかった。ちょっと、それを貸してくれ」
彼はそれを受け取ると、近くにあった岩の上に乗せ、ナイフを取り出した。
そして、僕たちが何かを言うヒマもなく、それを細かくナイフで割き、団子状に丸めている。
「一体、何をしてるんですニコルガさん?」
「ああ、これか?これからそこの湖で、木の魚(ウッド・フィッシュ)を釣り上げるためのエサだ」
「釣りですか……。でも、そもそも木の魚って」
「まぁ、見てなって」
ニコルガはそう言って、大量のグボバ団子を抱えて、岩場を上って行った。
後を追っていくと、僕らの目の前には大きな湖が現れた。
「すっごーい! 大きい」
ロディが歓声をあげる。
たしかに大きな湖だ。
僕たちの学校がスッポリと入ってしまうくらいの広さはあるだろう。
「こっち、こっち」
声の聞こえる方向を向くと、ニコルガが手招きをしている。
僕たちが駆け寄ると、懐から折り畳み式の釣竿を出して、渡してくれた。
「さて、これから皆で釣り上げるぞ」
僕たちは言われるがままに、竿を水面に垂らした。
と、その瞬間なにやら引きがある。
「お、さっそくかかったか。竿を放すんじゃねえぞ」
わりとグイグイと引っ張ってくる感じで、油断をすると竿ごと持っていかれそうだ。
「よおし、その調子。その調子」
ニコルガは道具袋から出していきたタモで、水面に映る黒い物体をすくいあげた。
タモの中でビチビチと跳ね回るそれは、たしかに魚の形をしていた。
が、昨日食卓で見たものとは違って、全身が木目調だ。
まるで、木彫りの魚がそのまま動いているようである。
「これが、木の魚ですか……」
僕が目を丸くして尋ねると、ニコルガは笑いながら答えた。
「ガハハハハハッ、最初見たときには誰でも驚くさ。なんせ、木みたいな魚が獲れるんだからな」
「昔から、こうだったんですか?」
「いんや、昔は普通の魚が獲れる程度で。もっとも、ここいらの魚は小ぶりだったから、オレらは海で漁をしていたんだ」
「それで、シーライナスが現れてから、湖で漁をするようになったと?」
「そうだ。けど、ミリアがいなくなってから不思議なことが起こってな」
そう言うと彼は、湖の奥側を指差す。
そこに見えるのは、一本の大樹。
「たぶん、もうそろそろだ……」
何がそろそろなのだろうと思っていると、突然その大樹の幹から大量の木の魚が噴出してきた。
「な、な、なんですか。コレっ」
「まぁ、どういう仕組みかわからねえが、こうやって決まってあの大樹から毎日、魚が噴出してくるんだ。オレは、きっとミリアからのプレゼントだと思っている。親孝行なヤツでよぉ……」
ニコルガがまた、グズグズモードになろうとしたので、僕はそれ以上の詮索をやめた。
でも、どうもあの大樹が気になる……。
「ニコルガさん、ちょっと僕あの大樹を見に行きたいんですが」
「ん、かまわんよ。行ったって、別に何もありゃせんがな。じゃあ、オレはそこの嬢ちゃんとスライムとで釣りをしてるさ」
僕はロディたちと別れて、一人大樹のほうに向かった。
「で、デッカイなぁ……」
最初に見た場所からだと遠くだったせいか、それほど大きくは感じなかった。
けれど、近くまで来てみると、その大きさに圧倒されてしまう。
幹の表面に触れてみるとゴツゴツとしている。
根元のほうは、わりと苔むしていて、ジメジメとしている。
そして、上を見上げると、頑丈な幹から多くの枝葉が出ている。
一体、ここまで大きくなるのに何百年かかったんだろう……。
そんなことを考えていると、突然聞きなれた声が聞こえてきた。
「何じゃ、まだこんなところで道草を食ってるのか」
僕が声の主を探そうとキョロキョロしていると、
「ここじゃ、ここじゃ」
と言ってくる。
ふと、正面の幹を見ると、ヌッと顔が浮かび上がっていた。
「ううわああああっ! てか、ジョブリア」
「のう、久しいのお。ガネットよ」
試験塔で見たジョブリアは、たしか像だったはずだけど。
「な、なんで。こんなところに?」
「何でとは、また奇怪な。わらわの家はココなのよ」
「でも、ギルロスの試験塔では、お前像だったじゃないか」
「あーー……、アレは念を送って喋っていただけ。あんなところに年中いられるわけがないじゃない。軽い出張みたいなものよ」
「じゃあ、ジョブリアはもともとココの神様なのか?」
「うーん。それもまた、正確には違うわね。わらわは元々、海の女神」
「海って……、ここはどう見ても森じゃないか」
「そうなのよねぇ。もっと海の日差しで、肌をバリバリ焼きたかったんだけど……」
ジョブリアは、まるで他人事のようにフーッとため息をついた。
「まぁ、海にはシー・ライナスが現れている以上、四の五の言っても仕方がないわね。海にいても危険だから、この森に引っ越してきたってワケ」
僕は前から気になっていたことをジョブリアに尋ねようと思った。
「あのさ、ジョブリア。みんなが恐れているシー・ライナスって、一体何なの?」
ジョブリアは少し考えている様子を見せたが、彼女が次に発した言葉には驚いた。
「んー、あれ。昔、別れた夫なのよ」
え、一体この人は何を言っているんだろう……。
僕がキョトンとした表情を浮かべていると、ジョブリアは笑みを見せた。
「フフフ、なあに驚いているの。最近では、神同士の離婚もよくあることよ。ライナスも昔はよく働く真面目なヤツだったんだけどねぇ。でも、働いても働いても、なかなか上司の神たちに認められなかったの」
神様同士の家庭の事情を聞いても、なかなかピンとこなかったが、ジョブリアの話は続く。
「で、ライナスとは対照的に、わらわの方はどんどん出世して、人間界の職業を司る女神に選ばれたってわけ。本当はね、男神が就くポジションなんだけど」
「それで、夫婦ゲンカになったってわけなの?」
「まあ、そういうところね。何もあんなに嫉妬しなくてもいいんだけど。ライナスはいったん怒り出すと百年はそのままだから、話をしようにも通じないのよ。で、事情を見かねた私の両親が強制的にライナスと別れさせたってわけ」
「ちょっと待って。それって、一体いつの話なの?」
「いつって……、そうねまだ十年くらいしか経ってないんじゃないかしら」
十年って、ちょうど父さんやミリアさんがいなくなった時期と重なる。
「ああ、大丈夫よ。お前の父や兄は生きてるわ」
「え?」
「だから、生きてるって。わらわは女神ぞ。お前の考えていることぐらい、すぐに分かるわ……。て、こらこら泣くな泣くな」
僕はジョブリアから言われて、頬を伝う涙に気づいた。
そうか、兄さんも父さんも生きているんだ。
なんか、いきなりでビックリしたけど、とにかくよかった。
僕は涙を拭うと、ジョブリアに尋ねた。
「でも、何で教えてくれたの?」
彼女は、うーんとしばらく考え込むと、こうキッパリと答えた。
「ライナスを止めてほしいのじゃ」
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